映画館未来ー夏川譲二は映画館を閉館させたいー
『 映画館未来は今月いっぱいで閉館します』と掲示板に、手書きのお知らせが張られる。
それを張る夏川の首にはタオルが巻かれ、額は暑さで汗がにじんでいた。
「今日は一段と暑いな」
そう独り言を呟くと、小学生が元気に挨拶をしてくれた。
「夏川のおじいちゃんおはよう!あついね!」
「おはようさん、これからラジオ体操か?」
「うん!」
元気いっぱいな様子で「じゃあねぇ」と子供達は手を振って、走っていった。
その後ろ姿を見つめながら、夏川は汗をタオルで拭き、冷房の効いた映画館へ戻っていく。
低いクーラーのゴーゴーという音と肌寒さを感じながら、掃除へと倉庫に足を進めると、倉庫にはフィルムが保管されている缶や映画館の備品がこじんまりと置かれている。それらを夏川は大事そうに段ボールに詰めていると、一つだけ見慣れない古い映画フィルムが出てきた。
「はてこれはどんな映画だったかのう」と記憶力の低下を嘆きながら、この際だからと中身を見てみることに。
フィルムをリワインダーでリールに巻き付け、手慣れた手つきで映写機にフィルムをセット。作品に合わせてレンズを合わせ、スクリーンカーテンを開き、いよいよ映写機を動かす。
映写室の窓からスクリーンを眺めるとよく見知った街が映し出された。
タイトルは「映画館未来」。
偶然にもこの映画館と同じ名前である。
夏川は父からこの映画館を引き継いだ日を思い出し、目を細めた。「譲二!あとは頼んだぞ」と誇らしげな父の表情を今も鮮明に思い出す。
「映画館未来」では映画館未来に人が集まり、繁盛している様子が写しだされ、それは、フィルム映画全盛期の頃の客足を想起させるような内容であった。
映画を観終わった夏川は懐古に浸り、最後に良いものを観たと呟く。
感極まって倉庫の片付けを止め、妻に電話すると「お昼が出来てるのでさっさと帰ってきなさい」と言われたので上機嫌で家へ帰ることにした。
白の軽自動車に乗り込み、しばらく走ると古めかしい平屋の家屋が見えてきた。
平屋の表札は「夏川」。
車を自宅の前に停め、玄関扉に手を掛けた。
ガラガラガラ。
「ただいま」そう言って一歩、足を踏み入れる。すると思わず鼻腔を広げそうになるほどの食欲をそそる匂いがした。
きっと焼き鮭の匂いだ。
そう確信した夏川は、誘われるようにリビングに向かう。
すると、机の上には昼餉が準備されており、それを見た夏川は確信した。
やはり焼き鮭だ。
浮かれた様子でイスに座ろうとすると、妻に「手は洗ったの?」ときつく注意されたので、美味しそうな昼餉を横目に手を洗いに行く。そして洗面所から戻ると二人で手を合わせ「いただきます」と箸を持った。
昼餉を食べながら、妻にあの映画のことを熱心に説明する。それも手振りを加えながら熱心に。
だが適当な相づちで聞き流されてしまった。
悲しくもあったが、その程度でへこたれる夏川ではない。
その後、持病薬を薬局にもらいに行ったり、家の草刈りを手伝ったりと。夏川はせわしく働いた
夜になり夏川は、明日も倉庫の掃除をしなくてはと考えながら眠りについた。
だが後日、夏川は思いがけない光景を目にすることに。それは映画館未来の前に人だかりが出来ていたのだ。
その人だかりの面々はよく見ると、近隣に住む顔見知りである。
状況がわからず混乱する夏川。
「いや~あの皆さん、大勢でどうしたんですか?」
すると近所の恰幅のいいマダムこと山本さんが言う。
「夏川さんの奥さんから聞いてね。皆せっかくだから"あの"映画をみんなで見てみようってなったんだい」
あの映画? と首をかしげると、山本さんは「いやね〜もう」と夏川を軽く叩いた。
「『映画館未来』のことよ。一体いつの間にドキュメンタリー映画なんてとったのさ! 言ってくれればアタシたちも手伝ったのに」
話がちぐはぐな事になってきていることに頭を捻りながらも夏川は彼女らを映画館に招いた。すると、五十席の客席は半分埋まり、久しぶりに夏川はなんとも言えない気持ちに。
