弄りがいのある少年
「オリーザさん。こんな時だからこそ、ちゃんと休まないとだめですよ。また倒れたりしたら、私は怒りますからね」
「ああ、分かってるよ。今は俺だけが働いている訳じゃないからな。俺が倒れたら店が回らなくなる。そうなったらコロネとレイニーが大変だからな。しっかりと休ませてもらってるよ」
「それなら良いんです。じゃあ、牛乳を運びますね」
「俺も金貨を持ってくる」
オリーザさんは椅子から立ちあがり、お金の準備をし始めた。
――ベスパ、牛乳をオリーザさんの足下に運んで。
「了解です」
ベスパはオリーザさんのもとにクーラーボックスを運んだ。
「この中に金貨五枚入っている。確かめてくれ」
「はい。分かりました」
私はオリーザさんから小袋を貰い、中身を見た。金貨五枚がしっかりと入っている。
「確かに入っていますね。ありがとうございます」
私はオリーザさんに頭を下げてお礼を言った。
「いや、牛乳を金貨五枚の値段で買えて俺もありがたい。もっと大量に仕入れたいところだ」
「いつか、大量に卸せるよう努力していきますね」
「ああ、頼む」
「あ、そうだ。ショウさんにはもう言ったんですけど、今、乳油を作っているところですから、完成したら持ってきますね」
「何……。乳油だと……」
オリーザさんの眼付が変わり、私に睨みを利かす。
「嬢ちゃん。乳油って言ったか?」
「はい。乳油って言いました。確か、王都のパンには乳油が入っているんですよね?」
「そうだ。パンの風味を決めると言ってもいい。その乳油が……嬢ちゃんの牧場でとうとう作られ始めたのか……。その乳油は牛乳から作られているんだよな?」
「もちろんですよ。牛乳十割の天然乳油です。きっと美味しいですよ」
「はは……。楽しみを通りこして、悶絶しそうだ。はぁ~、俺はパン職人を続けてきて本当によかった……。もう、やり切ったと思った一〇年前、ぐっと踏みとどまって本当によかった……」
オリーザさんは今にも泣きそうな表情で身を震わせていた。
――乳油を作るって言っただけでそんなに嬉しいのかな。
「えっと……。オリーザさんは乳油はまだ持って来てませんよ」
「分かってる。だが、嬢ちゃんならとんでもない乳油を作っちまいそうだ。そう考えるだけでもう、人生が楽しくて仕方なくなってきたぜ!」
オリーザさんの体の筋肉がはち切れんばかりに膨らみ、服を引き千切ってしまいそうなほど興奮していた。
「はは……、色々と早いですね。でも、その期待を超えられるよう、私も頑張ります。皆さんの頑張りに負けていられませんからね」
「そうか。なら、俺はもっと頑張らないとな。子供の嬢ちゃんに負けていられないぜ!」
オリーザさんは水溜めから桶を使って水を掬い、手をジャバジャバと洗い、乾いた綺麗な布で手に付いた水気をしっかりと拭きとったあと、薄い布を剥がしてパン生地に手を伸ばす。
「嬢ちゃんが乳油を完成させるまでに、俺も『涙が出るパン』をさらに進化させて見せる!」
オリーザさんの瞳は燃え始めた。どうやら、乳油と聞いて夢に少しずつ近づいていると直感しているんだろう。
「姉さん、乳油って何?」
「ああ、ライトには教えてなかったね。私、休みの日に牛乳から油分を取り出してねっとりとした油の塊を作ってたんだよ。まだ、完成してないけど、パンに入れて焼くとおいしくなるんだよ」
「へぇー」
ライトは特に興味ないなと言った表情をした。――ほんと興味ない内容にはとことん興味のない表情を浮かべるんだから……。
「嬢ちゃん。美味しくなるなんて小さな変化じゃない。乳油を入れるだけで世界が変わる。パンの何もかもがひっくり返るんだ!」
「そ、そこまで……、言っていいんですか?」
「いい。断言しよう。いい乳油を使うかどうかでパンの味は何倍も跳ねあがる!」
「すごい、私も楽しみになってきました。これで、王都のパンに並ぶにはあと卵とソウルですね。全てを使ったパンがいったいどんな味になるのか……想像するだけで楽しみです!」
