小金持ち
「わ、わかりました。また、売りに来ます」
イーリスさんは頭を下げ、感謝する。
「じゃあ、スグルさん。麦の検査の方をよろしくお願いします」
私とイーリスさんはスグルさんの研究室を出た。
「はぁー、緊張しました……。スグルさん、カッコよすぎますよ……」
イーリスさんは胸に手を置き、深呼吸していた。
イーリスさんも緊張するほど、スグルさんはイケメンのようだ。昔は死んだ魚みたいな目をしていたのに、今ではすっかりモテちゃって。自分では全く自覚してないようだけど……、ほんと罪な男だ。
私達は騎士団の建物内を歩き、入口に出る。レクーが引く荷台の前座席に乗り、おやつ時になる前のショウさんのお店に向かう。
私は午後二時くらいにショウさんのお菓子屋さんに来たわけだが、すでに多くの人の列が出来ていた。こりゃ、大変だなと思いながら、お店の裏口に回る。扉を叩き、中の人に話しかけた。
「はい。あ、ショウさん、キララちゃんが来ました」
料理帽子をかぶった女性がショウさんの名前を言った。
「今、行きます!」
料理場からショウさんの声が聞こえた。どうやら、今は話し会えるだけの余裕があるようだ。
八〇秒もしないうちにショウさんが私達の前にやって来た。
「どうも、初めまして。ショウ・ベリーズと言います。キララさんから話しは聞いています。麦の件ですよね?」
「は、はい。えっと、イーリスと言います。よろしくお願いします」
イーリスさんは頭を下げ、お店の中に入る。裏口から休憩所に入り、私とイーリスさん、ショウさんの三人で話し合いが始まった。
「えっと、私達が主に使っている小麦よりも質が良ければ検討させてもらいます。今の品でも十分いいお菓子が作れているので、無理に金額を上げる必要もないと思っていますが、私の探求心を刺激してくれるような品であると嬉しいのですけど……」
ショウさんは物凄く興奮していた。別にイーリスさんが美人過ぎるからじゃないと思う。ただたんに私と一緒に育てた小麦の質を知りたいのだ。彼は美女よりも質が良い素材の方に興味がある変わった男だとわかる。
「私とキララさんの二人で協力して育てた小麦はこちらです」
イーリスさんは小麦が入った袋を取り出し、ショウさんに見せた。
「では、中身を拝見させていただきます」
ショウさんは袋の口を開け、中身を見た。すると目を見開き、銅像になってしまったのかと思うほど、ガチガチに固まる。
「……こ、これは、小麦ですか?」
「正真正銘の小麦です」
「そ、そんな……。ここまで綺麗な白色になるなんて……」
「籾殻や周りは削って味が荒い部分は破棄しています。だいたい一割から二割くらい削っていますね。その方が綺麗な白色になりますし、味も均一化します」
「えっと……、この小麦を使って軽く焼いたケーキを作ってみてもいいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
ショウさんは待ちきれなかったらしく、袋をもって料理場に行ってしまった。ざっと三〇分ほど経っただろうか。丸いパンケーキのような品を持ったショウさんが部屋に入って来た。その瞬間、芳醇な香りが部屋いっぱいに広がる。
「はぁ、はぁ、はぁ……。焼き小麦です。ウトサやエッグル、乳油なんかも使って焼き上げました。ただ、この匂いはやばいです! 他の食材に負けていません。こんな香り高い小麦は今まで出会った覚えがありませんよ!」
ショウさんは興奮して口調が荒い。もう、女性の裸体を見ている時以上に興奮しているんじゃないだろうか……。
「お、落ちついてください、ショウさん。とりあえず食べてみてください」
「そうですね。食べないと味がわかりませんし」
ショウさんはフォークで小さめのパンケーキを口に入れる。
「うわ、うわわ……、うわわわ……。こ、こりゃ、凄すぎる……」
ショウさんは口の中にパンケーキを入れ、二、三回咀嚼した後、滝のように涙を流した。あまりの感動の激しさに私達は引く。
「お二人もどうぞ。ウトサが入っているので甘いですよ」
「あ、甘いパンケーキ……だって」
私は以前、イーリスさんの家で作ったパンケーキを食しても泣いたのに、ウトサが入ったパンケーキを食べてしまったらどうなるのだろう、と言う疑問が生じた。
「えっと、ウトサなんて言う高級食材を使った品をいただいてもいいんですか?」
イーリスさんはブルブルと震えながらショウさんに訊く。
「はい。かまいません。今、私はこの美味しさを生産者さんに知ってもらいたいと言う思いが強いんです。だから、ぜひ食べてください」
「わ、わかりました」
イーリスさんはショウさんから新しいフォークを貰い、パンケーキを食す。口に入れた瞬間。肩を跳ねさせ、眼尻から溢れんばかりの涙を流し、咀嚼したパンケーキをゴクリと飲み込む。
「ああ……。これが幸せと言うのですね……」
