大人びた孤児
「はぁー。行っちゃった。じゃあ、レクー。走りなれた大通りに行くよ」
「はいっ!」
レクーは足取りを軽くしながら人通りが増えた大通りに入る。人を轢かない速度で移動し、私はある場所に寄った。
「いらっしゃいませー。いらっしゃいませー。パンが焼き上がりましたよ」
小麦のものすごく良い匂いを醸し出している通り。そこに、パン屋がすっかりと板についたレイニーがオリーザさんのお店の前で人々の誘導を行っていた。
レイニーは街にいた孤児の一人で、教会に住んでいる子供たちの兄のような親のような存在の男だ。
私はレクーを道の端に置き、行列に並んだ。時間はあるので横入りせずに待つ。
今まで横入りしていた獣族達も買い慣れたのか私の後ろに並び、パンの匂いを嗅いで表情をほころばせていた。私もほころぶ。なんせ、オリーザさんのパンは天下一品なのだ。
「スミマセン、ココガオリーザサンノパンヤデスカ?」
(すみません、ここがオリーザさんのパン屋ですか?)
獣族の間でも有名になっているのか、獣族の男性がビースト語でレイニーに話しかけた。
「ハイ、ソウデスヨ。レツノサイコウビニナランデ、マッテイテクダサイ」
(はい、そうですよ。列の最後尾に並んで、待っていてください)
レイニーは少々片言だが、ビースト語で会話していた。しっかりと勉強しているらしい。
「あ、ありがとう」
獣族の男性も方ごとのルークス語を喋り、列の最後尾に並んだ。
――うんうん、平和、平和だ……。
私は久々の故郷に帰って来たような温かみを感じた。心がとても熱い。これが平和の良さ。心がジーンと震えている状態で私はオリーザさんのパンの匂いを嗅ぐ。
「あぁ……、これが幸せか……」
私は泣きそうになりながら、パン屋の入り口にやって来た。
「キララ、顔がきもいぞ」
レイニーは私の顔をみてきもいなんて言う発言をした。
「酷いなー。私にきもいなんて言うのはレイニーくらいだよ」
「いや、普通に気持ち悪かったから……」
「嘘だー。ベスパ」
「はい、ただいま」
ベスパは先ほどの私の顔を脳内で見せて来た。
「……う、うん、まあまあ、可愛いんじゃないの」
猿みたいに鼻の下を伸ばした美少女いた。気持ち悪いと言えば気持ち悪いが、それをはっきりと言ってしまうのはどうだろうか。
「レイニー、乙女にはもっと優しく接しないと駄目だよ。そんなんじゃ、メリーさんに嫌われちゃうよ」
「うるせ。まあ、こうやって話していて、キララが王都に染まっていないようで安心した」
レイニーは腰に手を当てて、微笑んでいた。身長が一八〇センチメートル近くあり、体格ががっちりし始めているのでなかなか男っぽい。なかなか、深みが出て来ていた。やっぱり三カ月合わないだけでも変わるな。
初めて会った時にこれくらい好青年なら胸がドキリとしてもおかしくなかった。まあ、パン屋さんにいる超高身長のイケメン店員ってところかな。実力も折り紙付きの秀才。でも裏で超努力している、ただ、その理由が少し重い。
「もう、入って良いぞ」
「はいはい、じゃあ、失礼しますよ」
私はオリーザさんのパン屋に入る。息を吸って吐くだけでもお金を払いたいくらい良い匂いがした。空気にもお金を取るべきだ。
「はぁ……、幸せだな……。ベスパはゴンリパンとバチームパンでいいよね?」
「はい! はい! お願いします! お願いします!」
ベスパもオリーザさんのパンが大好きなので、いつも以上にお願いがすごい。
私は少々小金持ちになってしまったので、分け合いっこはせず四個お盆にのせた。そのまま、大きなメンロパンをトングでつまみ、お盆の上に置く。
「ん……。メンロパンが昔と変わってる……」
メンロパンの上にクッキー生地が乗っており、私がよく知っているメロンパンの形状と酷似していた。オリーザさんの発想か、はたまた別の者が考案したのかわからないが、このような品を銅貨八枚で買ってもいいのだろうか。
「良いんでしょう!」
ベスパはパンが食べたいのか、ヘッドバッドするくらい頭を縦に動かしている。久々のオリーザさんのパンなので、興奮が止まらない。
「涙が出るパンは流石に売り切れてるね……」
究極の白パンと称される涙が出るパンはすでに売り切れており、買うことが出来なかった。私はこのパンを買えたためしがない。
お盆にある程度、パンを乗せた私は大きかったお腹が凹んでいるコロネさんのもとに向かった。
「コロネさん、お久しぶりです」
「あ、キララちゃん。久しぶり! 元気そうでなにより!」
コロネさんは私を見るや否や手を伸ばし、頭を撫でて来た。
「はい、元気でした。コロネさんも元気そうで何よりです。えっと……、お腹がぺったんこになっちゃってますけど、大丈夫ですか?」
「ああ、えっとね……」
コロネさんは受付台の裏に戻る。受付台の裏から可愛らしい赤子が出て来た。
「おおおおっ! ん!」
私は大声を出しそうになり、寝ている赤子を起こさないように口を閉じた。
「無事に産まれたよ。キララちゃんがいない間に生まれたの。ライト君に色々助けてもらったからお礼しないといけないの」
「私がいない間に無事生まれてくれたのならよかったです。えっと、おめでとうございます」
