操られている
「もう、いや。なんで、あなたの前だと、こんなに涙が出るのかしら。おかしいわ。本当におかしい……」
ローティア嬢は手の甲で目の下を擦る。
私は持っていたハンカチを彼女の目の下にそっと当てた。
「手で目を擦ると炎症を起こし、目の病気になりかねません。このハンカチは清潔なので、使ってください」
「うぅ……」
ローティア嬢は口をうめぼしのようにしわくちゃにしながら、目に涙をこんもりと溜める。
涙で流しきれなかった体液が鼻水になり、垂れていた。鼻水を流しているのに可愛く見えるなんてすごい才能だな。
彼女は私のハンカチで涙を拭きまくり、鼻もちーんと噛んで、鼻水だらけの状態にした。
「あぁ、もう、こんなの返せないわ……」
ローティア嬢は私のハンカチと入れ替えるように、自分のハンカチを取り出して、私に渡してきた。
木コリの泉かと思うほど、女神に与えたただのハンカチが、シルク製の超高級ハンカチになって戻って来た。
「あ、洗って返してくれればいいですから」
「別に遠慮しなくてもいいのよ。それは服を作る時に余った布で作ったハンカチだもの。ただの布切れも同然よ。芋娘のあなたに丁度良いじゃない。ボロボロの服を着るくらい扱えれば何でもいいんでしょ……。だったら、その布切れをもらっておきなさいよ。私にハンカチを渡してくるなんて、芋娘で初めてだわ……」
ローティア嬢は頬を赤らめ、視線を背けた。頬をぷくっと膨らまし、私が渡したハンカチを大切そうに包んでいる。なんだてめぇ、可愛すぎるどう。
「じゃあ、ありがたく、受け取らせてもらいます」
私はローティア嬢からハンカチを受け取り、大切にポケットにしまう。その後、二人で食堂に戻り、メロアの様子を見る。
メロアは大量に料理を食べ始めていた。いつもと同じ光景に、先ほどの言葉が嘘なんじゃないかと錯覚しそうになる。
私は食堂の端に座りミリアさんとニクスさんに向けてビー通信でメロアが無事にドラグニティ魔法学園に帰って来たと連絡を取った。
「キララさん、メロアは無事?」
「はい、無事です。何も心配しないでください」
「よかった。ミリアが泣きながら帰ってくるから、何事かと思ったよ……」
「ニクスさん、メロアさんに何か言ったんですか。メロアがすごく落ち込んでいるようだったので……」
――今は別に落ち込んでいる様子はないけれど、さっきは凄い落ち込んでいたから、別に間違いなじゃい。
「いや、ちょっとメロアが僕についてくるなんて言うから少し離れてもらおうと思ったんだ」
ニクスさんは申し訳なさそうな表情でつぶやく。
「キララさん、メロアと友達になってくれたんだよね。凄く助かるよ。彼女に仲間の大切さを教えてあげてほしい」
ニクスさんはとても良い兄だった。兄が出来る最上の優しさをメロアに与えているといっても過言じゃない。
なのにメロアはそのことに気づかず、逃げ出し、勝手に見知らぬ誰かに記憶をかき消された。
「わかりました。メロアさんとは仲が良いので、少しずつ仲間の大切さを感じてもらおうと思います。ニクスさんは体を直して、冒険者活動を元気に頑張ってください。また、五日後にウルフィリアギルドに向かおうと思っているので、会えたらお茶でもしましょう」
「そうだね。出来ればメロアも連れてきてもらいたいけれど、今は会いたがらないかな?」
「どうでしょう。聞いてみないとわかりませんけど……」
――今、メロアにニクスさんのことを訊いたらどうなるんだろう。
私はいつも通り、なんら普通にメロアのもとに向かう。
「メロアさんのお兄さんは無事だった?」
「んー、普通に無事だった。でも、なんで私はニクスに会いに行ったんだろう。そもそも会ったっけ? あんな男、大っ嫌いなのに会いに行くとかあり得ないか」
「え……、う、嘘……」
「ほんとほんと。嫌いすぎて反吐が出そう。もう、あの人よりも年下なのが私の人生で一番最悪な出来事だよ。あぁ、思い出しただけでもむしゃくしゃする。あの笑顔、あの声、あの匂い、何もかも嫌い。大っ嫌い。さっさとくたばってくれればよかったのに」
このメロアはメロアなのか。
そう、思えるほど彼女の姿が嘘に見える。でも、体に触れて魔力の流れを感じても、嘘をついているわけではない。
なんなら、肉体もあるし、プニプニと柔らかい肉で間違いない。虫や魔力という訳じゃない。どう考えても、実体だ。
「そ、そうなんだ……。ごめんね、嫌いな人の話しなんか聞いちゃって」
「ううん、全然。逆に、今日のレオン王子の様子はどうだった? 私のこと、心配してなかった? もう、一日あっていないだけで、そわそわしちゃう」
メロアは両手を握りしめ、乙女のような表情を浮かべている。天井を見ても星なんて見えないが、赤い瞳がキラキラと輝いており、とても綺麗だ。
でも、その瞳に何を映しているのか。
