尽くしてくれて、ありがたい
「ああ、またやってしまった」
私は魔力を垂れ流しにした影響でお湯が光ってしまったのを後悔する。なんせ、このお湯に入ろうとハイエナのように目を光らせているメイドたちがすでに後方で待っているのだ。せっかく気分をよくしていたのに、じろじろ見られると心地よかった感覚が冷めてしまう。
「仕方ない。体を洗ってもう一度入った後、出よう。またいつか入りたくなったらこの場に来れば入れるし、レクーに乗って一時間も掛からない。学園にお風呂が無ければここに入りに来るのも悪くないな……」
私は体を洗い終わり、お湯に浸かって温め直したあと上がる。
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
メイドたちは雄叫びを上げながら、お湯に飛び込んでいく。今後、私が入るのは滅多にない。そのため、皆、今日で美しい自分とさようならだ。元から綺麗な人しかいないので別に構わないだろう。
「ふぅ……。さっぱりした」
私は脱衣所で体を拭き、服を着替える。睡眠用のダル着を羽織り、髪を魔法で乾かす。歯磨きやトイレをすませ、寝る準備を整えた後、部屋に入る。
「うう……。腹減った……」
フルーファが床で倒れていた。いつもの光景だ。
「魔力を上げてもすぐにお腹が減るって、本当に燃費が悪い体だね」
私はフルーファの黒い毛並を撫でる。
「もっとキララの魔力を飲みたい……」
フルーファはうるんだ瞳を私に向けてくる。
「駄目、沢山飲んだら太っちゃう。ただでさえ、魔力過多なんだから」
フルーファの体は毛が抜け始める春ごろなのに太り気味になっていた。
そりゃあ、部屋の中でゴロゴロして魔力量が多い水を毎日飲んでいたら太る。健康にも悪い。なんなら、フルーファの満腹中枢がバグって来ており、毛が黒いのにお腹が減るそうだ。魔力を上手く使っていれば空腹を感じないはず。
「フルーファ。ゴロゴロしているだけがペットの仕事じゃないよ」
私はフルーファの飼い主として太り気味な彼を痩せさせなければならない。
「そう言われてもな……。動くのが面倒くさいし……」
フルーファは置き上がったかと思えば横に寝そべり、あくびをする。元からぐーたらな性格だったので、彼女や妻は一匹もおらず、なにに対しても面倒臭がりなやつだ。
こんな駄目犬を育てているのが私だ。ペットは飼い主に似るっていうのは嘘か。私がいつもこんななわけがないのに……。
私は勉強と日課の魔法陣描きをささっと終わらせ、フルーファの毛並みをブラシで整える。
「はぁ……、いい気持ちだ……」
「フルーファ。野生にいた時はブラッシングなんてされなかったでしょ」
「ああ……、こんなのされるわけないだろ……」
「痩せないと金輪際しないからね」
「……うそ、だろ」
フルーファは心臓を抉られたような深刻な表情を浮かべ、呟いた。
「嘘じゃないよ。ちゃんと運動して痩せないともう、ブラッシングしてあげないから。そのつもりで」
私はフルーファが一番好きなブラッシングを奪い、彼が自発的に運動してくれるように促す。
フルーファはショックが大きいのか、立ち上がれずに茫然としていた。
「痩せればブラッシングしてあげるから、頑張って痩せな」
私はフルーファの頭を撫で、頬に軽くキスしてあげる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
フルーファは部屋の中を走り回り、今からダイエットを始めた。もう、夜だからやめてほしいのだけど、ここまでやる気になるのも珍しい。
「ベスパ、フルーファを散歩に連れて行ってあげて」
「了解です」
ベスパはフルーファの首にネアちゃんの糸を付け、部屋を飛び出して行った。
部屋が静かになり、私だけになる。シーンとしていると寂しいのでクロクマさんをサモンズボードから出して抱き枕にして眠る。彼女にとってはいい迷惑かもしれないが、抱き心地が最高なのだ。
私はクロクマさんを抱きかかえた状態でぐっすりと眠り、三月八日を迎える。
「はぁ、はぁ、はぁ……。き、キララ、痩せてやったぞ……」
フルーファはたった一晩でいつもの状態に戻っていた。夜中、ずっと走っていたのかと思うと体力が相当余っていたらしい。
「ううん……、もう、本当にブラッシングが好きなだね……」
私は起き上がり、私に多いかぶさるようにして息を荒げていたフルーファに抱き着く。汗臭く、とても近寄れたものではなかったので水浴びしてもらった。その後『ウィンド』でフルーファの毛に付いた水分を落とし、念願のブラシを取り出す。
「フルーファ、よく頑張ったね。さすが私のペット。やればできるじゃん」
私はフルーファを褒めながらブラシで毛を整えていく。
「ああ……、こ、これこれ……。これだよ……」
フルーファは嬉しそうに身を預け、尻尾を振りまくっていた。朝からペットのお世話をしていたらあっと言う間に午前八時になった。
食堂に移動し、最後の朝食をいただく。いつもと大して変わらない風景だが、最後だと思うと無性に寂しくなった。三カ月と言うと海外へのインターンシップとか、ホームステイとかと同じくらいの長さだ。半年ほど長くないけれど、三カ月でも私にとっては十分長い時間で、とてもとてもお世話になった。
