軌道に乗せる
「くうーん、くぅーん」
フェンリルは撫でられすぎて蕩けていた。尻尾を振りまくり、ただの北海道犬にしか見えない。
真っ白な犬だと凄く縁起が良い。まあ白と言うか銀色なんだけど。ほぼ同じ色に見えるのは光りの屈折のせいかな。
フェンリルは私に撫でられるのが好きなようで、止めると睨んでくる。行うと舌を出しながら尻尾をブンブンと振るう。これの繰り返し。私のストレスが発散されている気がするので悪くない時間だった。
ぶーんと嫌な音が聞こえてくると窓からベスパが戻って来た。ベスパお手製の紙箱を持っており、机の上に置く。
「安全なウトサが使われている品を探して買ってきました。金貨八枚分のケーキです」
「ご苦労様」
私はフェンリルの頭をポンポンと叩いて終わりの合図を送り、椅子に飛び乗る。
「さて……。いただきましょうか」
私は自分のご褒美にお菓子を買った。いつか、自分でお菓子を作るために今まで努力してきたのだ。今、お菓子を作れる状況じゃないので食べるだけで我慢する。
「では、見させていただきます」
髪箱を開け、中身を見た。ホールケーキを八等分したような形のスポンジケーキが皿の上に置かれている。
「こ、これで金貨八枚か……。た、たっか……」
私は両手で皿を持ち、箱の中から出した。
高さ八センチ、半径一〇センチくらいの立方体。まあ、丁度一〇時頃なのでおやつ代わりになるかなって言うくらいの大きさしかない。
見た目は本当にスポンジ。生クリームを塗る前のケーキだ。これだけで金貨八枚はボッタクリのような気もするが、安全性が高いと言うのだから仕方がない。
「フォーク」
「はい」
ベスパは待っていましたと言わんばかりに木製のフォークを手渡してきた。
私はフォークを受け取り、スポンジケーキに突き刺す。空間があり、ふんわりと切れる。詰まっている感覚は無く、口当たりが軽そうだ。
「では、いただきます」
私はスポンジケーキを口に含む。唾液で湿らせ、口内で転がし、ウトサの甘味を味わったあとのみ込んだ。
「んー、美味しい……。が、ショウさんが作ったケーキのほうが美味しい」
「キララ様、それを言ったらだめじゃないですかね?」
「だって、事実なんだもん。ああー、お金があるのにショウさんが作ったケーキが食べられないなんてー。何のためにお金を稼いでいるの!」
「まあまあ、キララ様。ショウさんが作っているケーキの素材は村で取れた高級品ばかりです。こちらのケーキはウトサは安全に加え、他の素材は一般に流通している良い品だと言うことをご理解の上、お召し上がりください」
「そこまで良い品なのに、ショウさんが作ったショウのケーキのほうが何倍も美味しく感じるなんて、やっぱり素材の力は偉大だね」
「ショウさんの腕前もいいのだと思います。ショウさんのお店に行けば、同じ値段でもっと良い品が買えると思いますよ」
「うわぁ……、早く帰りたくなってきた。ショウのケーキ、今なら買えちゃうなぁ。甘すぎない生クリームとふんわり触感のスポンジケーキ。ベリーの酸味が全てをまとめ上げて口の中が幸せになるあの味、ああ、食べたくなってきた」
「買って持ってくることも可能ですが、飛んでいる最中にグチャグチャになるかもしれません」
「それはお菓子に対する冒涜だからやめておく。やっぱり自分で選んで買って食べるって言うその工程を踏まないと駄目だね。お菓子のありがたみが感じられなくなっちゃう」
「人間は変わっていますね。食べるケーキ自体は変わっていないのに」
「気持ち次第で美味しさは何倍も変わってくるんだよ。お腹が空いている時に食事した方が美味しく感じるのと一緒。自分でお菓子を見て、選んで買う。食べたいと思ったお菓子じゃないと美味しさが半減しちゃうみたいだから、今度からは自分で買いに行くよ」
「キララ様がそう言うのでしたら、私は一向に構いません」
ベスパは軽くお辞儀をして、ぶーんと当てもなく飛ぶ。
私は残ったスポンジケーキを食し、ストレートティーか無糖のコーヒーが飲みたくなった。
「ああー、甘いお菓子を食べたら、喉が渇いたなぁー」
「では、紅茶を入れさせていただきます」
ベスパは発酵した茶葉をお湯で蒸らし、紅茶を抽出して木製のティーカップとソーサーを準備した。あっと言う間に私の目の前に綺麗な紅茶が生まれる。
「おお……。すごい、まさかここまで出来るなんて……。うん、良い香り」
私はティーカップを持ち、紅茶の香りを嗅ぐ。
草木に詳しいビーが集めた茶葉だけあって良い品がそろっているようだ。まあ、葉っぱの数枚、ビーが持ってきたところで茶畑の者たちはなにも困らない。
