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第25話 彼らへの最善

「ゆかりちゃん。大丈夫? まさか、車酔い……?」


 鏡ゆかりの伯父の水無月護(みなづきまもる)――「ひの」の父である――が、ルームミラー越しに、後部座席のゆかりに声を掛ける。

 先ほどからずっとゆかりは顔色が悪く、きゅっと固く唇を結んだまま、膝の上に置いた両手のひらの中の、小さな水晶玉を眺めている。


「いいえ――、大丈夫です。すみません。ちょっと――」

 

 車酔いではない。とすると、考えられる答えはひとつだった。


紫月(しづき)さんに、なにかあったとか……?」


 こくん、とゆかりは小さくうなずいた。


「たぶん、大丈夫――。護伯父さんにはご心配ばかりお掛けして、申し訳ないです」


 ゆかりは、気遣う護に謝りつつ、水晶玉に真剣な眼差しを注ぎ続けている。


 ゆかりちゃんは、たぶん、紫月さんの戦いを見ているんだ。


 ゆかりの様子から、ゆかりの化身である紫月が今まさに敵と遭遇していて、その戦いの様子を水晶玉で見ているのだ、護はそのように理解した。見ている、といっても、おそらく視覚的に見ているのではなく、感覚で「状況を視ている」といったほうが正しいのだろう。

 以前、ゆかり本人や妻の陽花(はるか)、娘のひのに教えてもらった情報によると、紫月はゆかりの能力を反映して創られた存在で、彼女自身に意思があり、ゆかりと繋がりあっているが、いわばまったくの別人格なのだという。


「なにか、僕にできることがあったらなんでも言って。寄るべきところがあったら寄るし、もし陽花伯母ちゃんやひのに連絡したほうがいいことがあったら、すぐに――」


「ありがとうございます。今のところ、たぶん、大丈夫……」


 大丈夫って言ってるけど――、いつものゆかりちゃんと違う……。今回はやはり難しい戦いなんだろうか?


 ハンドルを握る手に、汗がにじむ。一定の速度で走らせているつもりだが、少々アクセルを踏み込み過ぎたかもしれない。

 もう一度ミラー越しにゆかりの様子を見る。いつもより張り詰めているようだが、どこか冷静なようにも見える。比較的落ち着いているようなので、きっと今対峙している相手は、あの術師と呼ばれる存在とは違うのかもしれない、と思った。

 

 僕にできることなんて――、なにもないんだけど――。


 配偶者が鏡家に生まれた能力者であること、そして娘であるひのも同じ鏡家の血を引く能力者であるが、護本人には特別な力はなかった。恐ろしいものたちと戦い続けている妻や娘、小学生の姪、それから妻の親類たちを目の当たりにしても、なにもできないし、わからない自分が、歯がゆくてしかたなかった。

 

 一応、修行みたいなことをしてみたけど、僕には才能がない。


 せめてなにか見えたり感じたりできたら、もっと力になれるのだろうと思い、滝行とか五穀断ち、塩断ち、その他いろいろな修行といわれるものをできる範囲で試みたが、心身がとてもすっきりしただけで、「力」のようなものが目覚めることはなかった。


