台風の恐ろしさを知らない
「これは……、厳しいな。この大雨じゃ仕方ないかもしれないけど、最悪の場合、洪水になっちゃうかも……」
川の周りには自然の堤防が作られているが、人工物ではないのでどうしても高さが足りない。
川岸ギリギリの辺りを川の水位が迫ってきている。すでに街が視界に入っている位置なので村に引き返すのも時間が持ったいない。
「ベスパ、川の上流はどんな状況か見てきてくれる」
「了解です」
ベスパは川を上っていき、森の奥に向った。
「ウシ君、危ないから少し下がろう。ウシ君でもさすがに自然には勝てないから」
「分かった」
私とウシ君は荷台を引っ張りながら後方に下がる。
二分ほど待っていると、光る物体が飛んでくる。
「キララ様、ただいま戻りました。上流では川の水が滝のような速度で流れていました、加えて土のような汚い色でした。このままだと川の水が氾濫する可能性があります。そうなると街にも少なからず被害が出るかと……」
「はぁ……。ほんとあの街はついてないね……。仕方ない。ベスパ、川幅と川底を広げるか、堤防を作るかなら、どっちが早い?」
「そうですね堤防を作る方が早いかと思われます。ただ、堤防を作った場合、今後、この道を通る大勢の人に見られてしまいますよ」
「じゃあ、堤防を作ってその堤防を自然の中に溶け込ませておいて」
「なるほど。了解しました。では、堤防を作製します」
森や草原にいたビー達が川に向って一斉に飛んでくる。
私は眼を瞑り、両手で耳を塞ぐ。時間が八分ほど経ち雨の強さが増してきたころ……。
「キララ様。必要カ所にのみ堤防を作製しました。どうでしょうか?」
私はベスパから完了の合図を貰い、恐る恐る眼をあけて川の状況を見る。
「うぅ……。ん? どこに堤防があるの?」
私の視界にはさっきまでとほぼ変わらない景色があった。
「草や木を植え直し、作製した堤防を自然に溶け込ませました。これでキララ様の要望通りでしょうか?」
「う、うん。そうだけど、本当に大丈夫なの? 自然を舐めたら怖いよ」
「私は舐めていませんよ。堤防に加えて川底と川幅を少々広げておきました。これで街への洪水は防げるはずです」
「す、凄いね。短時間でそこまで出来るなんて……」
「キララ様の命令ですから。何が何でも遂行させなければなりません」
ベスパは胸を張り、ブンブンと翅を鳴らしている。
「無理なことは無理ってちゃんと言わないと駄目だよ。後々きつくなるんだから」
かくいう私もグラサンプロデューサーに苦手な仕事を言わなかったせいで、好き勝手いろんな仕事を持って来られて死ぬかと思った。
死ぬと思った仕事はいくつもあるが、今思い出したのは激辛料理を食べた時だ。
初めはさすがに食べきれないと思ったが周りにいたちびっ子達が私を応援してくれたおかげで何とか食べきった記憶がある。でも、もう二度としたくないと思ったのは確かだ。いろんな意味で……。
――翌々考えたらこの雨と風の強さ、台風並みなんだよな。台風って温められた海の空気が大量に集まって出来た地球の自然現象でしょ。そもそも、ここらには海が無いのに雨が降るっておかしい。まぁ、シーミウから、雲が出来て私たちの住む村まで温帯低気圧が漂ってきている可能性は……多分無いな。
私はこの世界の地図を見た覚えがない。そのため、シーミウの位置も知らなかった。ただ、シーミウで捕れる塩の値段が高いとなると、相当遠くにあるはずだ。
――じゃあ、この大雨の原因はいったい何なんだろう。シーミウの位置が分かってないのもあるけど、こんな台風みたいな雨はこの世界に来て六年目で初めてだ……。
「ベスパ、もしかしたら異常気象が起こっているのかも。このまま行くと街が危ない。建物の補強が甘すぎるから、全部潰れるか飛ばされちゃう……」
日本は台風大国だった。大型の台風を何度も経験してきた私はこの世界の建物が台風に勝てるとは到底思えなかった。なんせ、日本の建築物ですら吹き飛ばされるのだから……。もし、今回の大雨がスーパー台風並みだったのなら、完全に街は終わる。
