クレアさんと昼食
ハンコの向きや押し具合を均一にそろえ、見栄え良く押している。
私は眠い時など適当に押していたので、ぐっちゃぐちゃだった。
もしかすると、クレアさんの方がこの仕事に向いているのかもしれない。
「ふぅ~。おしまいっ!」
クレアさんは三〇分以上かけてハンコを押し終えた。適当にすれば一〇分程度で終わるのに。
でも、適当にこなさないおかげで達成感をより大きくしているのかもしれない。
クレアさんの性格は難しい道を選ぶというハードモードタイプだ。
私みたいな、嫌いな分野はイージーモードを選ぶような人間ではない。だからこそ、ものすごく力強く生きている。私も見習わないとな。
クレアさんは金貨の塔を分けていく。二割はウルフィリアギルド、もう二割はクレアさんの取り分、残り六割は私の取り分だ。
何もしていないのに六割も貰っちゃっていいんですか~。
会社が軌道に乗っているからといって油断していると足下を掬われるため、いい気になるのは一瞬だけ。
その後は気を引き締める。といっても、ビー達は機械のように仕事を完璧にこなすので、へまはほぼしない。こういって安心していると危ないんだよな……。
――ベスパ、ビー達に魔力を送って、気を引き締めさせて。
「了解です!」
ベスパは敬礼し、自らも気を引き締めていた。仕事に対する気持ちはそれくらいでちょうどいいのかもしれない。
「キララさん、お昼を一緒に食べましょう!」
お金を分け終えたクレアさんは椅子から立ち上がり、私のもとに走ってくる。どうやら、クレアさんもウルフィリアギルドの中で食事がとれるように配慮してくれたようだ。
まあ、ギルドの職員のような仕事だし、問題ないか。
「良いですね。仕事も終わりましたし、一緒に昼食にしましょう」
私はクレアさんと共に、一階にあるウルフィリアギルドの食堂にやって来た。
学園の食堂と値段が大差ないため、この食堂を利用するために冒険者になる者も少なくないとか。
「ウルフィリアギルドの昼食は毎回違うんですよね」
「そうなのよ。沢山入荷した食材を使って提供してくれるから毎回料理が違うけど、毎回安いのよね~。ほんと、お腹を満たすため、新しい発見するためだったら、こういう提供方法が物凄くありがたいわ~!」
クレアさんは好き嫌いがないので、毎回変わる日替わりランチのような食事でも全然気にしなかった。
たまに、昼食はかつ丼じゃないと嫌だとか、絶対にこれが良いというこだわりの強い人も中にはいるので面倒事もある。
昼食は夕食と違って値段が安く済み、顔を広げるのにうってつけだ。
昼食なら、銀貨数枚で済む。でも、夕食だと金貨数枚は掛かるお店が多いだろう。
お店側も、夜に来るお客さんはお酒や料理を沢山頼んでくれるから、お金の稼ぎ時だといわんばかりに値段が高い。
逆に昼はお客さんが来ない場合が多いので、食事代を安くして集客を試みる。
その作戦にバカみたいに嵌る社会人たちは、社会の掌の上で転がされているようだ。
女の子は飲み会に誘われても行かない方が良い。お酒を飲まされて何されるかわかったもんじゃない。
逆に、昼食に誘われたらガンガン行こう。大概おごってもらえるだろうが、財布を出すことをお忘れなく。
まあ、お昼に誘われたら狙われているサインかな。ただ、昼食目当てだけで行くと面倒なことになるので仲良くなりたい者限定にしておくといいだろう。女友達なら、ガンガン行こうぜ。
ということで、私もクレアさんと昼食に来たわけだ。
食堂のおばちゃんに昼の定食を二食分お願いした。加えて、三キログラムの骨付き魔物肉も頼んだ。
「き、キララさん、そんなに沢山食べるの。体を大きくしようとするためだとしても、そんなに食べても太るだけじゃ……」
「違います、違います。この肉は……」
私が肉を受け取ろうとしたころ、においにつられてきたのか室内にいた真っ白いモフモフした存在が駆け付ける。
骨付き肉を手に取り、砲丸投げのように遠心力を使って放った。すると真っ赤な舌を出しながら肉に飛びつき、金属くらい硬い骨を発泡スチロールを割るくらい簡単に噛み砕いていく存在が私の前にいた。
「フェンリル、飛びついて来たら行儀が悪いでしょ」
「肉が食べたくて仕方がなかったんだ。仕方ないだろう」
フェンリルは金色の瞳を輝かせ、もう一枚早くくれといわんばかりに、尻尾を振りまくっている。
まだ、お金を払っていないので半分犯罪みたいなものだが、この光景は食堂のおばちゃんもよく知っているので考慮してくれた。
大きめの肉を食べさせている間に会計を済ませる。大量の肉だが、生なのと魔物の肉なので銀貨三枚程度。まあ、ペットの食事代と考えると糞高いが、神にお供えする食事だと考えれば、悪くない値段だ。
私とクレアさんは銀貨二枚ずつ支払い、定食を購入。ベスパに残りの肉を運ばせながら、開いているテーブル席に移動した。
周りは早朝に仕事に行って帰って来た冒険者達と、昼食を得てから仕事に向かおうとしている寝坊助冒険者達だ。
仕事終わりの冒険者達がお酒を飲み、楽しそうに騒いでいる光景はもう、見慣れてしまった。
