サンタクロース好きに贈るファンタジーです。
「クロフォード! お前、クロムウェンさんに目をかけられたからって調子にのんなよ! あの人の後を継ぐのは俺なんだからな!」
クロイドは指が反る程力を入れ、真直ぐ指差してきた。そしてまだ言い足りない事もあるのだろう、鼻息を荒くして去っていった。
鋼鉄のソリの下に2人が残された。色々な事がありすぎて呆然自失していたところに、涼しい一陣の風か吹いてきた。その爽やかな抱擁を受け、クロフォードがハッと眉を上げた。
「いや~、疲れたなぁ」
「私も、ぐったりしちゃいそうです」
「そうだ、ソリの中でクロムウェンさんと何か話した?」
クロフォードにそう言われ、こころは唇に指を当てて考え込んだ。つい先程の事であったが、その後も印象的な事態が層になっていて該当のものを掘り出すのに時間がかかった。
「あっ、えっと、クロムウェンさんの運転上手ですねって」
「うえっ、そ、それで、クロムウェンさんは何て?」
明らかに狼狽しながらクロフォードはそう言った。声が少し慄えていた。
「え~っと、確か、『上手いって評判なんだけどな』って……」
こころの声は小さくなっていった。クロフォードの顔が強張っていくのを目にして、自分がまずい事を言ってしまったのでないかと思った。
そして、どうやらそれは当たっていたようだ。クロフォードは両手で頭を抱え、呻き声を上げながら空を仰いだ。
「うわっ、マジかぁー。そんな事言っちゃったのかぁ」
「あの……、やっぱりマズイ事言ったんでしょうか?」
「当たり前だよ」
そう言うとクロフォードは顔を近付けてきた。突然の事にこころの心臓がドキンと鳴った。
「クロムウェンさんはソリの操縦がカミのようだって評判なんだ。雨粒の間を縫うように繊細に動かせるってね」
雪の降る中を飛んだ事を思い出し、こころは無言でウンウンと頷いた。
「この前会社の前でサンタクロースに出会っただろ、覚えてるかな? クロムウェンさんは次期、もしくは次々期サンタクロースに選ばれるのは確実だって言われてるんだ。あの若さでサンタクロースに推されるくらい、我が国では英雄的存在で、小さな子供だって知っているんだぜ」
やっと自分の失態に気が付き、こころは口に手を当てて目を左右に泳がせた。
「でも、まぁ、仕方ないか……」
言ってしまった事についてなのか、クロムウェンの事を知らなかった事についてなのか、クロフォードは溜息を吐きながらそう言った。
「よしっ、もう帰ろうか。ここに来たのはコレの搬入と飛行テストだったからさ。それにどうやら問題無かったみたいだし」
クロフォードは自分が整備した自走ソリを手で優しく叩きながらそう言った。その目は誇りに満ちていた。
クリスマスの5日前まで、クロフォードは目が回るような忙しさに見舞われていた。出社中は休憩を取る暇もないくらい自走ソリを整備し、ソリ発着場に搬入する。テストパイロットがいればそのまま帰るが、いない場合はクロフォードが自らテストした。
クロフォードが帰ってくるまでこころは空を眺めて待っていたり、サンタ.CO.LTDの社員に相手をして貰っていたりした。そしてT-07MrakⅡの時は後ろの座席に座る事もあった。
クロフォードの操縦するソリに乗り、窓外を流れる景色や体に伝わってくる振動から、こころにもクロフォードの操縦がクロムウェンに及ぶべくもないという事に気が付いた。しかしながら、こころは初めて、しかもサンタクロースワールドで1番のパイロットの操縦する自走ソリに乗った時よりも胸が高鳴っているのを感じた。ただ、何故そうなのかこころには分からず、シートの上で首を傾げた。
クロフォードの仕事は整備だけに留まらないようでとても忙しくしていた。その証拠にこころは以前よりも広報の女性と共に行動する事が増えたからだ。
この日、午前中はクロフォードの作業を楽しく眺めた。しかし昼食後は、こころはクロフォードが用意してくれた外界のおにぎりを食べた、いつも相手してくれる金髪碧眼の女性と会社の中を見学する事になった。
科学技術部のソリの開発をする課は良く見ていたが、もちろんそれ以外の課も見学していた。理科室よりもビーカーや試験管などが所狭しと並ぶ部屋。リンゴに青い光を当てると、少し離れた場所に現われるという摩訶不思議な実験をしている部屋など。
また他の部署も見学した。情報諜報部という所には、幼稚園児くらいから大人まで色々な年代の人がいた。こころは彼等が実は大人なのだろうと見破った。
また壁一面に世界地図が描かれているモニターがあり、地図上に赤い光が無数に灯っている場所も見た。こころはその時、以前本で見た宇宙センターの司令室を思い出した。部屋の中で忙しそうに働く人達を見ていると、突然声が掛かってこころは飛び上がった。声の主は案内の女性で、もちろん今まで一緒にいたのだが、こころは見惚れて呆然としてしまっていた。その為『ヒャイッ』と間の抜けた返事をしてしまった。
「フフッ、クロロちゃん、面白いですか? でも今日はもう1つご案内したい場所があるのでそろそろ行きましょうか」
優しい笑顔でそう言われ、こころは心底ホッとした。
「はい、お願いします。クロシェンコさん、ところで次はどこに連れていってくれるんですか?」
「フフ、それは……、まだ秘密です」
イタズラを思い付いた猫のような笑顔に左目を瞑ってクロシェンコは言った。こころはその様子を見て、自分も大人になったらこんな女性になりたいと思った。
短い金髪は相当しなやかなのだろう、クロシェンコが歩く度に光の粒を撒き散らしながら揺れた。背筋は真直ぐで足も長いのでこころなどあっという間に置き去りにされそうだったが、たまにチラリと振り向き距離が開き過ぎないように気にかけてくれていた。
長い廊下を何度も曲がり、エレベーターに乗り、更に廊下を歩いた。そしてある扉の前で止まった。クロシェンコが扉に嵌められている金のプレートを指差した。翻訳機で言葉は分かるようになっていたが、文字は全く分からないのでこころはとりあえず笑顔でごまかした。
こころの頭の中を知ってか知らずか、ニッコリ笑いながらクロシェンコは扉の横のパネルに社員証のようなものを当てた。扉から鍵の外れる音がして、クロシェンコはノブを回して扉を開いた。そして、こころに入るように促してきた。
ドキドキしながらこころは敷居を跨いだ。中には金属とプラスチックで出来た赤い卵のようなものが並んでいた。何か分からないそれらを眺めた後、こころはクロシェンコの顔に視線を動かした。
「クロシェンコさん……、ココは……」
文字の読めないこころは下手な事を言って正体がバレるとまずいので、どうとでもとれるような発言をした。
「ええ、そうです。自走ソリのシミュレート室です」
この言葉を聞き、こころは口を開いて驚いた。しかしこれは演技ではなかった。自然にそうなってしまったのだ。
「これで新人パイロットは研修し、またベテランパイロットも日々トレーニングを重ねているんですよ」
『へー』と言いながら、こころは再び赤い卵を眺め回した。そして、次のクロシェンコの言葉で、これ以上はないという程大きく目を見開いた。
「今日は、クロロちゃんにシミュレートして貰います」
「ええええええ――ッ、いいんですか?」
満面の笑顔でクロシェンコは『ハイ』と言った。そして、こころでも読める数字の『3』が書かれた機械のドアを開けた。
「それじゃシートに座ってシートベルトを締め、ヘルメットを被って下さい」
こころはシートに座りヘルメットを被ると、両肩の後ろからベルトを引き出して腹の前でロックした。直後自動的にシートが前にせり出し、体格にぴったりの位置で止まった。
クロシェンコが安全を確認し、ドアを閉めた。すると一瞬暗くなり、すぐに四方のモニターが明るくなった。
『それじゃ始めましょう。初めてなので研修レベルのイージーモードに設定しますね』
ヘルメットの中でクロシェンコの言葉が響いた。そして、言葉が示すように前方のモニターで何かが自動的に選択されていった。まるでテレビゲームのようだった。
『目的地は、そうですね……、クロロちゃんの先祖はアジア系みたいですから、そっちにしましょう。自分のルーツに近い景色って、なかなかいいですよ』
ドキンとしてこころは言葉を失った。クロシェンコには緊張として伝わったようだ。
『大丈夫ですよ、難しくないですから。国はニホンにしておきましょうか。あまり家が無い所がいいですよね。じゃあヤマガタっていう所の、この辺りにしましょう』
パソコンや両親のスマホの地図検索サービスで見るように、クロシェンコの言葉に従って地球が動いて日本が真中にきた。そして日本の東北地方にズームしていった。街から外れてドンドン山の中へ、こんな所には家なんて無いのではとこころが心配になっていると、谷間の集落を上空から映し出した。その中の1軒に赤い光が灯った。すると赤い光からウインドが飛び出してきた。マンションのように窓がいくつもあり、突き出た看板に『温泉旅館正三郎』と書かれていた。
『それじゃクロロちゃん、そこの家にいる三原正彦くんにプレゼントを届けて下さい』
いきなり放り出されたような格好になりこころが驚いていると、モニターに赤い服を着た丸々太った老人が現われた。
『ハッハッハッ、それでは行こうじゃないか。プレゼントを待っているぞ。それではエンジンスタートさせて浮遊に移ってくれ』
こころの目の前の文字盤や計器が並んでいる部分の1つのボタンが赤く光った。こころがそれを押すと小さな振動があり、微かな鈴の音が聞こえてきた。そして再び点った黄色いボタンを押すと、モニターに映る景色が下がっていった。
『よ~し、いいじゃないか。さあ、出発するぞ。アクセルを踏み、操縦桿を引いて大空へ飛び出すのだ!』
サポートの言葉に従う事で、こころの操縦する自走ソリは大空へ飛び出した。クロムウェンやクロフォードの後ろに乗った時と同じ景色が展開された。
『いいぞ、いいぞ。しかしそのままじゃ外の世界の飛行機に見つかってしまう。遥か上空へ移動するのだ。思いっきり操縦桿を引け~ッ!』
景色が急上昇しているかのように変化した。上空が暗くなってくるとサポートが『そろそろ水平に』と言ったので素直に従った。そしてモニターに赤いラインが伸び、それに従うように指示が出された。こころは操縦桿を慎重に操作し、機体の先端を赤いラインに重ねた。途中サポートが『こんなノロノロしてたら夜が明けてしまうぞ』などと言われたので、こころはアクセルを踏み抜いた。
眼下に、地図帳で見た事がある日本列島が見えてきた。赤いラインが真直ぐ東北地方へ伸びているので、こころはそれに従って降下していった。先程見た地図のようにスムーズに変化していった。そして山間の集落が見えてきて、目的の家が赤く光った。
『よしっ、上手いじゃないか。目的の家の上に停止させるんだ。スピードを落として青いボタンを押すのだ』
こころはゆっくりと近付いていき、数十メートル手前で青いボタンが光ったのでそれを押した。更にスピードが落ち、赤く光る家の上でピタリと停まった。さすがにこれはこころの操縦だけではなく、補正が入っていたのだろう。
『さあ、子供がプレゼントを待っているぞ。枕元にプレゼントを転送するのだ』
モニターに子供の寝室が映し出された。そして青い霞が枕元に現れた。その瞬間だ、先程とは違うボタンが青く光った。もうこころは無意識でそれを押した。モニターの中の霞が歪んだと思った瞬間、そこに大きな箱が現れた。大きなリボン付きの。
『大成功だ! それでは気付かれないうちに帰還するぞ』
褒められて嬉しくなり、往路とは対照的に楽しみながら操縦した。そして、もちろんクロムウェンやクロフォードに及ぶべくもないが、無事発着場に降り立った。
エンジンを停止させるとモニターに手紙のマークが現れた。こころは文字盤の上で光っているボタンを押した。するとモニターに手紙が映し出された。
《サンタさんへ
サッカーシューズありがとうございました。ぼくはこれをはいてJリーガーをめざします。がんばります。見ていてください。
三原正彦》
手紙を読むと、こころは胸がジーンと熱くなるのを感じた。シミュレーションでこれなのだから、本当に手紙を受け取ったらどんなに嬉しいか想像すら出来なかった。そして、サンタ業務をしているこの国の人達が、なぜ毎年クリスマス一日の為だけにこんなに苦労しているのか分かった気がした。
こころがシートに背を預け溜息を吐き出したところでシミュレーターのドアが開いた。薄暗い空間に光が射し込んできた。クロシェンコの優しい声と一緒に。
「クロロちゃん、お疲れ様。どうでした?」
「ハイッ! とっても楽しかったです」
「そうですか、それは良かったです。成績もまあまあでしたね。でも……、パイロットになるには……、ちょっと努力が必要になるかもしれませんね」
頬を指でかきながら、引き攣った微笑を浮かべてクロシェンコは言った。
こころはちょっと悔しい気持ちになったが、自分はもう少しでこの国を離れて元の生活に戻るのだから成績が悪くてもいいと納得した。しかし、それでも悔しさと寂しさは完全に拭い去る事は出来なかった。
「それでは行きましょう」
促されたこころはシミュレーターから飛び出した。そして部屋を後にすると、廊下を歩きながらクロシェンコとたわいもない会話を交わした。
突如、こころは廊下の辻で足を止めた。違和感のあるものを目にしたからだ。こころの思考は忙しなく巡り、クロシェンコの『どうしました? 行きましょう』という言葉も耳には届いていたが聞こえていなかった。そして、弾かれたようにこころは走り出した。クロシェンコの『どこに行くんですかー?』という言葉が追ってきたが、こころの足に枷をはめる事は出来なかった。
2つ先の辻までこころは走り、左右に鋭い視線を走らせた。しかし、こころの気持ちを晴れさせるものは見つからなかった。追い付いてきたクロシェンコは何があったのか尋ねてきたが、自分でもはっきりとした理由は分からなかったので言葉を濁した。
そして、自分の行為を謝ったこころは、納得いかないのと申し訳なさで肩を落とし、今走ってきた方向に反転した。その瞬間だ、目の端で何かを捕らえた。こころは雷光の速度で首を左右に振った。
少し離れた扉が開いており、そこから2つの人影が出てきたのだ。1つはクロフォードだった。手に書類を持ち、たまに見せる少年のような不適な笑いを浮かべていた。そしてもう1つは、肌の黒い人物でこころは知らなかった。いや、空飛ぶトナカイローリーに乗って訪れた丘に現れた人物だと、こころは気付いて眉をハッと上げた。
こころの子供の部分の好奇心と衝動が体を突き動かした。小鹿のようにクロフォードの方へ駆け出した。そして誰憚る事なく、大声で『クロフォードさん』と呼び掛けた。
突然声をかけられたからか、こんな所で聞くとは思っていない声だったからか、何か後ろめたい事でもあったからか、クロフォードは足下から怖気が昇ってきたかのように体を慄わせた。そして脅えた顔をこころに向けて、存在を認めたようだった。すると顔を引き攣らせ、手に持っていた書類を胸にかき抱いた。
その時だ、まるで桜の花びらが1枚落ちるように、クロフォードの胸の書類の束から封筒が1つ床に落ちた。こころとクロフォードの視線がそれに集中した。
こころの顔は訝しげに歪んだ。クロフォードの顔は驚愕に歪んだ。変化はほぼ同時だった。しかし、次の行動はクロフォードの方が素早かった。クロフォードはしゃがみこんで封筒を手にすると、神速で書類の中に挿し込んだのだった。
「あっ、こ……、クロロ。どうしたんだ、こんな所で?」
今、クロフォードは『こころ』と口にしそうになった。出会ってまだそれ程日が経っていないとはいえ、クロフォードがこんな隙を見せたのは初めてだった。こころは驚いた。
「えっと……、クロシェンコさんに自走ソリのシミュレートやらせて貰ってました。クロフォードさんは、今自走ソリの整備中じゃ?」
「あ、ああ、もちろんそうだよ。何て言うかな……、そう、ちょっと重大な故障が見つかった機体があってね、詳しいマニュアルを取りにきたんだ」
胸に抱いている書類に皺が寄るくらい力を入れてクロフォードは言った。そしてすぐに肌の黒い人物に振り返った。
「なあ、クロジウス!」
突然声を掛けられ、黒い肌の中で炯々と光っていた目が黒白と変化した。そしてクロジウスは油の切れたロボットのようにぎこちなく首を上下させた。
「ウン、ウン、そう。そういう書類とかって、俺ら情報諜報部で管理してるから」
早口なうえ、口調は上ずっていた。
「あら、整備マニュアルは確か、科学技術部に……」
そう言いながらクロシェンコが近付いてきた。クロフォードとクロジウスの顔が歪んだ。
「あー、うん、何か特別の……」
「確かに、そういう話も……」
などと2人はモゴモゴ言いながら後ずさっていった。そして、引き攣った笑いと額に汗を浮かばせるや、身を翻して脱兎の如く廊下の先へ姿を消してしまった。
一連のやり取りの意味が分からなかったこころは、助けを求めるようにクロシェンコの顔を見上げた。しかしクロシェンコも分かっていないらしく、両手の掌を上に向けて首を傾げた。
このようにしてこころは、胸の奥に郷愁を隠しつつ、サンタクロースワールドの生活を楽しんでいた。
そして、クリスマスの5日前のその日、サンタクロースワールドには雨が降っていた。この国はドームで覆われているので外界の天候に左右される事はない。それでは生活が単調になり過ぎるという事で、事前に予定を立てて雨や雪が演出されるのだ。この日がその雨の日に選ばれていた。