そうして、映画を見終わった観客は、思い思いに感想を言い合った。
オレオレ詐欺でお金を騙し取られる。
来週、孫が遊びにくる。
宝くじに当たる。
妻が救急車で運ばれるなど。
どれもかしこも映画の内容が噛み合わないのだ。
皆が皆、頭を傾げた。
「おかしいわね、夏川さんの奥さんの話とちょっと違わない? これって映画館未来のドキュメンタリー映画じゃなかったのかい? なんでアタシが詐欺にあう映像が流れるんだい?」
「私が宝くじに当たる映画だったわ。一体こんなものどうやって録ったのかしら? 私なんて宝くじなんて買ったことがないのに」
皆が皆、夏川を問い詰めてゆくが、理由を知りたいのは夏川も同じである。
口ごもりながら困り果てていると、『ピピピピピ!』と誰かの携帯が鳴った。
ポケットから携帯を取り出したのは上村さんで、口振りからしてなにか異常事態のようである。
「失礼、お先に帰らせてもらう」
「なになに、どうしたのさ?」
「妻が急病で運ばれた」と青い顔で彼は返事をすると、上村さんは車に乗り込み去っていった。
誰かが呟く。
上村さんが話していた映画の内容通りは確か、妻が救急車で運ばれ、入院すると言うものだったのではないかと。
数人がぶるりと身震いし、夏川自身も夏なのに悪寒がした。
そのうち誰かが箝口令を敷いて、この事に誰も触れなくなった。だが、未来が予言通りになっていくと人々は囁いた。
『あの映画通りになったではないか』と。
何時の世も人の口に戸はたてられんということだ。
そのうち、山本さんの友達やら知り合いやらが、怖いもの見たさで集まるようになってしまった。
夏川は乗り気ではなかったが、下手に断わり妻のご近所付き合いに響いてはいけない。だからこそ三度だけ放映することを約束したのだ。
その数日後。
朝、映画館の掃除の続きをと夏川が車で向かうと、駐車場に車と人がわんさかと並び、車はどれもかしこも県外ナンバー。
夏川は仰天し、狐か狸が化けたのではと目を擦る。
訝しげな気持ちを押さえつつ向かい、映画館の鍵を開けた時。そのときオカルト風のファッションに身を包んだ若者の一人に話しかけられた。
「あの、おじいさんって此所の管理人さんですか?」
夏川は頷きながらも胸騒ぎがした。
「この映画館で未来が放映されるって書き込みがあって——映画、見せてもらえませんか?」
夏川は彼らに放映はしていませんとだけ言い突き返した。しかし彼らは想像以上に粘り強かった。
家まで付きまとい頼み込んでくるわ、家に電話をかけてきて放映しろと言うわで夫婦ともに、疲労の色が出てきた。
そこで根負けした夏川は諦めて彼らに映画を放映したのだ。
楽しそうに語り合う彼らの背中を見て、夏川はあの映画はとんだ疫病神だと毒づく。きっと眉間になかったシワがくっきりと浮かんでいるだろう。
疲れ切って家に帰ると、固定電話に一件の留守電が。
夏川は憂鬱な気持ちで再生ボタンを押した。
数秒の短いメッセージ。だが、それを聞いた夏川は瞬く間に眉間のしわを無くし目尻を下げた。
明日、可愛い孫が遊びに来ることになったからだ。
孫の名前は凛子。ついこの間、小学校に入学したてのピカピカの一年生。
彼女のことを夏川は目に入れても痛くないほど、溺愛していた。
夏川はまだかまだかと家の中をうろうろ。それはもう犬のようにそわそわ。いやまだ犬の方が落ち着きがあるかも知れない。
それを見ている妻は鬱陶しそうに眉間にしわを寄せ、スーパーのチラシに丸を付ける。
「そんなにうろうろしても凛子が来るのは昼過ぎですよ。そんなに暇なら買い物に行ってきてください」
時計の針はまだ九時を少し過ぎたぐらい。
夏川は妻からチラシを受け取り、しょんぼりと買い物に出かけることにした。
チラシの丸には特売品や凛子の好物ばかり。スーパーから目的の品を持って帰宅し、妻に重くなった買い物袋を渡す。その中に自分用として買ったのりしお味のポテトチップスを見つけられ睨まれたのは言うまでもない。