「それは不味いですね。キララ様の住む村はほぼ補強作業が終わっていますから強風ごときでは吹き飛びませんけど、ただの木造建築だと軽く吹き飛ばされそうな風が吹き始めてますし、今の街でそのような二次災害が起こったらそれこそ盛り返してきた日常が壊れてしまいます」
「次から次に厄災が起こる。ちょっとは静かに暮らさせてくれないかな……」
私は強風でガタつく荷台の前座席に座ってこれからどうするか考える。
「キララ様、どうするおつもりですか?」
「陰ながら建物を補強しよう。大きな声で危険ですと言って街の人たちを怯えさせたくないし、今でさえ疲弊しているのにさらに疲れさせるのは酷だよ。ベスパには沢山働いてもらわないといけないけど、お願いできるかな?」
「もちろんです。任せてください!」
ベスパは胸をドンと叩き、姿勢を正して立っていた。
「ありがとう。よし、それじゃあ、街に行こうか。ウシ君、よろしく」
「分かった」
私は大雨の中、街に向って進んだ。
街の入り口に立っている、兵士のおじさんは鎧を着ているものの、全身がびちゃびちゃになっており、立つのもやっとと言う状態だった。
あのままでずっといるのかと思ったが、おじさんは平然としているのでいつものことだと言った表情で澄ましている。
「おじさん。おはようございます。今日は凄い大雨ですね」
「おぉ……。嬢ちゃんか。今日はモークルの方なんだな……」
「はい。力が強いですし、四肢がしっかりしていますから」
「確かに力は強いからな……」
おじさんはウシ君が怖いらしく、顔を引きつらせていた。
私はウシ君の恐怖を少しでも減らしてもらうと、話題を変える。
「あの、おじさん。こんなに強い暴風雨って経験した覚えはありますか?」
「え……。あ~~、どうだろうな。数年に一度くらいはあるような気もするがでもここまでの強さは俺が生きて来た三八年の中で経験した覚えがないな」
「やっぱり……。このままだと、街に被害が出るかもしれないので大きな建物がある場所には近寄らないよう注意してくださいね。最悪、この城壁のような石壁も倒れてくるかもしれません」
「ただの雨風でそんなことが起るわけないだろ~。嬢ちゃん、考え過ぎじゃないか?」
おじさんはどうやら台風の恐ろしさを知らないらしい。地震が起こりにくい国では地震の恐怖を知らない者がいると言った感じと似ているだろう。
「おじさん。暴風雨を舐めたら駄目です。木の家なんて跡形もなく吹き飛ぶ可能性だってあるんですから。レンガの家も少し崩れるだけで簡単に破壊されるかもしれません。なので、なるべく大きな建物には近づかない方がいいですよ。あ、でも、私がこの街から出ていくときにはもう、安全になっていると思うので気にしないでください」
「まぁ、俺はこの場からほぼ動かないからいいが……、ただでさえ街は復興途中なんだ。こんな時に悪魔でも来たら困るぜ」
おじさんは物騒な単語を使った。
「悪魔……。悪魔ですか?」
「何だ、嬢ちゃんは悪魔を知らないのか?」
「い、いえ。悪魔は知ってますけど……、なんで今の話で悪魔が出てくるんですか?」
「そりゃあ、強風に大雨って言ったら歴史書に出てくる『風の悪魔』だろ。結構有名だから知っている人は多いぞ」
「『風の悪魔?』それは一体どんな悪魔な何ですか?」
「大木を強風でなぎ倒し、地形をも変える大雨を降らす。その場にある建物は消えてなくなり、辺りには残骸しか残らない。そんな言い伝えのある悪魔だ。その悪魔が残した負の遺産として大雨や強風なんかがあるって言われてる」
「『風の悪魔』それは実体があるんですか?」
「そりゃあ、知らん。なんせ、知識でしかないらかな。誰も見た覚えなんてない」
おじさんはきっぱりと言った。
「そ、そうですよね」
――何だろう。『風の悪魔』ってどこか台風に似てる。あれかな、あまりに強い台風を悪魔として後世に伝えようとしたのかも。でも、英雄たちが悪魔を倒すお話もあるんだよな……。昔の話は『諸説あり』何ていう言葉がつかえちゃうくらいあいまいだから、真実が分からない。
