第20話 終わったはずの、仕事
年齢は? 学生さん? それとも社会人? ほんとは今日どんな予定だった?
空いっぱいのうろこ雲のように、聞きたいことばかりが、頭の中で大渋滞。
しかし、実際口に出るのは、目の前の現実、自分にとってさほど興味もない当たり障りのない話。
「たまごサンド、外国人観光客に大評判なんだってね」
勇一は、ひののたまごサンドを頬張りながら、最近得た情報を話していた。
「そうみたいですね! 私も大好き! テレビで紹介してたお店の名物たまごサンド、私も一度食べてみたいなあー」
ひのは、水筒に入れた紅茶を、勇一の紙コップにつぎ足しながら、笑顔で答える。
うん。お店のたまごサンドは、俺は興味ないんだけどね。
素直に、ひののたまごサンドについてとか、こんなにたくさん何時に起きて作ってくれたの、とか、もっとひの自身に関わることについて聞いたり、さらには褒めてあげたり――本当においしかった――、そういう気の利いたことを言えばよかったと思う。
というより、後悔など無用で、今からそういう話に持っていけばいいだけだろうが、そんなことさえも考えが及ばない。
少しでもプライベートに触れるような話題は、変なふうに思われるのではないか、嫌われたくない、自然な会話ってどんなだっけ、先回りの余計な考えばかりが浮かび、勇一の口を重くしていた。
いや、しっかりお礼を言う。感謝の気持ちを述べる。全然、余裕で言えるはずじゃないか!
そうだ、そうだと思い直す。自分と白玉のために、早起きして作ってくれたと思われるご馳走、もっと深く感謝の気持ちを述べ、労をねぎらうのは全然おかしくない、と勇一は思い直す。
おかしくない、むしろ、言うべき! 好感度など、抜きに!
勇一は、ぐっ、とあたたかい紅茶を飲み干した。そのままの勢いでカップをテーブルに置き、改めてひのの瞳をまっすぐ見据え――、
「ひのさん、たま――!」
と、言いかけたそのとき。たま、のあとには「ごサンド」が続く気満々で。
「勇一。ひの。白玉。追いついた」
にゅっ、と、なにもない空間から幽玄が顔を出した。
『……ごサンドも、他のお料理もすごくおいしい! この紅茶だって、おいしい! 早起きして色々準備してくれたんだと思う、本当にありがとうございました!』
という勇一の続く言葉が、どこかへ吹き飛ばされてしまった。
「幽玄……!」
「色々わかったこともある。連中について」
幽玄は、銀硝空間を使って、ここまで来たのだという。
「あ、おいしそう」
幽玄が、バスケットに目を落とす。広げたバスケットには、まだサンドイッチや料理が残っていた。
「幽玄ちゃんも、食べて、食べてー」
ひのは紙コップを新たに用意し、幽玄のぶんを注ぐ。
幽玄ちゃん、って、呼ばれてるんだ……!
衝撃、隠しきれず。勇一は、口をあんぐり開けたまま、幽玄の涼しい顔を眺めていた。
「そういえば、銀硝空間についても、話してなかったな」
ひのの運転するレモンイエローの狭い車中、後部座席に幽玄と勇一が並んで座る。毛玉怪物の白玉は、やはり、勇一の膝の上だ。
「うん。そもそも、知ってることのほうが、少なすぎるよ……」
流れに流されてきたようなもので、なにも知らないまま戦い、逃げている現状。渦中の中心人物にされてしまっているのに、起こっていること、その背景、ほとんどのことがわからない。
幽玄は、まず銀硝空間について説明することにしたようだ。
「勇一の生きている世界の周りには、実はたくさんの異なる世界がある。異界と呼ばれるものだ。銀硝空間も、異界のひとつ」
「あれ? そういえば、幽玄は今、銀硝空間を使ってここまで来たんだよね? もしかして、俺も銀硝空間を使えばよかったんじゃ――」
ひのに迷惑を掛けることなく、素早く安全に移動できたのでは、と思った。
「あれ? それからゆかりちゃんは? ゆかりちゃんも町を出るって言ってたけど、幽玄と一緒なんじゃなかったのか?」
ゆかりの姿はない。幽玄だけ来たのが、不思議だった。
「普通は、銀硝空間は生身の人間は行けない。だから、ゆかり様は化身を使う。本体のゆかり様は、銀硝空間に入れないのだ」
「えっ!」
散々、勇一は銀硝空間に入ってきた。というか、幽玄や白玉によって無理やり連れ出されていた。
「俺は? 俺、普通の人間だよ!?」
「お前は、傘に選ばれるような特別な人間。傘は、鏡家の人々に使われてきたわけだが、やはりお前は特殊な人間なのだ。傘との接触のあと、入ることが可能になった」
代々の鏡家の者たちの中には、銀硝空間などの異界に入れるというご先祖も、いることにはいたらしい。いずれにせよ、生身の状態で異界を行き来できるのは、ごく稀なケースなのだ。
「あれ……。でも、あの架夜子は……?」
銀硝空間で、戦っていた。架夜子は、自分の化身である、「よる」と共に――。
「うむ。わかったのは、まさに彼らに関すること。そのことを、これから話そう」
それは、昨晩深夜。
勇一の決心を伝えるために、ゆかりのもとへ戻った幽玄。そのときゆかりは、鏡家の土蔵の中にいた。
「ずっと、考えていたのだけど――」
ゆかりは、鏡家の「化け物退治」の際の記録を紐解いていた。
鏡家は、裏の仕事である「化け物退治」のひとつひとつについて、日時や金銭の出入りだけでなく、退治についての顛末を書き残していた。
「あの三きょうだい。彼らは、もしかしたら――」
ゆかりの膝の上に開かれていたのは、傘を作ったというご先祖、鏡れいの時代、しかも彼女の予言のあとの頁だった。
ああ。確かに、そうかもしれない――。
古く黄ばんだ紙、かすれた墨の向こう、幽玄の銀の瞳は、過去へと遡る。
終わったはずの、仕事――。
傍らの、ろうそくの灯が揺れていた。




