第18話 引っ越しの刺客
玄関のドアを開ければ、ミルクティーベージュの髪色の、天使。
透明な風と朝日の祝福。小鳥たちのファンファーレ、まるで恋の物語が始まるような――。
状況が状況なだけに、怖い。
世の中には男女問わず「ストーカー」というものも存在する。さらにそんな社会の現実の前にまず、勇一は非現実的な「化け物」というものに目を付けられている。
「あっ、私! 私はゆかりちゃんの従姉、音羽ひのといいますっ」
勇一の不審な表情に気が付いたのか、髪色がロイヤルミルクティーな女子は自己紹介をした。よほど急いで明かさねばと思ったのか、早口で言い切り、ヘビメタよろしく力強いお辞儀を披露していた。
え……、ゆかりちゃんの、いとこ……?
「あ。とりあえず、ドア閉めてください」
ひのは、きょろきょろと周囲を確認してから、勇一の許可を待たずに玄関の中へ滑り込むように入る。狭い空間、ドアノブに手をかけたままの勇一の胸の前を通るとき、ふわり、柔らかそうな髪からだろうか、優しい花の香りがした。
促されるまま、勇一はドアを閉めた。
「あの! 勇一さん! そんなわけで四の五の言わず、私の車に乗ってください!」
ひのは、親指を立て腕を自らの背後に向かって、ぶん、と振った。早く乗れ、のジェスチャーらしい。
「ここからさっさと夜逃げ、朝逃げしましょう! 私の軽自動車で!」
俺、一言もしゃべってない。
四の五のどころか、まだ挨拶も返事も問いかけもなにもしていない。ただ朝に似つかわしくないテンションに圧倒されるばかりだった。
えーと。つまり、このひとはゆかりちゃんの指示によって、俺をこの地から逃がすためにやってきたというわけで――。
ようやく、どこかから言葉を引っ張ってくる。
「あ、ああ……。これは、つまり、ここから出発するよう、ゆかりちゃんの手配……、ということですね?」
「はいっ!」
きらきらと、輝くような笑顔。夜逃げという言葉からは、あまりにも遠い太陽のような――。
「ご安心ください! 朝ごはんはたんまりありますからー!」
と、ひのは、さらに笑顔を弾けさせた。よく見れば、ピクニックのような大きなバスケットを持っている。たぶん、朝食。もしかしたら、勇一とひの、さらには白玉のぶん。
「さあ、お天気もいいですし、軽自動車で遠乗りですよー! とりあえず大切な傘と隕石と、貴重品だけは持ってくださいねー」
軽自動車という表現、いるか……?
ちょっと思ってしまった。少ない時間で説明すべきことは、果たして車種か、と。
「引っ越し作業は、他の者たちと依頼済みのプロが代行します。なにか、注意点、希望することがあったらなんなりとご指示くださいね」
そんなことを説明された。なんの準備もなくいきなり引っ越しと言われても、面食らうばかりだが、とりあえず従うことにした。というか、ひのには、有無を言わさぬ謎の勢いがあった。
引っ越しの刺客が来た。
これが勇一がひのに与えた、密かな称号だった。
歩いて十分ほど、アパートのすぐ近くのコインパーキングに、レモンイエローの軽自動車が待っていた。
乗って、乗って、というひのの手招きに、勇一、それから勇一の上で浮遊している白玉が運転席の後ろの座席へ乗り込む。ちなみに傘はカバンの中、隕石は胸ポケットの中にある。
傘も白玉も、やけにおとなしい。ひのの性格を、よく知っているのかもしれない。
「あ、あの。よろしくお願いします。ひのさん」
「あっ、ひのでいいよ」
「いや、そういうわけには――」
ぐん、と加速する。ひえっ、肝が冷えた。やはりというかなんというか、運転が荒いタイプの人間だ、そのように勇一はひのを判定していた。
車内には、初めて聴くメロディの、クラシックのような美しいピアノの曲が流れていた。
不思議と、心が落ち着くな……。
ふと、自分がリラックスしていることに気付く。車内のほのかなよい香りのおかげもあるのかもしれない。激しめのハンドルさばきも、次第に気にならなくなってきた。いや、気になるが。
見知った風景が、後方へと流れていく。
見知った、といっても、まだこれからだったんだけど……。
「勇一さんの会社、本社のほうにも、今日からの欠勤、ご了承を得ています」
「えっ、えっ!? もう……?」
ルームミラー越しに微笑む、ひの。
「ええ。鏡家は、政財界とも水面下で繋がりがあります。古くから、権力のあるところからのご依頼を受けておりますし。実は大きな会社であればあるほど、異界関連の事情で、ということですぐに話が通ります。勇一さんの会社の場合、鏡家からではうまく話が通じないでしょうから、議員さんから社長へお話していただきました」
「えっ、社長に……!?」
「異界関連、とまではご説明されてないでしょうけど。一般のかたがたには、やはりどうしてもご理解しがたい事象ですから」
どのような説明になったかわからないが、とりあえず在籍、休暇扱いとなったのは間違いないようだった。