それが怖くてリビングの窓から外を眺めていると、県外ナンバーの青い車が家の駐車場に入ってきた。
スライドドアを勢いよく開け、夏らしい涼しげな洋服を着た凛子が降りてくる。
麦わら帽子を母親に被せられ、キャラクターもののリュックを揺らしながら走ってくる姿は夏の妖精のようだ。
満面の笑みで玄関を開ける夏川。
凛子は右手に父親から奪い取ったスマホを握りしめこういった。
「おじいちゃんの映画見せて!」
凛子はフィルム映画には興味がなかったはずだったのではと疑問を抱きつつ返事をする。
「何の映画がいいんじゃ?」
「この映画館おじいちゃんの映画館でしょ?」
スマホの画面には【都市伝説X町にある未来が見える映画館潜入調査】というタイトルのYouTube動画が再生されている。
夏川は"あの"オカルト服を着た集団を誰よりも呪いたくなった。
昼を過ぎても、お菓子を渡しても凛子からの見せろ攻撃はやまず。
「おじいちゃん、映画見せてよ!」
「わし……今日は定休日じゃけん…………」
「けち! けち! 見せてくれたって良いじゃん!」
「…………」
すると見かねた娘が、「凛子! 未来が見える映画なんてそんなものは無いんだから、おじいちゃんを困らせないの!」と。それには妻も頷き「凛子、おじいちゃんが空想話が好きなのは知っているでしょう」という。
まて妻よ、それはわしが虚言癖だといいたいのかね、というか今までそうだと思われてたのかと、夏川は密かにショックを受け心が泣いている。
すると、隣から夏川の心情を代弁するかのように鼻を啜る音がした。
見ると、凛子が大きな目に涙を浮かべ、今にもその玉のような雫が零れそうではないか。
凛子は嗚咽を交えながら言う。
「だって、だって……。ともだちの百合ちゃんが見てた動画に、おじいちゃんの映画館が映って『あ! おじいちゃんの映画館だ』っていったら、ほんとなの? って聞かれて。うん、そうだよ! って言ったら百合ちゃん『百合も未来が見える映画観たいから今度つれてってよ!』って。でも映画がなかったら百合ちゃんになんていよう……凛子ちゃんのウソつきっていわれちゃうよぉ」
夏川の心は嵐が訪れたかのようにざわつく。
いかん、このままでは凛子までもが嘘つき扱いされてしまうと。
「凛子や、おじいちゃんが嘘ついたことがあるか?」
「ある」
「…………。凛子や、未来が見えるあの映画はあるぞ。だが選ばれし魔法使いではない危ない代物じゃ。さあこの二本割り箸のうち一本を抜いてごらん、色が付いていたら魔法使いの証じゃ」
凛子の目が夏川をじっと見る。そして彼女は緊張しながらも割り箸を抜いた。
割り箸の先には黒い色が付いている。
凛子の目はみるみる輝き、涙は引っ込んだ。兎のように飛び跳ねる姿は嬉しくてたまらないといったようだ。
その喜ばしい姿を見た夏川は娘と嫁の恐ろしい視線なんて平気に感じられた。後ろ手に隠す色の付いたもう一本の割り箸を見る、その痛い視線でさえも。
娘夫婦の車に乗せてもらい、後部座席に夏川・凛子・妻の順で座る。
車に揺られながら、凛子は上機嫌で足をバタバタさせていた。凛子が妻に学校のことや夏休み何をしていたかを話しているのを聞くと、とても和やかな気持ちになる。
だからこそ夏川は放映したことを強く後悔することとなった。
隣では不安で泣く凛子。娘夫婦も顔色が夏なのになぜか青白い。妻に至っては複雑な表情で夏川の顔をじっと見つめていた。
『映画館未来』が娘夫婦と凛子が見たものは、帰り道の高速道路で玉突き事故に遭い、両親が亡くなり凛子が一人になる映像だった。
夏川は怒りで身体が震え、映写室へと向かう。
扉を乱暴に開き、映写機からリールを外し、リールに巻かれたフィルムを睨み付けた。そして備品のハサミを手に取りフィルムを切り刻もうと、ハサミが大きく口を開いたその時、腕をつかまれる。
夏川の腕をつかんだ妻はゆっくりと首を横に振り「それはあなたが辛くなるだけよ」とハサミを取り上げて備品入れに戻した。