『無理しなくていいのよ。お父さんはお父さんでいてくれるだけで、私たちはとても助けられているの』


 妻の陽花はそう言って笑ってくれたが――、家族のために姪のために、できることはなんでもしてみたかった。今回のゆかりの一時避難も、全力でサポートするつもりだ。

 街の景色が変わり、工場や倉庫のような建物が多くなってきた。あれからゆかりは、難しい顔で黙ったままだ。


 集中しているんだ。今は声を掛けないのが、ベストかな。


 今自分にできることは、運転に集中すること。ゆかりを無事に現実世界で守り続けること。それだけなのだと護は判断した。

 小学生という小さな体で戦っている姪。彼女の両親も祖父母も、それぞれ戦いの中命を落としたのだという。

 護は熱くなる目頭をごまかすように何度もまばたきをし、ため息をこらえてハンドルを強く握りしめた。

 遠くまで白く続くセンターラインが、ゆかりたちを確かな現実に繋ぐ命綱、希望の道しるべになるのだと信じて。




 じゅっ、と音を立て、下草が焦げる。

 ここは銀硝空間(ぎんしょうくうかん)。鏡の向こうのような世界、現実世界と似たような風景が広がっている。

 大きなナメクジのような化け物の口から飛んだ液体が地面に到達し、幽玄が立っていたはずの大地を焦がす。


「まずは、一匹」


 幽玄は宙を舞い、ナメクジ状の化け物の頭部付近で大きく刀を振り上げた。化け物の口から放たれる液体。当たればきっと、たちまち湯気を上げ、溶かされてしまうのかもしれない。しかし、幽玄は身をひねり、液体の描く放物線上から逃れつつ、刀を一気に振り下ろした。


「紫月様!」


 飛ぶ、ナメクジの頭部。しかし、それで倒れることはない。退治するには、あくまで紫月の力が必要なのだ。頭のないナメクジが、激しく首を振り回すように暴れながら、やみくもに突き進む。

 幽玄が待つ、紫月の「循環の呪文」――化け物を散らして自然に還す――はまだ聞こえない。

 紫月はそのとき、首の長い犬のような化け物の襲い来る鋭い牙から、飛び避けているところだった。

 空中にいる幽玄の背後に、今度は人面のバッタの化け物が向かってくる。人面バッタの攻撃をかわした先に、尾と頭の両方に顔のついた蛇のような姿の化け物が、回転しながら飛んでくる。幽玄は、急ぎそこから移動しなければならなかった。蛇のような化け物の背には、鋭く尖った棘のようなものが並んでおり、あの回転に当たればきっと切り刻まれてしまうに違いない。


 一匹一匹潰していくには、時間がかかり過ぎる。


 勇一がいれば、と思う。しかし、今ここにいるのは紫月と自分のふたりだけだ。紫月の身も案じなければならず、複数の敵との戦いに、幽玄は焦りを隠せない。

 人面のバッタ、蛇の回転、ナメクジの暴走をくぐり抜け、地上に降りた幽玄は、紫月の元へと駆ける。

 

 ドゴッ!

 

 ひらりとかわし続ける紫月を追った犬のような化け物の牙が、地面をえぐる。紫月を丸飲みしようとしたが、素早い動きに追いつけず、苛立った様子で素早く紫月に向け、首を振り下ろしたのだが――、やはり紫月はすでに、そこにはおらず、結果空振りのまま勢いよく土に己の顔面を打ち付けた、というところだった。

 幽玄の刀は、そこを逃さない。


「二匹目!」


 幽玄は犬の長い首を斬った。

 紫月の朗々とした声が響き渡る。


「傷負いし創られた者たち、自然の(ことわり)のもとへ還りなさい……! 苦しみのない、穏やかな無限の輪の中へ――」


 紫月の循環の呪文だった。

 黒いもやが、ナメクジの化け物、犬の化け物両方の体から湧き出て、天へと昇っていく。二つの怪物の姿が、もやが上がるにつれ消えてゆく――。


 これは、解放だ。


 昇るもやを見上げながら、幽玄は思う。創られた怪物、魂はない。しかし、これは紛れもない解放、あの怪物たちへの最善だと思う。

 紫月は、肩で息をしていた。


「紫月様。二体同時は、さすがに――」


「ええ。でも、あと二体。やりましょう。幽玄。彼らのためにも、最後まで」


 疲労が凄まじい様子だった。しかし、紫月の瞳は揺らがない。


「紫月様。私の最善を尽くします。あなた様のために」 


 幽玄は盾となるよう紫月の前に進み出て、流れるような所作で刀を構えた。

 うなりを上げ回転する蛇、人の顔をして叫び声を上げるバッタが、幽玄と紫月に向けて飛んで来ようとしていた。


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