こころはこの日朝からクロフォードの家から出なかった。昨晩クロフォードから『明日は機密性の高い仕事があるから家に残っていてくれ』と言われたからだ。
だからと言ってこころは暇を持て余していなかった。クロフォードの母親と妹に相手をして貰っていたからだ。ただ、自分が外の世界から来た事を知られないようにしていたので、精神的にはとても疲れる結果になった。
「さあ、これからクリスマスまで忙しくなるから、皆の為にケーキ作りましょうか」
母親に誘われ、妹クローラにエプロンを借りてこころはキッチンに立った。対面式のキッチンには小麦粉、卵、砂糖などお菓子作りによく見る材料と、全く見た事のない物が混在して所狭しと並んでいた。
何を作るか分からないこころは、2人に言われるがまま動いた。ドンドンお菓子は出来上がっていき、オーブンで焼きあがる時間、冷却の時間などは紅茶を飲みながら待った。もちろんこころの紅茶は外の世界のものだった。
2人共慣れているのであろう、あたふたするこころをサポートしてくれながら、手際よくケーキを作り上げていった。白く丸い玉を円錐状に組み上げたものを。
飴がけしてあり、室内の灯りを反射して輝くそれを、こころは負けないくらい目を輝かせて見つめた。出来上がったケーキは、従姉妹の結婚式で見た事のあるクロカンブッシュに酷似していた。
「これ……」
『何ですか?』と続く言葉をこころは飲み込んだ。設定ではサンタクロースワールドに住む大人なので、知らないとまずい事になるかもしれないと考えたのだ。
「ママ、今年も上手に出来たね、スターチャイルドツリー」
どうやら3人で作ったケーキの名前らしい。
「うん。クロロさんが手伝ってくれたから、早く出来たわ」
こころは体をモゾモゾさせながら体を縮こまらせた。母親にそう言われる程自分が役に立ったとは思えなかったからだ。
「どれどれ……」
そう言うなりクローラは玉の1つをもぎ取り、おもむろに齧りついた。中から桃色のクリームが溢れ、クローラの唇を彩った。それと同時に甘い香りが部屋に広がった。
こころの口中に唾液が溢れ、胃が悲鳴を上げた。2人の視線が集まり、こころは頬を赤く染めた。
「あっ、クロロさんもどうぞ」
クローラに促され、こころは手を伸ばしそうになった。しかし直後クロフォードの言葉を思い出して手を止めた。
「クローラ、クロロさんはアレルギーがあるのよ。そういう事言わないの」
クローラは首を縮め、舌をペロリと出した。そしてこころに向かって謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさいね、クロロさん。今年は外の世界の材料を集められなくて、あなたが食べられるのを作れなくて。来年は早めに集めておくから、また是非遊びにきてね」
母親の疑い1つ無い笑顔を見て、こころの胸がチリリと痛んだ。そして、自分の後ろめたさを隠すように急いで口を開いた。
「あの……、私のお母さんはこのケーキを作ってくれた事なくて……。初めて見たんですけど……」
2人はこころの言葉を聞き、驚きで目を丸くした。それ程スターチャイルドツリーはサンタクロースワールドには必須なものなのだろう。直後、2人の顔は聞いてはいけない事を耳にしてしまった時の、申し訳なさそうな顔になった。
クロフォードも口にしたが、外の世界からこの国に移り住んでくる者もいる。2人は“クロロ”の母親がそれに当たり、それが原因でアレルギーがあるのだと判断したようだった。そして、外の世界から来た人を差別する者もたまにいて、それが頭をよぎったのだろう。
“クロロ”の母親がいない事、アレルギーがある事、“クロロの母親”が受けたであろう差別の事、サンタクロースワールドの郷土料理を知らない母親に育てられたが故にスターチャイルドツリーを知らないであろう事に、2人は憐れみを感じたのかも知れなかった。
「あー、これね……。そう、クローラ、あなた分かってる? サンタ企業への入社適正試験に出るかもしれないから、言ってみなさい」
目の前の“クロロ”はサンタ企業の社員であるという設定なので、こんな事言うのは明らかに噴飯ものである。当然クローラの顔は訝しげに歪んだ。しかしすぐに母親の意図を察したのであろう、顔をハッとさせた。なんという優しく、協力態勢の出来ている母子おやこなのであろう。
「もちろん知ってるわ。これはね……」
にんまりと笑ったクローラの口から出た話はこうである。
まだ自走ソリが開発されていない時代、サンタ企業のプレゼント輸送部は空飛ぶトナカイにソリを曳かせていた。全世界を1晩で回らなければいけないので、それこそ不眠不休の働きをしなければならなかった。ソリにプレゼントを積むにも限度があるので、世界とサンタクロースワールドを何度も往復したのだった。
どんなに気を張っていても食事をしなければさすがに集中力が下がり、プレゼントを正確に配れなくなってしまうかもしれない。そこでだ、仕事中でも簡単に高い栄養価の食事を摂る方法が考えられたのだ。
ある年、カロリーの高いクリームを詰めたお菓子を、サンタクロースワールドの中心にあったマザーツリーに下げたのだ。輸送部の者達は出ていく時や帰ってきた時に掠め取るようにそれを手にして腹に落としていった。
北欧から南極へサンタクロースワールドが移動した時マザーツリーも移植され、国のシンボルとして今も屹立している。ただ自走ソリが開発されてからこの習慣はなくなったが、人々は昔を懐かしんでスターチャイルドツリーでクリスマスを祝うようになったのだ。
話し終えると、クローラはとても得意そうな顔になった。黙って聞いていたこころは、海外でクリスマスはブッシュドノエルが主流であるという事を思い出した。そして、場所が変われば文化も変わるのだと思っていた。
女子会のような、本当の母親と姉妹との関係のような楽しい時間を過ごした。そして、いつの間にか窓の外には夜の帳が下りていた。雨は未だ降っていた。予定では日付が変わるまで降るらしかった。
壁の時計が9時半を過ぎた。クローラは早々に寝室に入っており、中身が大人という設定のこころは眠気をこらえてまだ起きていた。
すると玄関のドアが開く音がした。父親はもう仕事を終えリビングでテレビを観ながら酒を飲んでいたので、もう帰ってくる者はクロフォードしかいなかった。
こころは母親よりも速く立ち上がり、玄関にクロフォードを迎えにでた。家に入ってきたのはもちろんクロフォードだったが、全身を雨で濡らしていた。
黒いレインコートで全身を包んでいるが、フードから出ている髪の毛は水を含んで額に貼り付いていた。体は直接雨に濡れていないようであったが、レインコートの上を流れる雨で体温を奪われているのは明らかだった。
「おかえりなさい、クロフォードさん。今日は遅かったですね」
「あ、ああ……。ちょっとやる事があってね……」
確かめるまでもなく、声を聴いた瞬間にクロフォードが疲れきっているのが分かった。
「ご飯、食べましたか?」
クロフォードは無言で首を左右に振った。どうやら声を出さなくても事足りるものには声を出そうとしないくらい、クロフォードは疲れ憔悴しているだろう。
どうしていいか分からずオロオロするだけのこころだったが、ある事を思い付いて眉を上げた。
「クロフォードさん、私達昼間にスターチャイルドツリーを作ったんです。良かったら食べますか?」
クロフォードは頷いた。そしてレインコートを玄関に脱ぎ捨てると、フラつく足取りでキッチンに向かっていった。そして白い玉を1つ手に取ると、それに白い歯を立てた。その瞬間、クロフォードは糸の切れた操り人形のように、どうと床に倒れこんだのだった。白い玉はクリームを撒き散らしながら宙を飛び、床に落ちて潰れた。
もしかして毒、もしかしてあまりも不味かったのかとこころは慌てた。そしてクロフォードの傍らにしゃがみ込んで背中に手を当て、優しく左右に揺すった。しかしすぐにこころは手を離した。ハッとしてクロフォードの額に手を当てた。火のように熱かった。そして、よく見るとクロフォードの顔は赤く、荒い息をついていた。
こころの視線が床に落ちた白い玉に動いた。クロフォードが手にしたのはこころが作ったものだった。真球に近い2人の作ったものとは違い、少し歪んでいた。もしかして、自分が失敗してしまったのかとこころは恐れた。
しかしその自虐的な考えはすぐに頭から去った。なぜなら、材料を用意したのは母親で、こころは2人の指示に従っただけだったからだ。そして、やっとクロフォードの体調が元々悪かったのではないかという事に思考が及んだのだった。
「お母さん、クロフォードさんが!」
悲鳴に近いこころの叫びを聞きつけ、母親が駆けつけてきた。キッチンの床に倒れているクロフォードを見て、のん気な顔をしていた母親の顔が引き締まった。
母親はしゃがみ込み、クロフォードに呼び掛けたり額に手を当てたり、首筋に指を這わせて脈を診たりした。そして父親を呼び、2人してクロフォードを部屋に運んでいった。
3人が消えていったクロフォードの部屋の前で、こころは青白い顔をして待っていた。15分もすると父親が出てきたが、こころにとっては永遠に感じられる時間だった。
「あの……、クロフォードさん、大丈夫でしょうか? 中に入ってもいいですか?」
「うん、大丈夫だと思うよ」
優しく顔を綻ばせ、父親はゆっくり頷いた。こころはそれを合図に部屋に飛び込んだ。
「クロフォードさん……」
薄暗い部屋に入った瞬間こころはそう口にしたが、直後両手で口を塞いで後に続く言葉を飲み込んだ。ベッドの傍らにいる母親が、唇に指を縦に当てていたからだ。
「風邪みたい。雨なのに薄着のまま外で作業していたからだと思うわ」
そう言うと母親は鼻から息を吐き出した。諦めや失望ではない、息子の病状に安堵する溜息だろう。
「でも、まあ、倒れたのがこの時期で良かったわ。ちょっと早かったらソリの整備にも支障が出たかもしれないけど、あとクリスマスまで数日だから作業はほぼ終わってるだろうしね。良くなるまでゆっくりと休んだらいいのよ。この子、ちょっと頑張り過ぎよね……」
最後の方は消え入りそうな口調だった。そして先程よりも落ち着いた寝息をたてているクロフォードの頭を優しく撫でた。
ゆったりとした口調の母親の話を聞き、こころは本当に心配ないのだと判断し、頭の重さを使って首を前に倒しながら息を吐き出した。すぐに首を元に戻したこころだったが、そこで母親の変化を目にした。驚きで目と口を開いた顔を。
母親の目に映っているものを確認しようと、こころも母親の視線の先に顔を向けた。そしてこころの顔も驚愕の相に変化した。
確かに寝ていた筈のクロフォードが、顔を苦悶に歪めながら体を起こしかけていたのだ。そして、歯の隙間からかすれた声を絞り出したのだった。
「母さん……、俺、いつまでも寝てる訳にはいかないんだ……」
母親はすぐにクロフォードに近付き、肩を押さえてベッドに寝かせようとした。しかし病人なのにクロフォードは母親に抗った。
「ダメよ。こんなに熱があるのよ。もう仕事はほとんど終わってるんでしょ?」
クロフォードの目が左右に動いたのをこころは見逃さなかった。燃えるような頭の中で、何かを必死に考えているのだろうと思った。
「うん。でも、当日何があるか分からないから。俺がいないばかりにソリを直せず、クリスマスプレゼントを貰えない人がいるって考えたら……」
クロフォードは顔を俯かせ、シーツを右手で強く握った。
「分かったわ……」
諦めているが、それでも愛情のこもっている溜息をつきながら母親が呟くように言った。クロフォードを産み、今日まで見守ってきた母親は、自分の息子の意志の強さを知っているのであろう。意外な程簡単に自分の主張を枉げたのだった。
「条件があるわ。薬飲むのよ。それで、さすがに明日は仕事を休みなさい。約束出来る?」
クロフォードが片方の口角を上げて微笑んだ。自分の主張が受け入れられた喜びから出たのだろう。そして、力強く首を縦に動かした。
『それじゃ薬持ってくるわね』と言い残して母親は部屋を出ていった。するとクロフォードは病人とは思えない程固く拳を握り、自分の勝利の満足感を表現した。
「クロフォードさん……、そんなに無理して仕事しなくていいんじゃないですか?」
クロフォードは苦笑を見せた。しかし言葉は発しなかった。熱にうかされて、何と言えばいいのか思い付かなかったのかもしれない。それでもちょっとすると、クロフォードが口を開いた。
「ああ、でも、まだ俺じゃないと出来ない仕事があるから……」
「こんな事言うと怒られるかもしれないけど……。会社には、クロフォードさんよりもベテランがいるんじゃないですか……?」
ベッドに手をつき、こころは身を乗り出してそう言った。その分だけクロフォードは身を引いた。こころに風邪がうつるのを心配したのであろうか。
クロフォードは言葉に詰まっているようだった。視線を落とし、唇を固く結びながら。数瞬後、乾いた唇を舌で湿らせて口を開いた。
それと同時に部屋のドアが開き母親が戻ってきた。手にお盆を持ち、その上には水の入ったコップとプラスチックの容器が乗っていた。母親はするすると近付いてきてベッドの傍らに座ると、コップをクロフォードに手渡した。するとプラスチックの容器の蓋を取り、中から紫色の錠剤を1つ取り出し、それもクロフォードに手渡した。
クロフォードは錠剤を水の中に落とした。間も無く水が薄い紫色に色付いた。透明なコップの中で錠剤が崩れていき、消滅する瞬間一際大きな泡を放出した。泡は水面に達すると弾け、白い煙を一筋大気に立ち昇らせた。クロフォードは嫌そうな目でそれを見つめていた。
チラリとクロフォードは母親を見た。母親は小さく首を縦に動かした。すると諦観が満々と詰まった溜息を吐くと、『エイッ』とばかり気合を入れて紫色の液体を一気に喉に流し込んだのだった。
相当味が酷いのか、クロフォードは顔を歪めて俯いた。すると母親が素早くコップを手から抜き取った。直後、クロフォードはパジャマの胸を強く掴み呻き声を上げた。瞼を大きく開き、瞳孔が全開になった目を左右に揺らした。そして、声にならない悲鳴を上げるや、白目を剥いて仰向けに倒れた。
どうやら意識を完全に失ったようだ。ただ寝息は安定していた。それでもこころは胸騒ぎを感じ、不安で歪んだ目を母親に向けた。
「クロロさんは飲んだ事ない? ん~、結構刺激が強いから、今の人達はあまり飲みたがらないかもね。でも、効き目は抜群なのよ」
母親の軽い口調から察するに心配ないのだろうが、こころは不安を未だ拭い去る事が出来なかった。その心の動きは口調に反映され、声が震えた。
「クロフォードさん、様子が変でしたけど……」
「あれがこの薬の副作用なのよ。これ飲んで汗かきながら一晩寝たら朝はスッキリなんだけど、飲んだ時絶対ああなるのよね。激しい倦怠感と虚無感と、時には幻覚に襲われて、昏倒するように寝ちゃうのよ。初めて見た? それなら驚くわよね」
そう言うと母親は笑いながら立ち上がった。しかしこころは心配と不安を飲み下せず母親に食い下がった。
「でもまだ熱が高いみたいですから、私に何か出来る事ないですか?」
本当にもうこのままにしておく他ないのであろう、母親の顔は困ったように歪んだ。
「あっ、それなら、私、クロフォードさんの頭に濡れたタオル乗せます」
目を細めて母親は口を開いた。こころはその表情を見て、自分の提案が否定されると思った。しかし実際は全く反対だった。
「分かったわ。クロロさんの納得がいくようにしたらいいわ。これからはあなた達で未来を創っていくのでしょうからね。用意してくるから待っててね」
母親は微笑を残して外に出ていった。
薄暗い部屋でこころはクロフォードの寝顔を見つめていた。吹き出した汗が額に溢れ前髪を濡らしていたので、こころは乾いたタオルでクロフォードの顔を拭いた。すると少しして母親が帰ってきて、こころの近くに氷水の入った洗面器を置き『あとはよろしくね』と言い残して再び出ていった。
こころは早速氷水にタオルを浸して絞った。指がちぎれるくらい痛んだが、歯を食い縛って我慢した。そして熱を発するクロフォードの額に乗せた。子供のこころは眠気を必死に堪え、何度も何度もタオルを交換した。
どれくらい同じ作業を繰り返したであろうか、クロフォードの寝息がとても穏やかなものに変化した。それを見たこころは安堵した。安心感が全身に広がると、それまで抑え込んでいた眠気が再び活動を始めた。もう深夜を過ぎており、こころはもう眠気に抗う事が出来なくなっていた。腕を枕にして、ベッドに顔を預けてこころはまどろみの海へ落ちていった。
東の空から昇った太陽が、外からは見えない南極のドームを透過し、サンタクロースワールドをあまねく照らした。そしてその光はクロフォードの家も白く染めた。
カーテンの隙間から薄闇を切り裂き、光の粒が線となってクロフォードの顔を触った。すると小さく唸った後、クロフォードはゆっくり目を開いた。
眼光は強く、昨夜とは比較にならない程だった。体調が回復したのだろう、クロフォードは満足気に左右の口角を上げた。そしてガバッと体を起こし、両手を天井に向かって伸ばした。直後クロフォードの顔は驚愕に変化した。
腕を枕にし、ベッドにもたれかかって寝ているこころを目にしたからであろう。そして身を起こした時に飛んだタオル、こころの横の水の張ってある洗面器を目にした。すると顔を綻ばせ、とても優しい手つきでこころの頭を撫でた。クロフォードは全てを察した顔をしていた。
クロフォードはこころの肩に手をかけ、先程とは違って少し強く揺さぶった。そして声を潜めてこころに呼び掛けてきた。