その間も夏川は死んだ魚のような目で、フィルムだけを刺すように睨みつけていた。
凛子たちが帰るまで後三日。夏川はどうにか未来を変えなければと考えた。
しかし、時間は無情にも流れていき、凛子が帰る日となってしまった。
それは、奇しくも映画館未来の閉館日でもあった。
夏川が座席を掃除していると、入り口から年代を感じるスーツを着た青年が訪れた。
「こんにちは」
「こんにちは!」と返事をする青年は帽子を取り笑顔を浮かべた。
「映画はまだ放映していますか?夏川さん」
あの映画とはきっと「映画館未来」だろう。
「もう放映するのは止めたんだ。それにもう此所は今日で閉館なんじゃ」
青年は少し悲しげに目を伏せて言う。
「ならば映画のフィルムをどれか譲っていただけないでしょうか?」
「いいとも、きっと誰も欲しがらないからなぁ」
夏川は彼を映写室に案内する。
「そういえば君の名前は?」
「ナツカワ・ジョ—ジです」
「偶然だ、わしの名前も夏川譲二なんじゃ。同姓同名だなんて奇遇じゃな……」
「そうですね。ところで夏川さん、最後に映画を観たくはないですか? 実は私、映写技師の資格を持っているんです」
夏川は少し考えたがこれからはもう観る機会も無いだろうと彼に頼むことにした。
「そうじゃ、お願いしようか」
夏川は映写室から出て、観客席に向かう。そして若いころ好んで座った、スクリーンから一番遠い後ろの真ん中。こうやってイスに座っているとなんとも懐かしい気分だ。幼い頃、一人席に座り洋画を見ていた少年の自分に戻ったようなそんな気がした。
『映画館未来』では閉館した様子の映画館未来が映っていた。
カレンダー日付は八月。
そこには鍵をかけ戸締まりをする夏川の後ろ姿が映り「ちりんちりん」と鍵につけた鈴の音が鳴る。まるで別れを惜しむかのように鳴くそれが、どこか夏川の胸にチクリと針を刺した。
もうきっとここには誰も足を運ばないだろう。
夏の終わり、あんなに騒がしかった蝉の声がどこか遠くに聞こえる。ミーンミーンと力無い様は自分のように思えて、末恐ろしかった。
「どうだった?」
「そうじゃな、やっぱり未来は変わらないんじゃな……」
項垂れた夏川を見て青年は困ったように眉を下げている。
そうして彼は息を吸い込み、ある台詞をいう。
「『人の選択で未来は変わる、つまり人は未来を選べるんだ』」
夏川は目を見開いた。
その言葉は夏川少年が初めて見た洋画『タイムトラベル』の名場面だったのだ。
「未来は変わります。いえ変えられるんです。だからこそ諦めないで欲しい」
青年と共に外に出ると、日差しが眩しく少し眩暈がした。
「それじゃあ」前を歩いていた青年がこちらに手を振る。夏川も手を振り返す。
すると、青年の姿だけが陽炎の様に歪み、そして瞬く間に彼は居なくなった。
呆気にとられた夏川は「けったいな人が居るもんじゃなぁ」とだけポツリとこぼした。
映画館未来 八月三十一日閉館。
その後、不安を感じながらも凛子たちを送り出した。
夏川に出来ることは交通安全の御守りを渡すことや、シートベルトをきちんとするように忠告するぐらい。憂鬱な中、青年のあの言葉を思い出しながら、自分を落ち着かせた。
そんな静寂な夜のなか電話が鳴った。
妻曰く、孫たちの車が事故を起こしたらしい。
夏川は嫌な汗を浮かべながら、神託を受けるがごとく静かに妻の言葉を待った。
「三人とも怪我はないですって」
その事実にほっと胸を撫でおろす。
詳細を聞くと、あの映画が頭からはなれなくて、高速ではなく県道を通ってゆっくり帰ったらしい。
その道中、右前輪がパンク。対向車とは接触したが、大きな怪我には繋がらなかった。
そして日々が過ぎ、十二月中旬。
夏川の携帯に知らぬ番号から電話が掛かってきた。それは「レトロ映画保存会」という地元の若者で結成された団体だと名乗る。
刹那、夏川の頭を早馬のようにある考えがよぎった。
これはきっと新手の詐欺だ!
