大剣使いのフロック
「あ……、熊さんだ、かわいい! あっちには蜂さんもいる。ん? 熊さんと蜂さんがこっちに向ってくるよ……。なんで、なんで」
真っ黒な熊さんは真っ赤な口で私を食べようと、四メートルを超える巨体を起こし、がばっと覆いかぶさってくる。潰されたら圧死してしまいそうだ。
蜂さんは一匹だったのがいつの間にか一〇〇匹……、いや一〇〇〇匹に増えて私を刺そうとしてくる。お尻からとっきんとっきんの針を出し入れしながら、大きな顎をかちかち鳴らし、大きな翅音を辺り一帯に響かせていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ、いやだぁああああああっ! こっちこないでえぇええ!」
私はどこかもわからない、広い空間を全力で逃げる。足がもつれ、何度もこけた。涙と鼻水は止まらず、恐怖からおしっこまで漏らしている。だが、走った。それ以外にやることが無かったのだ。魔法を放とうにも瞑想などできる状況ではない。
私はしだいに追いつかれた。足は疲労から動かなくなり……、喉がしわがれて声も出せない……。
にんまりと笑っている熊さんは両手を広げ、私に四つん這いで覆いかぶさってくる。
――男の人にも襲われたことないのに、真っ黒な熊さんに押さえつけられるなんて……。
熊さんの口元についている鮮血が私の顔にぽたぽたと滴り、生臭いにおいが鼻から脳天に向い、突き抜ける。臭すぎて鼻が曲がりそうだ。涙が止まらず、笑うこともできない。
私は眼を見開き、瞳孔を震わせた。焦点が合わず、熊さんが三頭にも四頭にも見える。すべて同じ熊さんなので、全員ニチャっと笑っていた。下半身がじんわりと熱くなる。五歳児だし、恐怖で体がこわばっているのだから仕方がない。
『グラアアアアッ!』
熊さんの大きな口はがばっ! と開く。
熊さんの口の中は真っ暗闇で、何も無い。ただ、真っ赤に染まっている牙と赤い舌が見えるだけ。
私は大粒の涙を流し、悲鳴は出せず、震えることしかできなかった。なんなら、体に蜂さんが纏わりついてきて、顔周りにまで這いあがってくる。
「あぁ……、あぁぁ……、あぁぁっ……」
声にならない嗚咽が、心の底から漏れた。夢なら早く覚めてくれ、現実なら早く殺してくれ、そう叫びたくなるほど、気がおかしくなりそうだ。
『グラアアアアアアアアッ!』
熊さんが私の細く弱々しい首元に噛みつき、大きな牙を食い込ませてくる。すると、顎の力が強すぎて、私の首の骨がバキッと折れる不快な音がした。その瞬間、意識が消える。
「ぎゃーーーー! 首! 首はある!」
私は一気に飛び起きる。眼に入って来たのはベッドではなく、懐かしの敷布団だった。まぁ、驚くほど継ぎはぎだらけで薄い布団だったけど。
今の私は懐かしい気持ちに浸る余裕すらなく、激しい動悸に襲われた。過呼吸になり、視界がかすむ。体から変な汗が流れだし、継ぎはぎだらけの服は洗濯したばかりかと思うほど濡れていた。下半身までびしゃびしゃだ。ま、まあ、これはお漏らししちゃっただけか。
「大丈夫? 相当魘されていたようだけど……」
私の背中をさすってくれたのは、お婆ちゃんだった。
「な……、何だ。夢か……。よかった」
手の平を胸に置き、呼吸を整える。
どうやら私は昨日の情景が夢に出てくるほどトラウマになってしまったらしい。
「大きな声を出してすみません……。あと、布団も汚しちゃいました……」
私はお漏らししてしまったことを謝る。
「そんなこと、気にしなくてもいいのよ。あと、もう安心していいわ。冒険者の方がついさっき来て、ブラックベアーを倒してくださったから、この村は安全よ。いやぁ、カッコよかったわよ。大きな剣を担いだ方だったわ。でも、とても小柄に見えたのよね。ね、お爺さん」
私の背中をさすってくれているお婆ちゃんはお爺ちゃんの方を向き、話を振った。
「ああ、確かにな。わしかすれば、まだまだ子供だった」
「そ、そうなんですか……」
――立ち上がったら四メートルは超えそうな、あんなデカイ生き物を大きな剣を持った子供が倒した? 嘘でしょ……。いったいどうやって倒したの? 知りたい、その子供を。
私は昨日に怖い目にあったのを一瞬で忘れ、ブラックベアーを倒した子供に興味がわいてしまった。お爺ちゃんから見えないようにボロボロの下着を脱ぎ、お婆ちゃんに子供のおさがりの服を貸してもらい、着替える。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん。その子、まだ近くにいるかな?」
「どうだろうな。あ、そういえば『教会によって行く』と言ってたような……」
