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第36話 ひとつになる家族

 時は遡り、明治時代。

 粗末な卓の前、涙を流す一家がいた。

 悲しみの涙に見えたが、それはどうやら喜びの涙のようだった。


「皆。ありがたく頂戴するのだぞ」


 父の言葉に、母と弟と揃えて、少女は、はい、と返事をした。

 湯気を立てる椀と、皿。どちらも、肉が入っていた。

 父は、続けた。


「これは、ダールゴア様のお力と――」


 兄さま。


 少女は、心の中で、ため息のように呟く。兄さま、と。

 父は、少女と弟の目を交互に見つめていた。


「お前たちの兄さまの、血肉なのだ」


 はい、とうなずいた。

 

 ダールゴア様に、命を捧げ、代わりにダールゴア様から祝福を受けた、兄さまのおからだ。尊い、お力を、謹んでいただくんだ。

 

 少女は、姿勢を正す。兄の、前だから。

 少女には、それがどういう目的で、どういう意味があるのか、わからない。両親と兄の教えは絶対で、疑うことを知らない。


 兄さまの命を、みんなで受け継ぐんだ――。

 

 昨日まで微笑んでくれていた兄。もうその声を聞くことはできない。

 兄の頭と体が、離れてしまったから。それは、兄自身の英断だった、父母は口を揃えた。

 しかし――、代わりにこれからは、自分たちの中で、兄は生き続けるんだ、と思った。


「兄さまの深い信仰と献身のおかげで、私たちは永遠と強さと幸福を手に入れられるのだ――」


 兄さま……!


 湯気は、答えない。

 少女は歓喜の涙を流し、父母の言う「尊い料理」を口にした。

 



 なにが起きたのか、少女自身よく覚えていない。

 それから、どのくらい経ったのだろう。

 

「お父様……? お母様……? 正二ちゃん……?」


 父と母、そして弟の名を呼ぶ。卓は、乱れていた。「尊い」とされた兄の入ったはずの椀と皿が、床に散乱していた。

 少女は。息をのむ。


「化け物……!」


 不可解な姿をした化け物が、二体倒れていた。傍には、見慣れた父母の衣服の切れ端が散乱している。

 そして、壁際に、弟がもたれかかるようにして倒れていた。


「正二ちゃん……!」


 弟を抱え逃げようとしたが、すでに弟は血を吐いた状態で、絶命していた。

 化け物も、なぜか死んでいるようだった。

 そこで、また意識が途切れた。

 

 祝福……、生きる……、尊い血肉――。


 少女は知らない。自分と家族の身に起きたことを。

 ダールゴアの「祝福」を受けた血肉を食べた瞬間、それぞれの体に急激な変化が訪れる。

 小さな体の弟は、変化に耐え切れず、血を吐いてすぐに命を失った。

 父と母の髪は抜け落ち、全身の皮膚が紫に変色し、角が生え、体が膨張して衣服は破れた。父と母の変身は、それぞれ微妙に差異があった。どちらか片方が首が長かったり、尾が生えていたり、角の形状や大きさが異なっていたりして、二体は違う種族の化け物のように見えた。そのため、余計これがきっと父と母だ、とは認識できない状態だった。

 弟とは違い、両親は化け物の姿に変身できたとはいえ、やはり肉体が対応しきれず、すぐに息絶えた。

 少女は――。


 おなか、すいた――。


 変化のためか、空腹だった。とても。

 朦朧とした意識の中、中断していた食事を始める。

 目の前に、たくさんの新鮮な「祝福」があった。

 少女の中で、家族はひとつになった。




「今日も気持ちのよい朝です」


 明るい茶色の髪が、日に透ける。


架夜子(かやこ)はまだ夢の中、兄上は、久方ぶりの鍛錬を始めたようです」


 夕闇は、どこかの家から遊びに来た猫の頭を撫でながら、猫に聞かせるというわけでもなく、一人呟く。


 風を感じ、光を浴びる。なんという幸福。


 兄と共に、ずっと、暗闇の中にいた。妹の架夜子が生まれても。妹に至っては、闇の中で生まれてずっと、光を知らないでいた。


 だから架夜子は外の世界が珍しくて、楽しくて仕方ないのだろう。


 まだ幼いこともあり、少しのやんちゃはしょうがない、と思う。

 にゃあ、と一声鳴き、猫は庭の外へ駆けて行ってしまった。きっとまだお散歩コースの途中、夕闇への挨拶が終わったということで、次の目的地へ向かうのだろう。


 父上は、大変辛抱強いおかただ。私たちなどより、はるかに長い、気の遠くなるような歳月暗闇の中いらっしゃる――。


 夕闇は、立ち上がる。


 あのお堂の下、暗い世界から、早く出して差し上げたい――。


「夕闇」


 名を呼ぶ声に、振り返る。


「入れなかった。どうやら、先客がいたようだ」


 崩れかけた縁側に、兄が立っていた。


「兄上。もしかして、それは――」


「きっと、連中だろう」


 幽玄。やはりやつらか――。


「空間は、いくらでもある。だから、他で体を動かしてきた」


 兄の言葉に、夕闇もうなずく。


「それは、残念でしたね」


 兄上は、「鍵の間」を好んでらっしゃる。兄上は、暗闇もお嫌いではないご様子。


 自らを高められるから「鍵の間」を使うのか、それとも、闇が落ち着くから「鍵の間」を使うのか。兄は、頻繁に「鍵の間」を活用した。


 夕闇は、兄の隣、縁側に腰をかけた。トンボが一匹、夕闇の周りを周ってからどこかへ飛んで行く。

 兄も夕闇にならい、どかっ、と腰を下ろす。もう一匹近寄ってきていたトンボが、慌てて逃げていった。雨風に弱り切った縁側は、揺れるだけで、崩れそうでいて崩れず、どうにかその形を保っている。


「兄上は――、やつらが強くなることに、危機感を覚えていらっしゃる?」


 なんとはなしに、聞いてみる。夕闇にとって、実はあまり関心がない。


 邪魔なら叩くのみ。強くなったとして、どうということもない。


 兄は、豪快に笑った。大男の大笑い、朝の空気が、小気味よく震えるようだった。


「いや、実は楽しみだ! それでこそ、こちらも鍛えがいがあるというもの……!」


 兄にとっても厄介と思われていた幽玄。しかし、実際手合わせをしてから、兄は機嫌がよい。もちろん、傷に苦しんでいる間は、伏せっていたわけだが、回復と共に本来の豪放さを取り戻したようだ。

 兄は太い丸太のような両腕を組み、青空を見上げた。


「次は、化身ではなく俺自身がいこう」


 大きな目に青空を映し、笑う兄。傍らの夕闇は、切れ長に細い目を、糸のように細める。


 さすが、兄上。黒炎(こくえん)というその名の通り、激しく豪胆な御心――。


 術師三きょうだい、長兄の名は、黒炎といった。

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