牛乳パックを盗むのは大罪
「えっと、その牛乳は私が住んでいる村で作られているんです……。私が村の牧場から街まで運んで売り出しているんですよ」
私は事実を言う。
「そ、そうなのか……。すまないな。意図的に匿名の品として献上しているのに素性を聞いてしまった……」
王子は軽く謝って来た。
「いえ、いつかは知られると思ってましたから別に構いません。ただ、誰かに言いふらしたりはしないでくださいね。私の名前くらいなら別に構いませんけど、村を特定しておしよせるとかだけはやめてください。牛乳の質が落ちてしまいます」
「ああ。もちろんだ。あれだけの品を作っている場所には無暗に立ち寄るわけにはいかない」
王子はやはり頭が良い人らしく、私が牛乳を匿名で納品していることの心理を理解していた。
「あの、色々と打ち明けたので、お伺いしますけど、あなたはルークス王国の王子ですよね?」
「な、なぜわかった……。私が王子だと……」
王子は目を丸くしながら驚く。
「なぜわかったと言われても、顔と雰囲気、加えて話の内容。その他諸々です」
――まぁ、お店に入る前から話しを聞いていたんだけどね。
「身分が知られてしまっては仕方がない。改めて自己紹介をさせてもらおう」
王子は私に膝間づき、胸に手を置いて喋り出した。
「私の名はアレス・ディン・ルークス。ルークス王国の第一王子だ。以後お見知りおきを、レディー」
アレス王子は膝間づき、私の右手の甲にキスしてきた。この人もキザっぽい……。だが、型に嵌っており嫌な気はしなかった。
「はぁ~。堅苦しいな。自己紹介はこれくらいでいいだろう」
アレス王子は椅子にドカッと座り、脚を組む。無駄に良い香りがするのも王子っぽい。身長は一八八センチメートルくらいの長身なのもずるいよな。
「王子、行儀が悪いですよ」
カロネさんは腕を胸の前で組みながら言う。
「カロネ。王子と言うのはそろそろやめてくれ。昔からアレスでいいと言っているだろ」
「そんなことできる訳ないじゃないですか。王子を呼び捨てに出来るのなんて奥様かルークス王くらいですよ。下級貴族の私なんかが王子を名前で呼べるわけありません」
「位など気にしなくてもいいのだがな……。はぁ、世知辛い……」
アレス王子にとって高い位は足かせなのか、本当に嫌そうな顔をしている。
私は、人生で一度は位が高い生活をしてみたいと思ったが、アレス王子の顔を見る限り、全てが良い生活とはいかないのだろう。
「じゃあ、王子。私はキララちゃんとお仕事の話しをするので、少し待っていてください」
「ああ、わかった」
アレス王子は授業の休み時間中に机にべた~とへたり込んでいる男子生徒のように、グダグダになった。
カロネさんは私と仕事をして商品のお金を持って来てくれた。
「はい、キララちゃん。今日の分ね」
カロネさんは私に金貨が入った革袋を手渡してくる。私は受け取り、代金がしっかりと入っているのを確認した。
「はい、今回もきっちりと入っていますね」
私はカロネさんに頭を下げた。
「な、なあ、キララ。牛乳瓶一本を売ってくれないか?」
アレス王子は私とカロネさんの仕事に割り込んできた。
「別に構いませんよ。予備はあるので牛乳瓶一本銀貨一枚です」
「は?」
アレス王子は手に持っていた金貨一〇枚を床に落とした。辺りにキラキラと光る硬貨が散乱し、今にも猫みたく飛びつきたくなる。
私はおしとやかに金貨を拾い、固まっているアレス王子の手に移動させた。
「う、嘘だろ? 銀貨一枚だと……。牛乳が銀貨一枚で買えていいのか?」
「私の村だともっと安く売っていますよ。でも、移動費とかを含めると割高になりますから、この街で牛乳瓶一本は銀貨一枚くらいですね。さすがに金貨一〇枚も貰えませんよ」
「だ、だが……、今、私は金貨しか持っていなくてだな……」
アレス王子は高そうな革袋の中に手を突っ込んで銀貨を探しているが、全て金貨らしく、銀貨一枚すら持っていないという。とんだ金持ちだな。
「じゃあ、牛乳パックにでもしますか? そっちなら二パックで金貨一枚です」
「な、なに! 金貨一枚で……、二パックも買えるのか!」
――なに? 反応が貧乏人なんだけど。いや、金貨を払えるだけでもすごいんだけどさ。
「でも、アレス王子が一人で牛乳パック二本を飲むのは流石に辛いと思いますよ。お腹が緩くなってしまうかもしれません」
「か、構わない。二日に分けて飲めばいいだけだ。父上の手土産としてもいいだろう」
「なるほど。王様への手見上げですか。なかなか良い発想ですね」
――ベスパ、予備の牛乳パックを二本持って来て。
「了解です」
ベスパはお店の外に出て牛乳パックを二本持ってきた。私の両手に落としてきたので、私はタイミングよく掴む。
「キララ印の牛乳です。開封後はお早めにお飲みください。まあ、今の季節は寒いので未開封なら一ヶ月は腐る心配はほぼありません。寒い所で保存すれば開封しても三日くらい持つと思います。でも、お腹が痛くなったら自己責任なので、なるべく早く空にしてくださいね」
