天使が糞まみれ
「お姉ちゃーんっ!」
シャインは私に向って飛びついてきた。彼女の飛びつきはモークルの雄以上の威力があり、真面に受けたら致命傷だ。
「『フロウ』」
私はシャインの体を浮かせ、突進の威力を和らげる。それでも、推進力は抑えられず捕まった。
「えへへー、お姉ちゃんの匂いがするー」
シャインは私に抱き着き、犬のようにスンスンと匂いを嗅いできた。
「ちょ、ちょっと、シャイン。行儀が悪いよ。あと、匂いを嗅がれるのは恥ずかしいからやめて」
私はシャインの肩に手を置き、離れさせる。
「えへへー、ごめんなさい。でも、三カ月ぶりのお姉ちゃんだもん。もっと甘えたくなっちゃうーっ!」
シャインは助走無しのタックルを放って来た。
私は強烈な一撃を受け、失神しかける。だが、ギリギリ持ちこたえ、シャインの体を撫でた。
「ふわぁ……。シャインが無邪気に甘えたら姉さんが死んじゃうよ」
私の知っている声が聞こえると、シャインは私から離れた。
「ああ、お姉ちゃん。ごめんなさいっ!」
シャインは私にぎゅっと抱き着いてくる。体がミシミシと軋み、骨が折れそうだ。牛乳を飲まず、骨密度が減っていたら完全に砕けていたかもしれない。
「はぁ……、シャイン。あんまり抱き着くと、姉さんが死んじゃうよ」
「うえぇっ!」
シャインは私から離れ、意気消沈している私を見つめる。
「う、うぅ……。ら、ライトぉ……、おはよう。あと、ただいま……」
私は死にかけながら絶世のイケメンの弟に挨拶した。
「うん、お帰り、姉さん。いつも通りで安心したよ」
ライトのイケメンスマイルが私の視界に飛び込んできた。子役なら完全に多くの女性を打ち抜いている。行く先々でキャーキャーと黄色い声援が起こるくらいの美貌だ。
「私は簡単に毒されないよ……。さてと、驚かせる気だったのに早速バレちゃった」
私はベッドから出てフルーファを撫でた後、部屋を出て居間に向かう。
お母さんは私たちに朝食を作ってくれた。いつも通り、パンとスープが並ぶ。だが、干し肉や焼かれたエッグル、牛乳、蒸かしトゥーベル、ビーンズなど、昔の朝食とは比べ物にならなかった。
主食のパンでエネルギー補給、スープに入った山菜やトゥーベル、ビーンズで栄養を取り込み、干し肉とエッグルで体の血肉にする。
牛乳で骨を丈夫にした後、小腹が空いたらトゥーベルやビーンズを摘まんで食した。もう、こんな豪華な朝食が得られる村はどこを探しても見当たらないだろう。
ものすごく美味しいが、調味料の味はしない。ミグルム(胡椒)のピリッとした刺激が来るくらいだ。そのため、見た目よりも値段が安い。
「ふぅー、お腹いっぱい……。やっぱり実家の料理は最高だよ!」
私はおふくろの味を十分堪能し、お母さんを大変喜ばせた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! お土産、お土産!」
シャインは飛び跳ねながら私に手を伸ばす。お土産が欲しくなるお年頃なのかな?
「まあまあ、焦らない焦らない。お土産は倉庫の中にある荷台に入ってるから、今日の夜ね」
「うぇー、早く知りたい」
シャインは残念そうにうなだれた。力は化け物なのに、体と心はまだまだ子供だ。
「楽しみは後に取っておいても乙なものだよ。そうすれば、今日の仕事も頑張れるでしょ」
「確かに……。じゃあ、早速牛乳配達に行ってきまーすっ!」
シャインは料理を食べた後、すぐに家を飛び出して行った。
「シャイン! 片づけは!」
お母さんの声が響くも、シャインはすでに家の中にいない。
「はぁ……。どんどんおてんばになっていく。困ったものだわ」
お母さんは頬に手を置き、ため息をついた。まあ、シャインほど元気な女の子の親は大変だろう。
「ごちそうさまでした」
ライトは手を合わせ、食器類に手をかざし無詠唱で『クリーン』を掛けた。汚れていた品が全て新品同様に綺麗になる。指をふっと動かして食器を定位置に戻す。浮かす行為も軽い品ならなんのその……。あまりの熟練した動作に何十年生きて来た魔法使いですか? と質問したくなる。
「じゃあ、僕も牛乳配達に行ってくるよ。あ、洗濯物は全部洗って干しておいたから。あと、部屋の掃除とかも終わらせておいた」
ライトはエリートサラリーマンくらいすました表情で家を出て行く。
「はぁ……。出来過ぎるのも困りものよね……」
お母さんは頬に手を置き、ため息をついた。
「ふわぁ……。さすが俺の子だな」
お父さんはボサボサの頭の状態であくびをしながら、言う。どこにお父さんの要素があるのだろうか。似てるのは顔くらいかな。
「あなたもさっさと準備しなさい! 子供のほうが先に働いているのに、あなたときたら……、親としての自覚が足りていないわよ!」
お母さんはお父さんにチョップを決め、せかしていた。
「いてて……。わ、わかってるよ」
お父さんは食器を片付け、服を着替えた後に牧場に向かった。
「今の時間は……、午前五時頃か」
私は懐中時計を見て時間を把握し、皆がしっかりと仕事に出ているのを見て安心した。
「キララは仕事に行くの? それとも、家でゆっくりしている?」
お母さんはテーブルの上を拭きながら訊いてきた。
「私も、久しぶりに仕事に行くよ」
