垢ぬけた
私は朝食のパンとベーコン、スクランブルエッグ、サラダを軽く平らげる。
紙袋を部屋に持って行き、荷物を減らしたあと雨具のフードを被って冒険者女子寮を出る。
大粒の雨が、水を通さない雨具に打ち付けられる。パラパラという音なら可愛いものの、ババババババッというぐらい激しい雨が降り続いていた。
こんなときに部活が出来るのかと疑う。バートンや乗る者にとっても危険なので、安全に配慮してもらいたい。
ディアの仲間の背中に足を乗せ、水浸しの道をすーっと走ってもらう。ブラットディアたちは水の中で呼吸ができるわけではないが、私の魔力を貰っているので多少、呼吸しなくても問題ない。
なんなら脚を動かす速度が速すぎて水の上すら走っているかもしれない。
バートン術部の厩舎に来ると、体を動かしてやる気満々のレクーの姿が見えた。雨音を嫌うイカロスとレクーに夢中のファニーがそれぞれまるわかり。
「イカロス、今日は走らないでおこう。この雨の中だと、さすがに危険だ。逆に体作りでもしよう」
朝早くからマルティさんは厩舎に来ており、イカロスをブラッシングしていた。
「マルティさん、おはようございます。雨なので、気を付けて部活してくださいね。風邪をひくかもしれませんから寮に戻ったらすぐにお風呂に入って暖かい恰好で寝るように」
「うん、そうするよ。逆に、キララさんも気を付けて。レクーでも足場が悪かったらこける可能性があるから」
「はい。もちろん、安全に走ってもらうように言いますよ」
私はレクーを厩舎から出し、手綱を付けて背中に跨る。
「レクー、今日は雨だからゆっくりめに走って。こけたらビー達が助けてくれると思うけど、危ないからね」
「なにがなんでもキララさんを安全に運びます」
私が手綱を靡かせるとレクーは歩きだした。小走りの速度で、水浸しの道を移動する。
そのまま、学園の入口までやってきた後、騎士に外出届を出し、王都の街に出た。
前方に映るのはでっかいお城。こんなどんよりとした雨の日でも、お城の外壁の白は妙に輝いて見える。質が良い素材を使っているのだろう。
ドワーフが作ったのかな。そうだとしたら、ざっと一二〇メートルを超えるデカい建物を作れる技術がすごい。
「キララ様、余所見しながらの移動は危険ですよ」
ベスパは私の頭上を飛び、注意してきた。確かにその通りだ。ドライブ中に他の建物に気を取られ過ぎて事故したら、元も子もない。
この場所に信号機はついていない。
いるのは騎士の手記のみ。それがあるだけで、全然違うんだけど。
人件費を考えたら信号機を付けた方が安そう。
いや、器械で管理しないと行けないから案外難しいか。そう考えたら、人って便利だな。奴隷という存在がどれだけ昔の世界を支えたかわかるよ。
私は安全走行を心掛け、王城にちょっと近いウルフィリアギルドにやって来た。
こちらも白い建物でとても綺麗だ。白い豆腐がシャワーで洗われているような見た目なのがちょっと笑いそうになる。
レクーを屋根が付いている厩舎に移動させ、濡れた体をさっと拭いてから『ウィンド』と『ヒート』の混合魔法で水気を完全に飛ばす。
軽くブラッシングして餌箱に干し草、バケツに水を入れたら完了。
一応、バートン用のブランケットをレクーの背中にかけておく。雨の日は冷えるので、体温調節しておかないと風邪ひいてしまうかもしれない。
「じゃあ、レクー。ここで待っていてね」
「わかりました。気を付けて」
レクーはすぐに餌箱に顔を突っ込み、干し草を食べる。大きな体を維持するために、沢山食べなければならない。
干し草から得られる栄養なんてほんの僅か。でもレクーの体内にいる微生物が干し草を分解してタンパク質に似た物質を作り、筋肉をつけていると想定される。
まあ、馬や牛、ゴリラが草しか食べないのに筋肉が多い理由と同じだろう。
だから、微生物をある程度活発にしてあげれば、効率よく筋肉が増えるわけだ。
軽く魔力を含ませておき、大量に食べなくても体が十分育つように配慮しておく。
その後、雨具のフードを深く被り、ウルフィリアギルドの大きな門をくぐって敷地に入った。
今日は雨なので、いつもより冒険者さんはいない。でも、ちらほらと歩いていた。
「あの人も、その人も、あっちの人も、皆、雨具を着ている。もう、王都でも広がっているよ。やっぱり、使い勝手が良いんだな」
こっちの世界の人達は傘を滅多に差さない。背後から刺されるかもしれないし、剣の邪魔になる。物騒な世界だからこそ、傘をさす文化が無いのだ。
そこで昔、私が濡れるのが嫌だという理由で作ったのが雨具だった。
街の小さなギルドであるバルディアギルドで初めておろしてからすでに一年以上経っている。
審査を通り、王都でも販売出来るようになったらしい。
まあ、マドロフ商会にもおろしていたのでそこから広まった可能性もある。
どちらにしろ、冒険者さん達が防具の上からカッパを着ている姿がちょっと可愛い。厳つい雰囲気なのに元気な子供のようだ。
でも、傘よりも明らかに使い勝手が良いので、人気なのかな。
