拳神と武神と怪談話
この小説は短編小説『待ち人は後ろにいる、殴り合いなさい』の続編となるお話です。
怪談話というのは何処にでも転がっていて、人間の大好物である。夕暮れの教室で談笑する二人の女子高校生も、例に漏れず怪談話を好んでいた。
「ねぇ知ってる? 『無限階段の猟犬』って話」
「知らない、どんな話っ?」
「学校の近くに森の奥へと続く階段があるでしょ? そこを満月の夜にのぼると、不思議なことが起こるんだって」
目を輝かせた短髪の女子生徒が興奮したように前のめりになる。
「いくら階段をのぼっても頂上に辿り着かない。不審に思って振り向くと、そこには大人と同じくらいの犬がいる。終わりのない階段で、延々とその犬に追いかけられて、最後には喰い殺されちゃうっ!」
「ちょ、止めてよー。あたし帰り道の途中にあの階段あるんだからね。しかも今日満月だしっ」
「大丈夫大丈夫、階段をのぼらなければ殺されないって」
「無責任ー」
その日の夜。件の階段の前には大柄な男、拳神剛が立っていた。腰に手を当て階段の遥か先を見つめる剛の瞳に、恐れの色は微塵もない。
それもそのはず、剛の目的は怪談話ではない。そもそも『無限階段の猟犬』という話を剛は知らない。夜のトレーニングの最中に長い階段を見つけて、のぼってみようと考えただけである。
軽いストレッチをした後、一気に階段を駆け上がる。上り階段でありながら一般人の全力疾走を超える速度は、剛の健脚っぷりが伺える。
「なんだ、こりゃ?」
数分後、異常に気づく。
既にかなりの段数を駆け上がっているにも関わらず、一向に頂上へ辿り着かない。
階段前で見た頂上までの距離の記憶。それと走った距離が一致しない。回りをみても、鬱蒼と茂る木々のせいで現在地を特定できない。
「後ろは…………地面が見えねぇな」
後ろに振り向いても何もない。一番下の階段くらい見えても良いはずなのに、霧がかかったように判然としない。
「こういう時は、勘でいくしかないな」
異常なまでの勘の鋭さは、剛の長所の一つだ。先日に親友となった武神流奈が模擬戦で『初見殺しの技十個見せてあげる』と言って出した技を、全て勘だけで回避したことがあるほどだ。そのあと涙目になってぶち切れた流奈には敗北してしまったが。
(多分、もっと速く走れば抜け出させるなコレ)
頼りの勘が出した結論に従い、全速力で走り始める剛。
剛は知らない。
今の状況が『無限階段の猟犬』という話と一致していることを。
剛は知らない。
剛の力で猟犬を打ち倒せばこの空間から出られることを。
剛は知らない。
あまりの速度で遥か後方に置き去りにした猟犬が「ニンゲン、ドコ…………ココ?」と憔悴しながら追いかけていることを。
「チッ、駄目だな。速度が足りねぇ」
今日初めての全力疾走。さっきまでの何倍もの速度で駆けているが、空間から抜け出せる様子はない。そもそも、正規の抜け出し方じゃない。
――もっと速度が必要だ。
勘がそう叫んでいる。だがしかし今の剛ではこれ以上の速度は出せない。これが今の剛の限界なのだ。
ならばどうするか。
「決まってる、限界を超えりゃいいんだろ……!」
手掛かりならある。
あの日から毎日のように手合わせしている流奈は、剛より劣る身体能力でありながら、走法によって剛を超える速度を叩き出す。
その走法を今、この場所で再現するだけだ。
身体中の力を抜く。ふらりと倒れ鼻先が地面に着く寸前、地を蹴り加速する。ドパァン!と爆発したような音を蹴った石畳で鳴らしながら、剛はこれまで以上に超加速する。
身体中の力を抜き超前傾姿勢になり、走行に必要な力だけを解き放つ走法。その名も、
「『流走』、だったかな。もらうぜ流奈」
視界に映る景色が線となって背後に流れていく。そんな埒外のスピードで走り続けていくと、次第に視界がガタつき始めた。
あまりにも速く動かしたゲーム画面が処理落ちするかのように、景色がコマ送りのようになっていく。
そして、バリィン!と。ガラスが割れるような音が響いたと思えば、いつの間にか頂上の小さな広場へと辿り着いていた。
「また一つ強くなったぜ、次は流奈をボコボコにできるな」
満点の星空を見上げながら、剛は次の手合わせの勝利を確信した。
拳神剛、『無限階段の猟犬』を特殊な形で撃退。
やはり怪談話というのは何処にでも転がっていて、人間の大好物である。夕暮れの教室で談笑する二人の男子高校生も、例に漏れず怪談話を好んでいた。
「おい、聞いたか? 『首なし騎士』の話」
「知ってるよ、デュラハンは有名だろ?」
「そうだけどさ。…………この辺りで、実際に見た奴がいるんだってよ」
「はぁ? どうせデマだろ」
「ところがどっこい。実際に腕を切られて救急車で運ばれた奴がいるんだよ」
ニヤリと笑って右手の手刀で左手を叩く男子生徒。
「『首なし騎士』かはともかく、刃物振り回すヤベー奴がこの辺りにいるってことだよ」
「…………普通に怖いな、それ。今日一緒に帰らね?」
「おう、実はそうしたくてこの話をした」
「聞きたくなかったよチクショウ」
その日の夜。暗い夜道を歩いていた武神流奈の前に、首のない鎧が現れた。日本ではあり得ない長剣を手に、ケタケタと笑うかのように体を揺らす『首なし騎士』。
理外の化け物を前にして流奈は――特に動じなかった。
(そんな、強くないわよね??)