お爺ちゃんは顎に手を置き、子供の発言を思い出していた。
「教会ね、わかった。ありがとう!」
「あ、ちょっとキララちゃん。体は大丈夫なの?」
お婆ちゃんは私のことを心配してくれた。ほんと良い方だ。
「うん、寝たら元気になったよ。あとブラックベアーも倒されたんでしょ。なら外に出ても大丈夫!」
「怖いことがあったのに……、キララちゃんは強い子ね。じゃあ、行ってらっしゃい」
お婆ちゃんは微笑み、手を振りながら、見とどけてくれた。
「うん、行ってきます!」
――早く見てみたい。あのブラックベアーを倒した子供の姿を。身長は二メートルくらいあって、丸太のような太い腕、五〇メートルを五秒で走っちゃうような人なんだろうな。いや……、そんな人がいたら、もう子供じゃないか。
私がお爺ちゃんの家を出ると、村の至る所で村人たちが安心した表情で話し合っていた。
「やっと、外を出歩けるわね。私、ブラックベアーが窓からちらりと見えたのだけど、ものすごく大きくて家の中で腰を抜かしわよ」
「私も見たわ。ほんと、あんな大きな個体もいるのね。ボワが可愛く見えちゃうわ」
お婆さんたちが身を震わせながら話し合っていた。私も混ざって話し合えそうだ。
「まさかあんなにあっさり倒すとはな! ありゃ~太い丸太も一発で切っちまうな。岩だって切れちまうかも……。俺もあんなふうに大剣を振りかざしてみたかったわい」
「ほんとにな。わしも若いころはあれくらい元気だったが、もう歳には敵わんな」
お爺さんたちが自分の筋肉を触りながら話し合っていた。
――どうしよう、みんな見てたんだ。私だけ見られなかったなんて。なんかすごい有名人が家の近くに来たのに、自分だけ見られなかったような気分。私も早く見たい!
私は教会に急ぐ。こけそうになりながらも、キララの記憶をたどって教会まで走った。
「確かこの家を右に曲がって……。あった教会だ!」
この村、唯一の教会は真っ白な建物だった。
こっちの世界に来て初めて見たが、教会は村の中で一番大きな建物だ。加えて一番古びている。昔から建てられていたのか、最近建てられたが手入れが行きとどいていないのか、わからないが、壁が薄汚れていた。
――村に教会は一か所しかないんだ。「教会に行く」と言ったらここしかない。
私は教会の入り口まで近づき、木製の扉の前に立つ。そのまま扉を叩きもせず、いきなり開けた。もう、道場破りのように思いっきりだ。
「すみません! 大きな剣を持った子供が来ませんでしたか!」
いきなりの訪問に目を丸くしながら驚いている神父が、私を見ている。
「あの、すみません。大きな剣を持った子供は来ませんでしたか?」
私は同じ言葉を繰り返して聞いてみた。
すると、神父は私の方を指さす。
「私?」
何かおかしいと思い、後ろを向いた時だった。
「う、うわ!」
「誰が子供だって?」
私の後ろには、体型と剣が明らかに合っていない少年が立っていた。
――黒い上着に黒いズボン。なんなら靴まで黒。どこか、中学生の服装みたい。まぁ、背負っている大きな剣は剣身の輝きからして明らかに本物とわかる。剣身の輝きが大道具のレプリカとは大違いだ。あの大剣でブラックベアーを切ったのかな?
彼の黒い瞳は険しく、眉間にしわを寄せている。どうやら、ものすごく怒っていた。
――もっと優しそうな顔をすればカッコよく見えるのに、もったいないな。
彼の髪は黒色で、耳をしっかりと出し、長くもなく短すぎでもない。少し天パが掛かっているが綺麗に纏まっている印象だ。
印象に一番残るのは低い身長だった。一五〇センチメートルあるのだろうかと言うくらいだ。
「ほ、ほんとに子供だ!」
私は、思わず口に出してしまった。心の中で押しとどめておけばいいのに、子供とは理性が欠如しているのかもしれない。だから、思ったことが口から出てしまうのだ。今の私は五歳、相手の感情など考えず、心から思ったことを口にしてしまうお年頃なのだ。
「おい……、失礼なやつだな。俺はもう一五歳だ! 成人してるんだよ」
私は男の人におでこを突かれる。
――少年かと思ったら青年だった。と言うか、成人……。一五歳ってまだまだ子供でしょ? こっちの世界では一五歳から成人なの。江戸時代かよ。
「フロック様、ブラックベアーの討伐、どうもありがとうございました。先ほども教会に来ていただきましたが、どうかなさいましたか?」
神父は大剣を背負った男性に頭を軽く下げ、聞いた。
「ああ……。はい、教会に忘れ物をしてしまいまして」
「忘れ物とは、こちらですか?」
神父は首飾りのような物を大剣を背負った男性に差し出した。
「はい! それです、ありがとうございます」
大検を背負った男性は神父から、首飾りを受け取り、服の内側にしまう。