なんなら、害虫を駆除してあげた代金として頂戴してきたと思われる。
私は紅茶を啜る。口内に残っていたウトサの甘味と紅茶の渋みが合わさって丁度良い具合に調和された。甘ったるい口内が爽やかになり、気分が良くなる。
言うなればカステラだけだと甘ったるくて食べられないが、紅茶や牛乳と食すと丁度良いって感じだ。やはり甘すぎるケーキに渋い紅茶が良く合う。紅茶にウトサを入れる者がいると言うのだから、信じられないと言うのが本音だ。
「はぁー、やっぱり紅茶はストレートが一番美味しいよ……」
私は甘いお菓子と紅茶で仕事を頑張った気になる。
実際は魔力を与えただけで私が動いたわけではない。まあ、社畜を抱える経営者とはそう言う存在かと開き直り、今は心地よい余韻を堪能した。私がどれだけ怠惰でも、ビーたちは魔力が貰えれば文句一つ言わずに死ぬまで働くのだから、虫の世界は厳しいね。
扉が叩かれたので返事する。すぐに扉が開き、知っている顔が見えた。
「えっと、キララさん。そっちは……、もう終わっているようですね」
キアズさんは扉を開け、私がいる仕事室に入って来た。
「キアズさん、今日の分け前です」
私は金貨の塔二本分をキアズさんに見せる。
「ああ……。ありがとうございます」
キアズさんは金貨の塔を八分割して板の上に乗せた。
「なにか用があって来たんですか?」
「それが、マドロフ商会の方が来て……。キララがまだ返ってこないと」
「ああー、なるほど。連れて来てください」
「わかりました」
キアズさんは頭を下げ、部屋を出て行った。
「なんで、キアズさんの方が部下みたいな行動をとっているのだろうか。対等な存在と言う訳じゃないし、何なら、私の方が下なのに……」
「キララ様の溢れ出る女王感にひれ伏しているのですよ」
ベスパは腕を組んで、うんうんと頷きながら呟く。
「いや……、そう言う訳じゃないでしょ」
私が待っていると扉を勢いよく開ける男性が一人。
「キララさん! 二日も帰ってこないなんてどういうことですか!」
商人の正装と言うか、質のいい布で作られた丈の長い服を着ているルドラさんが私の仕事室に押し入って来た。
「えっと、夜は帰れませんと手紙で伝えましたよね。あと普通にまだ一日しか経っていませんけど」
「昨日を合わせたら二日目です。祖父も心配していましたし、何かの事件に巻き込まれたのではないかと……。でも、その余裕ブリからして違うようですね」
ルドラさんは息を整え、気を戻した。
「心配させてしまったのならすみません。色々あってですね……。新しい会社を立ち上げたのと新種の魔物の討伐を行っていました」
「……一二歳が言うにはあまりにもおかしな発言が飛んできたんですが?」
ルドラさんは苦笑いしながら眼鏡を掛け直し、私の方に寄ってくる。
「えっと、私はウルフィリアギルドの雑用を担う会社を設立し、時価金貨八〇〇枚を稼ぎました。でも王都の人達が雑用をお金で解決しようとする金持ちばかりで仕事が無くなりそうにありませんし、私に合った良い仕事場です」
「うわぁ……、一二歳が会社を持ってすでに軌道に乗せてる……」
ルドラさんは苦笑いを通り越して真顔になっていた。
「仕事が終わり次第帰れますが、私は『聖者の騎士』と話す約束がありまして。今晩に帰る予定ですから心配せずにルドラさんは仕事を頑張ってもらって構いませんよ」
「そうですか……。わかりました。では、夜に帰って来てくださいね。祖父とフリジア学園長が寂しがっていました。あとフルーファもぐったりしていますし」
「はい、今日は帰ります。お騒がせしてすみません」
私はルドラさんに頭を下げ、謝罪した。
「では、私は仕事の方に戻ります。キララさんもお仕事頑張ってくださいね」
「はい。ルドラさんも頑張ってください」
私は頭を何度も下げ、ルドラさんを見送った。
「ふぅ……。さてと、ベスパ。ちょっと遠出のお願いなんだけどさ。この試験管の中身の調査をスグルさんにお願いして来てほしい」
私は腰に付けた試験管ホルダーからどす黒い液体が入った試験管を取り出す。
「手紙を書くから、警ビーたちを呼んでおいて」
「了解しました」
私は羽ペンの先を黒いインクが入ったボトルに付け、ベスパお手製の紙に文章を書く。
『スグルさん、お久しぶりです。キララ・マンダリニアです。そちらはどうお過ごしでしょうか。私の方は試験が終わり、時間が出来たしだいです。ただ、時間が出来たら嫌な所がみえてしまうようで王都の近くにある西の森で配布した液体を発見しました。魔物達の行動がおかしくなっていたので調べてください』
私はスグルさん宛てに手紙を書き、封筒に中金貨一枚と一緒にしまって蝋印を押す。