『う~ん』と言ってこころは身をよじった。しかし瞼はまだ開いていない。子供の体力では深夜まで起きていたら、数時間寝たくらいでは完全に回復出来なかったのだろう。しかし再三クロフォードに呼び掛けられると、やっとこころは目を開いた。
「あっ……、クロフォードさん、おはようございます」
目を激しくしばたたかせ、こころは左右を見回して自分の置かれている状況を把握しようとした。そして、徐々に記憶も戻ってきたのであろう、時を経る毎に顔に落ち着きが戻ってきた。その様子を見て、クロフォードは声を上げて笑い出した。
「ああ、元気になったんですね」
クロフォードの力強い笑い声を聞き、こころは安心した。そして目を瞑りながら安堵の溜息を漏らした。
「ああ、もう大丈夫。心配かけたみたいだな。よしっ!」
ガッツポーズを作りこころに笑いかけたクロフォードは、身軽にベッドから飛び下りた。そしてドアノブに手をかけたのだった。
「どこへ行くんですか?」
「ん? 元気になったから、朝ごはん食べて、もちろん……」
「ダメです!」
こころが叫んだ。クロフォードが鼻白む程の勢いであった。クロフォードはこころに圧おされて無言になってしまった。
「お母さんと約束しましたよね。大事な仕事があるかもしれないけど、今日は一日休んで下さい」
クロフォードの口が小さく開き、右目と右眉のどうやら昨夜の母親とのやり取りを思い出したのだろう。
「あー、でも整備しないといけないソリが……」
「ダメです!」
「俺がいないとダメな仕事が……」
「ダメです!」
取り付くしまがない程、こころはキッパリとクロフォードの言い訳を否定した。
「分かった、今日は休むよ。とりあえず身だしなみを整えていいかな?」
小さい子供がいちいち母親に許可をとるように、クロフォードはこころに話し掛けてきた。こころは怖い顔をしつつ頷いた。
クロフォードは両親に挨拶を済ませ、どんどん朝の仕度を進めていった。こころがずっと後を付いてきて、クロフォードの一挙手一投足を監視した。唯一こころの視線が届かなかったのは、トイレと風呂のみだった。
消化に良い食事をし、クロフォードは母親とこころに促されて自分の部屋に戻った。そしてジッとこころに見つめられながら、クロフォードはベッドに入った。するとクロフォードはこころに愛想笑いを向けながら口を開いた。
「こころ、寝る前にクロッキィとクロジウスに連絡したいんだけど……」
ちょっと考え込んだこころだったが、それぐらいいいだろうと顔を弛ませて頷いた。
「ありがとう。じゃあ、机の上のタブレット取ってくれないかな」
こころから手渡されたタブレットの画面を光らせ、クロフォードは表面で指を動かした。
心配しているこころはクロフォードの手元をチラリと覗き込んだ。どうやらメールでも打っているらしかった。クロフォードの指が動く度に、画面に文字列が伸びていった。しかしこころはサンタクロースワールドの文字が読めないので、どんな内容なのかは見当もつかなかった。
ちょっとしてメールを打ち終えたのであろう、クロフォードはタブレットの電源を落とした。そしてこころにタブレットを返すと、自分から布団に潜り込んで目を瞑ったのだった。
薬と休養のお陰で、発熱から2日後の朝のクロフォードは元気いっぱいであった。朝一番の印象によっては仕事を休ませようと思っていたこころだったが、その姿を見て何も言えなくなった。
そして、一番長くクロフォードを見てきた母親が何も言わなかったので、こころは余計な事は言うまいと口を閉じた。昨晩まで砂を噛むようだった食事も、この日の朝はとても甘美だった。
クリスマスまで今日を入れてあと3日。1年で最も忙しくなるであろうサンタクロースワールドを見られると思い、こころは内心ワクワクしていた。スープをすくうスプーンが指揮棒のような動きを見せていた。
「なあ、今日なんだけど……」
クロフォードが声を潜めて話し掛けてきた。不穏な雰囲気を感じ取り、こころの手が止まった。スープはとろみがあったので、直後に表面は穏やかになった。そして、心配で曇らせた顔を、ゆっくりクロフォードに向けたのだった。
「何か、あるんですか?」
「うん、あるっていうか……、ないっていうか……。実はさ、今日もここ、クロロには家にいて欲しいんだ」
残念だった。今日こそはクロフォードの仕事を見られると思っていたからだ。それに恐らくサンタクロースワールドを去る日が近付いているだろうから、額に汗して仕事をするクロフォードの姿を網膜に焼き付けておきたいと思っていたのだ。
「えっ……、何でですか?」
本来こんな事を言える筋合いなど全く無いこころであったが、目に抑えきれなかった怒りを発現させてそう言った。
子供のこころに迫られて怯んだのか、クロフォードは一瞬言葉に詰まったようだった。
「えっと……、何て言えばいいかな……。そう、極秘の任務があって、ちょっと部外者はつれていけないんだ。他の部署どころか、同じ科学技術部の中でも選ばれた人しか知らないね……」
チラリとキッチンの母親の位置を確認し、こころに顔を寄せ、とても小さな声でそう言った。
クロフォードの話は矛盾していた。そんなに秘密の仕事であるなら、母親にすら存在も話せないのに、なぜ完全に部外者のこころには話したのだろうか。とても単純な事でこころでも少し考えたら分かる事であるが、頬を膨らませ目を丸くしているこころにはそこまで考えが及ばなかった。
「今日と昨日、最後の調整があって、絶対明後日は連れていけるから、本当にゴメン」
顔の前で手を合わせ、目を固く瞑り、頭を前に小さく傾げるクロフォードを見て、こころは頷くしかなかった。この国で自分の素性を知り協力してくれる唯一の存在であるので、こころは彼を困らせるような事はしたくなかったのだ。
「うん……。分かりました」
明らかに納得していない口調であったが、言質をとれたクロフォードの顔は安堵で弛んだ。そして残りの食事を口に詰め込み慌しく立ち上がると、口をモグモグさせてくぐもった声で『母さん、弁当』と言った。
その様子を見てこころも食事を終わらせ、リビングを後にしたクロフォードを追って玄関に走った。しかしこころが玄関に至ったときにドアが閉まり、クロフォードの背すら見る事は出来なった。
『もう無理しないで下さいね』という言葉を飲み込まざるを得なかったこころは、不満の泡が感情の底から浮かんで弾けたのが分かった。
しかしながら、2日間のクロフォードの生活は無理とは程遠いものだった。いつも通り家を出て、夕食が始まる前に戻ってきた。顔もツヤツヤしており、健康状態も悪くなく見えた。そして何より、顔が希望に輝いて見えたのだ。
クロフォードは仕事の事は口にしなかったが、こころと母親とクローラは『何か重要な仕事を任されて嬉しそう』とデザートを食べながら話し合っていた。
また街中も大分変化を見せていた。こころがサンタクロースワールドに来てから数週間であったが、最初の頃とは全く違っていた。所々に飾り付けがなされ、母親には『店頭にはクリスマス用の食品が沢山!』と教えられた。そして、街行く人の足取りは軽く、誰もが顔を笑顔で輝かせ、何やら浮ついているように見えた。
やはりこのサンタクロースワールドでもクリスマスは特別なようで、国全体が当日に向かって大きなうねりを作っているようにこころは感じていた。
そして遂にクリスマスイブの朝が訪れた。
南極の12月は夏で白夜である。地平に沈まない太陽の光が、サンタクロースワールドのドーム内にそびえ立つマザーツリーの先端を照らした。
その刹那、ドームが割れんばかりの轟音が響いた。
目覚ましなどの蚊の羽音にしか思えない程の大音量に、こころは驚き目を覚ました。そして一瞬で体と意識が覚醒し、クローラの部屋の床の上で飛び起きた。
ベッドで寝ていたクローラも目を覚まし、のん気の目をこすりながら『おはよう』と言った。何が起きたか分からないこの状況下で、こんなに平然としているクローラの胆力に感心しつつ窓に駆け寄った。そして朝日を遮っているカーテンを手荒に引き開けた。
空がキャンパスになっていた。
白、赤、青、黄、緑、紫などの雲が空を覆っていた。ドームの薄い膜が見えなかった。その雲はドームの内側に漂っていた。そして地上から火線が走り、空中で破裂した。先程耳にした轟音と同時に、色とりどりの光が放射状に拡散していった。
両親と弟と、夏の夜空で見た花火をこころは思い出した。
それと同時に、背後でまた別の種類の音がした。呆然としていたところの不意打ちに、こころの心臓は喉から飛び出そうになった。
「おめでとう~!」
クロフォードの両親が歓喜の叫びを発しながら部屋に飛び込んできた。そして両手に持っているハンドベルを打ち鳴らした。朝ぼらけの空気は、窓の内外からの攻撃に一瞬にして霧消した。
室内へ体を反転させ、こころは驚きで目を大きく開き、ぼんやりと全体を眺めた。クローラは全く動じておらず、笑顔で両親に『おめでとう』と返していた。サンタクロースワールドの風習を全く知らないこころだが、3人の様子を見てこれがこの国のクリスマスの普通なのだと理解した。
「お、おめでとうございます……」
震える声でこころはそう言った。それが正解なのかどうか分からなかったこころだったが、3人から祝福の声を返されたので安堵で胸を撫で下ろした。
「さあ、これから2日間忙しくなるわよ~」
母親は浮かれていた。その為、こころの口調や様子には気付いていないようだった。そしてこころとクローラに付いてくるように促し、父親と一緒に戻っていった。
ほぼ同時に、こころとクローラは顔を見合わせた。そして、やはり同時に笑顔を交わした。直後、鞭で打たれたように2人は部屋を飛び出した。
廊下をゆっくり歩く両親。後ろの母親は持っている器に手を突っ込み、天井に向けて振った。指先から金色の粉が放たれ、空間に漂いながら落ちていった。こころはそれを見て『後で掃除が大変そうだな』などと無粋な事を考えていた。
リビングに行くまでにあるクロフォードの部屋の前を通った時、音を立ててドアが開いた。安眠を邪魔されたからか、クロフォードのブスッとした顔が覗いた。しかし当然ながら産まれた時からサンタクロースワールドの住人であるクロフォードにとって、このような風習は毎年の事でもの珍しくない筈である。それなのに不機嫌な顔をしているのは、十代の男子が持つ反発心からくるものなのであろうか。
リビングの食卓に、とっても豪華な食事が用意されていた。パンやサラダに肉料理に魚料理、クロフォード達4人でも食べきれないような量だった。また、いつもこころが座る席にもやはり大量の朝食が別の皿で用意されていた。
「さあ、2日間忙しくなるから、たっぷり栄養とっておきなさいよ」
母親の掛け声を合図に、4人は食事にとりかかった。無言で、そして猛烈な勢いで食い且つ飲んでいった。
ボリュームのある食事に、こころは腹がいっぱいになった。またたっぷりこもっている母親の愛情にも胸がいっぱいになった。もう食べられないと思ったが、母親の言葉を信じるならこの後は忙しくなるかもしれないと予想し、リスのように頬を膨らませて食べた。数日前『クリスマスには日本に返す』とクロフォードに言われており、もうこの優しい家族に会えなくなるかもしれないという寂しさを埋める為、母親の愛情を破裂するくらい胸に収めていった。
もうこれ以上は食べられない程腹に詰め、イスに背を預けたこころにクロフォードが声を掛けてきた。
「クロロ、もう行こうか」
他の3人には何気ない言葉に聞こえただろうが、こころにとってはとても辛い言葉だった。しかし訳の分からない我儘を言う事も出来ないので、無理矢理笑顔を作って立ち上がった。
そして先にリビングを出ていったクロフォードに続いたが、ドアの所で振り返った。こころの目には、隠しきれない切なさが漂っていた。
「そ、それじゃ、行ってきます。今まで、ありがとうございました」
突然改まった挨拶をされ、母親は驚いたようだった。目を大きく開いて言葉を失っていたが、すぐにいつもの様子に戻って話し始めた。
「何を急に? 私達も楽しかったからお礼なんでいいのよ。こっちこそありがとう。また、遊びにきてね」
ズキズキと、ズキズキとこころの胸は痛んだ。この数週間楽しく過ごさせて貰えた気の良い人達ともう会えないかと思うと、涙が溢れそうになった。
「さ、さようなら」
『また来ます』や『また今度』など、再開を臭わすような言葉はどうしても使えなかった。そして、別れの言葉を、喉から血を吐くような思いで絞り出したのだった。
手を軽く振り、こころは身を翻して玄関に向かった。背中に3人の声が掛かり、目から堪えきれなかった光の粒が零れ落ちた。こころは目を服の袖でゴシゴシ拭いた。
クロフォードの家を出ると、外の様子は昨日までと一変していた。確かにクリスマスイブの今日と本番の明日に向け、徐々に賑やかにはなっていた。それが一気に花開いたかのようだった。
家々の門や玄関は極彩色の飾り付けが為され、時折花火がポンポンと鳴っていた。また街の通りには派手な服装をした老若男女がおり、楽しそうに踊っていた。
街の変わりように、こころは目を奪われた。だからといって、寂しさに囚われている心が晴れる事はなかった。
こころの心中を知ってか知らずか、いつもと変わらぬ口調でクロフォードが話し掛けてきた。
「我が国最大のお祭りだからな。皆浮かれているよ。こころは初めてだから驚いただろ?」
首を微かに縦に動かしながら、こころは『うん』と呟くように返事をした。何を言われても、今の感情がそんなに急速に温まる事はなかった。
「今日と明日、我が国は皆が忙しくなり、ある意味混乱状態になる。そのどさくさに紛れて、俺がこころを家に帰してやる。安心しててくれ」
右手の親指を立て、輝くような笑顔を向けてクロフォードはそう言った。とても頼もしい台詞であったが、こころの耳には別れの言葉にしか聞こえなかったのだ。その為、こころの顔は更に曇っていった。
クロフォードはやはり気付いていないようで、まるでスキップするような足取りで地下鉄の駅へ下りていった。その後ろを、引きずるような足取りでこころが続いた。
クロフォードの言葉を信じるなら、この一歩一歩がサンタクロースワールドと、この国で知り合った人々の別れへと向かっている事になる。久しぶりに家族や友達と会えるという懐かしさもあったが、後ろ髪引かれる気持ちも強かったのだ。
サウスポールステーションに到着し、列車の扉が開いた。しかし、クロフォードは動かなかった。何度も通っていたこころの爪先はちょっと動いたが、微動だにしないクロフォードを見て制動をかけた。そして、不安めいた目でクロフォードを見つめた。
楽しそうに鼻歌を歌っていたクロフォードだったが、さすがに冷たいこころの視線に気付いたようだった。眉をハッと上げ、こころの方へ顔を向けてきた。
「どうした?」
「えっ……、だって、いつも降りる駅を過ぎちゃったみたいだから……」
『ウサギは動物だよね』みたいな、当たり前過ぎる質問を受けたような、クロフォードは呆然とした表情になった。しかし、すぐに合点がいったようで、口を開けて細かく顎を何度も上下させた。
「そうか、そうだよな。ゴメン、俺にとってあまりにも当たり前過ぎて説明してなかったね。もうさ、本社での仕事は全部終わってるんだ。ビルには今日ほとんど人がいなくて、ほら、何度も行ったソリの発着場に集まってるんだ。そこが今日の仕事のメインになるからさ」
このクロフォードの説明では、何がそこで待っているかこころには想像すら出来なかった。そこでもう諦め、現地に行ってから自分の目で確かめようと心を決めた。
10分も待たず、列車は『ソリ発着場ステーション』に到着した。列車の中にはまだ沢山の人が残っていた。
ホームに出ると、そこには人が溢れていた。こころはビックリしたが、クロフォードを見失う訳にはいかないので、自分の感情は脇に置いて必死に後に付いていった。そして、こんなに人がいるのに整然とエレベーターに乗る順番を待つ人々の後ろに並んだ。
いったい何が起きているのだろう。こころは胸が騒ぎ立てるのを感じた。クロフォードに聞くと『自分の目で確かめてみて』とニヤニヤ顔ではぐらかされてしまった。仕方なく待つ事にしたのだが、一歩一歩エレベーターの乗り口に近付くにつれ、こころの心臓は高鳴っていった。
やっとこころとクロフォードの順番がきて、ぎゅうぎゅうに透明の箱の中に詰め込まれた。息苦しさを感じたが、それは四方から圧迫されているからか、期待が高まりすぎているからか、こころには自分でも判別がつかなかった。
サウスポールステーションと違い、エレベーターから降りた場所は無機質の狭い空間だった。例えるなら、コンクリート造りの体育館といった雰囲気だった。
人々は大きく開かれた出入口へ向かっていた。その光の長方形の向こうから、巨大な獣の唸り声のようなものが響いてきていた。また何やら心をザワつかせる波動も伝わってきていた。
光の中へ踏み出す瞬間、こころは乾ききった喉に唾を流し込んだ。しかし、それは全く役に立たなかった。
大量の光が目を焼いた。こころは目をつぶってしまった。その刹那、全身が粟立った。四方八方から響いてくる歓声に身を貫かれたのだ。恐怖、期待の波が足の裏から昇ってきて、頭頂部の髪の毛を震わせて空に消えていった。ちょっと落ち着きを取り戻したこころは、恐る恐る目を開いた。
『知っている』と『何だこれは』という想いが同時に頭に閃いた。
何度もクロフォードと一緒に自走ソリを届けにきたソリ発着場がそこにあった。しかし、同時に無数の鉄棒で造られた観客席も存在していた。最後にこころが来た時には間違いなく無かったものだ。
人々は階段状の観客席に吸い込まれていき、腰を下ろすや歓声を上げる巨大な獣の一部になっていった。
