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第1話 星と、幽霊と、化け物と

 瞳に映る、星。


「ああ。この町はちゃんと星が見えるんだな」


 新しい勤務地。住まいも新たなアパート、仕事も生活も、まだなじまない日々。

 勇一は、コンビニの駐車場で一人空を仰いでいた。

 このコンビニからアパートまで、徒歩だいたい十分。そして会社からも近い。今日の夕飯と缶ビールの入ったレジ袋をぶら下げつつ、この店に寄るのは日常の一部になりそうだな、と思った。


「お忘れ物ですよ」


 後ろから、声をかけられた。男性の声。ちょっと怪訝に思いつつ、振り返る。


 忘れ物? 落とし物とかじゃなくて? 俺、夕飯の買い物しただけだし、買ったものはちゃんと受け取って持ってるし、店内に置いたものなんてないけど――。

 

 振り返った先、一人の男性が立っていた。

 勇一は男性を凝視したまま目を見開き、続く言葉が出てこない。自分が話すべき言葉、「忘れ物はないと思いますが」も、「ありがとうございます」も、頭から吹き飛んでいた。

 街灯に照らし出されるようにして立つ男性。

 その男性は凛とした着物姿で、輝く長い髪は銀色という不思議な髪色だった。細面の顔立ち、鋭い切れ長の目もなぜか銀色に見え、鼻筋が通っていて、引き締まった口元をしている。さらには長身、姿勢のよい立ち姿で、中性的ではない程よい筋肉を感じさせる体型、女性なら一目で心を奪われてしまうような妖しい色香さえ漂わせていた。


 なんだ、この現実離れした色男は。


 和装のせいか、「イケメン」という言葉がそぐわないような気がした。

 男性から伝わる視覚情報が多過ぎて、ええと、なんで振り返ったんだっけ、という根本的なことを忘れそうになる。

 男性が右手を伸ばす。男性の手には、長めの黒い傘。その男性が「忘れ物」と称したものは、傘のようだった。

 コンビニの傘立てに置いたのを、忘れて帰ろうとしていると思われたのだろうか。店内にいた客は、たぶん自分一人だったと勇一は思う。だから、傘を忘れた持ち主と思ったのだろうか。それにしても、妙だった。コンビニの客でも店員でもなかったこの男性が、店に傘を忘れているとわざわざ届けてくれるなんて――。


「傘……? 傘なら俺、持ってきてませんよ。俺のじゃないです」


 晴れていた。朝も昼間も今この瞬間、夜だって。今日傘を持ってきていないのは明らかだった。天気予報も晴れだったし、そもそもどう見ても、自分が持っている黒の雨傘とは見た目が違っており――持ち手が長く、それに傘の先端も長く鋭く尖っている――、自分の傘ではないとはっきりと断言できた。


「いや、あなたのですよ。勇一。あなたの」


 え。どうして、俺の名を知って――。


 男性は、にい、と笑っていた。そして、傘を受け取るよう、ぐい、と突き出す。


「い、いや、俺のじゃないって――」


「これは、あなたのものだ。傘が、勇一、あなたを選んだ――」


「なにを言って……!」


 鬼気迫る、銀の瞳。狂気を、恐怖を感じた。


 不審者だ……! これ、関わったら絶対やばいやつ……!


 通り魔なのかもしれない、傘で刺されるのかも、と咄嗟に顔の前に腕を交差させ、防御するような姿勢をとった。


 カタッ。


 アスファルトに、なにかが落ちたような音。


 え。


 どういうわけか、空気が変わった。人の気配、息遣いが消えている。至近距離まで迫ってきたはずなのに。

 おそるおそる、腕を下ろし、状況を確認する。


「いない……」

 

 謎の男は、どういうわけか、いなくなっていた。まるで手品のように消えていた。ただ傘だけが、地面に落ちている。


「なんだったんだ……!? 今の!?」


 全身に悪寒が走る。辺りには、人影も隠れるような場所もない。

 車もなく、静まり返った道路、電柱と寝静まった様子の家並みが寂しく続いているだけ――。


 幽霊、か……!?


 勇一は、さっきのコンビニに駆けこもうとした。自動ドアが開く。目に入る明かりが、人の気配が、日常が心底ありがたいと思った。


「い、今……! 変な、人、幽霊? に、襲われそうに……」


「はあ……?」


 カウンターの中の大学生のアルバイトらしき店員は、不思議そうに首をかしげていた。


「み、見ませんでしたか!? 着物姿の、長身の――」


 警察を呼んでもらおうと思った。しかし、慌てる様子の勇一に対し店員は、ただ困った顔をしているばかりだった。

 店内の明るさ、健全な商品ポスターたち。今は安全で見慣れた文化的日常に囲まれている。


 そりゃそうか。


 改めて現実に帰ってきたのだ、と思った。安堵すると同様、信じてもらえないことに落胆もしていた。

 勇一は、ため息をひとつ、ついた。


 幽霊じゃ、警察だってどうしようもないよな。 


「……なんか、すみませんでした。俺、疲れてるのかも」


 騒がせたおわびとばかり、栄養ドリンクを追加に購入し、さっきのレジ袋に入れる。バイト君にとってはきっと、購入しようがしまいが、そこはどうでもいいところ、きっと早く変な客に帰って欲しいだけだろうけれど。ただ店から出るにはんとなくバツが悪く、なにか買わずにはいられなかったのだ。