そんなカッパの初期型を使っている私だが、目の前に白い……太麺? が現れる。
「キララ、やっと来たか」
白い太麺が喋ると、私の体の周りをグルグルと回り始める。白い太麺……ではなく、モフモフの毛が水のせいでへたり、体にくっ付いてしまっているフェンリルだ。
あのモフモフで可愛らしかった見た目が、何ともスリムになっちゃって。
最近は会えていなかったな。私の学業の方を優先してくれるところがどことなく優しい子だ。
まあ、私なんかよりずっと年上のおじさんだけど。
「よしよし~。こんなに濡れたら、風邪ひいちゃうんじゃない~」
フェンリルの顔を両手でモチモチと揉みこみ、可愛がる。
「や、やめろ。そんなにベタベタ触るな……。われは神獣だぞ!」
フェンリルは言葉で強がっているが、尻尾を見れば感情が一目瞭然。プロペラ並みにブンブン振られている。尻尾はとても正直者だ。
「はいはい、もう触らないよ」
「え……、ちょ、そ……、し、仕方ないな。特別に許可する」
フェンリルはお腹を見せながら寝ころんだ。石畳とはいえ、雨で水浸しなのに。
神獣は風邪しらずなのだろうか。だとしても、体がビチャビチャでせっかく白くて綺麗な毛並みがドロンコになっていた。
その方が犬らしいけど、やはり神の文字が付くのだから、もっと綺麗にしなくては。
汚れている地蔵や大仏などがあったら、綺麗にしたくなるのが人の性。
私はフェンリルを屋根付きのお店の前に連れて行き『ヒート』と『ウォーター』の混合魔法でお湯を出し、泥を洗い落としたあと体に着いた水分を乾いた布で拭きとっていく。
「ちょ、あ、暖かい……。そ、そんな優しく……」
「うるさい。おっさんの声でそんな言葉を呟かないで」
「お、おっさんだと? われの声がおっさんと言いたいのか?」
「じゃあ、お爺さんが良い?」
「う……、お、お兄さんで」
「ぷっ」
フェンリルと言えど、自分の年齢が気になるのか、あまりにも厳しい発言。
さすがにお兄さんのような爽やかな声ではない。そうだな、お兄さんというならもっと若くないと。
せめて一〇代後半、二〇代前半くらいがお兄さんと呼んでも差し支えなさそう。
「ん、キララさん……?」
どこからか、爽やかなお兄さんっぽい声が聞こえて来た。
温かみのある声で、日の光がない今日のような日に聞くと、ほんわかする。
どことなくフェニル先生に似ているが、声質は間違いなく男。
声変わりしているので、一五歳以上なのは間違いない。そんな人物で私の名前を知っているということは……。
私は声が聞こえた方向を見た。すると、雨具を着た三名が入口に立っていた。
その雨具が私の着ている雨具初号と同じ形と色合いで、当時、私がバルディアギルドに卸していた商品と全く同じだった。
あの頃から商品の形も少しずつ変わっているし、色合いも違う。二号、三号という具合に進化していき、今は八号くらいになっているのではないだろうか。
そんなに進化しても未だに初号を使っているなんて、やっぱりいい品は物持ちが良いんだな。
「あぁ~、キララちゃん。久しぶり~」
フードの影響で口もとしか見えず、甘い声が響いた。胸もとの大きさからして女性で間違いない。でも、女性を声質だけで当てるのは中々難しいので、よくわからなかった。
でも、フードの頭の部分が人の形と少々違う。頭に角や耳、などが付いている他種族だろうか。
「あれ~、もしかして、私達、忘れられているのかな?」
背が一番高い者も声が高く、胸が異様にデカいので女性だろう。どこか大人びた声で、フリジア学園長と似ている。
フードの側面がカレーパンのように広がっているので、耳が人の形状と異なっているとわかった。
日のような声を持つ人族と頭部の形状が違う者、耳の形状が違う者、そういう情報を頭の中で軽く整理していると、とある三名が浮かび上がった。
「ニクスさん、ミリアさん、ハイネさん……」
「あ、よかった。忘れられているかと思ったよ」
温かみのある声を持つ者が、屋根の下に入り、雨を凌ぐ。
その後、フードを取った。濡れた赤い髪と以前よりも成長していると思われる背丈。大人びた顔立ちになったというか、大分垢ぬけたフレイズ家の八男、ニクスさんが現れた。
今のニクスさんをメロアが見たらどうなってしまうのだろうか。会わせたいけど、会わせたくないというもどかしい気持ちになる。
「キララちゃん、もしかしてその子、神獣様なんじゃないの! きゃぁ~、私も触りたい!」
甲高い声を鳴らす、者も屋根の下にもぐり、フードを取った。ピョンと立つ大きな犬っぽい獣耳が現れ、頭を振り青い癖毛から水気を軽く飛ばす。以前とあまり変わりない獣族のミリアさんが現れた。
「はぁ~。王都に来て最初に会う知り合いがキララちゃんとは、中々運命的じゃないかい?」
背が高く、一番年配のハーフエルフの女性、ハイネさんが緑色の前髪をかきあげながら顔を見せる。
やはり見た目がほぼ変わっていない。ほんと、凄い種族だな。全女性が憧れる種族だ。まあ、今の私もほぼ同じ状態にあるんだけど。