私は床で餌を食い漁っているフルーファの背中を撫で、部屋に戻り寝間着から仕事着に着替えて家を出た。仕事着と言ってもいつもと大して変わらないオーバーオールと長袖の服だ。
「ふぐぐぐー、はぁー。いい天気。これだけ清々しいと気持ちいなぁー。仕事かぁ。ちゃんと出来るかな……」
私は久しぶりの牧場仕事に少々緊張しながら、牧場に向かう。
牧場に向かうまでにある畑を見ると、キャロットがしっかりと収穫され、綺麗な畑になっていた。加えてトゥーベルやビーンズも収穫されており、場所を変えて再度植え直されている。ライトがやってくれたのだろう。すでに畑の規模も増大しており、量産体制が整っていた。
「ズミちゃん、いる?」
「はいっ、いますよっ」
地面からつるつるの頭を出したのはオリゴチャメタの幼体、ズミちゃんだ。ただ、幼体と言ってもすでに二年以上経過しているので体が大きくなり始め、丸太くらいの太さになっていた。
「ズミちゃん、久しぶり。元気だった?」
「はい。毎日たくさんの牛乳パックや牛乳瓶を食べさせてくれるので、元気一杯です」
ズミちゃんは頭を振り、元気の度合を知らせてくれる。
「畑の規模が大きくなって来たけど、大丈夫?」
「はい、問題ないです。少しずつ食べ進めているので辛くありません」
「そう、よかったよかった。じゃあ、引き続き畑の管理をお願いね」
「任せておいてください!」
ズミちゃんは元気よく返事をして土の中に戻っていく。
「はぁ……、ズミちゃんもどんどん大きくなっている。いずれ、オメちゃん(ズミちゃんの親)見たくなるのかな?」
「なるでしょうね。ですが、そうなったらもっと広い土地を耕せます。キララ平野を開拓できますよ」
ベスパは私の頭上で飛びながら話した。
「そうだね……。地面を耕して栄養満点にするためにはオリゴチャメタの力が必要だし、大きくなってくれてもいいよね」
私は可愛らしかったズミちゃんがいつの間にか巨木のように大きくなるのかと思うと少々悲しかった。私の体は全然成長しないのに……。胸に手を当てながらしょぼしょぼ歩いていると、牧場に到着した。
☆☆☆☆
「あ、キララさんっ!」
私に一番に気づいた者は天使だった。じゃなくて、テリアちゃんだった。キラキラ輝く金髪がとても綺麗で白い肌はもう水性絵具を塗ったんですかと言いたくなるくらい透明感が強い。作業着を着ているのが違和感しかない。
「おはよう、テリアちゃん。ちょっと大きくなったかな?」
「はいっ! ちょっと大きくなりました!」
テリアちゃんは胸に手を当てる。――いや、そっち?
私は幼女に負けたのかと心臓を抉られるような気持ちになったが、頭を振り、顔に出さないようにする。
「んん、あぁーっと、モークル達の様子はどうかな?」
「皆元気一杯です! ウシ君は毎日盛っています!」
テリアちゃんの口から聞きたくなかった発言が飛び出し、私は気が滅入る。テリアちゃんは純粋無垢でいてほしい。そう思いながらも子供の成長速度は速いなと言わざるを得ない。
「そ、そうなんだ。ウシ君の子供達は元気だから、沢山生まれてくれると良いね」
「ん? 何を言っているんですか」
テリアちゃんは首を傾げる。
「え……」
どうやら、卑猥なのは私の方だったようだ。話をよく聞けば、牛君が食べ物を沢山食べて太っていると言う意味だった。
「あ、あははー。そうなんだ。まあ、この時期は体力を使うから沢山食べているんだと思うよ」
私は笑ってごまかし、純粋無垢なテリアちゃんの満面の笑みを視界に入れる。
「キララさん、お帰りなさい。無事で何よりです」
私の方にやって来たのはテリアちゃんの兄、ガンマ君だった。身体つきが男らしくなり、まだ九歳とは思えない良い身体つきをしている。もう、ジュニアアスリートと言っても過言じゃない。顔もカッコいいので、良いお兄ちゃん感が出過ぎている。
「テリア、今日は僕が厩舎の掃除をするよ。だから、テリアは出店の方に行ってくれる?」
「えー、私、モークル達のお世話をするのが好きなの。だから、私が厩舎で掃除をする!」
「で、でも、毎回糞まみれに……」
ガンマ君は苦笑いを浮かべながら、呟く。天使が糞まみれになるのは確かに嫌だな。
「それだけ頑張っている証拠だよ。じゃあ、キララさん、私は頑張って掃除してきます!」
テリアちゃんは頭を下げ、モークルの厩舎に向かった。
「はぁ……。テリアに汚れ仕事をさせるなんて僕は兄として失格だ……」
ガンマ君は重度のシスコンなので、テリアちゃん第一優先主義者だ。
「まあまあ、ガンマ君。テリアちゃんがやりたいことをやらせるのも兄の役割だと思うよ。そうやって見守ってあげているほうが、テリアちゃんも頑張れるってもんだよ」
「そ、そうですかね……。じゃ、じゃあ。温かい目で見守ります」
ガンマ君は白目に毛細血管が浮かび上がるほど目をギンギンにしてテリアちゃんを見つめていた。あまりにも不審者すぎるのでやめてもらう。
「じゃあ、僕はシャインさんと露店に行ってきます」
ガンマ君は頭を下げ、牧場の品が売られている露店に向かった。シャインと一緒に受け持っており、もう夫婦で経営するお店と言っても過言じゃない。
「って、キララ様は思っているようですが、決してそんなふうになっていないようですよ」
「うそぉー」
私は三カ月の間に全くの進展無しと言う話をベスパから聞き、シャインの押しの弱さが何とも歯がゆい。




