私は誰?
目を覚ますと、私がまったく知らないベッドの上だった。
「何……、どういうこと……」
――関節が短い、え、なんで?
「確か……、蜂に刺されて私は」
視線を少し左にやると私の見知らぬ人が木製の椅子に座り、手を股の当たりで重ね、眠っている。
椅子に座っている女性はとても綺麗な人だった。
髪、眉毛、まつ毛はブロンド色。
髪は長く、大きな胸元にまでまっすぐに伸びている。所々に寝ぐせが付いており、椅子にずっと座っていたのだと想像できた。
高い鼻に真っ白な肌。ただ、頬は少しあれている。体調が悪いときの私と同じだ……。
女性が眼を閉じていてもわかる。眼の前の女性は日本人じゃない。
もしこの方が日本人なのだとしたら、すぐさま一緒にペアを結成したい。それくらい綺麗な人だった。
ただ服装はとんでもなく貧相だ。
絵本で見た覚えのあるシンデレラと同じようなボロボロの衣服に継ぎはぎだらけのエプロン。何枚も小さな布を縫い付けているため、元の服が想像できない。
「この人はいったい誰だろう……」
女性の顔を何とか思い出そうと起きたばかりのどんくさい脳を、私はフル回転させる。
「う~ん。誰だ……、全くわからない……」
私は女性が誰か全く思い出せずに困惑していると、女性は物音に驚いたのか、目をパッと覚ました。
瞼を開けたら、眼を瞑っている時よりも美人だった。
――やっぱりブロンドの瞳、その瞳孔を見れば誰もが吸い込まれてしまいそうなほどの色の深さ……。ちょっと綺麗すぎないか。
女性の目尻は少し吊り上がっていて凛々しい。加えて美しさの中に少しの精悍さがあり、魅力を強調させていた。
女性は椅子から勢いよく立ち上がり、涙目になりながら、私に抱きついてくる。
「良かった~、本当に良かった! お父さんに早く報告しなきゃ。キララはまだ安静にしてなきゃだめよ。ベッドから絶対に出たら駄目なんだからね!」
女性は私のいる部屋から足早に出ていった。
「キララ……って私の名前? 本名かな。えっと、キララって芸名と同じ……」
――私はいったい誰なのだろう。
そう思った時、私の知らない記憶が頭の中に流れ込んでくる。
――なにこれ! 私の記憶。いや、これは私の記憶じゃない。
映画の様に流れていく記憶は私の脳裏へ焼き付いた。まるで、真っ白な紙へプリントアウトされるようにしっかりと複製される。
「キララ・マンダリニア……五歳、超絶可愛い女の子。父:ジーク・マンダリニア、母:リーナ・マンダリニアの娘。二歳になる双子の弟妹がいる。弟:ライト・マンダリニア、妹:シャイン・マンダリニア」
――全然知らなかったのに、一瞬で思い出した。何で……。
私は身に何が起こったのか考えようとしたとき。
部屋の外から床が抜けそうな音を出して誰かが走り込んでくるのを、小さな耳で感じ取った。
「キララ、無事か! 三日も寝込むから、お父さん心配したぞ!」
――知らないはずだった人、顏、名前、性別。だけど、目の前に居る人たちを、私は知っている。
大柄な男性の両腕には可愛らしい二人の子供がいた。
三人ともブロンドの髪……。
お父さんは筋骨隆々で双子を両腕に抱えている。髪は短く纏まっており、髭は全く生えていない。
身長は一八〇センチメートルを優に超えているだろう。
きりっとした長い目に高めの鼻、顔の線はしっかりとしていて誰が見てもカッコいいイケメンだった。ハリウッドスターですか! と大声で言いたい。
ただ、私は自分の父親に向って『ハリウッドスターですか!』と発言するのはどうかと思い、言葉を詰まらせる。
顔はカッコいいのに、服装はお母さんと同じでボロボロでボロ雑巾を見に纏っているみたいだ。
何度着たかわからないほど黄ばんでいる継ぎはぎだらけの白シャツに、黒いズボン、穴の開いた靴下を履いている。本当にみすぼらしい姿で「映画で貧乏人役を演じる主演俳優か」とつっこみたくなる。
服装さえしっかりしていれば、写真集で売り上げ発行部数、世界第一位を取るのも楽勝だろう。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「痛くない?」