つい先日、近所の山本さんがオレオレ詐欺に、二百万も騙されたと妻が言っていたからだ。
夏川は急いで通話を切った。
明後日にはフィルムや映写機器など等々を譲り渡した上村さんから連絡があった。
上村さんから連絡があった際に「詳しいことは彼から」と電話口で、清明高校の教師、高山と名乗る男性に電話が変わる。
彼が言うに社会科の授業の一環で、学生たちの意見の一つに「映画館未来を再開させたい」とあり、社会の仕組みやお金を集める大変さを学んでもらいたいので、ぜひ機会をいただけないかとのことだった。
夏川はとりあえず面会の予約だけをして、話はそこまでとなった。
そして約束の日。
清明高校に向かうと、校門で高山先生が迎えてくれた。
長い廊下を歩き、一年二組の教室の前へ。教室の中からは女生徒の騒がしい声が聞こえる。
高山先生が扉を開け「静かにしなさい」と一喝すると、女生徒は怒った猫のように余計に騒がしくなった。
一方、夏川を見ると、女生徒は「おじいちゃんひさしぶり〜」と両手を振る。
それを見て、夏川は彼女が山本さんの娘であることに気が付いた。
夏川は彼女の姿に少しほっとしながら席に座る。
そして、目の前の彼女らはタブレットを取り出して、計画とやらを説明してくれた。だが夏川は、よく分からんカタカナばかり出てきて、年のせいなのかぼーっとしてきた。
「なんじゃって、くろうどふあんてぃんぐ?」
「違う、違う、クラウドファンディング」
彼女らが言う計画にはクラウドファンディングで資金を集めて、映画館の経営を再開するというものらしい。
だが、夏川には懸念が。
「いまはフィルム映画自体廃れてしもたし……再開しても人来ないと思うんじゃが」
「大丈夫! 今レトロブームが来てるから絶対バズるって!」
「そうそう! 映画館自体の古さもエモいよね!」
若者たちは自分たちにしか分からない世界に行ってしまったようだ。
顧問の教師に分かりやすく説明してもらうと、今の若いものの流行りで古いものが人気らしい。
メロンソーダにレコード、レトロ家電にジーンズなど。
その延長で今度はレトロ映画を流行らせたいというのだ。あわよくば街の観光名所としたいらしい。
「だってここら辺、娯楽ないじゃん」
「そういえば小さい頃は遊ぶとこなくて映画館未来で遊んでたよね」
「そうそう遊んでたらよく夏川のじっちゃんがアイスくれたもん」
「先生は映写室に勝手に入って怒られたなハハハ。あの頃の夏川さん怖かったな…………」
「そういえばそうじゃったな!」
夏川は思い出話のおかげで、緊張の糸がほぐれ、彼女らの表情をよく観察できた。
生き生きとしており前途洋々。
その姿を見た夏川は感化され、この計画を受け入れることにした。
クラウドファンディング中、学生たちはインスタ、ティックトック、YouTubeなどで映画館未来を宣伝した。
学生が夏川に映画館未来の歴史を聞いたり、おすすめの映画の紹介。時として学生がふざけて夏川夫婦の馴れ初めを聞いたり。夏川をスイーツ店に連れていったりと。
だが再生回数は四桁辺りから動いていない。クラウドファンディングにいたっては、雀の涙もない。
それを見て肩を落とす学生たち。
まだ社会を知らない子供にとって世の中の辛酸は堪えるだろう。
そんなことが続き、冬休みになり夏川家で動画撮影会と称しトランプ大会をしていた。
すると『ピンポーン』と家のチャイムがなった。
一番に手札がなくなった夏川が玄関扉を開ける。
そこに居たのは何時ぞやのオカルト服を着た男性たちだった。
夏川の眉間にシワが寄る。
すると、それを見たリーダーらしき人物が突然、見事なまでの土下座をした。
「この節はどうもすみません! ご迷惑おかけしました! 私たちの想像力が及ばなかった故の失態です。ほんとにごめんなさい!」