こころは呆然として足が止まりそうになった。しかし、後ろから押し寄せる人々の重圧に、それは許されなかった。高鳴る胸を抑え込み、こころは横たえられた巨人の腕のような観客席の間に入っていったのだ。
何万人いただろうか、観客席には人が溢れていた。8割くらい埋まっている席を、こころはぐるりと首を巡らせて眺め回した。
「こころ」
クロフォードが耳に口を寄せ、更に声も潜めて呼び掛けてきた。この大音量の中であってさえ、クロフォードはこころの本名を呼ぶのに慎重だった。
「いいか、後で絶対迎えにきて、約束通り家に送り届ける。それまであそこで待っててくれ」
クロフォードは観客席の一点を指差した。座席は赤く塗られており、最上段の更に上にクロフォードの社章を同じ紋章が刺繍された旗が風に吹かれてはためいていた。
「あそこは、サンタ.CO.LTDの親族専用の席なんだ。警備にこれを見せたら入れてくれる。それじゃ」
スーツの懐からチケットを取り出したクロフォードは、それをこころに押し付けてきた。そして自走ソリが並んでいる広場へ向かっていった。
こころはチケットを失くさないようにしっかり握り、クロフォードの行く姿を見つめた。クロフォードは胸の高さくらいの柵を守る警備員に近付き、何かを提示した。遠くてはっきりと見えないが、恐らく社員証であろう。警備員は頷き柵を開けた。クロフォードは広場の中に入ると振り向いてきた。そして笑顔で大きく手を振ると、広場の奥へ姿を消した。
クロフォードの姿が見えなくなっても、こころはその一点をジッと見つめていた。しかし彼が戻ってこないという事を確認すると、言われた通り観客席へ向かっていった。
30段くらいある観客席を見上げ、こころはどこに座ろうか悩んだ。クロフォードの親族ではなく、且つサンタクロースワールドの住人でもないので、こころは目立たない方がいいと考えた。そこで階段の上へ上へ向かった。しかし、半ばまで来た時、こころははたと足を止めた。
ほとんど間を置かず、こころは体を反転させるや階段を下りだした。そして、下から3段目の端の席に腰を下ろし、目立たないように体を小さくした。こころは、クロフォードが自分を迎えにきた時、見つけ難かったり遠すぎるような場所はあまり良くないのではないかと考えたのだった。
悶々としていたこころだったが、すぐにそれは忘れてしまった。なぜなら自走ソリが並べられている広場で、祭りが始まったからだ。
激しいダンスを交えたパレード、聞き惚れる程の美声の持ち主のコンサート、そして合唱、色々な楽器を使った演奏、動物の曲芸などであった。
時を忘れ、こころは会場を見つめ続けた。どんな小さな動きも見逃すまいと、大きく、丸く見開かれていた。手は興奮で固く結ばれ、拳の中は汗で濡れていた。顔は紅潮しており、体は小刻みに震えていた。
彫像のように動かないこころの周りで、他の観客達は忙しそうにしていた。手を叩いて歓声を送り、また一緒に来た人とハイタッチして喜びを表した。割れんばかりの笑顔で、楽しそうに体を揺すっていた。それだけ激しく興奮しているので、当然腹も減るし喉も渇く。観客達は、観客席の外側にある屋台に飲食物を買い求めにいった。
むせ返るような食べ物の香りに、完全に夢の世界に入っていたこころは覚醒する事になった。周りを見ると、見た事のあるものやない食べ物が目に入ってきた。するとこころも急速に空腹を感じ、直後腹が鳴った。
そして、こころは膝の上に乗っているバッグを思い出して顔をハッとさせた。中から弁当箱を取り出し、蓋を開けた。クロフォードの母親が外の食材で作ってくれたもので、とても美味しそうだった。こころは丁寧に手を合わせてからフォークで口に運んだ。予想通りとても美味しかった。
食事をしながらこころは回りに目を巡らせた。先程とは違い、観客席を忙しなく動く人々が減っている事に気付いた。そして、人々の騒ぎが鎮まってきている事にも。しかし、そこで脈動する興奮がある事にもこころは何となく気付いており、体の中で心臓が強く拍動していた。
『観客の皆様、及び放送をご覧の皆様、ご静粛にお願いします』
突如アナウンスが流れた。それと同時に会場は水を打ったような静寂に包まれた。こころも口を固く閉じ、何が起きようとしているのか見抜こうと会場を眺め回した。
『それでは第112代サンタクロースより挨拶があります』
アナウンスの言葉が切れた瞬間、会場から万雷の拍手が鳴り響いてきた。初めての体験のこころは驚いて体を硬直させたが、すぐに立ち直って周りの人達と一緒に手を打ち鳴らした。
会場の平らな部分にある舞台に、初老の男が現れた。こころは小さく『アッ』と言ったが、周りの大歓声にかき消された。初老の男は、以前サンタ企業のエントランスで会った、クロフォードが“サンタクロース”と呼んだ人物だった。
サンタクロースは右手を上げ、振りながら右から左に動かしていった。その手の動きと連動し、潮のように拍手と歓声が動いていった。
人々の熱狂に押され、来訪者のこころはさすがに面食らって同調は出来ずにいた。ただ、ジッとサンタクロースを見つめていた。
『諸君、1年間お待たせした。あと数時間で世界はクリスマスに入る。我々が最も忙しくなる一日だ。輸送係を全国民でサポートし、全世界の人々に夢を贈るのだ。そして、人々から喜びのエネルギーをちょっぴり分けて頂こうではないか』
観客達は立ち上がり、腕を力一杯振り上げ、喉から血が出るくらい声を上げた。人々の興奮は爆発した。
『さあ、この一日を充分に楽しもうではないか。食べ、飲み、踊り、明日からの生活の糧にしてくれ。そして、この開祭式の終わりとクリスマスの始まりに、自走ソリの飛行デモンストレーションを行う。さあ、彼等を拍手で迎えよう』
最前の歓声は序の口だった。舞台上に6人の人影が現れると、観客達の興奮は爆発した。その大声で、サンタクロースワールドのドームが吹き飛ぶのではないかと心配になるくらいであった。
男が4人、女が2人だった。
“クロムウェン”、“黒佳”、“クロザベス”、“クローケン”、“クロワート”、“クロスタイン”と人々は叫んでいた。こころの席の周りの人々は『クロザベス』と叫んでいた。どうやらサンタ.CO.LTDの関係者はクロザベスという女性なのだろう。
そして、会場で1番多い呼声は『クロムウェン』だった。こころは、以前クロフォードが言っていた『クロムウェンさんは我が国の英雄なんだ』という言葉を思い出していた。
そうこうしているうちに、自走ソリの発着場に開けている方向から、6機の自走ソリが運ばれてきた。それぞれの機体には各会社の社章が付いていた。
何が起きるのだろうと思っていたこころの耳に、隣で話し合う男女の言葉が届いてきた。
「今年も楽しみだね~」
「うん、どんなアクロバット飛行が見れんだろうな。でもさ……、正直俺はクロムウェンの飛行が楽しみかな」
男性の言葉の最後は小声で、こころのように注意を向けている者以外には聞こえなかった。そして、話の内容を聞き、こころは以前両親と弟と見た、ブルーインパルスの飛行のようなものではないかと予想を立てたのだった。
6人のパイロットは、手を振りながらそれぞれの愛機に乗り込んだ。そしてヘルメットを被り、操縦席前面の操作盤を触った。すると素早く、コックピットのガラス窓が閉まった。観客の多くがゴクリと固唾を飲み込んだ。
自走ソリの後方の空気が揺らいだ。こころはクロフォードに付いて何度もこの光景を見てきたので、直後エンジン“サウザンドベル”の音が鳴り響く事が分かっていた。
クロフォードがくれた翻訳機を調節してくれたので、もうサウザンドベルの音を耳にしても気が遠くなる事はなかった。しかし、その最初の記憶がベッタリと脳裏に貼り付いており、こころはサウザンドベルが起動する度に腹に力を入れるようになっていた。そしてこの時もやはりそうしていた。
この直後に機体が浮き、サウザンドベルの音が強くなる。そして、6機が空に弧を描いて飛び、ドームの外の空を背景に線画を作り出すのだろうと思った。こころは全身が心臓になってしまったかのように鼓動と1つになって、自走ソリを見つめた。
しかし、こころの予想は裏切られた。
鈴の音は鳴り響く事なく、自走ソリの後方から灰色の煙を吐きだされたのだった。
驚きで目を丸くしたこころは、周りの人々に目を向けた。この事態はやはり異常なのであろう。ほぼ全員が、言葉を失い、目を大きく開いて自走ソリを見つめていた。
そればかりか、舞台上のサンタクロースも口をあんぐり開けて呆然としていた。そして6人のパイロット達もコックピット内で焦りで顔を歪ませ、忙しなく手を動かしていた。
『ウッ、オッホン。ど、どうやらソリもこれから始まるクリスマスに気負い過ぎたようだ』
サンタクロースは笑いながらそう言った。しかしその顔は硬かった。そして観客達もサンタクロースに倣って笑ったのだが、やはり笑い声の響きには緊張がふんだんに混じっていた。
すると作業員が空になった自走ソリを発着場の方へ持っていき、別の自走ソリを運んできた。その6機には社章は付いていなかった。6人のパイロットは首を傾げて何やら話し合っていた。
『さ、さあ、時が移るから、エースパイロット達にデモンストレーションを見せて貰おう』
サンタクロースはそう言い拍手した。そして己に続くよう、観客達の方を見た。観客達もそれに気付き、6人に拍手を送った。しかし、拍手の音量は先程のものとは規模が大分縮小していた。
6人は再び自走ソリに乗り込み、先程と同じ手順を繰り返した。そして、悪夢も繰り返されたのだった。
不安のざわめきが広がっていった。誰の心にもただならぬ事が起ころうとしている予感が去来していただろう。もちろん放送を観ている、この場にいない者達にも。
『たまたまだ……。たまたま、調子の悪い機体を選んでしまったのだろう。整備万端の機体を、速く持ってくるのだ』
サンタクロースはとても早口でそう言った。作業員達が自走ソリの発着場の方へ走っていった。こころは、あの中にクロフォードもいるのだろうかとぼんやり考えていた。
ザワザワと、観客達の中に恐慌がくすぶり始めた。しかし誰も本当の想いを口にしていないようだった。もし出したら、自分の言葉で気が狂ってしまうとでもいうかのように。
発着場の方から、作業員1人が凄い勢いで走ってきた。そしてサンタクロースに身を寄せた。こっそり報告しようとしたのであろうが、マイクが彼の言葉を拾ってしまった。
『せ、整備済みの筈のソリが……、今のところどれも動きません……。さ、最悪、全てが稼動不能の可能性も……、あるかと……』
サンタクロースの顔から表情が消え、握っていたマイクが滑り落ちた。
――ドン。
スピーカーから衝撃に似た音が拡がった。その音の拡がりとほぼ同時に、恐怖の波動が国中を駆け抜けた。
ただならぬ事が起きていると、こころもさすがに気が付いた。少し脅えた目でキョロキョロ辺りを見回した。そこには自分よりも更に恐怖に陥っている人々がいて、皮肉な事だけれども冷静さが戻ってきた。
『しょ、諸君、心配する事はない……』
サンタクロースはマイクを拾ってそう言った。しかし声は慄えており、観客達に安心を与える効果はなかった。
「そ、そんな訳あるか」
「そうよ、もうプレゼントが配れないじゃない」
「世界中から“喜び”が集まらなかったら……」
所々でそのような言葉が交わされた。小さな水滴が集まって大きくなっていくように、恐怖の会話はドンドン大きくなっていき、遂に会場全体を満たしたのだった。
「そうだ、喜びはどうするんだ!」
「説明しろ! 何が心配ないんだ!」
プレゼントと交換で世界中から集まってくる“喜び”。サンタクロースワールドではそれをエネルギーに変換する技術があった。そう、外の世界の化石燃料のように。
化石燃料がなくなると電気が止まり、乗り物も動かなくなる。ちょっと想像しただけでも背筋が寒くなるような事態が起こってしまう。
そんな恐ろしい事がサンタクロースワールドに訪れようとしているのだ。
このような思いが人々の胸に去来し、最前まで歓喜に沸いていた会場が、今や恐怖に包まれて騒擾の一歩手前にまでなっていた。いや、この様子はサンタクロースワールド全土に放送されているので、国中がそうなっているといっても過言ではない。
『うむ、あー、そうだな……』
サンタクロースの顔が暗くなって俯いた。しかしすぐに上がったが、表情は晴れていなかった。それでもゆっくり口を開き、人々の心に安心感を与える事が出来ない暗鬱な声で喋り出した。
『そうだ、諸君、思い出して欲しい。我が国の歴史を。過去に何度か喜びを集められなかった事があっただろう』
世界中に飢餓や戦争が蔓延した時、人々の心にある希望が小さくなった。人々は生命よりも望むものはなくなり、輸送係がプレゼントを配っても喜ぶ者は少なかった。結果、外の世界と同様にサンタクロースワールドの人々の生活も苦しくなったのだ。
サンタクロースワールドの者達は親から子へ、また学校の授業でこの歴史を教えられるので周知の事だった。観客達はサンタクロースワールドの言葉に記憶を刺激されて思い出したようだった。人々は首を縦に動かしたが、動きは重々しく表情は曇っていた。
『その時のように、この一年、たったの一年間を乗り切ろうではないか。幸い、喜びの備蓄は充分にある。外の世界の者達には……、すこし残念な思いをさせるかもしれないが……』
サンタクロースにそう言われてしまってはと、無理矢理納得した者は渋い顔で口をつぐんだ。
しかし、サンタクロースの言葉を信じられない者も少なからずいた。また、喜びをふんだんに使えなくなり生活水準が下がる事を嫌う者達も。彼等は口々に文句を言い立てた。そして、不満と怒りは野火のように広がっていくかのように見えた。
そのような中、違う理由で顔を青くしている者がいた。こころである。子供の頭でも、今年のクリスマスにはプレゼントが届かないという事が理解出来、悲しみが胸を満たしていたのだ。この時、こころの頭の中には家に帰れないかもしれいという心配は一欠片もなかった。
「ちょっと待って下さい! 俺にいいアイディアがあります!」
再び不安と恐怖が爆発しそうになっていた会場に、良く通る声が響いた。そのお陰で、観客達の心はギリギリのところで踏み止まる事が出来たようだった。
サンタクロースも含め、全ての人の顔と目が自走ソリの発着場の方へ動いた。そして海が割れるように、会場の平らな部分に立っている人々が左右に分かれていった。
その奥から、後光こそ放っていなかったが、1つの人影がゆっくりと歩いてきた。目を凝らして見たこころの顔が驚愕に変化した。その人影は、クロフォードだった。
クロフォードは自信で顔を輝かせ、サンタクロースが呆然と立ち尽くす舞台に躍り上がった。目的の分からない者の登場に、観客達は不安と不審でザワついた。
「き、君は、確か……」
「サンタ.CO.LTDのクロフォードです。でも、今日は自己紹介をしている時間なんてありませんよね。俺には絶望に見えるこの状況を打開させる秘策があります」
「ほ、本当かね……?」
サンタクロースの顔に希望の光が閃いた。しかし、あまりにも事態が深刻過ぎるので、年若い男1人で打開出来るなど考えるのも難しい状況である。その希望の裏には拭いきれない不安が隠されていた。
「はい!」
クロフォードはサンタクロースの思いに気付いているのかいないのか、自信満々にそう言って頷いた。
「し、しかし、どうやら動くソリは1機も無いと言うぞ……」
全国民の意見を代弁したサンタクロース。その言葉を聞き、クロフォードは不敵に笑った。そして、優雅な動きでポケットから黒い板を取り出すと、横顔に当てて独り言のように喋り始めた。
「ああ、俺だ。準備は? よし、発信させろ」
最前より、口角が大きな角度で上を向いた。中から出てこようとする笑いを堪えているようであった。
クロフォードがポケットに黒い板を落とした。しかし何も起こらなかった。水を打ったように静寂に包まれていた会場だったが、あちこちでザワつきが出始めてきた。
どこからか、大量の鈴の音が響いてきた。
クロフォードが話を終えてすぐ、サンタクロースワールドの郊外で動きがあった。
針葉樹の森の奥、サンタクロースワールドの際には絶壁がある。そしてその固い絶壁はぐるりと国を囲んでいるのだった。
灰色の絶壁の一部が、埃を撒きながらすり上がっていった。高さはおよそ50メートル、幅はおよそ100メートルだった。
暗闇の奥で猛獣が身を潜めているのか、何かがチカリと光った。その瞬間百万羽の鳥のさえずりが飛び出してきた。そして、瞬間後風を巻いて黒い影が飛び出してきて、そのまま大空へ翔けていった。
絶壁に開いた黒い口の中は暗闇ではなかった。外が明るいのでそう見えただけだった。天井から伸びた電灯に照らされ、新しい設備の工場の姿が浮かび上がっていた。
流線型の巨大で黒い怪鳥が会場の上を横切った。自走ソリのエンジン“サウザンドベル”に似た音の何十何百倍もの音が聞こえてきた。そして、その姿に続いて突風が吹いてきた。
怪鳥は空中を旋回し、会場の上に停止した。鈴の音は若干小さくなったような気がした。そして風が上空から吹き降ろしてきて、埃が巻き上げられ、人々の服の裾をはためかせた。
こころは服を両手で引き寄せ、埃が目に入らないように細めて空を見た。黒い影は巨大な鳥ではなかった。
会場を覆い、観客達に日陰を与えているそれは、巨大な三角形の飛行機に見えた。驚いたこころは回りの人々に目を向けた。人々も口をポカンと開け、それを見つめていた。それからも、頭上に浮いているそれはサンタクロースワールドにおいても、尋常ならざるものであろう事は容易に想像出来た。
