人はちっぽけ
レクーの速度と追ってくるカマキリのような魔物の速度は、明らかにレクーの方が速かった。
距離が離れすぎると、魔物の標的から外れてしまう。
一定の距離を保ったまま、西門の方向に走った。
私が爆発させたらあの魔物は倒せるかもしれないが、大量の魔造ウトサが含まれた体なので、燃やすのは危険だ。
大量の瘴気があたりに広がってしまう。
多くの自然災害をもたらす瘴気は出さずに倒すのが一番だ。
魔物の首を切って倒し、ディアに食べてもらうしかない。
「あぁ、もう。せっかくローティアさんと楽しい楽しいデートの途中だったのに」
デートという訳でもないか。でも、二人きりで遊んでいたなら、デートと言っても差し支えない?
そんなことどうでもいいか。
私と友達の楽しい時間を邪魔したのだ。
それ以外に多くの人を殺した罪はあの駄女神も見逃しちゃくれないだろう。
天界ではなく冥界に落ちるだろうが、正教会を恨んでもらおうか……。
「グオオオオオオオオオオオオッ!」
カマキリのような鎌を振ると魔力の斬撃が飛んでくる。
まだ、命中精度は悪いが当たれば体が真っ二つだ。なんせ、魔力の刃が当たっている石畳はバッサリ切り割かれ、地面が見えている。
夕方ごろなので、人々が住宅街に戻ってきているのが不味い。
大きな叫び声を聞いて、魔物の首が何度もあたりを見渡しているのだ。子供の私だけを追ってくれればいいのだけれど。
「きゃぁあああああッ、ママ、怖いよぉっ」
魔物を見た子供が叫んでしまった。
魔物は叫んだ子供の方を見て、腕を振るう。すると、魔力の刃が飛んだ。
私はディアを杖先に当て、ルアーを飛ばすように勢いよく振る。ディアの体が魔力の刃に当たると軌道が反れ、子供と親のすぐ隣をかすめた。
「きゃぁああああ~、こ、怖~いっ」
私は他の者たちに注意が向かないよう、声を出した。
魔物の注意を引いてレクーと共に西門付近にやってくる。
住宅街で私が追われている姿を見た冒険者達が、背後から追ってきているのが見えた。
やはり、冒険者達の正義感は闇ギルドと全く違うらしい。キアズさんの教えのたまものだろう。
西門にやってくると騎士達も異質な存在に気づいた。
彼らは決して悪い騎士ではない。
数名は魔物の正体を知っているかもしれないが、ほとんどがなぜ王都の中に魔物がいるのか、わかっていない様子。
私は冒険者と騎士達に後を任せ、レクーと共にこの場を退散する。
勝手に擦り付けたような感じになってしまったが、仕方がない。
魔物を倒すのが冒険者の仕事で、王都の平和を守るのが騎士の仕事だ。
私は学生だから、勉強するのが仕事。
「おい、どうなっている。なぜここに魔物がいるんだ」
「わかりません。ですが、早急に対処する必要があります」
「手を貸す代わりに、金はしっかりと払ってもらうぞ。魔物が入ってくるなんて、お前らの不手際以外に考えられないからな」
冒険者と騎士が叫び合い、互いに意思を交換し合ったあと、魔物に襲いかかる。
騎士が前に出た後、冒険者が後方から矢を放つ。魔物のぎょろっとでかい目玉を射抜き、隙を作る。
ローブを羽織っている者は杖を構え、詠唱と共に魔法陣を展開。土属性魔法で鋭い礫を放ちさらなる隙を生んだ。
魔物から黒い血液が流れ、もはや人ではないことはあきらかだった。
でも、あの黒い血液に大量の魔造ウトサが溶けている。
危険だと思い、ディアに食べてもらう。
地面に吸収されて、水脈などに落ちたら最悪な事態に陥るからだ。
「おらっ」
冒険者の剣が魔物の腕を切り裂き、攻撃手段をなくさせる。
「はああっ」
騎士の剣が魔物の首を割き、黒い血が噴水のように吹き上がった。
子供に見せるにはあまりにもグロテスクな光景に、目をつぶらざるを得ない。
魔物の大きな体は力が抜け、その場に倒れ込んだ。すぐさまブラットディアを向かわせる。
「きゃぁアアアアアアアア~っ」
冒険者や騎士の女子達はブラットディアを見た瞬間に叫んだ。
いや……、今、目の前にいた化け物の方が怖かったでしょと言いたくなるが、大きさは関係ない。
目の前にライオンや熊がいても怖がらない人もいる。
ただ、目の前からゴキブリが飛んで来たら怖がってしまうような乙女なのだ。
この世界でも、黒光りする虫は嫌われているんだな……。
あまりの悍ましい光景に騎士や冒険者は見ていられない状況だった。
巨大な魔物がブラットディアに食い付くされていく様は蟻が巨大な獲物の死体を食い漁っている状況とほぼ同じ。
無数のブラットディアは蠢き、カサカサと走り回っている。
あっと言う間に食べきると、蜘蛛の子のように散り散りになった。
その場に、魔物がいた痕跡はない。魔造ウトサを含むすべての物質を食い漁った。
