完全ではない
ライアンは後方に頭をもたげ、私の可愛すぎる応援に心臓を打ち抜かれていた。
またしても、私の可愛さが無駄打ちされてしまい、自分でも私の可愛さを制御できない。
これだから、可愛いとは罪。そして最強である。
「ほらほら、ライアン。せっかく、私の応援を受けたんだから、死に物狂いで頑張れ。こんどの授業参観で情けない所を見せたら、罵るからね」
「キララに罵られたら、逆にご褒美になる奴らがいそうだな……」
「バカじゃないの……」
「おぉ……、ぞくぞくする……。癖になりそうだ」
ライアンは笑いながら、訓練を再開した。
変人なのは間違いないが、やる時はやる男だと思うので、成長に期待しよう。
なんせ、ライアンのスキルはパーズに絶対に真似出来ないのだから。
その点を、彼は理解していない。
スキルの扱いだけは負けないのだから、どれだけ訓練しても追いつかれる心配はない。
結局、私は午後六時一五分頃から午後八時まで、しっかりと部活する羽目になってしまった。
夕食は取ったかどうか覚えておらず、お風呂の中で溶けるように眠っていた気がする。
「こら、芋娘、起きなさい。お風呂の中で寝たら死ぬわよ」
「う、うぅん……。えっと……私はローティアさんと寝たんですか」
「なにわけわかんないこと言っているの。水死体みたいに、お風呂でぐったりしているところ見つけただけよ。さっさとお風呂から出ないと、風邪ひくわよ」
お風呂の中にいたのは私だけ。
服を着替えているローティア嬢が風呂場に立っていた。
どうやら、皆は泥のように眠っていた私を置いてけぼりにしたらしい。
いや、そっとしておいてくれたというのが正しいか。なかなか上がってこない私をローティア嬢が呼びに来てくれたのだろう。
「うぅん……。今日は少々疲れすぎてしまって……」
「なれないことしたら、そりゃあ疲れるでしょうね。芋娘の癖に、体力がないなんて、それでも田舎者かしら?」
「あはは、田舎でも力仕事じゃなくて頭で仕事してたもので……」
「でしょうね。そんな気がするわ」
ローティア嬢は私を起こしたあと、すぐにお風呂場から出ていく。
寝る前の準備を終わらせて最後にお風呂場をのぞいてくれたのだろう。良い方すぎる……。
「ふわぁ~、ねむたぁ……」
私はお風呂から這い上がり、水を大量に吸ってしまったぶよぶよの体を見る。
指先の皮が波打っており、感覚が研ぎ澄まされているため少し擦れるだけでも切れてしまうんじゃないかと背筋が凍った。
お湯が暖かかったからよかったものの、冷水に浸かっていたら普通に死んでいた可能性が高い。
ベスパは私が安らかに眠っているから起こそうとしなかったのかな。命に別状はなかったので、問題ないか。
でも、あまり夜遅くに仮眠するのは睡眠の質が落ちてしまうのでよろしくない。
「さっさと体を洗って、ベッドで寝ないとな」
誰もいないことを良いことに、今日は『クリーン』で体を綺麗にしてお風呂を出た。
『ヒート』と『ウィンド』の混合魔法でドライヤーのような温風を出し、髪を一気に乾かす。
口の中も『クリーン』で綺麗にした後、八号室に戻った。
すでにミーナがベッドの上で爆睡している。いつも寝ているとおもったが、寝なければ体がもたないと理解できた。
運動部の厳しさを痛感し、少々起きて勉強したらというのは控えるようにした。
この状態で勉強までするのは厳しすぎる。でも、だからといって蔑ろに出来ないのが、学生の辛い所だ。
「うぅん……、予習復習魔法陣……」
受験生だったころを思い出す。
風呂場で少し眠っていたので勉強ができた。睡眠の質を落として勉強するというのも、本末転倒な気がするけれど、習慣を止めてしまう方が怖かったので仕方がない。
こんな時、パーズの『完全睡眠』があればどれだけ最高なのだろうか。
「ない物ねだりしても意味がない。私が出来ることをやるしかないんだ……」
机の上で眠らないように気を付けて、すべてやり切った後ベッドに上に飛び乗る。
綺麗に掃除されたマットレスのため、埃は舞わず、私の体をふんわりと受け止めてくれた。
あぁ、やはり、恋人がいない学生や社会人にとって飛び込める場所はベッドの上だけなのだな。
もういいよ、私にとっての恋人はこのベッドで……。そのくらい、安らかな眠りに誘ってくれるマットレスは一生手放せそうにない。
ベッドで眠ったのは午後一〇時頃、起きたのは午前六時。
ざっと、八時間の睡眠で目を覚ます。
昨晩、驚くほど眠かったのに目の中にミントを突っ込んだのかと思うほどすっきりと目覚められた。
人間の体は不思議だ。
私は起きたのに、ミーナは未だに眠っている。彼女は一〇時間以上寝ないと気が済まない体らしい。
「はぁ……。朝の散歩と訓練、勉強しますか」
たとえ、今が授業参観の途中だとしても学生生活に何ら変わりない。