「わかった。感謝する」
私はアレス王子から金貨一枚を受け取り、牛乳パックを二本手渡す。
「確かに受け取りました。ご購入、誠にありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。相手は王族なのだ、なるべく謙虚に振舞い、相手を上げるように話す。
アレス王子は牛乳パックを二本受け取ると、テーブルに置き、一本の口を開けた。その時の顔が、宝箱を開ける少年の顔そのもので、瞳がキラキラと輝いている。どれだけ牛乳が好きなんだよと言いたくなるが、ぐっと堪える。
「本当に純白だな……。全く臭くない。こんなに綺麗な品があるのも珍しい」
アレス王子はカップに牛乳を注ぎ、そのまま飲もうとした。
「アレス王子。少しいいですか?」
「ん? どうしたんだ」
「今の季節は冬ですよ。加えて私は牛乳パックをキンキンに冷やしています。冷たい牛乳も確かに美味しいですが、この季節はやはり温めて飲んだほうが美味しいですし、通の飲み方です」
私はアレス王子の持っているカップを取って温めた後に渡そうと思ったが、そうすると王子も危険視すると思うので、カロネさんに牛乳を暖めてきてもらった。
「どうぞ、王子。ぬるすぎず熱すぎない完璧な温度です」
カロネさんはホットミルクも提供しているので、牛乳が一番美味しく感じる温度に調節し、カップに入れて持ってきてくれた。
「ああ、すまない」
お店の中は薪ストーブによって暖かいが、それでもこの季節は寒い。
カップから白い湯気が立ち、牛乳の甘い香りを部屋いっぱいに広げていた。
「はぁ……。紅茶や珈琲などにも負けて劣らないこの自然な甘い香り……。この香りが私を狂わせる……」
アレス王子はカップを揺らして匂いを楽しんだあと、牛乳を口に含んだ。
「うぐあっ!」
アレス王子は牛乳を飲んで叫ぶ。まるで毒を盛られたかのような反応はなぜなのか。ほんと、心臓に悪いからやめてほしい。
「王子!」
外で警備をしていた騎士の二人が王子の声に反応したのか、お店の中に入って来た。
「来るなあ! これは危険だ……、それ以上近づくんじゃない……」
アレス王子はカップを騎士達の前に差し出し、警戒させる。
「お、王子、いったいなにを……」
「この牛乳は全て私のものだ! 近づくんじゃない!」
――子供か! はあ、大人げない……。
アレス王子はカップに入っている牛乳をすべて飲み干すと、口を開けた牛乳をカップに移し変えながら温め、何度も何度も飲む。お腹タプタプになるまで飲み干し、一本の牛乳を飲み切ってしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ん? あれ、私の牛乳がいつの間にか消えている……。いったいどこへ……」
――あなたのお腹の中ですよ。さっきまですごく飲んでいたじゃないですか。ほんとに……、頭がいいのか天然なのか。わからなくなってきた。
アレス王子は残りの牛乳パックを大切そうに抱きかかえ、辺りを警戒する。
「この牛乳は誰にも渡さんぞ。父上にだけ独り占めされてたまるか」
「お、王子。それはもしや、国王陛下の大切な大切な牛乳パックなのでは……。まさか、大金庫から盗んできたんじゃ……」
騎士の顔がドンドンと青ざめていく。
――なに? 王様は牛乳を金庫に入れているの? それじゃあ最悪の場合腐っちゃうよ。ルドラさん、ちゃんと説明したのかな……。冷やしてくださいって。
「これは違う! この牛乳は私が買ったのだ。お主たちには一滴たりとも渡さんぞ!」
「牛乳がこんなちんけな場所で買える訳ないでしょ! 今すぐに王都に帰って国王陛下に謝らなくては……、王子もどうなるかわかりませんよ!」
顏に傷が入っている騎士が叫ぶ。
「お、落ちついてください副団長。今、王都に帰るわけには行きませんよ。国の一大事なんですから、流行病がおさまるまでこの街にとどまれとのご命令です」
隣の騎士が顔に傷が入っている騎士をなだめる。
「ムムム……、そうであったな。にしても王子……陛下が愛してやまない大切な牛乳パックを盗むなど何という大罪を犯すのですか。このままでは王位継承が危ぶまれますぞ!」
「うるさいうるさい。王になどなりたくもない。あんな激務、絶対に嫌だ。過労死するに決まっている!」
「国王陛下が激務なのは自らやらなくてもいい仕事をこなしているからです。無駄な仕事は配下に任せれば済むというのに、国王陛下は自分で仕事をしないと気が済まない仕事人間ですからね……。その活力の源である牛乳パックを盗むなんて……、いったいどんな処罰を受けるか……」
顔に傷があるベテランそうな騎士は頭を抱えた。
先ほど副団長と言われていたので騎士団の偉い方なのかもしれない。まぁ、王子の護衛をしているのだから当たり前か。でも、王子は護衛をするまでもなく強いと思うんだけど……。
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