 さっきの場所を見ると、あの傘は、もうなかった。

 そんな気はしていた。幽霊同様、あの傘も幻覚なのだろう、と妙に納得していた。


 自分の妄想なら、自分の名前を知っていても不思議じゃない、か。


 幽霊の次に、出てきた妄想説。幽霊より科学的で信頼に値する、自分の中で説得力が増してきていた。


 でも待てよ。妄想――。ちょっと、俺、病院行かなくちゃいけないんじゃないか!?


 感覚が、あまりにリアル過ぎた。もしかして自分はかなり深刻な状態なのでは、と心の中に不安が広がってくる。それは違う意味の恐怖だった。


 新しい職場、慣れない生活――。ストレス……?


 新しい毎日をストレスに感じた覚えもなかったが、体のほうは負担を感じていたということなのだろうか。

 もう一度、ため息をつく。


「会社休んで病院かなあ。それにしても……」


 残念だ、と思った。せっかくの日常使い予定のコンビニ店、もう行きづらくなってしまった。

 

「今日は、ビールやめとこう……」


 早く寝よう、と思った。そして朝栄養ドリンクを飲んで、それから病院をどうするか考えよう、と思った。


 病院は、上司か誰かにそれとなく相談してからでもいいかもしれない。


 一過性のストレスかなにかによる幻覚幻聴で、明日になれば、ただ一人で大騒ぎしただけの不思議な笑い話に落ち着くかもしれない――、病院はなんだか現実的に恐ろしすぎて、とりあえずそんな希望的観測をするようにした。

 疲れ切った足取りで、アパートの階段を昇った。




「うわああああっ!」


 目覚めると、絶叫していた。

 布団の横に、座っていた。あの幽霊男が。ご丁寧に膝の上に傘を置いて。


「捨て置けば、傘に触れると思ったのに」


 幽霊男が、ぽつりとそう述べた。


「も、妄想、幻覚、幻聴……! ストレスの、産物……!」


 座った状態で上半身だけ起こしたまま、足を前後させ、幽霊男からなるべく離れようとお尻で布団から床へと歩いていく。腰が抜けていた。

 朝の光の下でも、幽霊男は妙に美しかった。


 なんだよこれ……! なんで朝一番に幻覚なんか……!


「えい」


 幽霊男が、勇一に向け傘を軽く放り投げた。ぶつけようというより、投げ渡す感じで。勇一は思わず反射的に、受け取ってしまった。傘を――。


 しまった……! 妄想から妄想を、受け取って――。

 

 手にした傘の確かな重み。質感――。それは妄想ではなく、現実に存在する物体――。


「ええ!?」


 腰が抜けただけでなく、驚きで顎も外れそうだった。

 新たな幻覚が、広がっていた。

 昨晩普通だったアパートの一室が、果てしなく遠くまでその面積を広げている。まるで、合わせ鏡の中の風景のようだった。と、言うのも、見えている風景の中に鏡の枠のようなものが浮かんでおり、その枠ひとつひとつの向こうに同じ風景――部屋の風景――が続いていた。


「よし。勇一。持ったな。では、行こう」


「え、え!? 行く!? 行くって、どこへ!? なんで!?」


 幽霊男は、ニヤリと片側の口角だけを吊り上げた。


「化け物退治、だよ」


 なーにー!?


 驚きの叫びをあげる間もなく、幽霊男は腕を掴み、勇一を立ち上がらせた。抜けたと思った腰は、復活していた。そして駆け出す。幽霊男に引っ張られて。


「化け物は、お前だろーっ!」


 幽霊男が、勇一をちらりと見る。


「私の名は、幽玄。化け物ではない」


 目の前の枠を、飛び越える。まるで鏡の中に入ったよう。

 幽玄は、走り続ける。勇一は、傘を持ったまま、幽玄に引っ張られ走り続けざるをえなかった。腕を振り払う、ということもできたかもしれないが、次々枠を飛び越え、同じ景色をいくつも走る中、すっかり混乱し、どう行動するのが安全なのかわからなくなってきていた。


「化け物は、あれだ」


 ぎゃーっ!


 声にならない叫び。叫びたかったが、驚きのあまり呼吸も整わず、うまく声が出なかったのだ。

 いくつか飛び越えた枠の向こうに、ぶよぶよとした桃色の皮膚の、体中に無数の眼球のようなものを張り付けた、巨大な怪物がいた。


 ああ。この町では、星も、幽霊も、化け物も、見えるんだな――。


 涙目で、膝が笑う。


「勇一。傘を、しっかり持て。傘を決して離すんじゃないぞ」


 幽玄は、低い声で謎の忠告をする。真剣な声だったが、しかし、涼しい顔、そしてその口元はやはり、笑みを浮かべていた――。 

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