パンケーキ
私は木製のボウルを二つ用意し、今日取った小麦とイーリスさんが使っていた小麦粉を別々に入れる。
今日取った方はまだ小麦粉じゃないので、私の魔法で粉砕した。粉々にすると、違いが案外わかる。純白な小麦が取れたて。少々薄汚いのがイーリスさんが使っていた小麦だ。
「さて、二〇〇グラムくらいの小麦粉に小さなエッグルを一個、牛乳を一五〇ミリリットル加え、よく混ぜ合わせます」
私はベスパに材料を用意させ、ボウルの中に入れ込んだ。小麦粉以外は完璧に同じ。そうすれば、小麦の味の違いがわかるはずだ。
「しっかりと混ぜ終えたら、フライパンをしっかりと熱し、乳油を入れます。熱せられていたら乳油が溶けてくるので、焦げ付く前にコンロからいったん離して濡れた布巾でフライパンの熱を均一にする」
私はフライパンの持ち手を握り、底を濡れた布巾につける。すると急激に熱せられた水が蒸発して空中で一瞬で冷やされ、白い水蒸気が生まれる。
「音が鳴らなくなったらコンロに戻し、お玉一杯分の生地を高い位置からフライパンに流し込む」
パンケーキとホットケーキの違いはほぼ無い。
ただ、パンケーキのほうが薄く、ホットケーキの方が分厚いと言う点が違うとも言える。ベーキングパウダー(炭酸水素ナトリウム)が入っているかいないかの違いもあるかな。
炭酸水素ナトリウムが入っていないので、二酸化炭素が発生せず、パンケーキは膨らまない。
「あ……、もうすでに良い匂いがしてきました……」
イーリスさんは鼻から息を吸い、軽く笑っていた。
「ほんと、良い香りですね。バターが……」
今、焼いているパンケーキの小麦粉はイーリスさんが使っていた品だ。そのため、小麦粉の香りが弱い。バターの香りが強く、簡単に押し負けている。
「表面がぷつぷつして来たら、ひっくり返す合図です」
私はフライ返しを持ち、パンケーキをひっくり返した。完璧な焼き具合で、イーリスさんから拍手が送られる。
「あとは蓋をして二分ほど待ちましょう」
私はフライパン内に二枚のパンケーキを焼いていた。焼き終えたら、ベスパが混ぜ、ふわふわになった生クリームを軽く乗せる。追いバターも乗っけて一品目が完成した。
「ててーん。パンケーキ!」
私は木製の皿に乗ったパンケーキを真上に掲げる。別に意味はない。
「き、キララさん! 早く食べましょうっ!」
イーリスさんは鼻息を荒くし、フォークとナイフを両手で持ってすでに準備万端の状態だった。
「お、落ちついてください。まだまだ作れますから、しっかりと吟味しながら食べましょう。今は他の商品と比較する時間ですよ」
「そうでした。すみません。こんなに美味しそうなお菓子を見た覚えが無くて……」
イーリスさんは後頭部を掻き、苦笑いを浮かべていた。
「今回使った牛乳とバター、エッグルの卵、生クリームは全て高級食材です。なので、普通に美味しいと思います。王都なら一杯金貨八枚は取れるかもしれません」
「ええ……。き、金貨八枚……」
「まあ、私も相場をしっかりと押さえているわけじゃないのでわかりませんが、お菓子屋さんの品はだいたいこれくらいだと思います。ささ、食べてみましょう!」
「は、はい!」
私とイーリスさんは一枚ずつパンケーキを食す。直径一二センチくらいで小さめに作った。きっとあとで子供達が食べたいと言うのだから、生地をなるべく使わないようにしたのだ。
ナイフとフォークでお洒落に切り分け、香りを嗅ぐ。やはりバターの香りが強い。小麦の匂いが全くしなかった。
「じゃあ、いただきます」
私は何気にこの世界に来て作るのが初めてのパンケーキを口に含む。
ふんわりとした触感と、生クリームの滑らかなうま味が口内で合わさった。
噛み締めると、生地がしっかりと焼き上がっているので生っぽくなく、とても柔らかい。
小さな空気の層が出来ており、ちゃんとパンケーキになっていた。
味はバターの風味が効いたパン。甘味が無いので、癖がない。そのため、朝食に丁度良い。甘いパンケーキが苦手な人は大好きな味だろう。
「うん、やっぱり普通に美味しい」
「うう……。うううう……。美味しい……」
イーリスさんは涙を流していた。そこまで……。と思うが、確かに美味しい。でも、今は感動する場面ではない。商売敵が作った小麦のパンケーキを食して泣いても意味がない。
「ふぅ。ごちそうさまでした。では、もう一方のパンケーキを食べてみましょう」
私はイーリスさんが丹精を込めて作った小麦を使った生地をフライパンで焼いていく。行程はさっきと同じだ。ただ……。