――この場合、魂はどこに行くのだろう。ブラットディアのお腹の中……、はさすがに可哀そうだ。
魔造ウトサに侵されていた冒険者も始めから魔造ウトサ狂いではなかったはず。何者かにそそのかされてああなってしまったのかもしれない。
私は両手を握りしめ、魂がこの場に残らないよう祈る。
地縛霊とか、アンデッドとか、不可思議な存在に成り代わらないよう天界又は冥界にいってもらわなければ。
お墓を作ってあげることも出来ず、人間の命があまりにもちっぽけ。
世界から見たら、私達なんてブラットディアや羽虫を叩き潰す程度の存在なのかもしれない。
一人の人生が今日、終わりを迎え、どこかで新たな生命が生まれている。
生と死の繰り返しで、世界が成り立っているのは事実だ。
この世界も一種の生命体といえるし、私達はこの世界を生かすための細胞でしかない。
ただ、人間という知能が高い存在のせいで、この世界は蝕まれていくのだろう。
地球にいた頃の私は無限に増殖していく癌細胞のような存在だったに違いない。
「ほんと、人間ってちっぽけな存在なんだな。悲しいような、当たり前のような……」
「キララ様、気を落とさなくてもよろしいですよ。あの魔物になった冒険者はすでに多くの罪を持っておりました。捕まっていれば確実に死罪だったでしょう。ここで死ぬか、留置所で死ぬかの違いでしかありません」
ベスパは私の頭上をブンブン飛び回っていた。どうやら、ローティア嬢を無事、ドラグニティ魔法学園に送れたらしい。
私はすぐにこの場を去ることにした。
何か事情を聞かれると困る。
騎士達が小切手を冒険者達に渡し、上に報告していた。
そうなったらこの事件の真相は永久に謎のままとなるだろう。
なんせ、正教会の人間が人を魔物に変えてもいいと思って魔造ウトサを流しているのだから。
でも、闇ギルド経由で魔造ウトサが蔓延っているとなるとは。
そこを監視する者がいなかった。誰も拘わりたくないような場所に魔造ウトサを流していたなんて。
「早く帰ってキースさんに報告しないとな……」
私はレクーの背中に乗り、市場まで戻る。
バートン車の中に未だに捕まっている冒険者だったと思われる闇ギルドの人間を確認したのち、ドラグニティ魔法学園に向かった。
情報源になり得るのだから、キースさんに話を通そう。
ドラグニティ魔法学園の前で私は騎士を騙さなければならなかった。ほんと、騙すなんて元トップアイドルの私が見たら当たり前のようにできてしまうことだが、やりたくないというのが本音。
相手を騙したら、その分、私の印象が悪くなってしまうじゃないか。まあ、アイドルは騙すのが仕事か。
私はバートン車の中にいる闇ギルドの男にビーを纏わせ、普通に座っていてもらう。
ハルシオンを打っているので、すでに眠っている。
「こんばんは」
「こんばんは。キララさん、少し遅いんじゃないのかな? もう、午後七時になりそうだよ」
ドラグニティ魔法学園の門番の騎士は私とよく顔を合わせるので、顔を覚えられているようだった。
良くも悪くも、私の可愛すぎる顏は人に覚えられやすい。
「すみません。えっと、ローティアさんは今、寝ているので静かに確認してください……」
「そうなの? わかった……」
騎士の青年は扉をゆっくりと開き、中を覗く。ビー達がローティア嬢の姿を投影し、成り代わっているので、気づかれない。
「ほんとだ……、すやすや眠ってるよ」
騎士は微笑みながらローティア嬢の帰還を確認し、書類を認める。
私は何事もなかったように微笑みながらドラグニティ魔法学園の正門を抜けた。
まさか、私が闇ギルドの人間をバートン車で連れ込むなど思ってもないだろう。
園舎の入口に到着したら、レクーを待機させる。
私は入口から入り、八階まで昇降機で上がっていく。眠っている闇ギルドの冒険者はベスパに持たせ、共に八階に向かった。
この時間でも、キースさんは学園長室にいるはずだ。
八階の学園長室に到着した私は質の良い扉を叩く。
「空いている」
キースさんの声を聴き、私は扉を引いて中に入った。
「ん……、キララ、こんな時間にどうしたんだ? もしや、わしに会いたくなって……」
「違います」
「あ、そう……」
キースさんはしゅんと肩をすぼめ、髭を撫でながら隣にいる眠りこくった者を見た。
「その間抜けな恰好している者はだれかね?」
「話の前に強めの結界をお願いします」
私は扉を完全にしめ、元から掛けられている結界よりも強い結界をキースさんに掛けてもらった。
完全に結界が閉じられると、安堵し……、その場にペタンコ座りする。
ディアが舐めながら綺麗にしている部屋なので埃一つ落ちていない。