一章4
私が婚約をお断りしてから半年が過ぎた。
初春になり師匠に習うようになってから同じくらいは経っているわね。ジェニー先生に習うようになってからだと4ヶ月にはなるか。護身用具にと師匠から短剣を2振り贈られた。先生からも東方の大国――エンで使われているという乾坤乾けんこんけんと呼ばれる扇型の武器を贈られたが。
先生の説明によると訓練次第ではブーメランみたいに敵に投げつけて攻撃できるという。
私はエンは中国風な国だと個人的には思っている。何でかというと。乾坤乾は確か古代中国で使われていた武器だったはずだからだ。
まあ、それはいいとして。私は短剣や乾坤乾の鍛錬にと忙しくも充実した日々を送っていた。
あれから余計に武芸の稽古ならぬ鍛錬に熱中するようになった。意外と楽しいのよね。私って脳筋ではないはずだけど。
そう兄様に言ったら「単純に向いているんじゃないか?」と返されたが。まあいいか。両親や兄様に守られるばかりなのも良くないし。私も微力ながら家族や使用人達を守れるようにならないとね。そう思っていたのだった。
「……ルシィ。ちょっといいか?」
「……兄様。どうしたの?」
私が自室にいたら兄様がドアをいきなり開けて声をかけてきた。ノックもなしでだ。珍しいので驚いてしまう。
「実は友人がルシィに会いたいって言うんだが。どうやらあのミュラー家の坊ちゃんが絡んでいるらしい」
「ミュラー家ですって?」
「いや、俺が去年から王立学園に入学して通っているのはお前も知っているだろう。ミュラー家の坊ちゃんは俺より一学年上なんだが。どうやらルシィの噂を流しているらしい」
「……それで何で兄様のご友人が私に会いたいってなるのかしら」
「友人――イェオリ・キーランって言うんだが。そいつの話だと。『イルーシャ・マクレディは自分との婚約を断った。とんだ令嬢だ。いくら6歳で幼いといっても公爵家との縁談を軽く考えている』
とか何とか言っていたらしいぞ。イェオリはそれを聞いて本気で信じているらしくてな。1回会わせろ、ちょっと説教してやると息巻いていたが。どうしたもんやら」
兄様は本当に困っているらしく顔をしかめて考え込んでいる。私はあのアレクセイ様が縁談をお断りした事を根に持っているのに驚きを隠せない。それにしたって酷い言われ様だ。アレクセイ様の事が余計に嫌いになってしまった。以前から良くなかった印象が倍に悪くなったというか。
「……成程。だったら兄様。1回、イェオリ様だったかしら。会ってみてもよくてよ」
「え。本当にいいのか?」
「うん。イェオリ様は私に言いたい事があるのでしょう。だったら受けて立ってやろうと思ったの」
にっこりと笑いながら言った。兄様は八の字眉になって困惑したような表情になる。私の肩をポンポンと撫でてきた。
「……その心意気や良しと言いたいところだけど。ルシィ。イェオリに会うんだったら俺も同席するよ。エルザやオルガにもちゃんと言っておけな」
「……わかったわ」
「んじゃ。いきなり来て悪かったな。ゆっくり休めよ」
兄様は私の肩から手を離すと立ち上がる。ちなみに私は自室のリビング的な場所のソファーに座っていた。
兄様はにっこりと笑って自室から出ていく。それを見送った。
あれから5日が経ってイェオリ様が我が家にやってくる日になった。お父様とお母様は朝からソワソワと落ち着かない。私も妙に気合いが入ったアリーやエルザ、オルガによって飾り立てられていた。頭には柑橘系の香りの香油を塗り込まれ、気が遠くなる程にブラシで梳かれた。その上でサイドの髪を編み込んでハーフアップにして。仕上げにリボンをさり気なくではあるが結ぶ。ちなみに色は私の髪色である黒髪に合わせて臙脂色だ。いわゆる落ち着いた感じの赤色で。
服も翡翠色の瞳に合わせて淡いモスグリーンのワンピースだ。レースが袖口と裾にだけあしらわれた上品な一品ではある。6歳の幼女が着るにしては背伸びした感が拭えない。靴もピカピカの新品だし。身支度が終わる頃には大きくため息をついていた。
「……よくお似合いです。お嬢様」
「……ありがとう。けど。気合いを入れ過ぎじゃない?」
「何をおっしゃいますか。初めて若様のご友人が遊びに来られるんですよ。しかもお嬢様の婚約者候補となれば、自然と気合いも入ろうというものです!」
私はあまりの事に開いた口が塞がらない。誰よ、私の婚約者候補だなんてデタラメを言ったのは!
「……あ。お客様がいらしたようですね。行きましょう。お嬢様」
「わかったわ」
頷いてアリーと共に部屋を出る。エントランスホールに向かったのだった。