さすがにサンタクロースは自分を失っていなかった。黒いそれを見て、呟くように言葉を発した。
「あ、あれは……? 君の言っていたものなのか……?」
会場に響く鈴の音の中、クロフォードの耳はサンタクロースの呟きを捕らえた。
「そうです! あれが俺の秘策です。あれを使って……。ちょっと待って下さい」
クロフォードは鈴の音に負けないように叫んだ。しかし聞くのも話すのも困難であると分かったらしく顔をしかめた。そして再びポケットから黒い板を取り出すと、今度はそれに向かって叫んだ。
「クロッキィ、高度を上げろ! そうだ、ドームの下ギリギリまで! 音が大きくて話も出来ない!」
クロフォードが言い終えると、上空の三角形は小さくなっていった。この一件から謎の黒い三角形がクロフォードの指示に従うものであるという事を、サンタクロースに示す格好になった。
「クロフォード君、あれは……?」
サンタクロースは相当衝撃を受けているのであろう、語彙力が極端に落ちていた。
「実際に見て頂いた方がいいと思います。ソリの発着場にスペースを空けてもらえませんか?」
まるでクロフォードに操られているかのように、サンタクロースは言われるがままマイクを使って発着場の作業員に指示を出した。すると、もの凄い速度で発着場に大きな空き地が作られたのだった。
会場にいる、また放送を見ている、全ての人の目に黒き巨大な三角形のものが降りてくる姿が映った。多くの人がゴクリと唾を飲み込んでいた。
その巨体に似合わぬ優雅な動きで地に足を着けると、鈴の音が静かになった。艶の無い機体は太陽の光を吸収し、まるでそこに影がわだかまっているように見えた。
「こ、これはいったい、何だね……?」
黒い機体を見つめている全ての人の言葉を代弁し、サンタクロースが尋ねた。
「これは、俺が開発した、超巨大飛行機型自走ソリT―07Χ(カイ)、通称“ガルーダ”です」
新車発表会でもあるかのように、クロフォードは左手を巨大自走ソリに向けてそう言った。
ザワつきの波が、観客席を走った。
「そ、そうか……」
理解が追い付かず、且つ何と言えばいいか分からないのであろう、サンタクロースはかすれた声で言った。
そしてサンタクロースの混乱を知ってか知らずか、クロフォードは誇らしさで満ち溢れた声で言葉を続けたのだった。
「そうです! エンジンは従来のものより高出力の“ミリオンズベル”を、これも俺の設計です、5台付けています。また垂直離着陸を可能にする為、サウザンドベルを30台付けています。飛行中はこれらを全て使う事で、最高速はソニックスワローの何倍も出せます。これがあれば、一晩で全世界にプレゼントを配り終えられえると思います」
突如垂らされた1本の希望の糸に、観客達は飛びついた。先程までお通夜のように静まり返っていた観客達は、まるでスポーツの優勝を目の当たりにしたように歓喜の声を爆発させた。
「しかし、そんなものをどこで作っていたのかね?」
さすがにサンタクロースワールドを統べるサンタクロースである。誰もが考えそうな疑問を冷静に口にした。
それにもクロフォードは明快な答えを用意していたのであろう。躊躇いを一切見せず、サンタクロースに言葉を返したのだった。
「壁の廃工場です」
ガルーダのやって来た方向を指差しながら。
この時がルーダから影が1つ染み出した。クロフォードが指差した方向とは反対に位置していたので、誰の目にも留まることはなかった。
数十年前、外の世界から沢山の人がやって来た。何があったかは分からないが、どうやら国を追われた人々のようだった。
彼等は積極的にサンタクロースワールドの人々と交わろうとせず、郊外の森の中で生活していた。それでも食料や生活物資、エネルギーは必要だったので、たまに数人が街に現れてそれらを購入していった。
剣呑な摩擦も無く、両者は平和的な関係を築いた。ただ、サンタクロースワールド側からは、彼等が何をしているのか窺い知る事は出来なかったのだ。
10年も待たず、彼等はサンタクロースワールドを囲む絶壁に、実際は南極大陸の地下に、未来的な工場を造り上げてしまった。そこで彼等は何かを製造していた。街から離れていたので、それが完成するまで誰にもその存在は知られなかった。
ある時、サンタクロースワールドの上空に銀色のホットケーキのようなものが浮かんだ。人々はそれを指差し、顔を不安で歪ませたのだった。しかし、人々の心配は杞憂に終わった。
銀色の物体はプルプルと小刻みに身を震わせると、音も無くドームの外へ出ていった。そして突然姿を消失させた。その後、銀色の物体がサンタクロースワールドに戻ってくる事はなかった。
姿を消した彼等だが、3つのものを残していった。1つは人材だった。銀色の物体と共にほとんどの人がいなくなったのだが、数十人だけが残りいつしかサンタクロースワールドに紛れていった。
2つ目は技術だ。彼等の持っていた科学技術はとても高く、銀色の物体を動かしていた動力をもたらした。そして、人々はそれを応用して自走ソリを開発したのだった。
3つ目は工場だった。ただ、これはそこにあった製造ロボットの技術を取得すると、街から遠いという事もあり、無価値という烙印を捺されて打ち捨てられた。
クロフォードが子供の頃、飼いトナカイのローリーが暴走してしまってそこに辿り着いた。その頃から科学技術に頭角を現していたクロフォードは、放置されていたにも関らずまだ現役の工場のような姿に目を輝かせた。そして、いつかここで何かを造ってみたいといと心に強く思ったのだった。
そしてサンタ.CO.LTDに入社したクロフォードは、夢想していた自走ソリの設計図を引いた。彼はそれだけでは満足せず、休みの日に廃工場を訪れてコツコツ数人の仲間と一緒にそれを造り上げたのだった。
「それに、プレゼントも最大3千万個積み込む事が出来ます。どうでしょう? この危機を回避するには、俺のガルーダを使うしかないんじゃないですか?」
速度、搭載量共に申し分がない。さすがサンタクロースワールドを統治する男はそれに気付いた。先程まで不安で青くなっていた顔に、ほんのり赤みがさしてきていた。
サンタクロースの顔に自信が戻っていくのを認めた観客達は、今まで自分達が抱いていた願望が夢幻ゆめまぼろしのようなものではなく、信じていいものだと確信し始めた。その証拠に、人々の顔にも笑顔が戻ってきた。
――ワァァァァ!
会場が1つになって歓声を上げた。
「オイ! そいつにだまされるな!」
喜びに満ちた歓声が、この冷ややかな響きを含む声によって遮られた。水をかけられた気分を壊された観客達は、その声の主に憎しみに似た目を向けた。
舞台に躍り上がってきたのはクロイドだった。顔には怒りや自信、そして何やら分からない感情が現れていた。
またクロイドの横には女性が顔を脅えで歪ませ、身を縮こまらせて立っていた。クロフォードは女性に視線を向け、顔を硬直さえた。
「お前、とんでもない事してくれたな」
「ど、どういう事だ?」
サンタクロースが訝しむ声でそう言った。
「えーっと、この事態なんですけど、これを作り出したのは、そのクロフォードなんです」
胸を張り、指を反らせ、クロイドは真直ぐクロフォードを指差しながらそう言った。
「こいつは整備し終わったソリの、サウザンドベルのプラグを換えたんです。火が点かないように。そんで、皆が困った頃を見計らって自分の開発したソリを出すという、マッチポンプをする為に」
「何故、そんな事を……?」
「分かりませんか?」
クロイドは質問を質問で返した。しかしサンタクロースは気分を害した様子も見せず、ちょっと考えてから首を横に振った。
「サンタクロースの地位にいるあなたには、分からないかもしれませんね」
口調は丁寧であったが、その裏には嘲笑が隠されていた。そして不躾にも鼻で笑い、言葉を続けた。
「クロフォードは、サンタクロースになりたいんです。クリスマスイブに大事件が起きる。誰も解決出来ないのを、自分が開発したもので見事解決する。評価が高くなり、自分がサンタクロース候補になる頃、私達同期より頭1つ抜いている事になる。多分こういう絵を描いたのでしょう」
クロイドの話が信じられないのか、サンタクロースは大きく目を開いて耳を傾けた。
「そうなのか……。君はよく分かったな……」
「ええ、私もサンタクロースを目指していますので」
恥ずかしそうに、クロイドは頬をかきながらそう言った。しかし大切な事を思い出したように、眉をハッと上げた。そして、懐から黒く焦げた小さな棒と、真白な棒を取り出したのだった。
「こっちの焦げたのが、今ソリから外してきたプラグです。そして、こっちが正常なプラグです。見て下さい、こっちの点火部に微妙ですが歪みがあります。これが点火不良を起こしたのです」
クロイドの言葉が示すように、2つを並べてみると焦げた方の金属部に歪みがあるように見えた。しかし、それは言わないと分からないくらい小さな差異だった。
「ほ、本当なのかい……、クロフォード君?」
サンタクロースはクロフォードに顔を向けてそう言った。声は震えていた。
「な、何の証拠があって、そんな事言うんだ!」
顔を真赤にしてクロフォードが叫んだ。
しかしクロイドが動じる事はなかった。そして、腕を掴まれて脅えている女性を、ドンと前に突き出してきた。
「これが証拠だ」
女性は逃げ道を探すようにキョロキョロした。しかし、どうする事も出来ないと観念したのか、目から滝のような涙を流しながら叫び出した。
「ご、ごめんなさい……。クロフォードさん、私、私が失敗したから……」
広い会場の中で、女性だけが音を発していた。
例え女性がクロフォードの名を口にしたとしても、本人が繋がりを否定したら誰も責める事は出来なかっただろう。しかしクロフォードは口を閉ざすだけで否定はしなかった。結果繋がりを証明する事になってしまったが、仲間思いのクロフォードの姿が垣間見られた。女性も、クロフォードの姿を目にして少し冷静さを取り戻したように見えた。
「さあ、もう言い逃れ出来ないだろ?」
嘲笑混じりのクロイドの言葉に、クロフォードは唇を噛んで耐えていた。会場内は訳が分からないが不穏なものを感じ、徐々にザワつきが広がり始めていた。
「…………」
クロフォード、クロイド、サンタクロースの顔に光が閃いた。そして忙しなく顔をあちこちに向けた。まるで幻聴でも聞こえているみたいに、耳に手を当てたりしていた。
舞台の端から、凝り固まった影がのっそりと上がってきた。それは頭の部分を俯かせ、何かブツブツと呟いていた。3人が先程耳にした音波のようなものは、影が発する音だったのであろう。
「お、お前は……、玄之介……」
音も無く近付いてくる影に向かってクロイドが呟いた。
「言われなくても、自分の名前くらい分かってる。それより、もっと事態が悪くなってる事を君に教えてやろうと思ってさ」
クロイドは顔を怒らせた。完全に優位に立っていた自分に何か知らない事があると指摘され、気分を害したのだろう。しかし好奇心には勝てなかったのか、尋常の口調で玄之介に返事をした。
「それは、何なんだよ?」
「あー、どうやら、プレゼントの配送データが改ざんされてるみたいだよ。誰に何を届けるか分からないんじゃ、どんな優秀な機体があっても一晩じゃ配れないだろ」
ソリと配送先の名簿、サンタ業務にとっては車の両輪のようなものである。それが分かっているからこそ、クロイドとサンタクロースの顔が恐怖で白くなった。ただ情報をもたらした玄之介の声が落ち着きを払い過ぎており、それがこの事態をより重く感じさせた。
「何でそんな事、お前が知ってんだよ!」
責めるとも、質問ともとれる感じでクロイドが言った。
「ああ、ちょっと頼まれたからさ」
気だるそうな玄之介の口調にイライラしているのか、クロイドは顔を赤くして口を開いた。『誰にだよ!』とでも言おうとしていたのだろうが、言葉が発せられる事はなかった。
「私が頼んだの」
舞台にもう1人上がってきた。こころは思い出した。サンタ企業の共同エントランスで出会った女性、クローディアであると。
そして、クローディアもクロイドと同様に悄然としている人物を伴っていた。
「ああ? お前がか、クローディア。何で?」
「私の同期の情報部の子に相談されたの。『何かデータがおかしいみたい』ってね。その子は確信出来てないみたいだったから上司に相談する前に、とりあえず私に声掛けてみたんだって。私もよく分からなかったけど、く、玄之介に聞いてみたんだ。ホラ、玄之介も情報部だから」
クローディアは言った。ただ、何故か言葉の最後の方で顔が赤らんでいた。
あまりにも情報が少な過ぎた。舞台上の誰も、またスピーカーから流れる声を聞いている観客達も、頭の上に『?』を浮かべていた。
「ああ、だから僕も調べてみたんだ。そしたらさ、こっちもデータを変えられてる痕跡を発見したんだ。それで当社の隠密部のプライドをかけ、犯人を追う事にした。そしてら、意外に簡単に見つかった。いや、諜報活動は三田屋が最も得意とする分野だから、ウチだから簡単に見つけられたと言うべきかな」
相変わらず暗鬱な口調であったが、その底流には誇らしさが隠れていた。
「それでさ、私も玄之介に『おかしい』って段階で連絡貰ってさ、ウチの情報部の子に教えてあげたんだ。その子はすぐに部内を精査して、その結果やはりデータの改ざんの痕と子供達からの手紙がなくなってる事に気付いたんだってさ」
「ま、まさかそんな事が……。いったいいつ気付いたのかのね?」
声がかすれないようにか、サンタクロースは咳払いを1つしてそう言った。やはり声はまだ震えていたのだった。
『昨日です』
クローディアと玄之介の声が重なった。2人は目を丸くして視線を合わせた。
『恥ずかしながら』
再び同時に声が揃った。クローディアは顔を赤くして視線を落とし、玄之介はヤレヤレといった体で重い溜息を吐き出した。
「それにクロフォード、あんた当然彼に見覚えあるでしょ?」
落ち着きなく爪を噛んでいた男の背を、クローディアはドンと押した。男はヨロヨロと前に2、3歩踏み出してきた。
こころは彼も知っていた。あの丘の上と、情報諜報部の近くで見た肌の黒い人、クロジウスだった。
クロジウスはクロフォードの顔を見ようともしなかった。歯を食い縛って言葉は出さず、体を縮めて慄わせていた。クロフォードとの関わりを他人に悟らせまいとする姿勢は、さすが情報諜報部の一員だからと言えるだろう。
「さあ、クロフォード、もう言い逃れ出来ないんじゃない。謝っちゃいなよ」
「そうだ、罪を認めろ!」
クローディアとクロイドが続けざまに言った。ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべながら。恐らく、四天王と並び称されるライバルの凋落を喜んでいるのだろう。
「う、うるさい。俺のせいだって、勝手に決めつけんな! もし俺のせいだとしても、ガルーダがあれば解決するだろうが!」
2人の言葉を遮るように、クロフォードは右手を強く振りながら言った。声は震えていたが、怒りなのか脅えなのかは分からなかった。
しかしその強い言葉に圧される様子も見せず、クローディアは両手の掌を上に向け、溜息を吐きながら首を振った。そして間を置いて口を開いたのだが、口調は冷静そのものであった。
「あんたね、本気でそんな事言ってる訳? あの自走ソリ、確かに性能がいいのかもしれないけど、あれ1機でなんとかなる筈ないでしょ。それくらい分からないの?」
「大丈夫に決まってんだろ! 問題なんてある筈ない!」
強い口調で言いながら、クロフォードは1歩前に踏み出した。造り上げた愛機に相当自信があるのか、それとも気付いているのに目を逸らしているのか、クロフォードの内心は外から窺い知る事は出来なかった。
クローディアは目を大きくしていた。恐れているのではなく、本気でクロフォードの言葉が信じられないようだ。その証拠にクローディアの口から続いて出たものは、嘲笑交じりの乾いた笑いだった。
「ハハ……、あんた、マジでバカなの? 仕方ないから、私が説明してあげるわ」
クローディアの全身が燃え立つように見えた。目に強い意志の光が輝いた。
「まず1つ、搬入の問題よ。あの巨大な自走ソリ……、“ガルーダ”だっけ、プレゼントが何万個積めるか分からないけど、どうやってそれを積み込むつもりなの? 1回に15分かかったとして、4回で1時間、96回で1日分使う。全部配り終える前にクリスマスが終わっちゃうんだけど」
指を1本立て、クローディアは言葉を切った。そしてクロフォードが黙っているのを見て、再び口を開いた。
「2つ目、配送の問題。あんた、ガルーダに付けてある転送装置は何?」
「えっ……、現行最新タイプのものだけど……」
訝しんだ顔でクロフォードはそう言った。それを聞き、クローディアは重い溜息を吐き出した。
「あー、やっぱりか……。今ある1番ハイスペックの転送装置の範囲でも半径50メートルだよね。往復して配って飛ぶ時、その範囲をギリギリ合わせるようにしなくちゃいけないのよね。もし間が空いてしまったらそこの人達にプレゼント配れないし、数メートルでも重なったらロスが出る。そのロスが、一晩という制約の中ではどんなに大きいものになるか……、想像出来ない訳ないわよね」
クローディアの指がもう1本、ゆっくりと上がった。クロフォードの目は丸くなり、口が少し開いていた。
「そして3つ目。これは2つ目にも関係があるわ。それは誰が操縦するかって事。数センチも誤差が許されない飛行技術、重い責任、誰が引き受けてくれると思う。それともあんたがやる?」