いくら注意しても治らないのはキアズさんの苦労がにじみ出た表情からわかるので、放っておく。
逆に、仕事もしていないのに、お酒を飲もうとしている者はフェンリルが視線を送り、恐怖感を与えて飲酒を防止していた。
やはり、神獣というだけあって眼力だけで、人間を怖がらせられるようだ。私から見れば、ドヤ顔しているくらいにしか見えないのだけれど……。
「早く食べないと冷めちゃうわ」
「そうですね、温かいうちに食べないともったいない」
クレアさんは両手を握りしめ、神に願いを捧げてから食事を始める。
私は手を合わせ、神と食材、その関係者に感謝の気持ちを願ってから食事を始める。
目の前に置かれている品は柔らかい白パンとサラダ、玉ねぎと人参っぽい野菜が入った暖かい鶏がらスープ、魔物のサイコロステーキだ。
出来立てほやほやで、石の板に垂れる肉汁が蒸発し、心地よい音を奏でていた。聞くだけで、お腹が空く。
だが、まずは水を一杯……。喉を潤してから、サラダに手を付ける。
ドレッシングなんて有用な品は掛かっておらず、オリーブオイルっぽい品と乾燥した粉々のミグルムが軽く散らされている程度。それでも十分美味しいので、塩分や油分を無駄に摂取せず、ダイエットに丁度いい。
黄色っぽい油分と黒いっぽい香辛料が残った皿の中に千切った白パンを付け、味を加えて口に頬る。一滴たりとも無駄にしたくない精神で、皿が舐めまわしたのかと思うほど綺麗になった。
行儀が良いか悪いかでいったらあまりよくはないだろう。でも、周りにいる冒険者達の方が悪いので、誰も気にしていない。
こういうところで気を抜くから、私は庶民なんだろうな。隣にいるクレアさんはルドラさんの妻の印象を崩させないために完璧に貴族の食事を守っていた。
大きな声で喋らず、小さな一口を何度も繰り返し、無駄な音を一切鳴らさない。大変綺麗な食べ方で冒険者ギルドの中にいると異質な存在だった。
「肉、肉~。肉をくれ~」
隣にいる神獣の方がバカっぽい。大きな皿に乗った骨付き肉を掴み、フェンリルの口に持って行く。硬い筋や骨が強靭な顎によって豆腐のようになくなっていく。人間もあんな風に簡単に食べてしまえるんだろうなと思うと背筋が凍った。
「人を食べたら、どうなるか……」
「人なんて骨と内臓だらけで不味い。なんなら、腸が長くて臭いし、食えたもんじゃない。もう、何百年も食べていないぞ」
「そうなんだ。まあ、何百年も前ならじこうかな……。何か理由があって食べたんでしょ」
「昔、罪人を食せとかいうわけのわからない命令を受けた。ほんと最悪だったな。まあ、今考えると食事代を浮かせたかったのかもしれん。罪人は羽虫以上に沸く。人間だから魔力も多い。不味いが食料と考えれば悪くない存在だった。戦争が起こった時なんかは死体を沢山食わされた。まあ、腹は膨れたが気持ちが良いものではなかったな……」
「ほんと、法律が無い時代は怖いね」
私はフェンリルを膝の上に乗せ、ギュッと抱きしめる。そのまま、非常食の人間を食べなくてもいいぐらい大量の魔力を与えた。
「あぁぁぁ、き、きもちぃいぃ~」
フェンリルはキモい声で、蕩けていた。大量の魔力が体の中に流れ込んでくるのだから、ガス欠になった車にガソリンを入れている時のような雰囲気が全身から漂っている。
「これでどうだ~。もう、人間なんて食べる気にならないでしょ」
私はフェンリルのお腹をすりすりと摩る。
「こんな満腹になったら、人なんて食う訳がないだろう。まったく、この小娘は……、われをペットとしか思っておらんな……」
フェンリルは私の膝の上でごろ寝し、お腹を見せてくる。この子もペットの気質がわかってきているようだ。
元は神獣。いや、今もだけれど。でも、私がいる時くらい健やかなペットとしての時間を過ごすのも悪くないだろう。
どう考えても私の方が先に死ぬんだし、こんな時間もあったなと思い出になってくれるだけでもうれしい。
「ウリウリウリ……」
五本指を立てて、ブラシのようにした後、八の字を書くようにお腹を撫でる。ふわふわとモニモニの感触が指先から伝わってくる。じんわりと熱いので、神獣といえどちゃんと生きているのだ。
「おぅ、おおぉ、おぅぅおぉ……」
「……」
このおっさんの声さえなければ、凄く可愛いんだけどな。ほんと、このおっさんの声じゃなければ……。
「おっさんおっさん、うるさいぞ。われはおっさんではない! おぉおおおぉ、き、きもちいぃぃ……」
フェンリルが威厳を保とうと声を張り上げるが、顎下をわしゃわしゃと撫でてあげると一変する。
マッサージ器に乗っているおっさんのように声が震えていた。尻尾が振られ、私の脚や腰に何度も当たって結構痛い……。
食事の最中にフェンリルと戯れていると、時間がどんどん過ぎてしまう。左手でフェンリルのお腹を撫でながら、右手でフォークを持ち、サイコロステーキを口に運ぶ。
オージー牛のような少々油っぽいにおいがするものの、食べられないことはない。安いなら十分すぎるだろう。
香辛料やソウルのおかげでずいぶんと食べやすくなっている。フェンリルにも一個上げると、尻尾がちぎれそうなほど振りまくっていた。