いつもなら、レオン王子がうっとうしいとか、うざいとか、関わろうとすらしないのに、今、彼女の頭の中はレオン王子でいっぱいのようだ。
「レ、レオン王子はぼーっとしてたよ」
「えぇ、あのレオン王子がボーっとしたの。はぁ~、見たかったなー。明日は絶対に会うぞ~!」
メロアはパンと肉、野菜をバクバク食し、口いっぱいになるまで頬張る。お腹がパンパンにならないのか心配だったが完食し、お替りまでしていた。
ここの場面はいつものメロアと大して変わらないのにニクスさんとレオン王子に対する認識だけ全く違う。
他に何か違う部分を探そうと思ったが、危険だと判断し、何もしなかった。
今日は潔くお風呂に入り、勉強して寝る。それだけを考え、ローティア嬢と共にお風呂に浸かり、髪を櫛で梳いて乾かし、メイドのような仕事の後、部屋に戻る。
「はぁ。何だったんだ……」
私は椅子に座り講義の予習と復習をこなし、勉学に励む。そのまま、魔法陣を描き、いつも通りの夜を過ごした。
未だにベスパからの連絡はなく、バートン車に乗っている者が未だに出てこないという。
出てこないのか、はたまた何もいないのか。ずっと見張っていてもらうしかない。
ほんと、張り込み調査している刑事のような状態で、敵が動くのをじっと耐える。
生憎、交代する者は大量にいるのだ。何時間でも何日でも、何年でも張り込もうと思えばできる。その間に何も起こらないというのはあり得ない。
私が寝ようとした時、動きがあったのかベスパが連絡してくる。
「キララ様、今、バートン車の中で光が放たれました。何かしらのスキルが使用されたと思われます。どこかで何か起こるかもしれません」
「えぇ、そ、そんなこと言われても……」
私は周りを見渡す。
だが、ミーナが涎を垂らしながらベッドで眠っているだけ。なんなら、フルーファがお腹を出しながら眠っているだけ。
ほんと、呑気な者達だ。でも、多くの者が眠っている時間帯に何かしらのスキルが発動された。
私は窓から外を見る。フラフラと歩く、赤髪の少女がいた。真っ赤な髪を持っている者なんてそうそういない。後姿が知り合いのメロアそっくりだ。メロアで間違いないだろう。
そっち側は騎士寮がある方向だ。なにしに行くのだろうか。
私が動くとあやしすぎるため、ビーにメロアの背後を追ってもらう。
右眼を瞑り、ビーと視界を共有すると眠っているわけではないがボーっとしているメロアがフラフラ歩いていた。すると、反対側からも何者かがフラフラと歩いていた。
「レオン王子……」
ビーの視界に映ったのは、騎士寮から出て来たと思われるレオン王子だった。あちら側もふらふらーっと歩いており、意識がない。
そのまま、メロアとレオン王子が相対する。二人が互いの姿を視界に入れると走り出した。
何か武器でも取り出したら、ビーで緊急離脱させようと思う。だが、私の考えとは裏腹に。
互いに抱き合い、子供とは思えないほど熱烈なキッスを……。
「な、な、ななな……。ど、どういうこと」
私の視界というか、ビーの視界はメロアとレオン王子の熱烈なキッスが映し出されていた。
一二歳児の子供がして良いようなキスではない。
舌と舌が絡み合うようなキスが、星が降るような澄んだ空の下で交わされていた。
衛星の輝きに照らされながら熱烈に愛し合っている。だが、二人の瞳に光りはない。
そのまま、レオン王子がメロアを草原に押し倒し、上着を脱いだ。
メロアにキスしながら、人形のように動かない彼女の服も脱がす。抵抗する素振りは一切なく、そのまま夫婦の営みに発展しようとしていた。
「あり得ない。あの動きは子供じゃない。何者かが操ってる。そうじゃなきゃ、奥手のレオン王子とレオン王子が嫌いなメロアがあんな行為するわけない。でも、なんで、あんな行為を強制させる必要があるの……」
私は不可解じゃないように、あの二人を止める必要があった。
仕方がないので、生徒の不摂生は先生に取り仕切ってもらわなければ。
――ベスパ、私が指示する場所にフェニル先生を落として。
「了解です」
ビー達が酔っぱらいまくっているフェニル先生をドラグニティ魔法学園の上空にもってきた。
酔っ払いまくっているが、さすがにSランク冒険者だ。操られている少年と少女に負けるわけがない。
私は位置を調節し、ビー達にフェニル先生の体を落とさせた。その時はメロアとレオン王子が共にパンツ一丁になった状態。どちらの顔色も変かしておらず、人間なのかもあやしい。そのような場面で、好きな相手が目の前にいたら顔が赤くなるのが普通でしょ。
「うっひょぉ~、きもちぇえ~っ!」
フェニル先生は両手両足を広げ、地上八〇メートル当たりから落下。普通の人間なら地面に落下した衝撃で、あの世行だ。
だが、フェニル先生は酔っぱらっているとはいえ、Sランク冒険者。そのまま地面に落下したりするわけが……。