しっかり者のクレアさん
「依頼を見に行くよ。朝早くから行かないと、今日、宿に泊まれるぶんだけのお金を稼げない。手持ちはミリアの大食いのせいでほとんどなくなっちゃったんだから、しっかり稼いでもらうよ」
「う……、わ、わかっているよ。沢山稼げるように体を張るから」
ミリアさんはニクスさんに何かしら弱みがあるのか、指先を突き、視線をそらしながら呟いていた。
私はニクスさん達と別れ、受付に向かう。いつも話を通していた受付嬢のもとに挨拶する。
「おはようございます。お久しぶりです」
「あ、キララさん。お久しぶりです。学園に入ったんじゃ……」
「今日は休みだったので、代理人の仕事っぷりを見に来ました」
「なるほど。朝早くから仕事場に向かわれたので、部屋の中にいると思いますよ」
「わかりました」
私は受付嬢に頭を下げ、昇降機を使って八階まで移動した。八号室の扉の前にやってくる。ビーの巣と書かれた木版が扉に付けられており、久しぶりにきた。
仕事場に来るのが久しぶりと思うとは、私も学生なんだな。
扉を三回叩き、名前を言う。
「キララです、入っても良いですか?」
返事を待っていたら、扉がドンッと音を鳴らしながら開き、私のもとに金髪の美女が飛び出してきた。
そのまま、抱き着いてきて回り始める。私の体が軽いから、女性でも簡単に抱き上げられてしまった。
「く、クレアさん、苦しいんですけど……」
「あぁ、ごめんなさい。いやぁ~、まさか、キララさんが来るなんて。もっと後に来るとおもってた。結構早かったね。学園が始まってまだ八日程度なんじゃない?」
長い金髪をふわふわっと下ろし、藍色っぽい質素なドレスを着た女性、クレア・マドロフさんが私の手を握りながら笑みを向けてくる。
クレアさんはルドラさんの妻で、屋敷にいる時間が長いという特徴があった。
加えて、貴族の女性は仕事をほぼしないというのに、クレアさんは商人のルドラさんの妻であり、もともと変人気質ということで、仕事に対する偏見がない。
一年間、牧場で仕事を経験しているため、仕事が大好きになっていた。
だから、私が設立したFランクやDランクなどの程度が低い依頼は私達の方で処理するという会社の業務を代わりに請け負ってくれていた。
まあ、ビー達が仕事した後にクレアさんがハンコを押すだけという簡単な仕事なので、誰でもできる。
でも、クレアさんほど信頼できる女性もいないので、お願いしてた。
「時間が出来たので、見に来ちゃいました。仕事の状況はどうですか?」
「前よりも程度の低い依頼が多い印象があるわ。魔物関連の依頼はほとんどないけれどね」
クレアさんは私を部屋に入れてくれた。掃除は定期的にしているのか、埃が床に溜まっていたり、泥が残っているという訳ではない。
私の靴が雨に濡れて泥っぽかったけれど、ブラットディアたちに綺麗にしてもらったから、土足でも問題ない。
雨の日の依頼はいつもより多い。
貴族の使用人や本当に困っている者が来るようなので、出来る限り請け負ってあげたい。ビー達が仕事するので私の負担はほぼないからね。
「今、ビー達が仕事に行ったところよ。私はいつもここで、のんびりさせてもらっているわ」
クレアさんは机の上に読みかけの本や布地、毛糸、裁縫道具などが置かれていた。
もう、彼女の秘密基地といっても良いような場所だ。
私の特別な空間という感じも好きだったが、知り合いと共に共有している場所という雰囲気も悪くない。友達の家に遊びに来た感覚だ。
「クレアさんも、ちゃっかり楽しんでるんですね」
「いや~、こんな仕事したら、前の牧場の仕事に戻れなくなっちゃいそう。本当に楽なんだもん。だから、たまに私も依頼を受けるようにしているの」
「ええぇ、す、すごいですね。私なんて、全部他人任せにしてきましたよ」
「それも楽でいいけれど、やっぱり、私は自分の体を動かすのが好きみたい。今日みたいな雨の日は行かないけれど、晴れた日は体を動かすために依頼を受けているわ!」
まさか、クレアさんがここまで働き者だったとは。
まあ、牧場にいた時から働き者だったので、彼女の力は主戦力だった。
ビー達に任せれば簡単に終わる仕事を自分からこなすという無駄な行為。
その話を聞いて、私は尊敬した。
私がしなかったことをしているというのが尊敬できる点だ。
だって、今までインターネットで全部仕事をこなしていたのに、いきなり出向いて仕事するなど普通しない。
人間は楽なことをしたら、とことん楽したがる生き物だからだ。私だって、ずっと楽できるなら楽したい。
「クレアさん。やっぱり、普通の女性じゃありませんね」
「むっふ~。そうでしょ。私は仕事もバリバリこなせちゃう完璧な妻になるの。それに沢山沢山仕事して、お金を稼いで、ルドラ様にもっと楽してもらいたい。今、忙しい時期だから、帰ってくるのも遅いし、働きすぎな気がするの。このままじゃ、疲れて倒れてしまうわ。そうなったら、妻失格。ちゃんと休ませなきゃって思ってね」
クレアさんはほんと出来た女性だ。
他の貴族なら、もっと稼いでこいや! といって大金を撒き上げた後、自分の私利私欲にお金を使いそうだが、彼女は全然違う。