そして隣の男も頭を深々と下げながら「ほんとにスイマセンでした!付きまとったり、電話しまくったりして」菓子が入った袋を手渡してきた。
「夏川のじっちゃん誰が来たの〜?すごい声したけど――!」
すると、客間の戸を開けた学生は男たちを見て、黄色い歓声を上げた。
「Xボーイじゃん!」
「何々! マジ!」
彼女ら曰く、Xボーイとは元々オカルト系ユーチューバーだったらしい。その頃の彼らの代表作こそ、凛子が見せた【都市伝説X町にある未来が見える映画館潜入調査】だ。
最近では方針転換し、ドッキリ動画で人気を集めているらしいが。
そしてこの度は、映画館未来の動画を見て、この活動を手伝わせて欲しいと申し出てきたのだ。
罪滅ぼしか、冷やかしか。
夏川は乗り気ではなかったが、学生たちはそんな夏川の顔色など伺うことなく話を進めていく。
その結果、来週にはコラボ動画をとる予定となった。
コラボ動画撮影日当日。吐く息も白くなるほど寒い日であった。
愉快な冒頭挨拶から始まり、Xボーイが学生にドッキリを仕掛けていく。
もちろんドッキリの内容も映画館に因んだものになっており、撮影を見ていた夏川もあっと驚くものばかりであった。
撮影は早朝から正午まで続き、昼休憩となる。
映画館未来のストーブを学生たちは取り合い、雀のように身を寄せあい、一方、Xボーイの二人はカメラ担当と編集担当と話し込みながら、手を擦り合わせ暖めていた。
すると映画館未来の扉が開き、夏川の妻がやって来た。その手にはカイロと缶コーヒーが入った袋が提げられている。
「どうぞ、今日は寒いわね」と妻は微笑みながら一言二言しゃべり配っていく。
最後、夏川に渡し「寒さ対策はきちんとしなさい。すぐ夢中になったら忘れる人なんだから、低温火傷しないようにカイロは時々貼る場所を変えないといけませんよ」とだけ伝え帰ろうとする。
するとXボーイのリーダー五十嵐が引き留めた。
「奥さんも撮影見ていかれたらどうですか?」
妻は夏川の顔を見て少し考え、面白そうねと踵を返した。
時に妻は編集画面を見ながら感嘆の声を上げ、カメラ担当とは子供の話で盛り上がり、気付けば夏川より彼らと打ち解けていた。
夏川はどこか疎外感を感じていると、五十嵐が肩に手を置く。
「お話ちょっといいですか」
そうして近くのイスに座り、カイロを手に握りながら彼は話し始めた。
「奥さん、かわいらしい人ですね。どうやって口説いたんですか?」
「どうじゃったかの〜昔のことで覚えておらん。ただあの頃は何事にもがむしゃらだったからのう」
「…………若者の悩み相談、いえ独り言と思って聞いてくれませんか。実はオレ、付き合ってた彼女がいたんです。まぁ"元"彼女なんですけどね。あの頃はまだ、芸人で売れなくてアルバイトばっかりで、だからYouTuberになったんです。少しでも早く売れたくて。だけど人気が出れば出るほどなんだか相手との距離が開いてる気がして、気付いたら『別れましょ』って。オレどこで間違えたんでしょうかね…………」
そういいながら五十嵐は缶コーヒーの蓋を開け、ぐいっと飲んだ。
「間違いなんてないと思うぞ。生きていれば選べない二択だってあるんものじゃよ」
「でも、それでも」と五十嵐は口ごもる。きっと言いたいのは両方を選び取れた未来があったはずだと。けれども夏川はそんな夢物語はないのだと知っている。
「ならば老人の独り言でもしゃべろうかのう。妻と出会ったのはこの映画館じゃ。まだ自分は映画館を継いで間もない青年で、彼女は女学生だった。まあ俗に言う一目惚れというもので、お互い共通の趣味で出会い、晴れてお付き合いすることとなったんじゃ。けれども妻の両親そして父に結婚を反対された。なぜなら彼女には許嫁がいるから。けれども私たちは駆け落ちするかのように籍を入れた。だからお互い実家とは疎遠、そんなところに不景気がやって来て、生活苦で私は父から受け継いだこの映画館を売却してしまった。」