私は頭を下げ、コロネさんを心から祝う。
「ありがとう」
コロネさんは頬を赤らめながら微笑んでいた。
「えっと、赤ちゃんを育てるために必要不可欠な母乳はちゃんと出ていますか?」
「えっと……。なんていうのかな、まあ、出てると言えば出てると思う……」
コロネさんは絶妙な返答をした。
「なにか引っかかる点があるんですか?」
「その……、乳の出が悪いのかもしれない。あとこの子の名前はトルン って言うんだけど、乳を飲んでもすぐに吐き出しちゃうの。ゲップをさせようとしてもなかなかうまく行かなくて……」
「なるほど。ゲップをさせる時は背中を優しく叩いてあげたり、持ち方を工夫するとゲップしてくれ安くなります。あと、乳の出が悪いのは大問題なのですぐに改善した方がいいですね。規則正しい食事と睡眠が必要不可欠です。もし、乳が出にくいなら私の村にある秘密兵器を持ってきます」
「ひ、秘密兵器……。何その怖そうな名前」
「あ、えっと別に兵器なわけじゃないです。赤ちゃんに飲ませる用のミルクがあるので今度来た時に持ってきますね」
「え……、赤ちゃん用のミルクなんてあるの?」
「ミルクはもともとモークルの赤ちゃんが飲む品ですからね」
「確かに……。そう言われたらそうか。えっと、値段は……」
「値段のことは考えないでください。あと、今は牧場の規模が大きくなっているので比較的安く買えるはずです」
――以前までだと金貨五〇枚とか言うバカ高い値段だったから、街で売り出せなかった。でも、今の体制なら……。金貨八枚くらいまで落とせないかな。なんなら、もっと安く出来たら最高だ。
「そうなってくれたら嬉しい。ライト君が仕事をしてくれると安心できるけど、キララちゃんと仕事をした方が私は楽しいかな……」
コロネさんは苦笑いを浮かべ、赤ちゃんを抱きかかえる。
「ライトが何かしでかしているんですか?」
「いや、その……。獣族のお客さんが増えたからビースト語の勉強をしているんだけど、その冊子が部厚すぎて……。あと、ライト君は毎回、ビースト語を喋りながら仕事をするから頭がおかしくなっちゃって」
コロネさんは苦笑いが止まらず、当時の様子を思い浮かべている様子。
「なるほど。じゃあ、私の方から止めるように言っておきます」
「あ、別に止めてほしい訳じゃないの。もう少しゆっくり分かりやすく話してほしい。ライト君、本当にビースト共和国に住んでいるのかってくらい流暢にしゃべるから……」
「わかりました。そう伝えておきますね。えっと、お会計をお願いします」
私はオリーザさんのパンが置かれたお盆を受付台に乗せる。
「はい、ありがとうございます」
コロネさんは赤ちゃんを受付台の裏にある毛布が敷き詰められた籠に入れ、パンをトングで掴み、紙袋に入れていく。
「ゴンリパン二個、バチームパン二個、メンロパン一個で銀貨一枚と銅貨三枚です」
「はい。金貨一枚からお願いします」
私は小銭を持っていなかったので、申し訳ないが金貨一枚を出す。ちょっと小金持ちになったような感覚を味わい、気分が良いような悪いような。
「はい。では、金貨一枚から受け取らせていただきます」
コロネさんは金貨一枚を受け取り、銀貨八枚と銅貨七枚と紙袋を手渡して来た。
「ありがとうございます。では、失礼します」
私は他のお客さんもいたので、お店をそうそうに出た。もう少し居たかったが、仕方がない。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
コロネさんは私に向かって頭を下げてくれた。
「ふふん、ふふんっ」
私は気分よく出入り口を通った。
「嬉しそうな顔してるな」
レイニーは私の顔を見ながら呟く。
「別にいいでしょ。嬉しいんだから。えっと、教会に行ってもいい?」
「ああ。好きに行けばいい。あそこはもう昔と違うぜ」
レイニーは微笑みながら言う。なぜかとても大人びていた。
――こいつ、メリーさんとやったか?
私は目を細め、睨むがレイニーのマザーへの愛はそんな簡単に変わるものじゃないと信じ、彼の前をあとにする。
「キララ、俺は四時過ぎに教会に行く。暇なら待っていてくれ」
「わかった。待っていてあげる」
私はレイニーに手を振り、レクーのもとに戻った。
「キララ様、キララ様! 早く早く!」
ベスパは私の横を飛びながら手足をブンブン動かし、せかして来た。ほんと、ゴンリに目がないんだから。
「はいはい、すぐに上げるよ」
私は紙袋からゴンリパンを手に取り、真上に投げる。
「ひゃっふーっ!」
ベスパはゴンリパンに食いついた。そのまま他のビーも次々に食い漁る。
私は耳を塞ぎ、地面を見ていた。
「はぁ……。美味しすぎます……。以前よりも小麦の香りが強く、もっちりとした触感。さすがオリーザさんです。この味は王都でも通用しますよ」
ベスパはお腹を膨らませ、満足した様子で呟いていた。
「へぇ、そこまで……」
私も食べたくなったが、まだ我慢。教会に行ってから食べようと思い、荷台の前座席に座った。
「レクー、教会に行ってくれる」
「わかりました」
レクーはベスパの誘導がなくとも教会までの道のりを覚えていた。




