ベスパがいないと不安になる……。
スグルさんは牛乳瓶の蓋を取り外し、相変わらず綺麗な液体を見て驚きながら、飲み口を自身の口に近づけ、バターミルクを喉に一気に流し込む。だが、口に入れた瞬間。瓶を口からすぐに放してしまった。
「こ、これは何だ! ぎゅ、牛乳より濃い!」
「バターミルクだって言ったじゃないですか。言うなれば牛乳を濃縮した液体ですよ。濃いのは当たり前です」
「そ、そうか」
スグルさんはバターミルクを喉に流し込んでいく。ものすごくいい飲みっぷりで、気持ちがいい。熱いお風呂に入った後にやったら最高に気持ちがいいんだろうなと思う。
「ぷは~~! 美味い! 最高だ!」
「そうですか。そう言ってもらえると嬉しいです。励みになります」
「これも売り出すのか?」
「いえ、まだ考えている途中です。なかなか作れる代物じゃないのであまり受注数が増えると対処しきれませんから、仲間内だけで楽しめる嗜好品にでもしようかなと……」
「なるほど、その仲間内と言うのに俺も入っているんだろうか?」
「スグルさんが私の商品を毎回しっかりと調べ上げて王都に送ってくれるのなら、仲間と言わざるを得ないと思いますけど、今回のバターも検査をお願いできますか? まだ送らなくていいですけど、検査だけはしておいてください」
「分かった。手を抜かず本気でやろう。それだけの価値のある品だからな。それで、このバターは一箱いくらなんだ?」
「今のところは何とも……。でも、金貨五〇枚相当だと言っておきます。もっと改良を重ねれば安くなるかもしれませんから」
「金貨五〇枚……。ルークス王国の王都の貴族はこぞって買うな……。ほんと、キララちゃんの商品は貴族を喜ばせるものばかりだ。平民にも、幸せな味をもっと分け与えてほしいよ」
「す、すみません。私も別に貴族を喜ばせたいから作っている訳ではなく……、ただただこの世界との差があると言うか、私が普通を知らないのも原因だと思います。あと妥協はしたくないので最高の品を作るとどうしても貴族用になってしまうんです」
「まぁ、キララちゃんの言っていることも分かる。俺は別に貴族用でもいいと思うが、キララちゃん自身は平民にも同じような味をとどけたいと思っているんだよな?」
「はい。もちろんです。なので同じ職業の方々に少しでも良い品を作っていただけるよう、助言したんです。全体の水準が上がれば価格はそのままで良い品が出回るようになるじゃないですか」
「その通りだ。だが、現状はそう上手くは回らない。今の時代が厳しいのもあるかもしれないな。良い品は貴族が独占し、粗品は平民に出回る。貧富の差があるのは仕方ないが、食にも大きな差があるのは困った問題だ。貴族は太り、平民は痩せる。貴族の主な資金は税金で賄われているからな。平民がせっせとはたらいて、貴族を太らせているようなものだ」
「そう聞くと凄く貴族が悪い人達みたいですけど……」
「そうだな。いいか悪いかで言ったら悪い人間の方が多いだろう。だが、決してそうとも限らないのが社会だ。良い貴族もいる。それこそ王家は悪い貴族を断罪しようと働いているみたいだしな。ただ、最近は正教会と仲がいいと言う噂も広まりつつあるし、今後どうなっていくんだろうな……。ま、俺はキララちゃんの食品を食べられるだけ幸せ者だ。それだけでこの職についてよかったと思える」
スグルさんは腕を組みながらうんうんと頷く。
「そんなに褒めても商品は安くしませんよ。こっちも生活が懸かっていますからね」
「はは、硬い嬢ちゃんだ」
「そう言われても結構。なんせ、私は牧場で働いている従業員の財布ですからね。紐は硬いんですよ。では、この許可書は持っていきますね」
「ああ、無くさないよう、しまっておくんだぞ」
「はい。そんな、初歩的な失敗はしませんよ」
私は王都で牛乳を販売しても良いという許可書を服の内側にしっかりと保管する。
「では、来週にでも牛乳瓶を三千本持ってきますね」
「ああ、こっちも金貨三〇〇枚を用意しておく。楽しみにしているよ」
「はい。分かりました。あ、今日は天気が悪いので外に出るときは気を付けてくださいね」
「確かに、今日の天気は異常なまでの豪雨だからな。と言うか、俺よりもキララちゃんの方が心配だ。気を付けて帰ってくれよ」
スグルさんは娘を学校に見送る父親のような顔で私を見ていた。
「安心してください。こう見えても私は悪運が強いので今まで生き残ってきた実績があるんですよ。ですから、今回も大丈夫だと思います」
「そう言った油断している時が一番危ないんだ。だから、気を配るだけでも死ぬ確率が減ると思うぞ」