「先ほど、掃除をしている際中に見つけたのです。渡せてよかった」
「戻って来てよかったです。すごく大切な物でして……、これを無くしたら、俺は……」
――なんか私、忘れられているんですけど……。こんな近くに可愛い女の子がいるのにムカつく。神父が言っていた名前は確かフロックだったよね。
「あの、フロックさん?」
「ん……。まだいたのか、失礼なガキ」
フロックさんは私の方を見て、眼を細めながら言う。
「ガキじゃありません、私にはキララという名前があるんです! 確かに年齢は五歳ですけど、ガキ呼びは酷いじゃないですか。そんな言葉使いをしていたら、女性にもてませんよ!」
「お、お前には関係ないだろ!」
フロックさんは明らかに動揺していた。視線が泳ぎまくっている。
「はははっ、フロック、こんな小さなレディーにも言われるんだから、もう少し言葉に気をつけた方がいいんじゃないか」
フロックさんの後ろから現れたのは、銀色の鎧に身を包んでいる背の高い男だ。
右腕に大きな槍を持っている。ものすごく重そうだが軽々持っているため、軽いのかもしれない。男性が物凄く力持ちの可能性もあったが、鎧でわかりにくいものの体の芯が細いので、力持ちではなさそうだ。
ただ身長は一八〇センチメートルを超えていそうなくらい高い。子供の私が見上げてしまうくらいなので、一九〇センチメートルくらいあってもおかしくなかった。
顔は背後から薔薇が出てきそうなほどのイケメン。まあ、私の好みじゃ、全然ないけど、地球で写真集を出せば間違いなく売れる顔と言えばイケメン度合が伝わるだろうか。
鼻が高く、大きくて凛々しい目、青っぽい瞳、顎がしゅっと細く、小顔で左右の顔に歪みは全くない。完璧に左右のつり合いが取れていた。もう、絵? 彫刻? ゲームのキャラクターですかとつっこみたいくらい。加えて、少し長めの金髪が整った顔を引き立たせていた。
でも、透き通った青色の瞳が『私って、やっぱり滅茶苦茶カッコいいな!』と言っているようで、雰囲気が鼻に付く。
「うるせえ……、余計なお世話だ」
フロックさんは男性の言葉を聞き入れず、不貞腐れた。
「これは、これは……、カイリ様まで」
神父は男性に頭を少し深く下げる。
「こんにちはレディー。私の名前はカイリ・クウォータと言う。以後、お見知りおきを」
カイリさんは床に膝をつき、私の右手を取り、甲にキスをしてきた。貴族の挨拶のようで高貴っぽい。ただ、日本でここまでされたら、さすがに気持ちが悪い。なので、私は引いてしまった。
――ただただ仕草や雰囲気、喋り方が異様に気持ち悪い。何だろう、全身がぞわぞわする。ゴキブリに這い回れてるみたい。
「ちっ。カイリ、行くぞ!」
フロックさんは教会の入り口から外に歩いてく。
「はいはい、わかったよ。では神父様、レディー、またどこかで」
カイリさんは立ち上がり、フロックさんの背中を追った。
――あ、ちょっと待って。このままじゃ、何も聞けずに強い冒険者さんが帰っちゃう! あのブラックベアーを本当に倒したなら、フロックさんは相当強いはずだ。どうやって強くなったか聞かないと。
私は教会を出て、フロックさんに向って大声で叫ぶ。
「あの! フロックさん。どうやったら、あなたみたいに強くなれますか! 私、もっと魔法をうまく使えるようになって自分の身を守れるようになりたいんです! どんな困難にも負けないくらい強くなりたいんです!」
私は今の思いをフロックさんに向って大きな声で叫ぶ。
フロックさんは振り返り、口を開いた。
「食え!」
フロックさんは「食え!」とだけ言い残し、スタスタと歩いて行ってしまった。
――助言が「食え!」ってどういう意味? はっ……、確かに、こっちの世界に来て、まだまともな食事をしてない気がする。成長に必要なお肉とか魚とか野菜とか、全然食べてないじゃん。そうか、フロックさんは食生活の悪さに一早く気づいたんだ。やっぱりすごい人なのかも。強い冒険者さんが言うことだ、的外れではないはず。よし、強くなるための課題として『食生活の見直し』を項目に入れないと。もちろん魔法の練習も一緒に頑張っていこう!
私は子供のような冒険者さんから超絶具体的な助言を貰い、やる気をみなぎらせた。
「もう、おしっこをちびっちゃうような怖い思いは絶対にしたくない、そのためには私が強くならないと」
恐怖心は人を強くするのか、弱くするのか。
私の考えは恐怖心に打ち勝った者は強い、たとえ逃げたり、負けても弱くはならない。
大切なのは、自分がどうなりたいかだ。
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