その身から迸るエネルギーは親友のほうが上だし、気配の不気味さなら流奈の祖母のほうが十倍は上。
なにより、理から外れた(と勝手に思ってる)相手なら流奈はもう一人知っている。あの神社の神主に比べれば、目の前の騎士など怖くもなんともない。
「ま、良いわ。来なさい」
『――――!』
リラックスしながら手招きをすると、首なし騎士は怒り狂ったように剣を振るった。
袈裟斬り、刺突、薙ぎ払い。そのどれもが流麗で隙がなく、首なし騎士に生前というものがあるなら名のある騎士だっただろうと予想できる。
武術を嗜んでいる者なら感嘆の息を漏らすであろう剣技。
拳で長剣の側面を叩いて受け流していた流奈は、そっと息を漏らした。
感嘆ではなく、落胆で。
拳神剛でさえ『技量じゃ負けてる』と言わしめる彼女にとって。
この程度の技術など、児戯に等しい。
「ふっ!」
『!?』
蹴りで剣を持つ手を上にはじく。そして流れるように前傾姿勢になり『流走』で背後に回る。
手を弾かれ意識が上に行った首なし騎士には、流奈の姿が消えたように感じただろう。
流奈は全力で騎士の足を蹴る。背後から唐突に足払いをされくるりと宙に浮く騎士。逃げ場のない状態の騎士の胴体に、対鎧専用技『流撃』を放つ。
それは 鎧をはさんだ内側の体に衝撃を与える技。ドパァン!と掌底とは思えない轟音が響き、数メートル飛ばされた首なし騎士は、しかし平然と立ち上がった。
「ま、そりゃそうなるわよね」
『流撃』は鎧の内側にある肉体にダメージを与えることを目的とした技。そもそも肉体を持たない、鎧の中が空洞である首なし騎士には意味がない。
「真正面からぶっ壊すしかないでしょうけど…………硬いのよね。剛よりマシだし、できなくはないけど」
硬い金属鎧であっても、壊す方法などいくらでも思い浮かぶ。同じ箇所に衝撃を与え続けるだけでも、そのうち壊せるという確信がある。
けれど。
(そんなんじゃ、何時までたっても追い付けない、追い越せない)
脳裏によぎるのは自身を捻り潰した壮年の神主。そして金属鎧程度なら一撃で壊すであろう親友の姿。
「決めたわ――――一撃で壊す」
手掛かりならある。
数多の技術を修めた流奈ではあるが、一つだけ親友に後塵を拝すと認めざるをえない技術がある。それは、純粋な拳打の技術だ。
流奈はその技術をもって拳打の威力を百%まで引き出すことができる。けれどあの規格外の親友は恐るべき拳打の技で百二十%、いや百五十%の威力を発揮している。
その技を、今ここで再現するだけ。
構える首なし騎士に向かって『流走』を使って距離を潰す。見え透いた接近の動作に、しかし首なし騎士は反応できなかった。
速度がある一線を超えると、それだけで相手の虚をつくことができる。小細工など一つもない純粋なスピードによる、真正面からの奇襲。
「砕けなさい」
『? ――――!?』
正拳突きの構えをとる。そこでようやく首なし騎士が剣を薙ぎ払おうとしたが、もう遅い。
イメージは『流走』に近い。体から余分な力を抜き、殴打に必要な力のみを瞬間的に爆発させるように。
そこから生み出される力は、さながら『大砲』のごとく。
(ああ、そうだ)
技に名前を付けない親友の代わりに、流奈は脳裏によぎったその名を叫んだ。
「『砲拳』」
打ち出された拳が首なし騎士の胴体に触れ。
割れたガラスのように上半身を粉々に吹き飛ばした。
半身を失った鎧の脚部は勢いよく壁に衝突し、蒸発するように消えてなくなる。
「また強くなったわ、次は剛を下せるわね」
仄かな月光がスポットライトのように、勝者たる流奈を照らした。
武神流奈、『首なし騎士』を正面から粉砕。
数日後の手合わせ。
「ちょ、それ私の『流走』でしょ! なに勝手に盗んでるのよ!」
「なんか出来――――痛ってぇ! お前こそ俺の拳盗んでるじゃねぇかコラ!!」
「盗まれる方が悪いんですぅー!」
「その台詞そっくりそのまま返すぞ……っ!」
相手が人でも怪物でも関係ない。強くなるため、彼らは今日も戦う。けれど目の前の相手と戦いながら二人は思った。
((コイツのほうがよっぽど厄介。ホントに人間?))
お互い様である。
おまけ
「今ならあの神主に一発入るんじゃね?」
「賛成、行きましょうか」
「十年早いです、出直しなさい」
「「きゃん!!」」