突き出された3本の指を、クロフォードは左右に揺れる目で見つめていた。そして油の切れたブリキのオモチャのようにぎこちなく首を動かし、黙ってクロイドを見た。
見つめられたクロイドは初めニヤニヤと笑っていた。しかし間も無く顔は不安に歪み、最後は恐怖の色を現して額に玉のような汗を浮かべたのだった。
「クロイ……」
「いや、俺は断る。そんなの……、今の俺には無理だ……」
このクロイドの言葉は、クロフォードにとって死刑宣告に近かったのだろう。瞳孔が開き、それ以上に大きく口が開いた。そして上体が揺れ出し大きく傾ぐと、体を支えるように足を出した。1歩後ろに。
観客席のこころは悲鳴を上げそうになった。まだ出会って数週間しか経っていないが、クロフォードは自信と自己肯定感に溢れているように見えていた。
クロフォードはいつも、親や上司に注意されても1歩前に踏み出して自己主張していたのだ。そのクロフォードが後退するという事は、今クロフォードは相当打ちのめされているとこころは思った。この考えが閃くや、こころは観客席から飛び出したのだった。
本来なら、人の間を突っ切ろうとするこころは誰かに止められただろう。テレビで見たことのある、競技場に乱入した子犬のように。しかし、色々な事が起こり過ぎていて呆然としてしまった警備員は、子供1人の姿など目に入らなかったのだろうと思われる。
ただ、こころが舞台に駆け上がった時、さすがに多くの人が気付いた。口は開けたままハッと眉を上げた。そして、数人の者達が『アッ』と声を上げたのだ。
人々の視線や驚きの声にこころは怯む事はなかった。いや、もしかしたら気付いてもいなかったのだろう。
実際こころの目にはクロフォードしか映っていなかった。右足を引き、上体を揺らし、不安で唇を噛んでいる姿しか。
こころはクロフォードに駆け寄った。そして人形のように力なく垂らされている手を握った。自分が何とは言えない不安に襲われている時、母親に手を握って貰って眠りについた事を覚えていた。その時の自分と重なるクロフォードの手を、今度は自分が握って安心させてあげたいと思ったのだ。
こころはクロフォードの左手を両手で包んだ。彼の手は小刻みに慄えていた。そして、氷のようにとても冷たかった。クロフォードの心中を思い、こころは悲しくなって目を瞑った。
突然の刺激は、衝撃に混乱していたクロフォードに覚醒をもたらした。顔に意志が戻り、雷の速さで己の左側に首を動かしてきた。クロフォードの目がこころの姿を捉えると、少し強張りが弛んだようだった。
「大丈夫ですか?」
こころはクロフォードに声を掛けた。すると少しクロフォードの口角が上がった。
「ああ、大丈夫。ちょっと計算違いがあったけど、まあ心配ないと思う」
クロフォードの言葉を聞いても、こころの心配が雲散霧消するなどという事はなかった。弱々しく、感情に乏しかったからだ。
こころを不安と心配の津波が襲った。クロフォードの手を握る手に力が入り、どうにもいたたまれなくなった。力の無い自分がどうにかしてクロフォードから不安を取り払えないか、こころは必死に考えた。小学4年生の頭がショートを起こしそうなくらい高速で回転した。
月にかかる雲が晴れるように、こころの顔から影がスーッと消えていった。名案が浮かんだのだった。
こころでも、今この会場が衝撃と混乱に包まれている事は分かっていた。そしてそれがクロフォードを攻撃している事を。それならば、今以上に、もしくは今とは違った衝撃を与えればいいのではないかと。
こころはそれを持っていた。ただ、それを口にすると、自分の身がどうなるか予想もつかなかった。
それは、ただ口を開き、自分がこのサンタクロースワールド外の人間であるという事を叫べばいいだけであった。
しかしなかなか勇気が湧いてこなかった。両手を拳にし、唇を噛み締めた。心臓が爆発しそうなくらい高鳴っていた。
「あら、あなたは、確か……、クロロちゃん」
クローディアの声が耳に届いた。先程クロフォードを詰問していたような鋭さと冷たさは無かった。
こころは少し冷静さを取り戻し、周囲に目を向ける余裕が出てきた。この事態に関係のない自分に、クローディアが温かい目を向けてきていた。クロイドはこっちも見ず、不安そうに右手の親指を噛んでいた。サンタクロースもあらぬ方向を見ていたが、クロイドと違って真剣な面持ちで何かを考えていた。玄之介は関心も感情もない顔で、ただ立っていた。クロフォードは、まだ雨に濡れた子犬のような顔をしていた。
そのクロフォードの姿を見て、こころの決心は固まった。
「私、実は……、モゴモゴ」
腹に力を入れ、大声で叫んだ。しかし、突然何かで口を塞がれた。それはクロフォードの手だった。
後方から伸びてきた腕に沿ってこころは顔を動かした。何故か、先程よりも恐怖に脅えた顔をしているクロフォードがいた。
「何を言おうとしたんだ……、ここ……」
その瞬間、玄之介がこっちを見た。こころは驚いた。同級生だった時にも感情をほとんど現さなかった玄之介が、今は驚き目を大きく見開いていたからだ。
「っと……、クロロ、大丈夫だから。余計な事は言うな」
意外に優しいクロフォードの声を聞き、こころは安心して頷いた。そして、ホッと安堵の溜息を吐き出した。しかし自分に注がれている熱い視線に気付き、そちらへ恐る恐る目を向けた。
玄之介の目がいつもより若干大きくなっており、顔の筋が引き攣ってピクピク動いていた。同級生だった頃の記憶を辿っても、このような玄之介の感情の揺れはこころには思い当たらなかった。
すると、更に驚いた事に玄之介がこちらに向かって歩いてきた。こころは緊張し、クロフォードの袖を掴んだ。しかし、玄之介の目はこころの方を向いておらず、クロフォードを真直ぐ睨むように見ていた。
「クロフォード、お前……。そうなのか?」
よく分からない事を言われたクロフォードは意味を理解しているのだろうか。外見からは分からなかった。しかし、チラリとこころを見ると、玄之介に向かって小さく頷いた。
それを見た玄之介はあからさまな溜息を吐き出した。そしてポケットから黒い板を取り出し、それを額に当てて話し出した。
「クッ、やっぱりか……。今まで気付かなかったとは……。僕もまだまだだな。あっ、くろ姫姉さん? 悪いんだけど、アメノミハシラを使わせて欲しいんだ。放送観てたでしょ? マジでまずい状況でさ、どうやらそれが必要みたいなんだよ。うん、僕も今から手伝いにいく」
外の世界でよく見る手つきで黒い板を触った玄之介は、それをポケットに落とした。そして、クロフォードに向かって精力的な口調で話し掛けてきた。
「1つの問題、プレゼントの搬入は僕等が解決してやるよ。三田屋が開発した据付型大量転送装置“アメノミハシラ”がある。それで、あの中に大量のプレゼントを送ってやる。連絡は……、あー、お互いに連絡先知らなかったか」
玄之介は何桁かの数字を口にした。クロフォードはすぐに記憶したのだろう、言葉を返さず首を縦に動かした。
「それじゃ、僕に教えられるガルーダだったか? その設計図を送ってくれ。構造が分からないんじゃ転送出来ないから」
そう言うや玄之介は背中を向けて駆け出していこうとした。しかし突然声が掛かったので足を止めて振り向いた。
「玄之介。何で、あなた、クロフォードの手伝いするの?」
声の主はクローディアだった。彼女は訝しむ顔を隠そうともしていなかった。
「あー、何て言うかな……。手伝いたいという訳じゃなくて……。そう、どうやら僕はクロフォードに借りを作ってしまったみたいだから」
「えっ、“借り”って何さ?」
玄之介は面倒そうにしていた。どうやら早く行きたいらしく、顔は不満そうだった。それでも口を曲げ、クローディアの問いに答えてきた。
「それは、僕とクロフォードの間の問題だからちょっと言えない」
「そうなんだ……。で、でも、あなたがクロフォードに協力するなら、私も力を貸してやらないでもないわよ」
クロフォード、玄之介、更にこころも首を傾げた。するとやはりクローディアも黒い板を取り出してそれに向かって喋り始めた。
「もしもし、クローディアです。私が開発した“シューティングスター”を使いたいんですけど。そうです、この状況を打開する為、三田屋の玄之介も力を貸すそうなので、私も手伝ってやろうと思いまして。はい、全部のロックを外して下さい。後は私の方で誘導しますから。はい、お願いします。
クローディアは律儀にも頭を下げて話を終わらせた。そして得意そうな顔をクロフォードに向けてきた。テレビのリモコンのようなものを手にし、それを手馴れた手つきで操作を始めた。
するとどうだろう。空に、両端を削ってしまった鉛筆のような物体が無数に現れたのだった。その中のいくつかは、まだ青く淡い光をまとっていた。更に、その中の1つが降りてきて、クローディアの横で停止した。
長さ3メートル、直径1メートル50センチくらいの、両端に円錐を付けたような赤い金属の円筒だった。クローディアは愛おしそうに円筒に手を置いた。顔は何故か悲しみをたたえていた。
「これは、私が開発した、無人自動ソリ、通称“シューティングスター”よ」
クローディアには10歳離れた従姉妹がいた。
光り輝くプラチナブロンドの長い髪、周りの者達も幸せにする魅力的な笑顔を持っていた。よって十人並みの器量ではあったが、2つの要素はそれを補うに十分だった。
まるで本当の姉妹のように育ち、クローディアはその女性を『クロリスお姉ちゃん』と呼んでなついていた。
クロリスはサンタクロースワールドに住む人々の例に漏れず、やはりサンタ企業への入社を目指していた。クロリスは子供の頃から自転車の運転や遊園地の自走ソリシミュレーターで才能を現していた。
そして本人の努力の甲斐があり、好成績をもってサンタ企業に入社した。後にクローディアが入社する事になる『南サンタ会社』に。
クロリスの望みもあったし、やはり才能があったのだろう、入社すると輸送部に配属された。初年度から活躍し、クロムウェンという存在がなければサンタクロースに選ばれるだろうにと惜しまれる程だった。
いつか一緒にクリスマスの夜空を翔けたいとクローディアは思った。憧れの従姉妹に少しでも近付こうと、クローディアは家族が心配するくらいの努力をした。
またサンタ企業に入って忙しいにも関わらず訪ねてくれるクロリスの仕事の話を聞く時は、目を輝かせ、頬を紅潮させていたのだった。
クロリスが入社して7年目のクリスマスの2日前、一族のエースのクロリスの壮行会のようなものが開かれた。もちろんクロリスの他にも2人サンタ企業に勤める者もいたが、クロリスはその中でも頭1つ抜けていて、特にもてはやされていた。
そのパーティーで、クロリスはテーブルからグラスを落とした。グラスは粉々に砕け、ジュースを床に撒き散らした。
いつも周りに気を張っているクロリスにとっては珍しい事で、誰もがクロリスの心配をした。しかしクロリスが口にした『ちょっと緊張してるみたい』という言葉で安堵したようだった。またクリスマス2日前に不吉な事を考えるのを嫌がっているようにも見えた。
このような中、クローディアはクロリスが隠そうとしていたものを見つけた。クロリスは誰にも見られないように、こっそり咳をしていたのだ。
クローディアは自分の中に沸き上ってしまった心配と不安を、真直ぐクロリスにぶつけたのだった。しかしクロリスは笑い飛ばし、『ちょっとむせただけ』と言った。そして、その後も続いたパーティーの中、クローディアに近付いてくる事はなかった。
その年もクローディアはクリスマスの開祭式に出掛けた。この時から既にクロムウェンは英雄視されており、大勢から声援を受けていた。クロリスも人気があり、男性達から黄色い声援を浴びていた。
髪に付いていた光の粒を残し、クロリスは自走ソリに乗り込んだ。そして白夜の南極の空へ飛び出していった。
15時間後、クローディアの家の電話が鳴った。クリスマスの当日の豪華な夕食を準備している母親に代わり、クローディアが受話器をとった。
無言だった。クローディアは眉をひそめて受話器を置こうとしたが、何か物音が聞こえてきたので再び耳に当てた。すすり泣きが聞こえた。
電話はクロリスの母親からであった。電話でもたらされた話を聞き、クローディアは衝撃を受けた。受話器を取り落とし、足を引きずるようにして自分の部屋に入っていった。クロリスの母親に聞いた話を、自分の母親に伝える事もせず。
ただ、その話は他から回ってクローディアの母親の耳に入った。クローディアの一族を中心に、サンタクロースワールドに衝撃が拡がった。
将来を嘱望されたクロリスが、プレゼント輸送中に墜落して帰らぬ人となってしまったからだ。
クローディアの一族は、せっかくのクリスマスの夜をまるでお通夜のような雰囲気で過ごすことになった。クローディアは大好きな従姉妹を突然失った事と、パーティーの日に感じたものを他の大人に知らせればよかったという後悔で、全てのものに意欲を失ってしまった。
それまで全てをかけるようにしていた勉強もやめてしまい、幽霊のように表情のない顔をして日々を送るようになった。しかし、2ヶ月が過ぎた頃であろうか、クローディアにある考えが閃いたのだ。
サンタ企業への想いを無理矢理頭から追い払おうとしていたクローディアだったが、その思い付きは捨てるにはあまりにも惜しく、考える事は甘美そのものだった。
今までの無気力さが幻ででもあったかのように、クローディアは爆発的に勉強を再開した。起きている時間はほぼ勉強にあてていたといっても過言ではなかった。
ただ、以前と違っている点があった。それは勉強の比重だ。それまではソリの操縦に力を入れていたのだが、それからは科学技術方面の勉強をひたすらしたのだ。
クローディアは、クロフォードと玄之介とクロイドと四天王と並び称される程の注目ルーキーになった。どの企業もクローディアを欲しがった。新入社員は基本的に自分からは企業を選ぶ事が出来ないので、クローディアは祈った。
すると祈りが届いたのか、クロリスが所属していた南サンタ会社に入社が決まったのだった。そして面接でも、入社後の研修でも声高に科学技術部に入りたいと言い続けていた。その願いも会社に受け入れられ、クローディアはめでたく科学技術部に配属された。
科学技術部の通常の業務を完璧にこなしながら、クローディアは自分のアイディアを形にしようとした。
定時で仕事を終わらせ、残業や休日出勤は出来るだけしないようにした。そして会社の自分の机で、また家の机で、設計図を引きパソコンを叩いたのだった。
そして遂に“シューティングスター”の試作機を作り上げたのだった。シューティングスターは無人でプレゼントを配る“ソリ”である。プログラムされた家に行き、機体をプラズマで包んで中に入る。寝ている人の枕元に音もなく近付き、プレゼントを置いて飛び去る機能を持っていた。
無人輸送システムは、もちろんクロリスの事故が起因となってこれを思い付いたのだ。しかしクローディアは完全にこれに移行しようとは考えていなかった。クロリスが事故を起こしてしまったのは、増え続ける外の世界の人口に対し、サンタクロースワールドのパイロットが少ないのが原因の1つだった。
体調が悪かったのに、エースの自分が抜ける事でプレゼントを待つ人々と同僚に、迷惑がかかるとクロリスは思ってしまったのだろう。『1個でも多く届けなくては』、『自分が休むと迷惑をかける』という意識から無理をしてしまうパイロットを、シューティングスターで支えられるようになればと考えたのだ。そしてその思いは科学技術部の同僚に拡がり、遂に南サンタ会社の開発の1つの柱になった。
「シューティングスター……?」
クロフォードは一言呟いた。そのぼんやりとした響きに、クローディアはクロフォードが理解していない事に気付いたようで補足をした。
「そうか……。ちょっと聞きたいんだけど、もし外の人に見られたらどうするんだ?」
「もちろんそれも解決済みよ。人の記憶に対するステルス機能として、サウザンドベルと同じ機構を組み込んである」
こころはクロフォードとクローディアの顔を交に見た。2人共真剣で、科学技術を信仰している者の顔だった。
「安全性はどうなんだ?」
「ん? どういう事?」
クローディアの顔が曇った。
「いや、別にそういう訳じゃない。ほら、プレゼントの中には食べ物、そう生物だってあるだろ。プラズマで機体を包んだ事で、たんぱく質の変性が起きたりしないかなって思ってさ」
パッとクローディアの顔が明るくなった。しかし、一転『男のくせに重箱の隅を突くような事言うな。面倒なヤツ』とでも言いたいような顔に変化した。
「あ~、そういう事。でも、バカにしないで。それも実験済みよ」
クローディアの軽い口調に対し、クロフォードは一言一句聞き漏らすまいといった態度で傾聴していた。その様子を見て、クローディアも表情と口調を改めたのだった。
「合計3万回のプラズマをまとった壁透過実験中、1回も、そして1個もたんぱく質どころかDNAの変化も無かった。信じられないなら、実験データを見せてあげる。それに、安全性なら、私が中に入って壁抜けもしてみたわ。ほらどう? 私にも変化はなさそうでしょ?」
クルリと、その場で1回転してクローディアは言った。話を聞き姿を見て、クロフォードはやっと安堵の溜息を吐き出したのだった。
この一連のやり取りを見て、こころは仕事とはこのように真剣に取り組むものなのだと思い、自分は将来2人のようになれるのかちょっと心配になった。そして、今まで楽しいだけだったクリスマスが、このような人達によって支えられているのだと感謝もした。
「おい、悠長に話してる場合じゃないだろ。僕はもう行くよ」