実家には、どう説明すればいいのだろう。病休では心配されるだろうし――。
とりあえず、連絡なしにアパートへ遊びに来るとか直接会社に電話をよこすとか、そういうことは両親や兄弟の性格から考えてもまずないだろうから、落ち着くまでは黙っていようと思った。勇一の家族は、割と自由放任、おおざっぱな気質だった。
それから、勇一自体、今後どうなるかが見えていないから、嘘をつくにもつきようがない、と思った。
高速道路に入る。ついに、町を出る――。
「無事に、町を出ましたね。さすがの私も、ちょっとホッとしましたあ」
てへへ、と笑い、ひのはため息をつく。意外にも、高速道路に合流する際、ひののハンドルさばきは滑らかだった。先ほどまでの、運転の粗さが身に染みていたので、実のところ体を強張らせていたのだが、スムーズ過ぎて拍子抜けしたくらいだった。
あれ。高速の運転は得意なのかな。
勇一の感想を知ってか知らずか、ひのは直線に速度を上げる。恐怖ではなく、心地よい速度だった。
「私は護りほうの術が得意です。だから今回の移動を任されたんですけど。あ、この曲たち、いい曲でしょ?」
「あ、は、はい」
曲? クラシックは詳しくないからよくわからないけど、メロディがいいし退屈じゃない。普段聴かない俺でも、聴いてて眠くならないな。
「曲にも、護りの作用が込められているんです。弾いてるのは私。下手かもだけど、そこは許してね」
「え、ひのさんが弾いてるの!? フツーにプロかと……!」
「やだなあ、褒めないでよう。褒めてもなにも出ないよう」
うふふ、と笑う。
「本当に、よかった――。やつらに見つからず、無事、町を離れられて」
ひのは心から安堵したように、か細く呟いた。流れるような、時に弾むような鍵盤のタッチそのままに、車は快適に進む。
あ、もしかして――。
ようやく気付く。ひのの乱暴な運転は、敵の襲来を恐れていたからだったのだ、と。見つからないように、という緊張と恐怖が、そうさせたのだ、と。
ひのさん――。
元気いっぱいで、一方的に話を進めていくひの。しかし、細い肩、ハンドルを回す華奢な手首、震える声――。恐怖といっぱいいっぱいになって戦っていた、明るさは不安を隠す虚勢だったのだと気付く。
「……ごめん」
思わず、謝っていた。
「え。なにがです? なぜ勇一さんが謝るの?」
「巻き込んでしまって――」
「やだなあ、巻き込まれたのは、勇一さんのほうでしょー!」
底抜けに明るい笑い声が返ってきた。
確かに、そうだけど……。
でも、謝りたい、と思った。
ひのさんの日常は、どんなものなのだろう。本当は今日、どう過ごす予定だったんだろう――。
「ひのさんは――」
「え? なあに?」
もしかしたら――、俺のように、今までの日常を置き去りにして身一つで来たのかもしれない――。
「俺を運んだあと、あの町に、戻るんですか……?」
「ううん。当分、戻れないよねー。たぶん。少なくとも、対抗する作戦、万全な体勢、取らなくちゃね」
やっぱり。
やっぱり、と思った。彼女も、自分の人生を犠牲にしているのだ――。
「私も勇一さんと、一緒。でも、私は昔から覚悟してるからー。勇一さんは、突然でほんと大変だよね。でも、偉いよ。放り出して逃げずに、決断してくれたんだもん。本当に、ありがとう……!」
いや……。偉くないよ……。俺。
きっと、ひのは、「傘に選ばれた」という自分の力を信じているのだろうと思った。しかし、あくまで一般人と同じ、力もなく頼りない自分。
誰かの、たとえば、目の前のひのさんの今日や明日を守る、そんな力は俺自身にはない。
それを知ったら、どう思うのだろう、と車窓の枠から空を見上げる。
護りの力も、攻撃の力もない。頼れるのは、傘や幽玄、白玉たち。
俺に力がないと知ったら、いったいどう思うのだろう。
見上げる澄んだ青の色に責め立てられているような気がして、いたたまれない気持ちになった。
トンネルを抜け、大きな川を超える。
いったい、どこまで行くんだろう。そして、朝ごはんは……。
こんな非常時になんなのだが、腹が減っていた。白玉は、膝の上に乗っており、勇一の腹の虫の音を聞いていた。ひのに聞こえなかったらいいな、と思ったが、ひのの耳にも届いたようで、くすっ、と笑い声を漏らしていた。
「す、すみません。こんなときに――」
「勇一さんの転居先、ご希望に沿うよう押さえます。とりあえず、数日は宿を取るしかないかな。勇一さんの今年の吉方の方角へ車を走らせています。住まいも、なるべくそちら方面で見つけましょうね」
「え!? きっぽうのほうがく……?」
突然言われ、なんのことかわからなかった。方位学というものらしい。
「勇一さんの生年月日とか、もうちゃんと調べてありますので」
涼し気な笑みを送る、ひの。
俺の個人情報――!
勇一の個人情報、風前の灯。
恐るべし、引っ越しの刺客――。
改めて、畏怖の目で見つめる。ひのが自分のストーカーじゃなくてよかった、と思う。




