櫛の値段
「す、すみません!」
私はお湯をモクルさんの背中にぶっかける。
だが、その時気づいた。すでに彼女の背中は擦りすぎて炎症を起こしていると。
「あちゃああ~っ!」
モクルさんは背中のお湯を受け、悶えてしまった。悪いことをしてしまい、私の魔力で治そうと背中にぎゅっと抱き着く。
「お、おうぅ。キララちゃんの抱き着き攻撃。こ、これは効く……」
「は……」
私は裸だったことを思い出し、家族以外の相手に裸で抱き着いた経験はなかった。まあ、モクルさんになら別に気にすることじゃない。相手は同性だし。
「あ~、私もキララに抱き着かれたい~」
ミーナが私に突っ込んでくる。ほんと、元気がいい女の子だ。
メロアやローティア嬢は互いの体にお湯を掛け合い、お風呂場はしっちゃかめっちゃか……。
「お前ら……、お風呂の中は静かにしろ……」
フェニル先生が額に血管を浮かばせながら、私達を一言で威圧する。
私達は火を消されたろうそくのようにしんと静まり返り、コクリと頷く。
やはり、Sランク冒険者の貫禄は半端じゃなかった。
体を洗い、お風呂場から出る。乾いた布で体を拭き、清潔な服を着る。
髪を冷風で乾かしている時、目を閉じ、カーレット先生の姿を見た。
特に何も変化はなくリーファさんの膨れた頬を突きながら水を飲んでいる。
リーファさんはカーレット先生にからかわれながらも、気持ちに変わりはないようだ。
もしかすると大学に行かず、そのままマルティさんと結婚してしまうかもしれない。
私としてはおめでたいという気持ちが大きい。
でも、マルティさんにお金を稼ぐ力があると思えない。
そうなると、マドロフ家の教育方針的にマルティさんは以前のルドラさんのように他の街や領土、村に行って自分でお金を稼ぐという修行に出るはずだ。
そうなるとリーファさんはクレアさん(ルドラさんの嫁)のように待たされる可能性が高い。
それなら、大学で勉強してからでも、十分間に合うと思う……。
もしかすると、リーファさんもマルティさんの修行に同行する気なのでは?
リーファさんなら、護衛も出来るし、頭も切れるから商売脳だ。
疲労したマルティさんも体で癒せるし……。って、それじゃあ、マルティさんの修行にならない。
リーファさんが優秀過ぎて、ルドラさんのお父さんとお母さんのような関係になってしまいそう。
でも、マドロフ商会はルドラさんが継ぐ流れだから、マルティさんが兄と同じ道をたどる必要はないよな。
商人の道は厳しい。
ルドラさんも弟に辛い道に進んでほしくないと思っているはず。
才能がある者しか生きられない世界なのはアイドルと似ているかもしれない。
商人は常に笑顔を振りまき、引き際や売れ行きを考え、顧客を満足させなければならない。
そうでなければ、相手は商人から物を買ってくれない。
それは、アイドルにも言えること。
笑顔を振りまき、自分の立ち位置を考えてみている方を楽しませなければ、自分を押してくれる相手は現れない。
マルティさんに商人の才能があるかといわれたら微妙な所だ。
でも、リーファさんとなら……。まあ、そんな甘い世界じゃないか。
私は服装を整え、髪も完璧に乾かしたあとローティア嬢とミーナの髪を静電気が発生しづらいアカシの木のような材質の櫛でブラッシングする。
静電気が発生せず細い髪同士がくっ付かないことで艶が生まれ、完璧な仕上がりになった。
「あぁ、もう。なんで、キララが櫛で梳くだけでこんな艶色の髪になるの。信じられないわ」
ローティア嬢は自分のふわふわな髪を見て触り、頬擦りしいた。
大貴族の方にも喜んでもらえるのだから、相当いい品なのだろう。手作りの櫛だけど……。
「ふわ、ふわ、ふわっ~」
ミーナの白に近い銀色の尻尾は、箒や塵取りなどという言葉を付けるのがおこがましいほど艶めいていた。
もう、高級な生糸のようで触れているだけで心地よい。
私が二人の髪を梳いていると当たり前のように女性達が集まり、魔法陣のように辺りを取り囲んできた。
あまりにも早い行動に私は一瞬身を固める。
皆、私が使っている櫛が欲しいようだ。無料で配っても良いが、木を使っているため自然を破壊しているに等しい。
――ベスパ、生木を切ったら新しく植えておいてくれる。そうしないと森が破壊されちゃう。
「了解です。実から種を取り、キララ様の魔力である程度成長させた苗木を空かれた森の中に植えていきます。そうすれば、キララ様の魔力を多く循環できますし、効率がいいですね」
ベスパは私の命令を昇華させ、さらに効率を高めた。
脱衣所に取り付けられた洗面所の近くに一人一本までと言う張り紙を付け、銀貨一枚で販売する。
まあ、高いが。八分もしないうちに……、
「あぁ、もうない。売り切れちゃったんだ。そんなに櫛が欲しかったのかな」