「確かにそうですね。油断は一番怖いですから、スグルさんの言う通り、周りに気を配りたいと思います。では、失礼します」
私はスグルさんの研究室から出る。上にグ~っと伸びをして吐息をはぁ~っ出す。すると、今まで体の中に溜まっていたコリが血流によって流され、気持ちが落ち着く。
「まさか金貨五枚の契約が金貨三〇〇枚の大口契約に更新されるとは……。これは忙しくなるぞ~!」
私は建物の出口まで歩いて行く。ベスパからの連絡は未だにない。
『ビュウウウウウウウーー!!』
透明な窓ガラスの外は大雨がものすごい急な角度で降り注いでいる。それを見るだけで風がものすごく強いのが分かってしまった。
私は窓ガラスを見ながら廊下を歩いていた。
『ガタッ。ガタガタ……。ガタガタガタ……』
強風の影響で建付けの悪い窓が大きな音を出して揺れ、私の恐怖心を煽ってくる。
「なんか、お化け屋敷みたい……。騎士団だからいいけど、廃墟とかでこんな音がなっていたら怖すぎるよなぁ……」
ベスパからの連絡がないと、ここまで不安になってしまうのか。そう思うと、私も結構ベスパに依存してきたのだなと思ってしまう。
私はベスパのいなかった半年前を思い出し、自分の脚だけで騎士団の出入り口まで到着した。
入口まで来るのに一五分ほどかかり、何度窓の揺れる音に驚かされたか……。私は一人でいると恐怖の対象が増えてしまっている現実に気が付く。
死地を潜り抜けてきたのはベスパがいたおかげであり、私一人ではただの一〇歳の少女でしかない。そう思うと雑魚スキルのベスパでも私の役に立ってくれているのだと分かる。
「あぁ……、ベスパ、なにしてるの。早く連絡してよ……」
私はとうとう出口に到着してしまい、カッパのフードを深くかぶり、外に出る。
『ビュウウウウウウウーー!!』
騎士団の建物の周りに植えられている木々が撓り、吹き飛ばされそうになっている。
「くっ! なんか……風が強くなってる気がするんだけど……」
私はフードの淵を両手で持ち、身を屈めて歩いていた。その姿は腰の曲がってしまったお婆ちゃんのようで少し情けないが、こうしないと真面に歩けないのだ。
ただ、こんな状況でもグラウンドには多くの騎士達が走っていた。
「うおおおおおおお!! 風に負けるな!! 雨に負けるな!! 不甲斐ない結果を残した奴は食事抜きだぞ!!」
騎士達の先頭を走っているのは教官さんで、鎖帷子と脚の鎧だけを着けて走っている。
「うおおおおおおお!!」×騎士達。
教官さんに続くように、上半身ムキムキの男性騎士達が走っていた。紛れていて分からなかったが、四人の女性騎士もちゃっかり混ざっている。あまりにも自然で分からなかった。四人ともすみません……。
四人の女騎士に男騎士達の中に紛れ込むなんて凄いですね、なんて言ったら落ち込むのは間違いないだろう。
「よくこんな時に鍛錬をしようと思うよな……。私だと吹き飛ばされて、転がっちゃうよ……」
私は一歩一歩確かに進み、何とかウシ君のいる場所までやって来た。やっとたどり着いたと思い、面を少し上げた途端。
『ビュウウウウウウウーー!!』
今までに経験した覚えのない強風が吹き、私の体が持っていかれる。
「うわっ!」
私の体は強風によって煽られた。あまりので、体がマット運動の後ろ回りをしてしまう。そのせいでびしょ濡れの地面にうつ伏せに倒れてしまった。まぁ、うつ伏せになれたから何とか止まったものの、カッパが泥まみれになってしまった。
「いてて……。うわぁ、ドロドロ。でもまぁ、カッパなら問題ないか」
私の手はもちろんドロドロ。顔にも少し泥はねして汚れ、泥水が口の中に入り土の味がする。
「『ウォーター』」
私は雨が降っているのにわざわざ手から水球を出現させて水を口に含み、濯ぐ。その後手を洗う。顔にはねた泥も、拭って綺麗にした。
「この雨にどんな成分が含まれているか分からないし、出来るだけ口にしないように……え?」
私が手を洗っていた時、頭上から何やら嫌な予感がした。
背中に寒気がするとはまさにこのことだと実感する。
強風の中、私は恐る恐る見上げると、ある一点だけ真っ青な空が見えるのだ……。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価をぜひお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすればできます。
毎日更新できるように頑張っていきます。
これからもどうぞよろしくお願いします。