イーリスさんは泣きながら両手を握り合わせ、神に感謝をささげていた。
「そ、そこまで……」
私は残った一枚の出来立てほやほやウトサ入りパンケーキ。なんなら、素人の私ではなくプロが作ったパンケーキだ。
すでに、見た目からして美味しそうな雰囲気を放っている。
大きさは直径一〇センチメートルほど。両面の焼き色があまりにも美しい小麦色で、食欲をそそる小麦の香ばしい匂いに私が卸している乳油の匂いも漂ってくる。
その二種類が脳内で混ざり合うと、完全に快楽物質がドバドバと溢れ出しているのがわかった。もう、麻薬と言ってもいいのではないかと言うくらい幸せの香りがする。
ナイフでパンケーキを切って食べやすくした後、フォークで口に運ぶ。滑らかな生地が舌に乗った瞬間。きめの細かい泡が広がるように生地が溶けた。噛む必要すらない。舌に当たった生地が唾液を伝い味蕾を刺激する。舌の先端部分にある甘さを感じる味蕾が過剰に反応し、脳へ甘いと言う感覚を伝えた。その瞬間、脳天から雷に打たれたような衝撃にあい、身が跳ねる。
「うまああああああああああああああああああああああっ!」
私は叫んだ。もう、叫ばずにはいられない。さすがウトサ。私の脳内で快楽物質を吹き出させ、高揚感を湧き立たせやがった。
小麦の香ばしい匂いとバターのうま味、ウトサの甘味、牛乳の風味が口の中で纏まり、喉を通るパンケーキの生地の柔らかさたるや……、生きててよかったと思える。
ただのパンケーキを食し、こんな感情が芽生えるのなら、イーリスさんの小麦でケーキやカステラ、クッキーなどを作ったらどうなってしまうのだろうか。想像するだけで、唾液が溢れ出しそうになってくる。
「はわわ……。幸せ……」
私は久々にウトサを食し、脳が思い出したように快感でいっぱいになる。
「ハムハム……。あああああ……」
ベスパは私が上げたパンケーキを食し、美味しすぎて死んだ。もう、昇天するようにパタリと倒れ、すぐに復活する。死んだと言うより気絶したと言ったほうがいいかもしれない。
「ショウさん。これ、王都でも売れますかね?」
「逆にこれが売れないんですかね? 売れない理由が見つからないんですが?」
ショウさんは顎に手を置き、考え込んだ。どうやったら売れなくなるのかを必死に考えているようだ。
「はは……、その段階にあるんですね……。えっと、イーリスさんの小麦はどうでしたか?」
「最高の一言に尽きます。逆に、怖いくらいですよ。今まで使って来た小麦には申し訳ないですけど、格が違います。ここまで美味しい小麦を持って来られちゃ、もう一生美味しい小麦に出会えそうにありません」
「あ、ありがとうございます。菓子職人さんにそんなに褒めていただけるなんて、光栄です」
イーリスさんはショウさんに頭を下げた。
「イーリスさん。あなたが作った小麦はこれから多くの人を幸せにします。ケーキやクッキー、他のお菓子に小麦は多用しますから、ほぼ全ての品でイーリスさんは他者を幸せにするんです。ここまで美味しい小麦を作ってくれてありがとうございます。私も出来る限りの支援をして行きますから、一緒に頑張りましょう!」
ショウさんはイーリスさんの手をぎゅっと強く握り、頭を下げる。
「はい! 私ももっと頑張って育てます。これからよろしくお願いします」
イーリスさんも頭を下げ、契約が完了したようだ。
「イーリスさん。小麦の値段なんですけど……」
「はい。小麦は一キログラムで金貨四枚です」
「き、金貨四枚。この小麦が一キロ金貨四枚……。そんな値段で大丈夫ですか?」
ショウさんは菓子職人なので、お金を大量に持っている。そのため、金銭感覚が少々狂っていた。
「キララさんやスグルさんも、金貨四枚くらいがちょうどいいと言っていたので、今はこの値段で売っています。ただ、食材なので毎年同じ量が取れるとも限りませんし、値段の変動はあると思うので、ご了承ください。あと、検査結果が出るまで最低でも一ヶ月かかるそうなので、販売するにはもう少し待っていただかないといけません」
「わかりました。とりあえず、結果がでしだい、小麦を一〇〇キログラム買います」
「一〇〇キログラムですか……」
「はい。私の店では多くの小麦を消費しますから、高級品用の小麦として使わせてもらいます。値段を少し下げた一般客用には使いません。街に住むお金持ちの方々がこぞって買いたくなる品を沢山作りますし、イーリスさんにはたくさん儲かってほしいので、一〇〇キログラム買わせてください」
「あ、ありがとうございます!」
イーリスさんは頭を下げ、唇を噛み締めながら泣いていた。
ものすごい大口契約が取れてしまった。すでに金貨四〇〇枚分の利益が出ている。あっという間に小金持ちだ。
――こりゃ、私達も負けていられないな。
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