いつも通りに過ごしていればあっと言う間に過ぎ去るのが時間だ。
そのいつも通りをどれだけ質が高い時間に出来るのかによって、これからの人生が決まると言っても過言じゃない。
なんせ、人生は一日頑張ったところで何も変わらないのだ。
毎日頑張らなければいけない。
それでやっと一ミリメートルから二ミリメートル未来の路線が良い方向に変わる。
大きな結果にたどり着く前にくじけてしまう人がどれだけ多いことか。
私が毎日歩いている中、毎日朝訓練している生徒は本当に一人か二人くらい。
それ以外の人はまばらだ。きっと三日坊主で終わってしまっているのだろう。
私が騎士男子寮の裏庭の近くを通ると、当たり前のように剣を振っている青髪の男子が一人。
彼は私より努力するのが上手い人間だ。まあ、スキルの恩恵を受けるために、努力しないといけないのだけれど。
「パーズ、おはよう。今日も朝早いね」
「ああ、キララさん。おはよう。ライアンも誘ったんだけど、起きなかったよ」
「はは……、まあ、疲れちゃったんだろうね」
パーズは剣を振った後、昨日のメロアの動きをまねながら、武術の訓練もしていた。
素人の私が見ても、型に嵌っており、本を読んで勉強した脚運びや腰の回し具合までも、完璧に再現しているという。
やはり『完全睡眠』は努力出来るものに与えたらチートになってしまうスキルなんだよな。
ライアンのような堕落したくなるものにこそ、与えるべきスキルだった気がする……。
まあ、裏を返せばパーズの才能はやはり努力なのだ。努力が輝くスキルを女神が与えただけに過ぎない。
でも、パーズのスキルをこれ以上進化させることはできるのだろうか。
「ふぅ……。はっ! ……うぅん。違う」
パーズは拳を打ち付けるが、納得がいっていない様子。
形は完璧だが、腑に落ちないらしい。
剣を綺麗に振るのと同じように、拳も綺麗に打ち込めているということは、型として正しい。なのに、気持ちが悪そうだ。
「メロアさんの動きが僕に合わないのかもしれない」
「なるほど……」
『完全睡眠』で記憶した動きを再現できるのは素晴らしい。
だが、体格や筋肉量、性別まで違うのだからメロアの動きを完全に再現したとしても、自分に合わなければ意味がない。
初心者から経験者になり、そこで足止めを食らっている。完璧なスキルと言う訳じゃないんだな。
「ここから修正するのが、僕の仕事だ。何度も別の感覚を掴まないといけないから、時間が掛かるんだよな」
パーズは拳を何度も突き出し、感覚を研ぎ澄ませていく。
自分に合った型が見つかるまで何十回、何百回と拳を打ち付けるのだ。
必要だとわかったら、とことん努力出来る彼は努力の鬼といえる。でも、どれだけ努力しても才能に勝てないというのだから、皮肉な話だ。
私がパーズの姿を見ていると、走り込みに行っていたレオン王子が汗を掻いて戻ってくる。
軽い挨拶を終え、彼は木剣を持って何度も振るう。
午前六時三〇分ごろになると騎士寮の男子が集まり出して、眠い目を擦りながら剣を振るうのだ。
そういう決まりらしい。
寮によって特色があるようで、騎士寮は毎朝の訓練、学者寮は月数冊の読書。
冒険者女子寮の規則は特にないが暴動を起こさないようにと言う注意がされている。
どれもこれも、監督の先生による指導によるものだ。
フェニル先生がほわほわしている方なので、規則は緩いが恋人禁止などという暗黙の了解があるとかないとか……。まあ、冒険者業で恋人を作るのはナンセンスだ。
私も冒険者女子寮の裏庭で剣を振るい、適度な運動の後、部屋に戻って勉強。
制服に着替えて食堂に移動すると、午前八時二〇分くらい。あと三〇分で一限目の授業が始まってしまう。
食事量は急げば一〇分で食べられてしまう程度。いつもは二から三〇分ほどかけてゆっくり食べているが、今日は昨日の勉強を取り返すために少し長めに勉強したため、時間が押していた。
ローティア嬢の姿はすでになく、早めに出て乗バートンを練習していると思われる。
彼女ほど、生活習慣を管理できるようになれたらいいのだが、まだ学園の生活になれていない私では難しそうだ。
二日目、三日目と授業参観の日が過ぎていく。
そうなると、緊張してくるもので四月二八日が明日に迫ったころには、一年八組の教室はピリピリとした空気に包まれていた。
授業参観中、カーレット先生とゲンナイ先生の動きはなかった。
何かしら悟られている可能性は高い。
メロアとレオン王子が接触する回数も少なく、アンテナからの遠隔操作は一度も行われなかった。
やはり、直接来て確実に遂行する気だろう。
午後六時、今日は一年八組の皆が、第一闘技場に集まって明日の授業参観のために特訓する。
周りは授業参観を終えた者達が多く、心が清々しいのか表情が柔らかい。
私達は全員が硬くなっていた。