理性
「アレス王子、ここで粉が売買されていました。アレス王子が信頼できるものに取り締まらせるか、アレス王子自ら取り締まるか。どちらにしろ、行動を起こした方が良いと思います」
「こんな地図をどこで……。まあいい。ものすごく助かる。この仕事ぶりは金貨八枚以上だ」
アレス王子は小皿に乗った六枚のクッキーを私の方に移動させた。
「全部食べて良いんですか?」
「ああ、構わない。私の欲しい情報をいち早く渡してくれたお礼だ」
アレス王子は微笑み、珈琲を口に含んで一服した。一挙手一投足に花がある男性だ。
「では、ありがたくいただきます」
――ベスパ、このクッキーに魔造ウトサが含まれていないか調べて。
私はクッキーの破片をベスパに渡す。
「了解しました」
ベスパはクッキーの破片を口に含み、翅を鳴らす。
「問題ありません。通常のウトサが使用されております」
「ほっ……。じゃあ、いただきます!」
私は円形の質素なクッキーを口に含む。じわっと広がる甘味とサクッと言う触感が幸せの一枚だ。まあ、甘味が強いのでストレートティーで口の中を潤わせる。ふわりと香る紅茶のにおいが鼻からすっきりと抜け、最高のおやつになった。
ただ、私が作っているバターや牛乳、エッグル、ネード村産の小麦を使って作りたくなってしまう。あの素材で作ったお菓子はいったいどれほど美味しいのだろうか。
想像しただけで、唾液が出てくる。もう、反射反応が起こってしまうほど、あの素材たちは格別だ。
「はぁー、美味しい……」
「ふっ、良い顏で食べるじゃないか。そんなに美味しいなら、私も一枚もらおうか」
アレス王子はクッキーを手に取り、口に挟んで食す。なぜかその仕草がとてもエロっちい。その魅惑の瞳で一体どれほどの女を狂わせてきたのだろうか。まあ、雰囲気で言うならホストの帝王と言ったところか。私はハマらなかったけどね。
「うん、なかなか美味いな。だが、私は牛乳の方が好きだ」
「はは……、あれはお菓子じゃないですよ。ただのモークルの乳です」
「毎度思うが、あれにウトサが含まれていないと言うのが不思議でならない。あの自然な甘味はいったいどうやって出しているんだ?」
「モークルの乳に含まれている成分が甘味を感じるんでしょうね。あまり詳しく話しても理解できないと思うのでやめておきます」
「はは……、君はいったいどれだけの知識をその小さな頭の中に蓄えているんだ。娘とほぼ同じ年齢だろうに」
アレス王子は私の頭を撫で、甘やかしてきた。
「あはは……、ちょっと本が好きなだけですよ……。まあ、子供の妄想とでも思っていてください」
「妄想で、何でも上手く行くわけがないと思うが……。詮索しても仕方がない。ともかく、私は王国が危険に陥らないよう配慮するしかない。まったく、王族とは面倒な仕事だな」
アレス王子は立ち上がり、ほんの八分程度で退席した。
私はもう少し話していたかったが忙しい彼をずっと拘束しているわけにもいかない。ブラットディアとビーの結界から出た、アレス王子はフードを被り、お店を出て行った。
私は残ったクッキーを食し、紅茶で口の中の甘ったるい感覚を直す。
「ん……。おやおや、あんなところに珈琲の残りが……」
私はアレス王子が飲んでいた珈琲を見る。珈琲は半分も減っておらず、彼が口をつけた回数はほとんどないとわかる。
「ああー、アレス王子は甘党だった。カッコつけてブラックの珈琲を頼んでたんだな。もったいない、私が飲んで……」
私は妻帯者のイケメン王族とナチュラルに間接キッスを決め込もうと思っていたところ、ベスパが私の方をジト目で見ていたので踏みとどまる。
「せ、せっかく金貨一枚もする珈琲が残ってるんだし、味見をしようかなーと思って」
「キララ様が飲む必要ありません。私が飲めば舌に同じような感覚が移りますよ」
「そ、そうだねー。じゃあ、そうしてもらおうかな」
私は普通にコーヒーの味が知りたかっただけなので、ベスパに代用してもらった。
「うーん、良い香り。では、失礼して」
ベスパはアレス王子が飲んでいた珈琲に顔を突っ込んだ。そのままゴクゴク飲み、あっと言う間に飲み干す。
「なるほどなるほど、深い味わいとすっきりとした苦味。配合された花から香る優雅な匂いがコーヒーの香りと喧嘩しない程度に混ざりあっていて、飽きませんね。何杯でも飲めてしまいそうです」
ベスパは私の食事レポート能力も備わっているため、とてもうまい。それが腹立たしい。
「キララ様、味わっていただけましたか?」
「『味覚共有』を行ってなかったからわからないけど、何となくわかったからいいや。まあ、実際に飲んでみたかったと言うのはあるかな……」
私は席を立ち、喫茶店を出た。
「私、市場で趣味を見つけに来たんだよな。なんで、喫茶店なんかに入っているんだか」
私は屋台で絵の具や布を購入した。キャンパスも買い、ベスパに運ばせる。
「キララ様、絵なんて描くんですか?」
「ちょっと描こうかなって思っただけだよ。ベスパたちの模写は凄いけど何も感じないし、味気ない仕事部屋に飾れたらいいなって」
「なるほど。ですが、キララ様の絵を描く才能は……」