おまけ。
キララがアイドルだったころ、グラサンマネージャーが勝手に受けてしまった激辛ラーメンへのチャレンジ。
「ヘイお待ち! 極極極極極極極極激辛ラーメンだ! まさかトップアイドルのキララちゃんが来てくれるとは思わなかったぜ!」
キララの目の前に、この世の物とは思えないラーメンが置かれた。
「う、うわぁ……お、おいしそ~。え、えっと~、このラーメンを食べきった方はいるんですか?」
「もちろん、誰もいね~ぜ! なんせ、食べきらせる気なんてねえからな! いや~、ヤベ~もん作っちまったぜ~!」
激辛ラーメン屋の店主が誰にも食べられない激辛ラーメンを作るなんて馬鹿じゃねと言いたかったが、キララはぐっと堪える。
――あぁ、明日、お尻が絶対に痛いだろうな……。もう、一口食べてむり~ぽよ~って言っちゃおうかな。でもなぁ。そんなことしたらグラサンが絶対に怒るだろうし……。私は普通のラーメンが食べたいって言ったのに、なんで激辛ラーメンの仕事を持ってくるんだあのグラサン野郎。
「ん~。唐辛子のスパイシーな香りと山椒の独特な香り、特製激辛ラー油によって食欲がそそられますね~。この盛りすぎ加減が店主さんのセンスを感じます~。では、一口頂きたいと思いま~す!」
キララはカメラに向かってラーメンの麺を見せ、満面の笑みを浮かべた。周りのカメラマンやADはすでに汗だらだらでキララのことを心配していた。
「ふ~、ふ~、ふ~。ただ麺を冷ましているだけなのに汗が出てきてしまうくらいワクワクしちゃってます~。さ! 初めてのご対面、行かせていただきます!」
――あ、死んだわ。絶対死んだなこれ。明日のSNS絶対にキララ激辛ラーメンで死すって言うハッシュタグを付けられて干されるんだろうな。もういいや、これで引退しちゃおう。
キララは激辛ラーメンをパスタを食べるように啜らず口の中に入れる。
――口の中に空気を入れるな。啜るなんて行為をしたら喉が死ぬ。私は一応アイドルだぞ、喉が命と言っても過言じゃないのに、なんで激辛……。や、やっばっ! 美味い!
キララは激辛ラーメンを美味いと一瞬思った。だが……。
――いや違う! 美味いじゃない、辛い! いや、でも美味い! 辛い! 美味い!
キララは迷った。どっちの反応をしたらテレビに受けるのだろうかと……。
「………………」
「き、キララちゃん……。無理しなくても大丈夫だよ。編集でカットしておくから~。盛大に残してもいいよ~」
ADから優しい声が飛んでくるも、キララは無言で食べ続けた。
キララは途中から肩を動かして泣き始め、周りがあたふたし始める。お店に来ていた子供達の声援の声が聞こえ、大人たちの声も同情の声から声援に変わる。
――つ、辛い。辛い辛い……。周りの声援が辛いよ……。もうやめて、私、美味しいって言おうとしたのに辛いって言わないといけないみたいじゃ~ん。
キララはラーメンのスープもすべて飲み干し、店主に向って言った。
「す、すごく……美味しかったです!」
「う、うぅぅ……。き、キララちゃ~ん」
周りの者は皆、思った。キララは激辛ラーメンを無理やり食べてお店の印象を守ったのだと。
だが、実際は違う。キララは自分が思っているよりも相当辛党だったとうことにこの時気づいただけで、美味しくラーメンをいただいたのだ。
この時のテレビ番組のおかげでラーメン屋は大繁盛。キララの株はうなぎのぼり。SNSでは、キララはやっぱり本物のアイドルだぜ! という言葉が溢れたという。
キララにとっては辛く(からく)辛い(つらい)戦いだったが、結果としてグラサンプロデューサーの思うつぼとなる。
キララに激辛料理を食べてほしいという依頼が殺到するも、キララはもう二度としたくないとグラサンプロデューサーに言ったそうだ。
理由は次の日のトイレが地獄だったからである。
アイドルでもトイレはするのだ。