「そうだな。まぁ、ソウルは量が少ない割に値段がすごく高いからな。簡単には使えない。卵も大きさにばらつきがあるから調節が難しい」
「で、ですよね……」
「ま、気長に待つさ。そうすれば何かが変わるだろ。今回の街みたいにな」
「そうですね」
私達はオリーザさんのお店を出る。
「おーい、キララ。俺も乗せてってくれよ」
オリーザさんのお店の制服を脱いで着崩れした服をゆるっと着ているレイニーが私たちのもとに走ってくる。
「レイニー。外で待ってたんだ」
「そらあ、走るより待ってた方が楽だからな」
レイニーはオリーザさんのお店の仕事が終わり、外で待っていたらしい。
「じゃあ、荷台の前座席に座って。今から教会に行くから」
「分かった」
レイニーを先に座らせ、レクーの操作をする私が中央、最後にライトが荷台の前座席に乗った。
「じゃあ、レクー。レイニー達の住んでいる教会まで行ってくれる」
「分かりました」
私が手綱を握ると、レクーは足を動かし始める。
「姉さん、買ったパンを食べてもいい?」
「いいよ。丁度お腹が空くころだからね」
ライトは私の膝に乗っている紙袋から黒パンを取り出して魔法の『熱』を使ってほかほかにした。
「スンスン……。うん……、凄く良い香りがする。穀物のにおいが優しい……」
「それだけで他の黒パンとはちょっと違うでしょ。あと、オリーザさんのお店の黒パンは手で裂かなくても容易に食べられるんだよ」
「ほんと?」
「うん。加えて温めてあったらもっと柔らかくなってると思う。食べてみて」
「分かった」
ライトは黒パンに齧り付く。黒パンに歯型が付き、ライトは咀嚼する。
「んーー! 美味しい! 凄い、凄いよ! 黒パンってこんなに美味しかったんだ!」
ライトは眼を見開き、黒パンの美味しさに驚いている。
「でしょ~。オリーザさんの作った黒パンはどの黒パンよりも美味しいんだよ」
ライトは黒パンに齧り付いていく。
「ハグ、ハグ、ハグ、ハグ……。もぐもぐ。ゴックン。美味しい……。黒パンがこんなに簡単に噛みきれるなんて、普通の黒パンじゃありえないよ。噛めば噛むほど穀物の風味が広がって、ほのかな甘みを感じる。こんな自然なパンは僕、知らない。昼頃食べた白パンも凄かったけど、よく食べている黒パンだからこそ、この黒パンの凄さが分かる。どうしよう。僕、このままだと普通の黒パンが食べられなくなりそう……」
「そこまで言ってくれると俺も鼻が高いぜ。オリーザさんのパンはやっぱり最高だよな!」
レイニーは自分の尊敬する人のパンが美味しいと言われ良い気になったのか、笑顔で喋り始めた。
「オリーザさんのパンをはじめて食った時は泣いたぜ……。腹が減りすぎて死にそうだったからって言うのもあるが、それ以上に出来立ての黒パンが美味かった。今でも覚えてる。あれから早五年、まさか俺がオリーザさんの店で働かせてもらえるなんて思ってもなかったぜ」
「そうだよね。まさかレイニーが働いてるなんて、最初は疑ったよ。なんせ、私とレイニーが出会ったのはレイニーが泥棒をした時にとっ捕まえたのが始まりだからね」
「え、レイニーさんは泥棒だったの?」
ライトは眼を細め、少々睨む。
「あの時は盗みをするしか生きて行けなかったんだよ。キララも過去のことは忘れてくれ……」
「それは無理だな~。だって、初めて会った時、私はレイニーに殺されかけたんだもん。ぶっ殺してやるーって」
「そ、そんなこと言ったか? お前、話を少し盛ってるだろ」
「いやいや、私はレイニーにふざけるな、クソガキっ! って言われたんだから。私は結構根に持つ人間なんだよ~。怒らせたら怖いんだよ~」
「あ、あやまる。あの時は何も食べてなかったから気が立ってたんだ……」
レイニーは私に深々と頭を下げて来た。まぁ、それを見ただけでレイニーは良い奴だと分かるのだが、いじりがいのある玩具があると面白くなってしまうのも、また事実。
もう少し弄ってもいいかな~。何て思っている間に、レイニーの住む教会についてしまった。
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