赤子のよう
「ああ、エッチな書が消えてる~。むふふ~、キース先生、持ち出したんだ」
ミーナが発見していた女性の姿が書き込まれた魔導書が本棚から消えていた。
キースさんが趣味で集めているのか。
あまり、詮索しない方が身のためだと思い、軽く掃除する。
以前よりも片付けられており、キースさんのやる気が見て取れた。無駄な情報は別の場所に移す算段だろう。
掃除を終え、私達は教室にいったん戻る。結局今日はメロアが戻ってこなかった。
ニクスさんと一緒にいたら、募る話もあったのだろう。帰って来たら、ベスパに書き写させた板書を持って行ってあげようかな。
さすがに今日の夜までには帰ってくるでしょ。フェニル先生ならなおさら。
私達は教室で解散した。すでに六時を過ぎており、部活に向かう者と寮に戻る者にわかれる。
私は寮に戻って夕食を得て寝ようと考えていたが、あの二人が気になって仕方なかったので、バートン術の厩舎に向かった。
三年生は講義が少なく、部活動に当てられる時間も多い。両者共に単位を完璧に取っているなら、少ない講義の合間を縫って練習しているはずだ。
「マルティ君、私、もう……」
「リーファちゃん。僕も、もう耐えられない……」
心臓がドキリと跳ねる。抜き足差し足で、厩舎の方に近寄るとマルティさんとリーファさんが手を握り合い、視線を合わせ合っていた。そのまま、唇が……く、くっつ……、かない。
「きつう~、もう、体がバキバキ……」
「さすがに根を詰めすぎかな。体の方が先に壊れちゃう」
リーファさんとマルティさんは空気椅子していた。両手を掴み合い、互いに倒れないようにバランスを保つ鍛錬。
バートンに乗る時はバランス感覚が重要なので、中々理にかなった鍛錬方法だ。ただ、ものすごく残念な気持ちがこみ上げてくる。
どうせなら、どちらかに倒れて、そのまま唇と唇がぶっちゅ~って、くっ付いてほしかった。
「キララ様、願望が口に出てますよ」
ベスパは私の頭上に現れ、口もとを押さえながら呟いた。
――嘘っ!
私は今までの言葉が口から洩れていたのかと思い、手で口を塞ぐ。本当に漏れていたら、今さら遅いのだが反射的に動いてしまった。
「嘘です」
ベスパはクスクスと笑い、手と翅をブンブンと動かす。
「燃やすぞ……」
ベスパにからかわれ、腹立たしいが口から出すと恥ずかしい考えをしていたのは事実。
私も少々のろけすぎているようだ。仕事していないと、こういったおバカな思考ばかりしてしまう。私の悪い癖だな。
「えっと、マルティ君。手……」
「あ、あぁ。ごめん、リーファちゃんと手を繋ぐのがすごく嬉しくて」
「も、もう、手を繋ぐくらいで何言っているの」
リーファさんとマルティさんは手を握り合わせながら、甲を摩り合っていた。さっさと手を放せや、と言いたくなるのをぐっと堪え、咳払いする。
「あ、キララさん。ごめんなさい、気づかなかった」
リーファさんはマルティさんの手をさっと放し、手を腰に持って行く。今までのやり取りを聴かれていたのかと恥ずかしいのか、頬や耳をじんわりと赤く染め、苦笑いをうかべていた。
別に婚約している相手なんだから、何も恥ずかしがる必要は無いと思うんだけど……。
「キララさん、この時間に来るなんて、珍しいね」
マルティさんはリーファさんが手を離したのが少々悲しかったのか、彼女の背中に移動させられた手をもう一度握り直す。
その行動にリーファさんはもっと顔を赤くしてしまって少々俯き、目をウルウルとさせていた。なんだ二人、もう結婚しちゃえよ。
「仲良しですね」
「仲良しだからね」
マルティさんは微笑み、リーファさんの方を向きながら呟いた。
「も、もう、恥ずかしいって……」
「キララさんは僕たちの関係を知っているわけだし、別にこそこそする必要はないと思うよ。あと、手を離されて胸がずきってしてしまったから」
「ま、マルティ君……」
リーファさんは手の平を握るのではなく、マルティさんの体にムギュっと抱き着いた。マルティさんの方はてんぱり、顔を赤らめる。でも、そのまま、彼女の背中を包み込むようにもう片方の手を背中に添える。
――やべぇ、ラブラブすぎて、逆に見てられん。
私は嫉妬心と言う名の、醜い感情が腹の中から湧き上がってくる。私だってあんな風にラブラブ出来る相手がいたらしたいっつうの。
でも、その姿を見ていられるこの状況もたまらなく愛おしい。彼らのなれそめを見届けられるのなら、多少の感情の起伏など取るに足らぬ。
「二人共、キスはまだしないんですか?」
「き、キス……」
マルティさんとリーファさんは同じ言葉を呟き、頬を一気に赤らめる。
私は両者のどぎまぎしている表情を楽しみながら、弄りまくる。
これくらいの楽しみは許してもらおうじゃないか。そうしないと、私が惨めに思えてくる。