なんせ、王都で三カ月も宿を借りていたら大金が必要だった。その点を居候させてもらうことで、お金を浮かすことができ、感謝しかない。
「ごちそうさまでした」
私は両手を合わせ、食材に感謝を込める。
「では皆さん、私はこれで失礼します」
私は席を立ち、頭を下げた。特に長々と話すつもりはない。
「ああ、また好きな時に来ればいい。マドロフ家一同歓迎する」
マルチスさんは微笑みながら優しい言葉をかけてくれた。
「キララがいないと花が少なくなるなー」
ケイオスさんは食事をしながら辺りを見渡す。
「若い子がいないと自分が年老いている感じがしていやね」
テーゼルさんはケイオスさんを睨む。
「はは……。まあ、キララとは長い付き合いになると思うから、これからも末永くよろしく」
ルドラさんは軽く挨拶してきた。また、村で会うかもしれないのでさっぱりしていた。まあ、一生の別れではないので、泣き崩れるような別れにならない。
「うわぁああああああああああんっ! キララさん、行かないでください!」
メイド長やメイドたちが私に抱き着き、泣きわめいた。
――こっちが泣くんかい。
「皆さん、日ごろのお手入れを続けていればそう簡単に老けません。一番大切なのは日の光を遮ることです。外で仕事をする時は鍔の広い帽子を被ったり、肌に油脂性の白いクリームを塗ったり、対策すれば若々しい見た目でいられますから」
私はメイドたちに肌のお手入れを軽く教えていた。寝る前の化粧水や乳液は必須なわけだが、化学物質めいた商品は見かけない。そのため、コラーゲン……と言ってもわからないと思うので軟骨や魚類を多く取ったり、日の紫外線を遮ったりすると言いと伝えた。今出来ることを確実にしてもらう。
私は朝食後、部屋に戻り、出発の準備をする。
「ベスパ、荷物を纏めて。特に羽毛布団とメークルの毛マットレスが大荷物だからさっさと運んでくれると助かる」
「了解です。荷台に詰め込んでおきます」
ベスパは私が使っていた布団一式を窓から外に出し、荷台に詰め込んだ。荷台に乗せてあるのは村の皆に渡すお土産くらいなので、検問で引っかかることはない。
私は部屋の中にある冊子や服、武器、道具などをトランクの中にしまい、忘れ物がないか確認した。
「うん、問題ないね」
私は三カ月寝泊まりした愛しの部屋の出口に立つ。
「三カ月、お世話になりました。ディア、ネアちゃん。感謝の気持ちを込めて精一杯掃除してくれる」
私はブローチに擬態しているディアとヘアピンに擬態しているネアちゃんに話し掛ける。
「わかりました!」
「お任せください」
両者は私が使っていた部屋を隅から隅まで綺麗にした。埃や髪の毛など一本も落ちていない状態になるほど綺麗になり、輝いてみる。
ほつれていたカーテンや隙間風が起こりそうなたてつけの悪い部分はネアちゃんが補修し、完璧な部屋に仕上がる。
「ありがとう。じゃあ、仕上げに『クリーン』」
私は魔法で部屋の中を一斉に綺麗にした。これでカビやダニ類は消滅しただろう。
私は部屋を出てマドロフ家の玄関に移動し、外に出る。するとレクーと荷台が待っていた。ベスパがすでに移動させておいてくれたようだ。
メイドさん達は屋敷の入り口前に並び、マルチスさんやケイオスさん、テーゼルさん、ルドラさんが勢ぞろいしていた。
「皆さん、改まってどうしたんですか?」
「キララのお見送りをしようと思ってな。これくらいしなければばちが当たりそうだ」
マルチスさんは燕尾服の内側に手を入れ、私に記章を手渡してきた。車輪型の記章で以前、私が作った品ではない古びた記章だった。もう、何年間も使っているような雰囲気が漂っている。
「その記章はわしが貴族になった時、作ってもらった特注品だ。もう、何年の前になるから相当古びているだろう」
「ちょ、そんな大切な品、いただけませんよ」
私はマルチスさんに記章を返そうとした。
「いや、貰ってくれ。わしらはキララが作ってくれた記章がある。その品はキララに持っていてもらいたい。友好の証だ」
マルチスさんは杖を持ち、ケイオスさんはネックレス、テーゼルさんは指輪、ルドラさんは魔法杖を見せてくる。
皆、私が作った記章が彫り込まれており、世界に一本しかない品だ。
「はは……。わかりました。友好の証、確かに受け取りました」
私はマルチスさんの汗と涙がしみ込んだ古びた記章を受け取る。
荷台の前座席に座り、手袋を嵌めて手綱を握った。
「では、皆さん。お世話になりました。王都に来た時はまた顔を出させていただきます。今度来る時はクレアさんを連れて帰ってきますから優しく迎えてあげてください」
「ああ、楽しみにしている」
マルチスさんはコクリと頷き、帽子をとった。
「キララ、クレアに安心するように伝えてくれ。マドロフ家は無事だと」
ルドラさんは商人服をピシッと着こなし、眼鏡を軽く駆け直すと凛々しい表情で言った。
「わかりました。クレアさんに伝えておきます。では、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
マドロフ家の方達は快く送り出してくれた。
「行ってらっしゃいませ」
マドロフ家で働いているメイドたちも私に深々と頭を下げ、送り出してくれた。
ここまで、他人の私に尽くしてくれるなんて……、ありがたいな。




