第5話 駆け抜けろ!〜パンケーキ
どんよりと厚い雲が空一面に広がっている。
今日は客足もそれほど多くない。
いつもより広く感じる店内に佇むクーラーの風が少し肌寒く感じた。
グラス拭きを手伝っていたパンくんがふと入り口のドアに目をやる。誰かがドアの向こうで立っている気配がした。
パンくんがドアを開けるとそこには学校帰りだろうか、小学生の男の子がランドセルを背負って立っていた。
「あっ、。」
男の子は恥ずかしそうに走り出そうとした。
「待って!どうしたの?何かここに用かな?」
パンくんが男の子の手を咄嗟に掴んだ。そしてしゃがんで自分の目線を男の子の目線に合わせる。
「あのね、僕ね、。」
なかなか話し出せない男の子にパンくんは優しく微笑む。
「よかったらここのパンケーキ食べていかない?お兄さんが奢ってあげるから。」
すると男の子は目を輝かせて頷いた。
「うん!」
パンくんの後ろから少し緊張したように周りをキョロキョロ見ながらついてくる男の子。
「いらっしゃいませ!」
私が挨拶をすると背負っていたランドセルをギュッと握ってパンくんの後ろに隠れた。
「恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。さ、この椅子にどうぞ。」
パンくんが椅子を引いてあげる。
「いらっしゃい。お水どーぞ。ゆっくりしてけよ。」
ソーダさんが下を向いている男の子に優しく話しかけた、
「ソーダさん、パンケーキを1つお願いします。」
パンくんはそう言うと男の子の前の椅子に腰掛けた。
「りょ〜かい。」
軽く片手を上げながらソーダさんがキッチンに戻って行く。それを見送るとパンくんは男の子の方に向き直った。そして緊張している男の子をリラックスさせるように微笑んだ。
「さて、じゃあさっきの話の続きだけど。ここには何か用があったのかな?」
男の子は恥ずかしそうにモジモジしながら少しずつ話し出した。
「あのね、今度学校で運動会があるんだぁ。でも僕早く走れなくていつもビリなの。でもね、今度は絶対勝ちたいんだ。お母さんに勝ったとこ見てもらいたいから。」
「お母さんに?」
「うん。お母さん今病気でね。入院してるんだぁ。運動会見に来るのは無理だけど、動画で配信してくれるからそれ見てくれるって!楽しみって!だからお母さんが好きなパンケーキでもっと元気出してほしくて見に来たの。」
お母さんの話を嬉しそうにする男の子はパンくんに色々な事を話してくれた_。
白石拓実7歳、小学1年生。父と母と姉の4人暮らしだ。母は先月から心臓の病気で入院している。今は仕事で忙しい父の代わりに近所に住む祖父母が拓実たちを面倒見てくれている。姉の由香は中学1年生で毎日吹奏楽部の練習に明け暮れている。
ある日由香がリビングでスマホを見ながら楽しそうに笑っているのを拓実が見かけた。
「お姉ちゃん何見てるの?」
「ほら、これ見てみなよ。パンケーキすごく美味しそうじゃない?これも、それも!」
スイーツの写真を次々と指差して羨ましそうにしている。
「なんかさ、拓実の学校の近くらしいよ、この喫茶店。」
そう言うと由香は喫茶店が小学校の裏の森の近くにあることを教えてくれた。
「パンケーキ、お母さん大好きだよね。買ってあげたら喜ぶかな?」
拓実は以前お母さんがパンケーキを美味しそうに食べているのをよく覚えていた。
「そうだね。でも子供が喫茶店なんて行っちゃダメだよ。あ、もう寝る時間じゃん。拓実も早く寝なよ。」
由香は拓実にそう言うと自分の部屋に戻っていった。
小学校では運動会の練習が始まっていた。
1年生は5人ずつの50m走だ。
拓実の番が近づいてくる。毎回何回走ってもビリになってしまう。ついに自分の番が回ってくる。走りたくない気持ちを我慢してレーンの白線の前に立った。
「よーい。はい!」
先生の掛け声と共に隣にいる同級生たちが走り出した。
拓実も急いでスタートを切る。同級生たちの後ろ姿を追いかけながらまた今日もダメだったと悔しい気持ちになるのだった…。
「おまたせー。パンケーキです。どーぞ。」
ソーダさんが運んできたパンケーキのお皿を拓実くんの前に置いた。
ふわふわのパンケーキの上にはイチゴとブルーベリージャムがふんだんにトッピングされている。その上から粉砂糖がまるで雪のようにパンケーキを包んでいた。
「わぁ!すごーい!」
満面の笑みでパンケーキを見つめる拓実くんにパンくんもソーダさんも満足そうだ。
「よく味わって食べろよ〜。」
ソーダさんの言葉に頷きながら拓実くんがパンケーキを食べ始める。その様子を見ながらパンくんがソーダさんに話しかけた。
「拓実くんの運動会の練習のことなんですけど。」
「あー、ちょっと聞こえてきたからわかるよ。」
「僕たちで走る練習を手伝いませんか?」
「まぁ交代で見ればいいだろ。俺とお前と、あと、モードでいいか。」
「ありがとうございます。モードには僕から伝えますね!」
こうして1週間拓実くんの運動会の練習を手伝うことになった。
1週間が経ち明日はいよいよ運動会だ。今日は朝から走る練習をしていたみんなが早めに練習を切り上げて帰ってきた。拓実くんは午後から祖父母と由香と一緒にお母さんのお見舞いに行くのだ。
「おかえりなさい!皆さんちょっと休憩してください。」
ブレンドさんが作ってくれた特製のスポーツドリンクをテーブルに運ぶ。
「ありがとう柚ちゃん!」
すっかり仲良くなった拓実くんが私にお礼を言った。
「どういたしまして!明日は頑張ってね!」
うん!と大きな返事をして拓実くんはスポーツドリンクを飲み干した。
「ほれ、お土産のパンケーキだぞ。お母さんに持ってけ。」可愛くラッピングをしたパンケーキの箱を袋に入れ終わるとブレンドさんが拓実くんにそれを渡した。
「え、いいの?」
当たり前だというようにその場のみんなが頷く。
「願いが叶うフォーチュンクッキーだ。これも持っていくといい。」
ラテさんがフォーチュンクッキーの袋を拓実くんのテーブルの前に置いた。
「明日は俺たちも配信見てるからな。頑張れよ。」
小倉さんがカウンターでコーヒーを飲みながら手を振る。
ちょうど祖父母たちの車が迎えに来たので拓実くんは立ち上がって入り口のドアまで行くとみんなの方を振り返った。
「みんなありがとう!明日僕頑張るね!見ててね!」
「絶対見るからね!頑張って!」
パンくんが最後に拓実くんの頭を撫でると笑顔でバイバイ!と手を振り祖父母の車に乗り込んだ。
運動会当日。私たちはワクワクしたり緊張しながらその時を迎えた。拓実くんが走りだす。モードとパフェくんが興奮しながら応援をしている。パンくんは手に汗をかきながら画面を必死で見つめていた。
「あ、1人抜いたぞ。」
ソーダさんが冷静に呟く。
わぁ!という歓声の間に拓実くんは50m走を駆け抜けた。
画面の向こうでは紅潮した頬を緩めながらガッツポーズをする拓実くんの姿が1番キラキラ輝いていた…。