両者共に意識しているようだが、そこまで踏み込めないのも事実。
まあ、ゆっくりでもいいので少しずつ仲良くなってもらおう。彼女たちのラブラブっぷりを盗撮するなんて嫌な気もするが、キースさんにお願いされている以上しないわけにはいかないよね。
私はレクーの体をブラシで綺麗にした後、食事を与え、バートン術を鍛錬するわけでもなくそのまま、冒険者女子寮に戻った。
寮に帰るとメロアとフェニル先生がいるかと思ったが、まだ帰って来ていない。どれだけ、ニクスさんと一緒にいるんだろうか。そう思って、ビー達の視線を借りる。
「フェニル、あんた、そんなんでちゃんと先生出来るの?」
「できてる、出来てる~。こう見えて、私はSランク冒険者なんだよ~。もう、ルークス王国に八組しかいない中で私だけ一人パーティーなの~」
「一人でパーティーとは言わないよ、まったく」
「ハイネおばさんは……ぐへっ!」
フェニル先生はニクスさんと共にパーティーを組んでいる人と森の民の子供であるハーフエルフのハイネさんに首根っこを掴まれていた。というか、盛大に酔っぱらっている。
冒険者ギルドの食堂で、一杯付き合ってほしいとでも言われたのだろうか。
「もう、やめてよ、おばさん~。そんな怖い顔していたら、ハーフエルフと言えど老けちゃうよ~」
顔を赤くしているフェニル先生はニヘニヘ顔で、笑っていた。お酒が入ると本当におバカになってしまうのが、玉にきずだ。
「はぁ、昔は可愛げがあったのに、こんな風になっちゃって。ほんと、誰に似たんだが……」
「私は、おばさんに似たんだよ~。多分ね~」
フェニル先生はハイネさんに抱き着き、頬をくっ付け合わせていた。
ハイネさんから見れば、フェニル先生は姪っ子。どちらも若いので頭がおかしくなりそうだが、ハイネさんは結構な歳を取っているはずだ。もう、五〇歳以上かな。もしかするともっと年上の可能性もある。
――フェニル先生が遅れている理由はお酒を飲んでいるから……。じゃあ、メロアの方は。
ビーにメロアの位置を探してもらうと、案の定医務室だった。
「ニクスお兄ちゃん、私、帰りたくない……」
「どうしたんだい、メロア。もう、学園に入学して大人になったんじゃないのかい?」
「うぅん、全然大人じゃなかった。ニクスお兄ちゃんに会ったら、もう、ずっと子供でいいって思っちゃった……」
メロアは学園の中で想像もできないくらい甘えん坊になっていた。ベッドで上半身を持ち上げているニクスさんにぎゅっと抱き着き、膝枕されている状態で赤子と言ったほうがわかりやすい。
もう、バブバブ状態。頭を撫でられているだけで、瞳をとろんと蕩けさせ、微笑み顔が止まらないご様子。あれが、血気盛んなメロアがニクスさんにだけ見せる甘々な顔か。さすがに誰にも見せたくないだろうな。
「メロア、学園は卒業した方が良い。あと、レオン王子と婚約したんだってね。フェニル姉さんから聞いたよ。おめでとう」
ニクスさんはメロアの頭を撫でながら、いつもと同じように優しい笑顔を浮かべる。彼がお兄さんだったら、妹が甘えん坊になってしまうのも無理はない。絶対甘やかしてくれるとわかってしまう。でも、それが抜け出せなくなってしまう落とし穴だ。
「うぅ、お父さんが勝手に決めたの。私、そんな気持ち、全然なかったのに……」
「あぁ、なるほどね……。じゃあ、メロアはレオン王子が嫌いなの?」
「き、嫌いと言うか、いけ好かないと言うか、ニクスお兄ちゃんの方が八〇〇倍カッコいいし優しいし、頼りになるもん。私、ニクスお兄ちゃんと結婚したい……」
「はは、嬉しいこと言ってくれるね。でも、僕たちは兄妹だから、結婚は出来ないよ。あと、王族になれば贅沢な暮らしも出来るし、メロアの人生がよりよくなるのは確実……と言い切れないけれど、楽しいことは必ずあるよ」
「ニクスお兄ちゃんといれば、ずっと楽しいもん。今も、学園にいるより何倍も楽しい。やっとニクスお兄ちゃんに会えたのに、もうお別れなんて嫌……」
メロアはニクスさんに抱き着いたまま、離れようとしなかった。とてもすいているのはわかるが、ずっとそのままでいるわけにもいかない。
ニクスさんは初め、微笑んでいたが、少しずつ表情を変える。
「メロア、僕はミリアと結婚しているんだ。だから、もう、メロアとは結婚できない。これからはミリアの方を幸せにしていく。メロアに構っていられる時間はもうないんだ」
ニクスさんは嘘か誠か、ミリアさんとの結婚話を呟いた。メロアは目を見開き、口が空いて塞がらない。
すぐ近くに青髪の獣族であるミリアさんが椅子に座っており獣耳がへたり込んでいた。頬が赤く染まり、両手を膝の上でぎゅっと握りしめている場面から想像するに、たぶん事実っぽい。




