第9話 自分の色で〜クリームソーダ
お昼の混雑が少し落ち着いた土曜日の午後。
彼女はふらっとこの喫茶店を訪れた。
入り口のドアをくぐると迷いもなくレジへ向かって来る。
「あの、すみません。もしよろしければこちらの喫茶店の写真を撮らせてもらっても構いませんか?」
ちょうどレジにいた私は突然のことに戸惑いながらも彼女の申し出を承諾した。
「良かった〜!ここは外観も素敵ですし、スイーツもお土産のフォーチュンクッキーも話題ですよね。撮り甲斐があるなぁ。」
彼女はとても興奮気味に話し出すと、早速撮影用のカメラを準備し始めた。
「おい、他の客の迷惑にはなるなよ。」
小倉さんが張り切って準備をしている彼女に声を掛ける。
「わかりました。気をつけて撮影させていただきます。」
背筋を伸ばし小倉さんにお辞儀をすると彼女は店内の様子や出来上がったばかりのスイーツ、ショーケースの中のフォーチュンクッキーと次々に写真を撮っていく。
「ちょっと外の様子も撮影してきます。」
彼女は私に笑顔で告げるとカメラを片手に出て行った。
「あの写真、どうするんでしょうね?」
パンくんが不思議そうに窓の外の彼女を見つめる。
「プロのカメラマンって感じでもないしな。」
そう言うとブレンドさんが出来上がったパンケーキをパフェくんに差し出す。
「お店の宣伝でもしてくれるのかな〜?ふわぁ。」
パフェくんが欠伸をしながらそのパンケーキをテーブルに運んでいった。
私たちは戸惑いながら何枚も写真を取り続けている彼女をただ見ているしかなかった…。
香川彩21歳。大学で写真同好会に所属している。高校生の頃から写真を撮ることに目覚め、大学生になった今ではプロを目指すために様々なコンクールに自分の作品を応募している。
しかしながら現実は厳しく、まだまだプロへの道は遠かった。他人の撮影スポットを研究したり、雑誌やSNSで撮影場所を探したりしている時にここの喫茶店が目に留まったのだった。
「ここの写真なら絶対コンクールに入賞するでしょ!」
そう言いながら彩は喫茶店の建物を正面から撮ったり違う角度から撮ったりと必死である。一通り写真を撮り終えると再び店内に戻ってきた彩は私に声を掛けた。
「撮影終わりました!ありがとうございました。」
「あ、はい。あの、ところでここの写真を撮っているのは何故なんですか?」
彩はプロのカメラマンを目指していることとコンクールに応募することを教えてくれた。今日撮った写真はすぐにコンクールに出すという。
「今回はすごく手応えを感じています。あ、では、すぐにでも応募したいのでこれで失礼します。ありがとうございました。」
そう早口で言うと深々とお辞儀をし店を出て行った。
「コンクールだってよ。俺たちの喫茶店の写真が選ばれるといいな!」
モードが笑顔でみんなと話している後ろでソーダさんだけは壁に寄りかかり腕組みをしながら何かを考えているようだった…。
3週間ほど経ったある日。彩が再び店を訪れた。
店内に入ると少し疲れた様子でヨロヨロと入り口近くの席に座った。
「いらっしゃいませ。どーぞ。」
ソーダさんがお水とメニューを差し出すも彩は下を向いたまま鞄から取り出した雑誌を見て何やらぶつぶつと呟いたままだ。
「何で選ばれないのよ。他の人の写真と何が違うっていうの?」
わずかに聞こえてきた声には怒りの感情が溢れていた。
ソーダさんは一旦カウンターの方に戻ってくるとブレンドさんに声を掛けた。
「クリームソーダ1つ頼めるか?」
「了解。」
何やらソーダさんに考えがあることを察してブレンドさんがクリームソーダを作り始めた。
よく磨かれたクリームソーダ用の脚つきグラスに透明な純氷のかち割りを何個か入れる。濃度の違う青いかき氷シロップを炭酸水で薄めたものをいくつか用意し、濃度の濃いものからグラスに注いでいく。最後に静かに炭酸水を注ぐとグラスの中には綺麗なグラデーションが出来る。その上にバニラアイスを乗せ、ミントの葉をちょこんと飾れば見た目も涼しげなクリームソーダの完成だ。
ソーダさんは出来上がったクリームソーダを彩のテーブルに持っていき、食い入るように雑誌を見ている彩の前にそれを差し出した。
「クリームソーダです。これでも飲んでちょっと休憩したらどうだ?」
「え?」
やっと我にかえり雑誌から顔を上げた彩は目の前のクリームソーダの美しさに釘付けになった。
「綺麗…。」
クリームソーダを見つめていた彩の目からは次第に涙がポツポツと溢れてくる。
「この前撮ったこちらの喫茶店の写真、コンクールで選ばれなかったんです。自分ではすごくいい作品だと思ってたんですけど…。やっぱり私には才能がないのかな。」
自分の胸の内を語っていく彩の言葉を黙って聞いていたソーダさんがテーブルのクリームソーダを持ち上げて窓の方に持っていく。
「クリームソーダってそのまま見てるだけでも綺麗だけどさ、こうやって外の光に当てると光の反射でまた違った色合いになるんだよ。」
光の色が合わさったクリームソーダは優しい色合いで輝いている。
「クリームソーダって深いんだぜ。色んなシロップの色でも変わるし、ソーダの代わりに紅茶とか使ってもいいしさ。トッピングも自由。とにかくさ、自分だけのオリジナルなもん作り出せるんだよ。」
ソーダさんは一息つくと彩を見つめた。
「写真も同じなんじゃねーの?お前さ、人の真似ばっかしなくていいんじゃないか?お前はお前の感性で色んなもん撮れよ。自由にさ。」
彩がハッとしてソーダさんを見つめる。
「私、そういう気持ち最近忘れてました。写真を撮り始めた頃は自分がいいなと思ったものを素直に撮ってたのに…。コンクールで賞を取る事だけに必死になりすぎていたんです。」
そう言う彩の目にはもう涙はなく、今までのことが吹っ切れたような力で溢れていた。
「もう1度初心に戻って頑張ります!」
彩は頷くソーダさんを見た後テーブルに再び目線を落とすと目の前にあるクリームソーダにそう誓うのだった_。