「当たり前でしょ。この櫛が銀貨一枚なんてなんて破格な値段設定よ。他の櫛を作っている職人が泣くわ」
ローティア嬢は幅二ミリメートルほどの櫛で髪を梳き、心地よさそうに笑っていた。
櫛を使って、髪を梳くのは悪くないが、何度も行えばそれだけ髪が痛んでしまう。
「ローティアさん、もう十分綺麗ですから、何度も櫛で梳くと髪が痛んでしまいます。節度を持たないと、何でも逆効果ですよ」
「そ、そうね。ちょっと、梳き心地が良すぎて何度もしちゃっていたわ」
彼女は手を止め、質の良い布で質素な櫛を包む。
そのまま手で包んで脱衣所を後にした。私も八号室に戻り、机の方に歩いて椅子に座る。
「キララー、宿題見せて~」
「もう、いつも見せてる気がするんだけど……」
「うぅ、だって、やる時間がないんだもん」
ミーナは私の方に歩いて来て、背中に抱き着いてくる。肩に顎を乗せ、机の上に広がる紙と教科書を見ていた。
宿題という名の最低限の勉強すら彼女は取り組めていない。
いつも、部活の疲れが出てすぐに寝てしまうのだ。
「ちょっとは自分で考えて理解しないと、試験の時に何も解けないよ」
「うぅ……、わ、わかった。ちょっとだけ頑張る……」
ミーナは椅子に座り、宿題するために教科書を開いて……八〇秒で寝た。
「しゅぴぃ~、しゅぴぃ~」
「はぁ。まったく、ほんと、なんでそうなるかねぇ……」
私はミーナを起こさず、シーツを肩にかけて冷えないように配慮する。
風邪をひかせないだけマシだ。ずっと助けていたら、彼女のためにならない。
心を殺し、厳しく接するのも大人の所業だ。
勉強を終え、カーレット先生の姿を覗く。
彼女は資料に目を通し、生徒達の状況を把握している。現在の時刻は午後一〇時。
こんな時間まで仕事しないといけないんだから先生は大変だな。彼女のスキルが発動する瞬間があればいいのだけれど……。
私が見ている間、カーレット先生がスキルを使うことはなかった。
午後一一時まで見張ったが新着はなく、私も寝ないと明日に支障をきたす。
胸の成長にも悪影響なので、さっさと寝なければ。
他のビーにかわるがわる見張らせ、明日の朝にでも調べよう。映像として残せるのだからずっと見張る必要もない。
「フルーファ、おいで……」
「ふわぁ~、あぁ……ぃ」
眠っていたフルーファはノソノソと歩き、ベッドに飛び乗ると私のもとに擦り寄ってくる。
学園生活でペットと共に過ごせるなんて、良心的だな。農業高校じゃあるまいし……。
「お休み……」
フルーファの頬に簡易的にキスしてフワフワなぬいぐるみのように扱いながら、眠る。
抱いて寝るのと寝ないのとでは安眠効果が大分違った。安心感と温もりはやはり何にも代えられない。
次の日の朝、私は午後六時に目を覚ました。
ガラス窓から差し込む光が眩しくて起きられた。
やはり日の光で目を覚ますのは心地が良い。
今日はウルフィリアギルドに行って手紙を残さなければならない。でも、急ぐ必要もないので朝の散歩としゃれこみますか。
半そで半ズボンでもギリギリ生活できる気温の外を寝ぼけたフルーファと共に散歩する。
草木が発した水蒸気混じりの心地よい空気が暖かな日の光に照らされて輝き、私達を祝福しているように思えた。
まあ、ただの勘違いだが朝の散歩が心地いいのは確かだ。
裏庭の花壇に植えた花の苗を見ると、昨日よりも明らかに元気だった。
東からの光をいっぱい浴びて私の魔力を含んだ水を吸い取り、活発に光合成した結果だろう。
「皆、頑張れ~。綺麗な花を咲かせてね~」
誰に聞かれるわけでもない、甘ったるいアイドルボイスで苗たちを応援する。
草や木、花は人間の言葉を理解し、応援されると元気になるという迷信がある。
たぶん間違いだ。
私の考えからすると、応援するためには草花の近くに行かなければならない。
その都度、水やりや手入れをするから綺麗な花が咲くのだ。
応援するだけで綺麗な花が咲くのなら、甲子園球場近くの雑草も綺麗じゃなきゃおかしい。
草花に朝の水やりを終え、散歩を再開。
フルーファの体を撫でながら、休憩。
散歩、休憩という具合に繰り返し、体の健康を考える。
グーたらしたらその分グーたらしてしまう性格だとわかっているため、休みの日だからといってずっと寝入るわけにはいかない。
睡眠は七時間から八時間取っていれば十分だ。
それ以上は寝すぎ、以下は寝なさすぎ。
睡眠時間の確保と固定は健康に関して必須事項なので、三年間ずっと続けられるように努力しよう。
三〇分散歩していると、朝から元気よく訓練している生徒の少なさに驚く。
皆、夜中に勉強しているタイプなのかな?
毎日毎日疲れる学園生活で朝起きられない体質になっているのかも。もったいないよな……。
そう思う反面、皆よりも先に起きて努力している自分が誇らしい気持ちになる。
「ふっ! はっ! おらっ!」
「くっ! つっ! おらぁ!」