そう言うと玄之介は走っていってしまった。振り向く瞬間、とても真剣な面持ちをこころは見た。それだけでも事態は切迫していると感じられた。
ただ、こころに心強さも戻ってきていた。さっきまで脅えきっていたようなクロフォードの顔に、いつもの自信が戻りかけていたからだ。
「ちょっと待って、クロフォード。まだ問題が1つ残ってる」
小さく火が点いた希望に、クローディアの心配そうな声が水をかける形になった。
「さっきも言ったけどさ、あの、あんたが造ったガルーダは誰が操縦するの? いくらシューティングスターがあっても、やっぱりシビアな操縦は必要だと思うよ」
それでも再び湧き出したクロフォードの自信は揺るがなかった。クローディアから視線を外し、首を右に向けながら口を開いた。
「クロイド、頼むよ。お前なら、あのガルーダを上手く操れるだろ。いや。お前しかいない!」
クロフォードが頭を下げた。こころとクローディアは驚き、言葉を失っていた。対して言葉を掛けられたクロイドは、顔を強張らせ、足を引きずりながら下がっていった。
「お、俺には、無理だ……。センチ単位の誤差で多くの人に迷惑がかかるかもしれないなんて……。俺には荷が重過ぎる……」
クロイドを責める事は出来なかっただろう。自分が蒔いた種でもなく、正直クロイドは責任を取る立場ではない。その彼に失敗が許されない仕事を強要する事は、誰にも出来ないだろう。
それが分かっているからこそ、クロフォードはクロイドにそれ以上頼む事を止めたのだろう。そして、頭を上げたクロフォードの顔からは、積み上げていた自信が再び瓦解しかけていたのだ。
クロフォードは唇を噛んで沈黙した。打開策を見出させないのであろう。こころは自分の事のように胸をハラハラさせていた。そして舞台上のクロフォードを中心に、会場とサンタクロースワールド全体に再び不安が拡がっていくのを感じていた。
「おいおい、随分暗いな。まるで葬式じゃないか。どうした?」
重く垂れ込めた暗鬱な空気を払うように、とても爽やかな声が朗々と響いてきた。会場の全ての人の目が、声のし方に向いた。
「ク、クロムウェンさん……」
クロフォードに名前を呼ばれ、クロムウェンは口角を上げ白い歯を見せながらニヤリと笑った。その顔を見て、こころはクロムウェンは状況を理解していないのだろうかと思った。
時間が無いと焦っているのであろう、クロフォードとクローディアはステレオでクロムウェンに状況を説明した。焦慮の表情の2人に詰め寄られているにも関わらず、クロムウェンは涼しい表情を崩す事はなかった。
「うんうん、分かってる。さっきお嬢ちゃんがマイクに向かって言ってたからな」
「それなら……」
クローディアは呟いた。どうやら絶望が心を満たしているらしく、その後の言葉を継げられないようだった。
「だから問題無いって言ってるんだ。あのガルーダ……」
クロムウェンは真直ぐガルーダを指差した。そしてすぐに手を返し、親指で自分の胸を突いたのだった。
「俺が操縦してやるよ。俺じゃ不満か?」
クロフォードとクローディア、クロイドとこころはポカンと口を開いた。いや彼等だけでなく、サンタクロースもだった。そして観客と多くの国民も同じような表情をしている筈だった。
「……、いえ、と言うか……、クロムウェンさん以外に適当な人はいないと思います」
「そうだろ、それじゃ決まりだな」
『バン』と音が出るくらい強くクロフォードの肩を叩きながらそう言った。そしてクルリと踵を返し、ガルーダに向かって歩き出した。
「でも、何で、クロムウェンさんがガルーダの操縦をしてくれるんですか?」
歩み出した足をピタリと止め、クロムウェンは首を後ろに捻ってきた。
「あの巨大なソリ、開発者のお前等以外は誰も触った事がないんだろ。そして、実戦においてはそれこそ今日が初めて。もしかしてあのガルーダが歴史に残るようなものなら、それを初めて実戦で使った俺の名前も歴史に残るじゃないか」
まるで子供のように、クロムウェンは嬉しそうに笑った。
「それに、この危機を解決出来たら、俺の株もグーンと上がるからな。俺も評価は高ければ高い方がいいからよ。それに、ダメもとのこの状況なら、よしんば失敗しても俺は非難を受けないだろう。こんな願ったりかなったりの状況なんて、中々ないぜ」
最初ポカンとしていたクロフォードとクローディアであったが、自分達もサンタクロースを目指す同じ穴のムジナである事を思い出したのであろう、クロムウェンの意を得たりと笑いながら頷いた。ただ、こころは終始呆然としていた。
ここまで、彼等の会話は周りに漏れないくらいの音量だった。そして、クロムウェンはサンタクロースに向き直り、両手を広げて大声で話し始めた。
「サンタクロース、そして我が国の国民の皆さん、安心してくれ。ちょっと問題が起こったみたいだが、俺が今あるものでやってみようと思う。次世代の天才2人が作ったものがあれば、凡人の俺でも何とかなるかもしれない。去年と同様のエネルギーの収集は約束出来ないが、かなり高いレベルまで持っていくつもりだ。大船に乗ったつもりでいてくれとまでは言えないが、不安になり過ぎる必要もないと思う」
クロムウェンの言葉はマイクに拾われ、会場と国全体へ流された。消えかけていた希望が燃え上がり、人々の歓喜という形で爆発した。その人々の声をクロムウェンは両手を広げ、恍惚とした表情で浴びていたのだった。
「よしっ、それじゃ行くか!」
そう言うとクロムウェンは足を踏み出した。その先にあるのは、ガルーダなのか未来への希望なのか。しかし、突如足を止め、顎に手を当てて考え出した。その姿は演技でもしているかのように不自然だった。
「う~ん、さすがに俺1人じゃダメだろ。アシスタントが必要だな……。よしっ、クロイド、お前も付いてこい」
突如白羽の矢が立ち、驚いた表情にクロイドはなった。震える人差し指を自分の顔に向けていた。
「えっ、お、俺ですか? な、何で?」
「あれだけ大きな機体だ、副操縦士が必要になる筈だ。それとも嫌か?」
「いえ、お手伝いさせて下さい!」
首を左右に振りながらクロイドは答えた。その顔からは先程見せた不安や脅えの影は消えてきた。
「よしっ、行くか。それと、クロフォード、お前も付いてこい」
自分も声を掛けられ、クロフォードは目を丸くして驚いていた。これは彼も全く予想だにしていなかったのだろう。
「えっ、俺もですか? 悔しいですけど、俺の操縦はクロイドに及びませんよ」
「ハッハッハッ、それは分かってる。あのガルーダって、お前が一番分かってんだろ。初めて俺が乗るのに、機能が分かっているヤツがいなかったらマズイだろ」
白い歯を剥き、笑いながらクロムウェンは言った。その魅力的な笑顔を向けられて、抗える者はいないだろう。そして、もちろんクロフォードも首を縦に動かした。
「それじゃ、後は……、そこのお前」
完全に脅えきり自失していたクロッキィに向かって言った。するとクロッキィはビクッと体を縮め、泣きそうな目をクロムウェンに向けた。
「ガルーダの開発に関わっていたんだな?」
クロッキィは弱々しく頷いた。クロフォードが代わりに大きな声で『はい』と返事をした。
「それなら機関士長として乗れ」
目も口も、これ以上大きく出来ないというくらいクロッキィは開いた。そして直後に激しく何度も頷いたのだった。
「もうちょっといるか……」
誰に聞かせるでもなく、それでいて小声でもなく、クロムウェンは呟いた。そして今度はクローディアをジッと見つめた。
「お嬢ちゃん、あんたも一緒に来るかい?」
ニヤリと笑いながら言った。しかしその笑顔からは一切のいやらしさを感じない。クローディアもそれは感じているようで、嫌そうな表情は全く見せなかった。ちょっと考え、目を瞑りながら首を左右に振った。
「いえ、とても魅力的なお誘いですが、私はここに残ります。シューティングスターの状況なども確認しなくてはいけませんので」
「いいな。完璧な回答だ。お嬢ちゃん、あんたの名前は?」
クローディアの顔が赤くなり、震える声で『クローディアです』と言った。恐らくサンタクロースワールドの英雄に名前を聞かれ興奮したのだろう。
「それじゃ1つ聞きたい。シューティングスターを最も効率よく動かす為、機内にはどんな人が必要だと思う?」
「はい。データの入力やミスの修正を的確に出来る者。また、プレゼントの整理をする者です」
クローディアが即答したのに、クロムウェンは満足気に微笑んだ。そして今度はもう1人の当事者である、黒い肌を持つクロジウスを指差した。その瞬間、クロジウスは顔を強張らせ、体をビクリと緊張させた。
「それじゃ、お前も一緒に来い。情報諜報部だろ? ハッキングの腕がいいなら、データ入力くらい朝飯前だろうからな」
意地悪そうにニヤリと笑うクロムウェンを見て、クロジウスはホッと溜息を吐き出して全身を弛緩させた。クロジウスは気付いたのであろう、もちろん腕を買われたのもあるだろうが、それよりもこの重大な仕事の手伝いをする事で罪を軽くさせようとしている事に。
顔を明るくし、羨望の眼差しを向けてくるクロジウスを無視し、クロムウェンは右手の指を折って何かを数えていた。
「う~ん、こんなもんか? いや、あと少し欲しいか」
クロフォードはその様子を見て、クロムウェンに近寄り口を開こうとした。しかし、意思は言葉になる前にかき消されたようだった。
「そうだな、雑用を担当してくれる人が欲しいな。おっ、そうだ、お嬢ちゃん、えっと、名前は……確か、“クロロ”ちゃんだったっけか?」
いきなり、偽りの名前を呼ばれてこころは驚いた。それでも『ハイ』と大声で返事をし、首を縦に動かした。一瞬の間が出来てしまったので、こころは怪しまれなかったかどうか心配になり胸をドキドキさせた。
「君も手伝ってくれるか?」
早鐘を打つ心臓が、喉から飛び出すような錯覚に襲われた。今までずっとクリスマスではプレゼントを待ち望んでいただけだったが、たった一夜だけでも憧れの“サンタクロース”になれるかもしれないとこころは思った。そして、ほぼ反射的に首を縦に動かしていた。
「はい! 私、学校ではパソコンクラブだから、データの打ち込みも少しくらいなら出来ると思います」
こころの言葉を聞いた者の数人が唖然としたが、クロムウェンの底抜けに明るい声でハッと我に返ったようだった。
「よしっ、決まりだ。全員、行くぞ。クローディア、そっちもよろしく頼むぞ。それと、お前から黒髪の彼にも連絡しておいてくれ」
ウインクをクローディアに投げ、クロムウェンは駆け出した。その後をクロフォード、クロイド、クロッキィ、クロジウス、こころが続いた。
こころの頭の中に先程から晴れない疑問がかかっており、それを解消すべく足を素早く交差させてクロムウェンに追い付いた。
「クロムウェンさん、1つ聞きたい事があるんですけど、今いいですか?」
「ああいいよ。何でも聞いてくれ」
ゴクリと唾を飲み込んでから、こころは口を開いた。声が少し震えてしまっていた。
「あの……、何で私を選んでくれたんですか? 他に、もっといい人がいたと思ったんですけど……」
横を走っていた4人もゴクリと喉を鳴らした。顔は真剣そのものだった。恐らく4人もクロムウェンの真意を知りたかったのだろう。
「……。あー、それはな、クロロちゃんが他の人より小さいからかな」
訳が分からず、こころは目を大きくした。言葉も失っていた。他の人達も同様だった。
「えっ、分からない? オレ達はこれからプレゼントを全世界に配りにいくんだぜ。しかも1つでも多く配らなきゃいけない。そう考えたら荷物庫に1つでも多くプレゼントを積まないといけないだろ。あのガルーダがどんなにデカイからといっても、さすがに積載限界量はある。それなら削れるのは乗務員の体重だ。オレ達5人の技術者は代えられないから、あとは雑用担当だけ。大人とクロロちゃんと比べたらざっくり15キロは違うだろうから、それだけあれば相当数のプレゼントを積めると思ってな。それと、まあ、色々と効率が良さそうだと思ってな」
クロムウェンの言葉は理にかなっていた。サンタクロースワールド出身の4人は、納得がいったように頷いていた。
更に、クロフォードは安堵の溜息をこっそり吐いていた。
クロムウェン達6人がガルーダに近付くと、機の周りに群がっていた者達が顔を向けてきた。そして、その中のリーダー格のような者達がクロムウェンに声を掛けてきた。
「クロムウェンさん、第1陣の準備終わっています。ただ、時間が無かったので荷物庫いっぱいには出来ませんでした。でも、期待しています」
さすが長年外の世界の人々にクリスマスの奇蹟をもたらしてきた人々である、スピーカーから流れたクロムウェンの話を聞き、動かないソニックスワローからプレゼントを取り出してガルーダに積み替えていたのだった。作業員の素晴らしい行動に、クロムウェンは魅力的な笑顔を返していた。
既に開いているハッチに駆け込んだ。ガルーダの中に入ると6人は2手に分かれた。クロフォードがクロムウェンとクロイドを先導してコックピットへ、クロッキィがこころとクロジウスを荷物庫へ案内した。そして、クロッキィは荷物庫を飛び出した。恐らく機関室へ向かうのだろう。
コックピットに入ったクロムウェンとクロイドは、開発者のクロフォードの指示に従い各々席に座った。
普段角突き合っているクロイドでさえ、クロフォードの説明に対して真剣な顔をして耳を傾けていた。そして、説明が終わるとクロムウェンがパッと顔を明るくした。
「よしっ、OKだ。操縦はほとんどソニックスワローと変わりないんだな。フフ、お前、本当に上位互換機にしようとしてたんだな」
「いえ、そういう訳じゃなくて……。俺、そこまで才能無いですから。既存のものを真似しただけです」
頬を紅潮させ、それを隠すように顔を背けながらそう言った。
『ミリオンズベルの始動OK。いつでも離陸出来ます』
クロフォードの耳を覆っているヘッドフォンからクロッキィの声が響いてきた。クロムウェンとクロイドの耳にも同様の声が届き、3人は顔を見合わせて頷いた。
「よしっ、すぐ離陸する。時間がないから、すぐに臨界まで高めろ。よ~し、行くぜ! ちょっと揺れるかもしれないから、しっかり掴まってろ!」
クロムウェンはヘッドフォンから伸びているマイクに向かって叫んだ。彼の叫びは、ソリの操縦と関係のない場所にいるクロジウスとこころに向けてのものであろう。
荷物庫に入ると、クロジウスは庫内隅のパソコンに向かった。そして画面を凝視したままこころに指示を与えてきた。それはまるで後頭部に目があるのかと思える程正確なものだった。
その時だ、こころも頭に付けているヘッドフォンからクロムウェンの声が聞こえてきた。こころは心臓が強く拍動するのを感じ、とりあえず近くの手すりのようなものを掴んだ。
すると、どこからか麗しい鈴の音が聞こえてきた。遂に飛び立つのだなと思い、こころは来るべき衝撃に備えて腹に力を入れた。
一瞬前より音が大きくなった。外が見えない場所にいるこころにも、ガルーダのエンジン“ミリオンズベル”が起動したのが分かった。
ガルーダが動き出したのを感じ、こころは興奮と緊張を唾と一緒に飲み込んだ。しかし、直後喉から心臓が飛び出しそうになった。なぜなら荷物庫の壁から、青い光に包まれたものが現れたからだ。ただこころはそれがシューティングスターだという事に気付き、ホッと胸を撫で下ろした。
『クロムウェン機長、シューティングスターの1部を荷物庫へ移送しました。いつでも出発して下さい』
『OK! それじゃ、行くぜぇ~!』
クローディア、クロムウェンと言葉が続き、直後振動が襲ってきた。こころはバランスを崩し、ヨロヨロと2、3歩踏み出した。
クロフォードがしたガルーダの説明を信じるなら、ノーマルサイズの自走ソリよりもずっと速度が出る筈である。それなのに、シートベルトもしていないこころにちょっとした衝撃しか伝えてこないという事から考えると、このガルーダという巨大なソリにはかなり高度な技術が使われているのだろうと予想が出来た。
『よ~し、もうすぐキリバスだ。一気に配り終え、旋回してフィジーに方向へ行く、さあ、これから忙しくなるぞ。皆、気合入れろ!』
クロムウェンの口調は、とても楽しげだった。
『3秒後、転送開始!』
「ハイ! 任せて下さい」
クロジウスの声がこころの耳に届いた。彼は気合が溢れて大声を出したのだろう、一つ所にいたこころはスピーカーの外からもその声を聞いたのだった。
荷物庫に山と積んであるプレゼントが青い光を帯びた。そう思った瞬間、プレゼントが消えた。一遍に全てが消えた訳ではなかったが、それでもこころが言葉を失っている間に次々に消えていったのだ。更にシューティングスターも、いつの間にか姿を消していた。
プレゼントが半分消えると、スピーカーからクロムウェンの声が響いてきた。
『よしっ、キリバスは終了。すぐにフィジーに着く。その後、プレゼントを補給しにサンタクロースワールドへ戻る。まだまだ続くぞ。さあ、楽しめ!』
自走ソリのシミューレーションをした事のあったこころは、このように一瞬にしてプレゼントが転送されていく事の凄さに気付いた。呆気にとられながらも、こころの仕事である転送サークルから転がりでてしまったプレゼントを光の中に戻す作業をしていた。
そしてクロムウェンがフィジーに到着する旨の発言をした直後、残りのプレゼントがドンドン消えていった。
