第21話 捧げる命
黒い雲が流れ、現れた赤い月は満月。
「およしなさい……!」
月光を受けた石造アーチ橋の上、大きな鎌を手にした白装束の壮年の男に向かい、鏡れいが叫んでいた。
れいの傍らには、幽玄がいる。
白装束の男の頬はこけ、ぎらぎらとした目は獣じみていた。男の髪型は、頭頂部付近で長い髪を結い上げているという、特徴的なものだった。
男はれいと幽玄を睨みつけ、腹から絞り出す呪文のごとき調子で言葉を吐く。
「鏡家の娘……。ことごとく、父上や母上の邪魔をしおって……」
大鎌を手にしている男に対して、ひるむことなく対峙する、れい。れいの凛とした声が、川の水音を超え響き渡った。
「あなたがたの信ずるものは、人に害をなすもの……! いずれ、それはあなたにも、あなたのご両親やごきょうだいにも、牙を向くでしょう……!」
「我らの尊き信仰を、侮辱するか……!」
男は指を組み、その後なにか呪文のようなものを叫びつつ、大きく指で空を切る。それは、修験道の印を切るという作法ではなく、あきらかに見たことのないもので、男の独自の術のようだった。
「れい様……!」
幽玄が見つめる先、男の頭上高く、黒い雲のようなものが集まり始めていた。
「なにを……!」
見上げた空に生じた、蠢く大きな黒い塊。幽玄は塊の向こうを見定めようと視線を定めつつ、手にした傘を構えた。
塊の中から、なにかが現れようとしている……!
幽玄の、長い銀の髪が空気をはらむ。幽玄は、空を飛んでいた。
この世界に現れる前に、断つ……!
幽玄が、化け物を倒すことはできない。しかし、攻撃することはできる。
化け物退治は、幽玄の攻撃で相手の力を弱らせ、あとは鏡家の者の力で化け物を封印する、または化け物のエネルギーを散らして自然のエネルギーへ還す、という手法で行っていた。
幽玄は傘を振り上げながら、塊へと向かう。ただし、同時に橋の上のれいにも意識を向けていた。れいは、武術も修得していたが、相手は武器を手にした男。男がれいを攻撃する可能性も考慮していた。
その考慮が、幽玄の攻撃に移行する動きに、わずかながら影響を及ぼしていた。
幽玄の目の前で、黒い塊に大きな亀裂が入る。
「しまっ……!」
しまった、と幽玄は舌打ちする。亀裂から、四本の腕が飛び出す。
「……ダールゴア様!」
男が奇妙ななにかの名を叫ぶ。
男の鎌が、月の光を受ける。ぎらり、と鋭い光が大きく弧を描く――。
「れい様!」
幽玄は、男がれいに向かって大鎌を振るうのかと思っていた。
噴きあがる、血しぶき。
幽玄は、銀の瞳を大きく見開き、それを見た。
ごろん、と首が石造りの橋にひとつ、転がる。
「なんてこと……!」
転がった首は、男のものだった。れいは、今にも悲鳴を上げそうな口を自分の手で抑えるようにして、震えていた。
男は、手にした大鎌で自らの首を跳ね飛ばしていた。
四本の腕の主――おそらく、男がダールゴアと呼んだ、男の信仰するもの――、が上半身を現す。
それは、血のような赤い肌をした巨人だった。
巨人は黒い塊の中から身を乗り出すようにして、四本の腕のうちの二本の長い腕を伸ばし、首のない男の体、それから男の首を持ち上げる。
したたる男の血が、化け物の牙や舌を赤く染める――。
「失せよ、化け物――!」
幽玄の傘が、四本腕の化け物の胸の辺りを貫く。それは、大きな口を開け、四本腕の化け物が男の遺体を丸飲みしようとするのと、ほぼ同時だった。
ぐがああああ……!
四本腕の化け物が絶叫した。化け物の体から、黒いもやが噴出する。
「我は封印する……! 人に害なす、悪しき存在を……!」
れいが、封印の呪文を叫んだ。
ぼたっ、ぼたっ。
男の体と首が、落下する。
黒い塊と四本腕の巨人は、光に包まれる。とても強い、光。
白装束の男。それは、どこからかこの町に越してきた、あの謎の一家の長男だった。
れいは、念じ続けた。男や男の父や母、きょうだいによって崇められ、さらには彼ら一家がこの特殊な町に来たことで、強い力をつけたであろう四本腕の化け物。傘の力があるとしても、この怪物を封じるためには、長い祈りが必要と思われた。
長い、長い祈り。空は輝き続けた。
「れい様……!」
いつしか、朝日が昇り始めた。封印の光が、朝日と同化する。
れいの体が、揺らめいた。
幽玄は、れいの体を支える。れいは長い祈りで激しく疲弊し、気を失ってしまったのだ。
終わった。
幽玄の感覚が、化け物の封印が終わったことを告げていた。
幽玄はれいを抱え上げる。れいが、失神しているだけで無事であることも承知していた。
「れい様……。お見事でした」
鏡家の者たちが駆けつけるまで、幽玄はれいに寄り添い続けた。
男がなぜ自ら命を絶ったのか、幽玄もれいも、わからない。
狂信的な男が、陶酔の末、自らの命を信ずるものに捧げたのだろう、ということにされた。
男の遺体は、のちにしかるべき処理のあと、男の家族のもとへ返された。
れいが、白装束の男を追ってこの橋に来たのは、男や男の家族が化け物召喚を試みた形跡を掴んだからだった。
一家に対して警戒し続けていたれいは、彼らの動きを未然に封じ続けていた。
一家は、近所の子どもを誘いだそうとするような不審な行動もしていた。それはれいたち鏡家の介入もあり、未遂に終わる。ただし、無事未遂であったが、まったくの未遂、言い逃れができるような状況であったが故、一家が罪に問われることはなかった。
れいの見立てでは、化け物も近所の子どもも、自分たちの信仰するものの生贄にしようとしたのだろうということだった。
男の自害のあと――、一家は姿をくらました。
鏡家に対する攻撃も、抗議もなにもなかった。男の墓も、わかっていない。
一家が去った後も、鏡家の活動は続いていく。
様々な化け物退治の依頼があり、事件は次第に過去のものとなっていく。
この異様な一家の顛末は、鏡家の化け物退治の長き歴史のひとつに過ぎなかった。
そして今このとき、鏡ゆかりが見つめるのはこの一件だった。
「架夜子ときょうだいたち。彼らは、この一家の血を継いだ者のような気がするの――」
ろうそくの明かりの前、ゆかりは、幽玄の言葉を待った。




