「心の弱さとの向き合い方 概要」
「心の弱さとの向き合い方 概要」
・出演者
『セン』
「リーダー」「根性の鬼」「厨二」「シューリを愛している」
『シューリ』
「赤ちゃん言葉」「女神」「性悪」「センを愛している」
『トウシ』
「関西弁」「天才」「聞き役」「彼女持ち」
「今日の結論! 九割の人間は、『心の弱さ』という麻薬の中毒者だ!」
「今日は、切り込み方が、いつもよりエグいな……中毒者という表現は、さすがにアカンのとちゃう?」
「そうやって、物事の本質から目を背けても、得られるものは何もなぁぁぁいっっ!」
「うっさいのう……耳元で叫ぶなや」
「いいか! 『生きている人間』というのは、よっぽどの『並外れた根性の持ち主』じゃない限り、全員、『心の弱さ』という麻薬の中毒者で、気を抜けば、簡単に、『弱さ』に溺れてしまう! 『人生に関わる面倒ごとの全て』を『言い訳』にして、基本的には『人生のマイナスにしかならない弱さ』を貪ってしまう!」
『今日はもういいだろう』
『これぐらいやったからもういい』
『明日から頑張ろう』
『今日はイヤなことがあったから、休みにしよう』
――そういう『心の弱さ』が、人生の足を引っ張る。
『気力』と『やる気』を根こそぎ奪っていく。
「薬や酒やタバコなら、物理的なシャットアウトという最強方法を使えるが、『弱さ』の克服で、物理的シャットアウトは通じない」
「まあ、そらそうやろうなぁ。感情の問題やし」
「弱さの中毒者は、日常生活の段階で、『通常』を通すことすら出来ない!」
「ん? どういうこと?」
「例えば『部屋の掃除』という単純作業を例にあげよう」
「誰にとっても、わかりやすい例やな」
「部屋の掃除というのは、毎日やっていれば、一日10分程度でも、ある程度は整えることができる!」
「まあ、部屋がそれなりに綺麗やったら、その日に出たゴミをかたづけて、ホコリをしばいて、掃除機かけて、雑巾でサっとやったらしまいやからな。10分もあれば余裕やろう」
「だが、弱さの中毒者は一日10分すら使えない! 『まあいいか』という呪文に支配されて、行動をおこせない!」
「……まあ、おるな。そういうやつ。というか、ダメなやつは、たいていそうやな」
「そういう人間は『1日10分』の『自分に対する投資』が出来ない。投資という言葉を使うと、ちょっと堅苦しく聞こえてくるが、ようするには、『望んでいる能力を得るための努力』だ。野球やサッカーでレギュラーになりたいなら練習、受験で成功したいなら勉強。よりよい給料を得たいのであればスキルアップ。『己の弱さと向き合う勇気』がない者は、一日10分を積むことすら出来ずに人生を終える!」
「終わるは言い過ぎやな。努力せんでも成功するヤツはおるし」
「お前みたいになぁ! いいねぇ、天才は! 勉強で苦労したことがなくて! はっ!」
「やかましいのう……」
「お前みたいな特別なやつは、例外だ!」
そこで、コホンとセキをはさみ、
場を流してから、
センは、
「基本的には、俺みたいに、特に才能のないヤツ限定の話になるが、『弱さ』の中毒者のままでいると、何者にもなれずに、一生が終わる! 『豪運だけで何かしら一発あてて人生逆転』という可能性も決してゼロではないが、基本的には、『ダメ人間』で人生が終わる!」
「まあ、ほんまに『何の才能もないのに、何にも努力せん』と生きとったら……そら、いろいろと、厳しいやろうなぁ。けど、それでも楽しく生きられるヤツはおるんとちゃうか? 『テキトーなところで、テキトーな人生を過ごす』というのも、悪くない生き方やと、ワシなんかは思うけどなぁ」
「別に、『弱いまま生きる』のが『悪い』とは言ってねぇ。自分の人生だ。好きに生きればいい。問題なのは『這い上がりたい』と思っているヤツの『足を引っ張っている原因』の大半が『弱さジャンキーになっている』という点なのに、そこに気づいていないヤツが、それなりの数でいるという点だ」
「そんなヤツ、おるかなぁ? 自分の状態くらい、気付けるんとちゃうか?」
「お前みたいに、本質と向き合えるヤツばかりじゃない。あと、気付けているヤツでも、抜け出し方に迷っているヤツは大勢いる」
「……まあ、おるやろうなぁ。中毒者っていうんは、そういうもんや」
・次回予告!
「心の弱さとの向き合い方 対処法」