「うわっ、良い香り……。焼いた時点で全然違う」
「ほんとですね。小麦の良い香りが漂ってきます。さっきよりも断然美味しそうな香りですよ」
私がパンケーキを焼き上げると、神々しい効果音を発したくなるくらい気分が上がった。
もう、パンケーキが黄金色に輝いていたのだ。
純白な生クリームとクリーム色のバターを乗せ、先ほどと全く同じ工程で作ったパンケーキが完成した。だが、雰囲気が全くの別物だ。明らかな強者感を放っている。
「す、すごい。なんかもう、凄い……」
イーリスさんは言葉を失っており、輝くパンケーキを見て笑っていた。
今、手もとにカメラがあれば、激写しているところだろう。SNSにパンケーキが黄金に輝いているんですけどー。と言う文を添えながら、ネットの海に流され、多くの者が食べたいと思う品が完成した。
「じゃ、じゃあ……。早速食べてみましょうか」
「そうですね。早く食べたくて仕方ありません!」
私達は先ほどと同じように、一枚ずつ食す。
私はパンケーキにナイフを添えた。すると、カッターナイフで紙を切るよりも容易く切れた。先ほどよりも厚く見える。
ふわふわすぎてフォークの先に刺さっているのか疑ってしまった。でも、輝くパンケーキがしっかりと刺さっていた。
「スンスン……。うわぁ……。小麦の良い香りとバターの良い香りが合わさっている……。これはやばい……」
パンケーキの匂いを嗅ぐと、小麦が焼かれた出来立てのパンの香りとバターの優しいうま味を感じる香りが漂っており、私の脳が幸せを得た。
もう、アロマセラピーとでも言っていい。
人の食をそそるのは香りと見た目であり、味は二の次。見た目が良くても匂いが臭かったら食べられない。
逆に、見た目が悪くても香りがよかったら食べられる。それくらい香りの力は強い。
今、別々の小麦を使っているわけだが、香り具合が八〇倍くらい違う。ここまで違うとさすがに素人でもわかった。高級品がどれくらい香るのかわからないが、きっとイーリスさんが作った小麦も最高の出来に違いない。
「い、いただきます……」
私はパンケーキを口内に恐る恐る入れた。
舌に乗るとスフレ(卵白などを泡立てて加え、ふんわりと仕上げた菓子や料理)のようにふあーッと溶け、バターと生クリームが混ざる。
唾液で解されたパンケーキは嚥下と共に胃の中に入ってしまった。喉を通るさいに小麦の香りが鼻を抜け、もう幸せ。
出来立てのパンの匂いを嗅ぐと幸せと思うあの感情と同じだ。
「ああ……。美味い……」
私は自然に涙を流し、パンケーキに感情を突き動されてしまった。
「うわああああああんんっ! 美味しいよっ!」
イーリスさんは大人にも拘わらず、もう、子供のように泣いていた。泣き顔がどこかデイジーちゃんとそっくりで親子の血縁を感じる。
「お、お母さんっ! 大丈夫! って、ええ、何この美味しそうな匂い……」
外で遊んでいたデイジーちゃんがイーリスさんの声につられて家の中に入ってきた。
「姉さん! まさか僕たちに内緒で何か作ってたの!」
デイジーちゃんの後方から、走り込んできたライトが言う。
「うわああああああんんっ! 酷いよ、お姉ちゃん! 私も食べたい!」
ライトを押し倒し、家の中に入ってきたシャインが叫ぶ。
「二人共、落ちついて。あとで皆の分を作ってあげるから」
「うわーいっ! やった!」
ライトとシャインは全く同じ喜び方をして、可愛らしさが倍増する。
私はパンケーキに生クリームをふんだんに付け、口内に入れる。ふわふわの生地とふわふわの生クリームの相性は抜群で、甘くないことなんて全く気にならない。もとの素材が美味しすぎると、人工甘味料すら雑味に感じてしまう気がしてならなかった。
言うなれば最強の自然な味パンケーキ。これに勝るパンケーキが作れるのなら作ってくれと言いたい。それくらい美味しかった。
「はー、もう無くなっちゃった。ごちそうさまでした」
私は両手を合わせ、駄女神に祈る。少なからず幸せな時間を過ごさせてありがとうございました。
「じゃあ、皆の分も作るから、手洗いうがいをしっかりとして大人しく待っていてね」
「はーいっ!」
デイジーちゃんとライト、シャインは手を上げて返事した。
「ルイ君とガンマ君は?」
「えっと……、ルイ君がガンマ君を気に入っちゃって……」
ライトは苦笑いをしながら、窓の外を指さす。
私はイーリスさん宅の窓から、外を見た。するとガンマ君に肩車されているルイ君が見えた。もう、この場面だけ見たら仲良し兄弟にしか見えない。
やはりガンマ君は誰にでも好かれるいい子なんだな。