「なに、私の絵を見たことがあるの?」
「い、いえ……。私の記憶だと、キララ様の絵は壊滅的……」
「う、うるさい! やってみないとわからないでしょうが! い、今の私なら上手く出来るかもしれないじゃん……」
私はベスパに怒鳴り、周りに引かれる。どうやら、独り言をブツブツ言っている子だと思われているようだ。
「は、恥ずかしい……。さっさと移動しよう」
私は市場付近のバートン小屋に預けていたレクーを引き取り、ウルフィリアギルドに移動する。ウルフィリアギルドに到着した私たちは仕事部屋に走り、絵を早速描き始めた。
「時間はあるんだ。頑張って描こう」
私は部屋からの景色を描くことにした。王都の風景がよくわかるのでじっと見ながら絵を描いていく。炭を持ち、白いキャンバスに辺りを付け、時間をじっくりゆっくりと使った。
「うーん、やっぱり私は私だ……」
私が描いた下書きは凄くおこちゃまだった。見たくないが、せっかくやり始めたのだから最後まで完成させたい。だが、絵を描いていたらすぐに夜になってしまった。
「ああ、もう夜か。時間が経つのは早いな……。今日はここまでにして帰ろう」
私は仕事部屋を出て、厩舎にいるレクーの背中に乗り、マドロフ邸に移動した。
「ただいま帰りましたー」
「キララちゃん、お帰りなさい。エルツのガキから話は聞いた?」
私がマドロフ邸の中に入ると、ワンピースを着たフリジア学園長がお出迎えして来た。美少女すぎて目が痛い。
「はい、聞きました。エルツ学園長は私に入る学園を決めてほしいそうです」
「ふーん、なるほど」
フリジア学園長は思っていたのと違うのか腕を組んで耳の裏を掻いた。
「まっ、エルツのガキがそういうなら、私としては運が良いかなー。敵が一人減るわけだし」
フリジア学園長は私がどうしても欲しいのか、今日も勧誘に来たと言う。
「もう、フリジア学園長はエルツ学園長と真逆ですね」
「だって、キララちゃんが学園に来たら楽しそうなんだもん。暇な生活がいつもより楽しくなったら生きているって実感できるし、なにより友達がいた方が嬉しいじゃん」
フリジア学園長は私の手を握り、ブンブン振っている。
「フリジア学園長……。確かに、私はフリジア学園長の友達ですけど、何でも言う通りになる奴隷じゃありませんよ。その点ははき違えないでください」
「う……。わ、わかってるよ。でも、最近、キララちゃんのことばっかり考えちゃって……、どうしたらいいかわからなくなって」
フリジア学園長は私の手を握り、少々甘い顏を見せてくる。トロリと溶けたアイスのような瞳だ。
「…………」
――いやいや、まてまて。フリジア学園長、その甘い瞳はいったいなんですか?
「キララちゃん……。キスってしたことある?」
フリジア学園長は私の方に寄ってくる。
「え、ええ……。き、キスですか? そ、そうですね……。ま、まだないですねー」
「じゃあ、私が教えてあげるよ……。学園に来たら、もっといっぱい教えてあげられるよ」
フリジア学園長はいつもより、様子がおかしかった。
「ふ、フリジア学園長。ちょっと待ってください。どうしちゃったんですか……」
「どうもこうも、キララちゃんのことを考えていたら……、胸が苦しくなって、いても経ってもいられないんだよー。今すぐ抱き着いて唇に貪りつきたい……。はぁ、はぁ、はぁ……」
――絶対におかしい。これ、何かの効果か。ベスパ、フリジア学園長の体を調べて。
「了解です!」
ベスパはコクリと頷いた。
私はフリジア学園長が逃げられないようにムギュっと抱き着く。そのまま、床に押し倒した。
「やっ、キララちゃん、大胆……」
フリジア学園長の緑色の瞳は涙で蕩け、通常の状態ではなかった。
私は柔道の抑え込みを行いフリジア学園長を止める。その間に、ベスパはフリジア学園長の体に針を差し込み、魔力を調べる。
「……キララ様、フリジア学園長の体に魔造ウトサと似た成分の魔力が検知されました」
――やっぱり。
「魔造ウトサは甘味を幻覚で得られる魔法で構成され、副作用として重度の幻覚や自傷行為などの中毒を起こす魔力体です。ただ、今回は甘味が得られるのは同じで、欲求が高まる魔法で構成された魔力体です。副作用として理性の崩壊がみられます」
――つまり、魔造ウトサのきょうだいみたいな感じ?
「はい。以前と同じく人体に有毒です。ただ、暴力的になるわけではなくフリジア学園長のように発情してしまうようですね。いわゆる媚薬と同じような効果が副作用で出てしまうようです」
――これ、ゴブリンとオークがやっていたのと関係があるのかな?
「可能性は大いにありますね。なんせ、同性であるフリジア学園長がキララ様に完全に発情してしまっています。副作用がとても強いと見て間違いないでしょう。従来の魔造ウトサの暴力的な副作用が緩和されたと考えるか、逆に悪用されやすくなったと考えるか……」
「キララちゃーん、好き好きっ! 好き好き好き好き好きッツ! 大好きだよっ!」
フリジア学園長はもがきながら、私に抑え込まれている。完全に決まっているため、力がほぼ互角なら、逃げられない。