初めて会った時はちょっと姉さん気質な女性としか思っていなかったが、社会経験を経て、ここまで立派に成長するとは……。
私は八日ばかり、クレアさんと会ってなかった。たった八日、されど八日。
この短い時間で彼女はものすごく成長したように見える。
あぁ、そうか、今まで、ドラグニティ魔法学園で子供っぽい女の子ばかり見てきたから、クレアさんの姿が妙に大人っぽく見えるのか。
「キララさんが残しておいてくれた紅茶と珈琲、お金を払いながら飲んでいるの。もう、美味しくて美味しくて、ここに来たら毎回飲んじゃうわ。ほんと、カロネさんの腕は王都でも十分通用するわね」
「わざわざお金を払ってくれているんですか?」
休憩机の上に置かれている紅茶の茶葉と珈琲豆が入った密閉瓶の近くにガラス製の貯金箱のような入れ物が置かれていた。
「一杯ずつ飲むたびに金貨一枚入れているわ。どちらも銀貨五枚くらいはするものね。なんなら、金貨一枚でもいいくらいよ」
「ありがとうございます。そうしてくれると、また街に戻った時、買えます」
私はクレアさんのマメな姿をこれでもかと知った。いやはや、近くにいるとわからないこともあるんだな。
少し離れることで、相手の全体像が見えるというのもあながち間違いじゃない。
クレアさんは紅茶が飲みたいというので、私が淹れる。貴族の女性に振舞えるほどの腕前ではないが、カロネさんに軽く教わっている。茶葉がそもそも美味しいので多少はプロの味に近づけるはず。
ティーポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。三分ほど蒸らして、綺麗に洗われたティーカップにそっと注ぎ入れた。
すでに香り高い紅茶のにおいが部屋中に広まる。珈琲を入れるよりもちょっと楽だ。
豆をすりつぶす時間がないから当たり前といえばあたりまえだが、時間を気にする者にとっては大切なこと。
紅茶を二杯淹れたら、一緒に一杯ずつ飲む。濡れた体に暖かい紅茶が身に沁みる。苦味が一切なく、フルーティーな香りとすっと飲める後味が特徴的で、ウトサを入れなくても何ら問題ない。
逆に、甘味なんていらないと思うくらいだ。まあ、クレアさんはウトサを入れたいそうだけど。
「はぁ~。こうやって部屋で集まってお話をするの懐かしいわ~。学生の頃はお茶会を開いて、知り合いと一緒に楽しんだものよ。まあ、だいたい自慢話とか、嫌いな者の話しばかりだったから、私は苦手だったけどね~」
クレアさんは紅茶を優雅に飲みながら、過去の話をしてくれた。私にとって貴重な話なので、しっかりと聞く。
今後、お茶会が開催される可能性は大いにある。まあ、呼ばれなかったら意味がない。
貴族のお茶会は過去の中でも経験した覚えがないので未知との遭遇だ。出来る限り、情報を得ておきたい。
「お茶会ってどういうふうに接するのが良いんですかね?」
「そうねー。私は苦手だけど、ほかの者の話に合わせることかしら。楽しい話の時は楽しい話、相手の悪口をいう時は相手の悪口の話っていう具合にね」
クレアさんは腕を組みながら過去を思い出している。
「でも、それは女の子ばかりのお茶会の場合。男の子がいる時はにこにこ笑っているのが普通で、男の子の話を聴いて頷いていればいいわ。それで多くの知り合いはめでたく結婚してたもの」
「へぇー、なるほど。案外社交的なんですね」
「そりゃそうよ。お茶会なんて貴族社会の練習みたいなものだし、ここでいい印象を付ければ、大きなパーティーに出た時も話し掛けられやすくなるわ。私はゼロだったけどね!」
クレアさんは胸を張り、堂々と言う。堂々とする話じゃないんだよな。
紅茶を飲んでいると少々何かを摘まみたくなってくる。
甘いクッキーやケーキがあれば最高だが、そんな品は買えない。仕方がないので乾燥させたビーの子を小皿に移し、つまむ。
小腹に良い具合に溜まるのに加え、甘味があるので紅茶と相性が良かった。ピーナッツをつまんでいる感覚に近い。
クレアさんにもおすそ分けして、懐かしみながら一緒に食べる。
何かを共有するというのは女にとって大切なこと。男は一人で行動し、女は群れて行動する。そういう進化の過程を経て、今に至るといわれているため、頭の中は群れていたいと勝手に思っているのだ。
この世界の人間がどのようにして進化してきたか知らないが、クレアさんと一緒にいる私は嬉しいし、私と一緒にいるクレアさんも嬉しそう。
つまり、群れて楽しんでいるわけだ。地球の人間と進化の過程はほとんど同じだと思われる。ここまで同じ人間だと怖いくらいだけど。
まあ、魔法とかいうわけわからない力が使えている時点で、地球とはまるっきり違うか。
クレアさんと楽しい女子会を経て、午前一一時頃。ビー達が達成依頼書を持って部屋に戻ってくる。私は耳を塞ぎ、周りから拒絶する。
「あ、私の仕事がとうとう来たみたい」
クレアさんは革製の椅子に座り、ハンコと朱肉を机に並べる。大量の達成書にハンコを押して行き、完全に依頼が達成されたことになる。
ただ、ハンコを押すだけなので誰でもできるわけだが、クレアさんはこんな単純作業にも工夫を凝らしていた。