双子はとても可愛いらしい。
パッと見た感じだと全く同じ顔だ。
違うのは服装と髪型だけ。
手作り感満載のベビー服はもちろん継ぎはぎだらけ。
きっと私のお下がりなのだろう。
髪が少し長い方が女の子で短い方が男の子。
今すぐにでも抱きしめてあげたいが、この状況を私は全く理解できていないため、むやみに動くのは危険だ。
――何も理解していないのは危ないよな。今は、一人で冷静に考えたい。
そう思った私は少し芝居をした。
アイドル時代にグラサンプロデューサーが面白半分で取ってきた大河ドラマの芝居を、私は思い出す。
「お、お父さんごめんなさい。私、まだ少し体調が悪いんだ……。ゴホゴホ……。風邪を三人へ移しちゃうといけないから、私一人にしてくれるかな……」
「そ、そうか、それはすまなかった。何かあったらすぐ伝えるんだぞ! お父さん、すぐに飛んでくるからな」
「お姉ちゃん、どこか悪いの……」
「痛い所があるの?」
お父さんに抱かれている双子が手を伸ばして私の方に来ようとする。
「こら、二人とも。お姉ちゃんは今から、お寝んねなの。遊ぶのはもっと元気になってからな」
「は~い」×双子。
双子は息ぴったりに返事をした。
「それじゃ、キララ。静かに寝てるんだぞ、わかったな」
「うん、ありがとう……。お父さん」
お父さん達は部屋から出ていき、木製の扉が閉まる。
――よし、これで一人になれた。少しでも今の状況を理解しないと。
「え~と、理解を深めるには、まず『紙に書きだしてみるといい』ってレギュラーだった教育番組で言ってた。紙……、紙……」
私はベッドから降りて当たり前のようにあると思っていた紙を、部屋中探してみたがどこにもなかった。
私が見つけたのは、何度も読み返した覚えのあるボロボロになった絵本一冊だけ。
「部屋に絵本が一冊しかないなんて……」
私は周りを見渡してみると、寝起きで気づかなかったが部屋の状態は酷い荒れようだった。
木が腐ったボロボロの壁、変色し真っ黒になった天井、誰も乗っていないのにギシギシと音を鳴らすベッド。
「なるほどね……」
この一家の現状を、私はなんとなく理解した。
部屋を何度か回り、探してみるも紙は結局無かった。
私は仕方なく、頭の中で現状を整理してみる。
「え~と、今の状況をまとめると。私は日本でアイドルをしていた田中真由美で、アイドルの仕事中に蜂に刺されまくって死んじゃった。なぜか知らない世界で、知らない家の知らない子供になっちゃった……。ん? いや、なんか違うな」
私は整理した現状になぜかモヤモヤした。
「何だろう、ちょっと違うのかな。田中真由美の記憶とキララ・マンダリニアの記憶。確かに両方の記憶をちゃんと覚えている。この状況は、今さっき死んだ田中真由美からすれば、田中がキララの中へ入ってしまったと考えられるけど。何か違うんだよな……」
少し考えた後、私は理解した。
「そうか、私はキララであり田中真由美でもあったんだ。今までの私はキララとして育った。田中真由美の記憶は『今』思い出したんだ。うん、そう言うことにしよう!」
私は田中真由美であり、キララ・マンダリニアでもある。そう考えると、心に纏わっていた靄は一瞬で消えて無くなった。
「昔、私は田中真由美だった。でも、どうして今になって昔の記憶を思い出したのだろうか……」
何度も、何度も、読み聞かせてもらった絵本を、私は手に取る。
「このカッコいい絵本も、ちゃんと覚えてる。初めて私が欲しいと思った絵本。お父さんが私の誕生日に無理して買ってくれた贈物だ。そう、内容だってちゃんと覚えてる」
貧乏な少年が八体の悪魔の手から王女様を助けるために懸命に努力し、一国の英雄になる話。
どちらかと言えば男の子が読みたがるような絵本だけど。私はとても感動してお母さんとお父さんに毎日毎日読み聞かせてもらった。
――何度読んでも飽きなくて、こんなボロボロになるまで読み返したんだ……。
私は今までの記憶を思い出したせいか、頭がふら付く。
「何か、いろいろ考えていたら、頭が痛くなっちゃった……」
もう一度硬いベッドに寝ころび、私は眠ることにした。