五十嵐は驚いた表情を浮かべ、この後の言葉を恐る恐る尋ねた。
「それで、どうなったんです」
「なに……わしはしがないサラリーマンになって、働いた。働いて働いて、家族を養うために――夢を、誇りを捨ててきただけじゃ。そんなある日、実家から両親の訃報が届いた。葬式で兄に『どうして顔を見せに来なかったんだ! 親父は、お袋はお前らが帰ってくるのを
"待ってんだ"ぞ!』と怒鳴られて、ようやく自分が何を"捨ててきたのか"と事の重大さに気付いてしもた。
人は両手に抱えられる程のものしか守れないんじゃ。わしの両手には妻と娘という幸せがあった。だからこそ両親や映画館という選べたかもしれない幸せ、未来までは持ちきれなかった。世の中、そんなもんなんじゃよ」
五十嵐は下にうつむき、言葉を選んでいる様子だった。
夏川はそれまでの陰気臭い表情を一転させこう言った。
「まあ、やっぱり何十年経っても映画館未来を手放したことが気がかりでのう、実は退職金で買い戻したんじゃ」
唖然と口を半開きにしている五十嵐に、夏川は追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「だからこそ、若いうちから失敗を恐れちゃいかんぞ。やり直そうと思えばやり直せることもあるんじゃから」
ははは! っと夏川の愉快そうな笑い声が辺りに響く。
「逞しいですね…………」
「なに年を取って面の皮が厚くなっただけじゃよ」
そのやり取りを遠くで見ていた妻は一言小さな声でこう言った「よかった未来通りにならなくて」と。
気付けば妻は映画館から帰路に着きその場を後にしていた。
その後、Xボーイたちの活動も功を奏し、映画館未来復興プロジェクトは脚光を浴び、動画再生回数はうなぎ登り、クラウドファンディングの資金はじわりじわりと増えていく。
そして運命の日、クラウドファンディング最終日。
学生たちは手を強く握りしめ結果を見守った。
「押すよ!」
「「うん」」
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画面には、クラウドファンディングが目標金額を上回るほどの金額が表示されていた。
つまり、成功したのだ。
その時の学生たちの歓声と、高山先生が男泣きしたその光景を忘れることはないだろう。
年甲斐もなく夏川も泣きそうになった。
その後、夏川は基本的運営を学生に託し、映写技師の仕事に努めた。
客足は少しずつ増え、忙しくなっていく。まるで妻と出会ったあの頃の映画館未来のように。
そして久しぶりの休日に、夏川はどうしてあんな映画フィルムがあったのかと考えていた。
そういえば、若い頃に不思議な夢を見たことを思い出す。
そこでは、記憶よりも廃れた映画館未来。中に入ると父に似た老人がいた。話を聞くと閉館するらしいので、記念に映画フィルムをもらったのだった。それから映画フィルムが入った缶を老人から手渡された時、夏川青年は老人が閉館することに不安を抱いていたことに気付き、生意気にも、老人に激励を送ったのだった。
そして、目覚ましの音で目が覚め、目覚ましを止めようと手を伸ばすと、手にひんやりとした物が触れ、そこにはフィルム缶があったのだ。
その後、なにも写らなくて、倉庫でほったらかしにしていたのだが…………。
夏川は不思議な気分になる。あれは過去の自分だったのかと。
感傷に浸っていると「夏川師匠~!」と外から夏休みの明るい学生の声がする。
夏川はその声で、もうこんな時間なのだと気づいた。
「今日は定休日じゃけん」と夏川がおどけたように言うと弟子も悪びれた様子もなく返す。
「弟子を取ったからには師匠に休みはありませんよ~!」
「ははは、それもそうじゃな!」
窓の外では蝉がミーンミーンと力強く鳴いていた。ああ、また夏がくると鳴いている。