「今、寝ちゃったら、田中真由美の記憶を全て失う……とかないよね」
少し不安だったが五歳児の睡眠欲求に勝てるわけもなく、私は深い眠りについた。
☆☆☆☆
私は上半身をいきなり起こした。
「はっ、今何時……。何で目覚ましが鳴らなかったの。ヤバイ、仕事に遅刻しちゃう。今日は公演のリハーサルだったのに……ってあれ?」
窓から、放射状の光が漏れ出している。
「うわ、明るい……。って何言ってるの……私。そうだよ……田中真由美は死んだんだった」
私は、眠る前の記憶を忘れてはいなかった。
「良かった、ちゃんと覚えてる。でもこれからどうしよう、お父さんとお母さんに、昔の記憶を思い出したなんて言っても、信じてもらえないだろうし……。よし、今までのキララになり切ろう。いや違うな。私はキララだから、普通にしていればいいんだ」
私は、眩い光が差す窓の方に向かう。
「うわ~! 綺麗~!」
私の視界に広がっていたのは、私が住んでいた東京とは比べ物にならないくらいに澄んだ景色だった。
一面の緑、青空、小川が流れ、見た覚えもない鳥のような生き物、牛のような生き物、加えて羊みたいな生き物たちが時の流れを忘れさせるくらい、のんびりとしている。
「凄い景色……、私、一度でいいから凄く景色の良い所に住んでみたかったんだよ」
私は東京生まれ東京育ち。
東京以外の場所で住んだことは一度もなく、撮影で景色のいい場所に行くと『こんな綺麗な場所で生活してみたい』と多々思っていた。
私は重たい足を動かして見知らぬ恐怖を少し感じながらも『外に出たい』と思う気持ちが溢れてきて仕方なかった。ふと気づくと子供のように、走り出だしていた。
「キララ! 大丈夫か……って!」
お父さんが扉を開けると同時に、私は彼の長い脚の間を通り抜けて感情の思うままに突き進む。
真っ直ぐ進み、居間に入ったあと突き進むと靴が並べられている玄関があった。
私は玄関の扉が壊れないか心配になるほど強く開ける。
すると窓からのぞかせていた光よりも、大量の光が私に降り注いだ。
視界に映る川、草、空、何もかもすべてが私には眩しいほど光って見えた。
どれだけ周りが光っていても私の瞳の輝きには勝てないだろう。
今、私の心はとんでもなく躍っている。
日本武道館で初めてライブをした時よりも、胸の高鳴りはずっとずっと止まらない。
私は靴も履かずに外へと、飛び出した。そのまま草を踏みつけ、川に飛びこみ、モフモフした生き物に抱きつく。
したいことを一通りおこなった私は疲れ切ってしまった。
「はははっ、た、楽し~! こんなにはしゃいだのいつぶりだろう。全く思い出せないや!」
ふかふかの草の上に寝転がり私は空を見上げた。
空を見上げた私は、確信する。
「はぁ……、ここは地球じゃないんだ……」
絵本の文字、ふわふわの動物を田中真由美は全く知らなかった。
――この空だって見たことない。地球に浮いている島なんてないもん……。
空には大きさは大小違うが、島のような物体が浮いていた。
どうして落ちてこないのだろう。重力がおかしいのかな……。いや、ファンタジーの世界で理屈を考えるのは野暮か。
「キララ! どうしたんだ。家をいきなり飛び出して」
お父さんは私に追いついて、私の細い腕を掴む。
「ご、ごめんなさい。外があまりにも楽しそうだったから……」
「は~、いつも言ってるだろ! 外に出るときは『靴を履きなさい』って」
「あ……、ほんとだ」
私は視線を足に向けると案の定、靴を履き忘れている。
「今回、キララがひいた風邪だって、お医者さんからは『足の傷が原因でしょう』と言われたんだぞ!」
「ご、ごめんなさい。今度からは、靴をちゃんと履くようにします」
「まぁ、元気になってくれて本当に良かった」
お父さんは、私を強く抱きしめてくれた。
「お、お父さん。苦しい……」
「あ、ごめんごめん。それじゃ家に一度帰るぞ。お母さんも身がボロボロになるくらい心配してるんだからな」
お父さんは私を抱きかかえ、家まですたこらと戻った。
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