一方コックピットにいる3人は平静そのものであった。機関室にいるクロッキィ、荷物庫のクロジウスとこころの事を、そしてクローディアの造ったシューティングスター、プレゼントの受け渡しは任せろと言った玄之介の事を完全に信用しているのであろう。ある意味でこの8人は1つのチームと言えただろう。そして。そのリーダーとも言うべきクロムウェンは、操縦桿を握りながら楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「クロムウェンさん、1つ聞いてもいいですか?」
前方を凝視しながらクロイドが言葉を発した。クロムウェンは『いいぜ』と軽く応じた。
「今更ですけど、こんな少人数で本当に良かったんでしょうか?」
「ん~、そうだな。あの状況から人を集める訳にもいかなかったしな。それにどうよ、今のところ何の問題もないだろ。クロフォード、いいぞコレ。メチャクチャ操作性がいい」
クロムウェンにそう言われ、クロフォードは相当誇らしく思ったのだろう、真一文字に結んだ口の上唇が、紅くなってピクピク動いていた。
「確かにそうですが、一日かかるんですよね。今の内に交代要員を用意しておいた方がいいのではないですか?」
ゴクリと唾を飲んでからクロイドは言った。
「オイオイ、ルーキー四天王の1人ともあろうお方が、始まったばかりなのに弱音を口にするなよ。最初の質問から答えていこうか。クロロちゃんにも言ったけど、このソリにプレゼント以外の無駄な重りを載せたくないんだ。この少人数で動かせるんだ、もう1つの問題については手が足りなくなりそうになったら考えたらいいだろ。それに、人数が少ない方が、色々と都合がいいからな……」
クロムウェンの最後の呟きを、クロイドの耳は鋭く捉えたようだった。意味が分からないといった顔になり、前方から視線を外し横のクロムウェンの方を見た。
「あっ……、ほら、サンタクロースになる為の評価だよ。関わった人数が少ない方が、得られるものがデカイだろ。お前はライバルが全員コレに参加しちゃってるからアレだが、それでも同世代の仲間には大きく水を開ける事が出来るじゃないか」
クロムウェンはそう言うと、ガハハを豪放磊落に笑った。しかし、直後表情を真剣なものに改めた。
「でも、そうだな……、お前の言う事も一理ある。オレ達プロは一日くらいならぶっ通しで仕事出来るだろうが、巻き込んじまったクロロちゃんは正直かわいそうだな……。あの子の休憩だけはしっかり考えてやらないといけないな。よしっ、クロフォード、あの子は親戚なんだろ。あの子の事はお前に任せるわ」
操縦中だというのに、クロムウェンは振り返ってクロフォードに笑顔を向けた。
『あー、三田屋の玄之介です。サウスポールから少し外れた所に青い光の柱が見えてくると思います。その真中を通過して下さい。アメノミハシラを使ってプレゼントを一気に荷物庫に転送します』
ガルーダの総員に、玄之介の陰鬱な声が届いてきた。それを聞き、こころは懐かしさによってこみ上げてきた笑いを噛み殺していた。
クロムウェンとクロイドの目に、遥か向こうに屹立する青い光の柱が見えてきた。そしてクロフォード監視するレーダーには白い点が先程から現れていた。
会場を後にした玄之介は自宅に戻った。そしてそこでは、広大な芝生の庭に大勢の社員と共に組み立て作業をしている3人の姉がいたのだった。
姉達に向かって礼を言った玄之介に、3人は不満そうな顔を向けてきた。しかし放送で切迫した状況を理解していたのだろう、文句を一言も発する事なく作業に戻った。
魔法陣のような地面の模様の周りに、金属の8つの塔が立っていた。玄之介が自慢したような高性能の転送装置という割に、使う機械が少ないのがとても意外だった。
8つの金属の塔が青い光を帯びた。その光は地面の模様が広がった。そして半径500メートルの幾何学模様の円が庭に現れた。
「玄之介、準備出来たよ! 速くプレゼント運び込ませな!」
長女のくろ姫が叫んだ。
「ああ、ありがとう。部長、他の会社にも連絡。プレゼントを配る順番に三田の庭に運び込むようにと」
黒いスーツを着た女性が『はい』と返事をした。そして黒い板を取り出し、それに向かって叫んだ。
「三田屋隠密部です。三田本家の庭にプレゼントを配送順に運び込んで下さい。とにかく速く!」
スーツ姿の女性は黒い板を懐に入れると、不安そうな顔になって話し始めた。声は小声だった。
「くろ姫様、1つ問題があると思うのですが……。この三田家の庭にどうやってプレゼントを運び込めばいいのかと……。ちょっとしたらソニックスワローが復帰して空輸出来ると思うのですが、最初は不可能だと……」
そう言われると、くろ姫はちょっと考え込んだ。しかしそれは長く続かず、顔をパッと明るくし、白い歯を見せて笑った。
「さすが部長ね! 私もアメノミハシラの起動に心を奪われていたみたい。よ~し、それならそこの壁1面を爆破して通路を確保しなさい。すぐに普請課に連絡」
自宅の壁を爆破するという指示を聞き、スーツの女性は驚いて顔を歪ませた。しかし、的確な命令を受けた事で不安は晴れたようで、顔は明るくなっていた。そして笑顔を見せ、黒い板を顔に押し付けながらどこかへ走り去っていった。
玄之介を初め、他の2人の姉もくろ姫の言葉を耳にしても眉1つ動かさなかった。恐らくこれ以上の策はないと思ったのだろう。
間も無く轟音と共に土塀は崩壊し、黒いつなぎをきた作業員が瓦礫を片付けていった。するとそれを待っていたトラックが庭に入ってきた。
整備された芝生を巨大なタイヤが荒らした。大きなブレーキ音をたててトラックが止まると、コンテナが開いて作業員がプレゼントを青い光の中に運び込んでいった。何台も何台もトラックが入ってきて、プレゼントが山のように積みあがっていった。
それを見て、くろ姫は満足気に頷いた。
「玄之介、ソリの到着は?」
「あと、1分28秒」
レーダーを凝視しながら、玄之介は陰鬱な声で短く答えた。
「OK! それじゃいくよ! アメノミハシラ、始動!」
くろ姫が操作盤のボタンを押した。すると『ブーン』という音が鳴り、金属の塔を包む青い光が強くなった。その光が目を背けたくなるくらい強くなると、地面の円と同じ太さの光の柱が突然出現したのだ。
「アメノミハシラ、全て正常よ、姉さん」
姉の1人が言った。それを聞き、くろ姫は無言で頷いた。
「よしっ、玄之介、クロムウェンさんに連絡して」
「了解」
指示を受けると、玄之介はヘッドフォンから伸びるマイクに向かって話し始めた。
「あー、三田屋の玄之介です。サウスポールから少し外れた所に青い光の柱が見えてくると思います。その真中を通過して下さい。アメノミハシラを使ってプレゼントを一気に転送します」
陰鬱な声で話し終えると、玄之介は重い溜息を吐き出した。
「くろ姫姉さん、もうすぐ到着するよ」
「ああ、分かってる」
くろ姫の声は緊張しているような響きだった。更に指を擦り合わせた。手に汗をかいているのかもしれない。そして白く細い指を、ぼんやり青く光るボタンに伸ばした。
「ええい、何で今年なんだ。来年なら自動転送システムが完成している筈だったのに。今は……、手動でやるしかない。1秒でも誤差が許されないのか……」
緊張どころか不安も声に混じっており、玄之介と他の姉2人も顔を驚かせたのだった。
「くろ姫姉さん、そんな事、今言っても仕方ないじゃないか」
「分かってる! やるしかないんだから。玄之介、レーダーから目を離すな。カウントダウンしかりね」
くろ姫の声に強さと自信が戻ってきて3人はホッとしたのか、詰めていた息を吐き出して顔を明るくした。
「ああ、姉さん! ガルーダがクロスポイント到着まで5、4、3、2、1、0」
玄之介の『0』という言葉と共に、くろ姫は目を瞑りながらボタンを押した。
青い光の中に山と積み上げられていたプレゼントが忽然と消えたのだった。成功したのか失敗したのか分からず、玄之介達4人は固唾を飲んで立ち尽くしていた。
『あ~、こちらガルーダの機長のクロムウェン。荷物庫乗務員から連絡があった。プレゼントの転送は成功した。繰り返す、転送成功。この後もヨロシク』
クロムウェンの言葉を聞き、4人の姉弟は手を打ち合って喜んだ。そして喜びは周囲に波及し、三田屋の庭は喜びで沸騰した。
初めが成功して自信を持ち、三田屋の4人は協力してプレゼントをどんどん転送させていったのだ。
更に、クロフォード達によって一時的に使用不能にされていたソニックスワローも復帰していき、それを使って三田屋の庭にプレゼントが運び込まれるようになった。その自走ソリもプレゼントの配達に使えばいいという声も上がったが、再確認せずに長距離飛行はまずいのではないかという意見が出て却下されてしまった。
とにかく、トッラクと自走ソリを使い大量のプレゼントが三田屋の庭に運ばれるようになった。そしてアメノミハシラを介して、とてもスムーズにガルーダへ転送されていった。
最初は戸惑っていたこころだったが、クロジウスの的確な指示のお陰で無難に仕事をこなしていった。ただ仕事といっても転送措置の光から外れたプレゼントを戻す事、荷物庫に戻ってくるシューティングスターに傷などがないかのチェック、庫内の整理、クロジウスへ飲み物を届けるといった程度のものだった。
「うわ~、終わったぁ」
こころはその言葉を聞き、体をビクッとさせた。『終わった』という言葉から、何か重大なミスが起きたのではないか思ったのだ。
自分のミスではないのであろうが、何かに脅えるような目でクロジウスを見た。自分の心配をよそに、クロジウスはイスの背で背中を反らせ、拳を固めて上に思いっきり伸ばしていた。よく考えたら、クロジウスの言葉に切迫したものは無かったとこころは思った。
「クロジウスさん……、どうしたんですか?」
こころに声を掛けられ、クロジウスは晴れ晴れとした顔を向けてきた。
「ん? あ~、このガルーダの転送装置とシューティングスターのプレゼント配送先のデータの入力が終わったんだ。今、各社が集めた元データの照合をしてて、何か不具合があれば直さなきゃいけないけど、まあほぼ大丈夫だと思う。あとは悪いけど、クロムウェンさん達に任せるしかないかな」
するとクロジウスは席を立ち、こころと同じ作業に移った。ただ、頻繁に庫内の隅のパソコンのモニターに視線を送っていた。そして、異変が起きていない事を確認する度に、ホッと安堵の溜息を吐いた。
ある瞬間、クロジウスは体を緊張させた。そしてヘッドフォンを両手で挟んだ。きっとそこから流れてくる声を聞き漏らすまいとしているのであろう。
それを見てこころも真似してみた。しかしこころの耳には何も響いてこなかった。どうやら通信はクロジウスにだけ入っているようだった。
「えっ……、はい……。分かりました。それじゃ、交代します」
口を閉じたクロジウスに対し、こころは質問を求める視線を送った。それに気付いたのか、それとも元々説明しようと思っていたのか、クロジウスはこころに顔を向けて口を開いた。
「何か、よく分からないんだけど、俺、コックピットに呼ばれて。これからクロフォードが来て交代する事になった。悪いけど戻ってくるまでお願いね」
クロジウスに済まなそうな顔でそう言われ、こころは頷くしかなかった。ただ、この忙しい状況の中でもクロフォードに会える事を知り、心強さと嬉しさを感じていた。
「ハイ。分かりました」
そして、こころはとても力強く返事をした。
すると間も無く、空気が吹き出すような音を立て、荷物庫の自動扉が開いた。そして、そこにはクロフォードが立っていた。
その顔には悲しみのようなものが浮かんでいた。こころはどうしたのだろうと心配になったが、クロフォードがクロジウスに話し掛けた時にはもう消えていたので、自分の勘違いだろうと結論付けた。
「クロジウス、お待たせ。クロムウェンさんが……」
「ああ、何の用だろう?」
クロフォードはクロジウスの質問に、『行けば分かる』と短く答えた。クロジウスもとりあえず納得したのだろう、苦笑いを残して廊下に出ていった。
自動扉が閉まった。少しの間クロフォードは睨むように見つめていた。何を確認しているのか、外からは判断がつかなかった。
そして、クロフォードがこころの方へ歩いてきた。いつもの優しい笑顔だった。しかし数週間しか一緒に過ごしていないこころにも分かる事があった。クロフォードの胸の内に悲しみが渦巻いているという事を。
何故そんな事が起きているのか、こころは一生懸命考えてみた。しかし、こころには何も思い当たらなかった。
コックピットの中に殺伐とした空気は、流れていなかった。それはクロムウェンがかもし出す雰囲気が大いに関わっているからだろう。
クロムウェンはとても楽しそうに操縦していた。まるでゲームでもしているみたいに。しかし、それでも操縦は正確そのもので、プレゼントを補給して還ってきた時、窓から見える景色はほとんど変化がなかった。それは計画通り、転送装置の範囲がほぼ重ならないようにしているという事でもあった。
「よ~し、もう少しでオーストラリアが終わるな。そしたら今度はアジア地区だ。サイパンやグアムを先に回って日本に行くぞ」
『ハイ!』とクロフォードとクロイドは返事をした。若さに満足してか、クロムウェンは微笑んだ。そして顔をハッとさせた後、クロフォードに向かって話し掛けてきた。
「おい、クロフォード。荷物庫の男の名前、何ていったっけ?」
「えっ、クロジウスです」
クロフォードは訝しげに答えた。その言葉を聞き、クロムウェンは1つ頷くとマイクに向かって話し始めた。
「クロムウェンだ。クロジウス、どうだ調子は? データの入力は終わったか? よ~し、さすがに優秀だな。よしよし、ちょっとそっちにクロフォードを送るから、着いたら交代しろ」
クロフォードとクロイドは、クロムウェンの言葉を聞いて顔を曇らせた。しかし仕事に対する責任によって、クロフォードはモニターから、クロイドは前方から目を離しはしなかった。
「おい、クロフォード。今からクロジウスと交代してきてくれ。どうやらデータ入力が終わったらしい」
「えっ、でも……、航路とか機体の状況のチェックとかしないといけないので……」
するとクロムウェンは『フッ』と鼻で笑った。
「なんだなんだ、お前は自分で造ったソリの性能が信用出来ないのか。今のところ順調で、このままなら問題も起こらない。ちょっと行ってきて欲しいんだ」
「でも……」
クロムウェンにそこまで言わせても、まだクロフォードは躊躇っていた。
「クロフォード、もう少しで日本だぞ」
この一言を聞き、クロフォードの目が大きく開き丸くなった。口も開いたが、言葉が漏れでてくる事はなかった。そして、廃人のようにフラリと立ち上がった。
「な……、何で……」
何とか、かすれた声がクロフォードの喉から一言出てきた。
「何年この仕事やってると思ってる? さあ、行け」
弾けたようにクロフォードはコックピットの扉へ駆けていった。走りながら『はい!』と大声で返事をした。
クロフォードの姿が消えたコックピットに、何とも言えない微妙な空気が流れた。それに耐え切れなくなったのであろう、クロイドが咳払いを1つしてから話し始めた。
「あのー、クロムウェンさん、さっきのはどういう事だったんでしょうか……。何でクロフォードとクロジウスを交代させるんですか? 2人の仕事内容は全然違うから……」
「ああ、そんな事か。もっと普通に聞いたらいいぞ。それはな、クロジウスってヤツにここからの景色を見せてやりたいんだ。そいつはどうやらクロフォードに巻き込まれた感じだろ。ま、いわばハズレくじ引かされたみたいなもんだ。だからよ、せめてここからの景色だけでも見せてやりたいじゃねえか」
クロムウェンは窓の外を指差した。ガルーダの機体の鼻先が、超高速で空気を切り裂いている為に真赤になっていた。そしてその闇の先に、光の群れが見えてきていた。
「この、闇の海に泳ぐ光の龍、日本列島の姿を見られれば、少しは気持ちが和らぐかもしれないからよ。オレも何年も空飛んでるが、何度見てもあの景色は圧巻だからな。お前も初めて見た時、そう思わなかったか?」
曇っていたクロイドの顔がパッと晴れ渡った。どうやらクロムウェンの言葉に合点がいったようだった。
「確かに、クロムウェンさんの仰る通りです。あの景色はいいですよね。それにしても、人の上に立つような人は、色々と考えるものなんですね。勉強になります。俺に後輩が増えてきたら。クロムウェンさんみたいになれるか、ちょっと自信ないです」
クロムウェンとクロイドは笑い合った。クロイドの顔は未来への希望に満ち、輝いていた。しかし、何故かクロムウェンの顔には薄い影がかかっていた。
少ししてコックピットの扉が開いた。そこには硬い表情のクロジウスが立っていた。
「おい、クロジウス、ちょっと見てみろよ。丁度日本列島が見えるぞ」
クロムウェンの前という事で、クロジウスは緊張しているようだった。しかし、2、3歩進んだ時に日本列島の姿が目に入ったらしく、一気に窓に近付いていった。そして、クロイドの座るシートに手を置き、好奇心と興奮に輝く目を窓外に向けた。体は感動で小刻みに震えていた。
無言で、クロフォードが近付いてきた。こころの心臓がドクンと強く鳴った。何かが起こりそうな予感が頭をよぎった。
「クロフォードさん、色々大変でしたね。でも、何だかうまくいきそうじゃないですか?」
それでもクロフォードは何も言わなかった。ゆっくりとこころに近付いてきた。その顔には憂いとしか言いようのない表情が浮かんでいた。
突然クロフォードの手が上がり、こころの頭の上に置かれた。そこを中心にして何か温かいものが体全体に拡がっていくのを感じた。しかし直後、今度は不安が拡がってきた。クロフォードの手が小さく震えていたからだ。
「こころ、その時が来たぞ」
「えっ? 何ですか?」
正直いうとこころにも“その時”の意味は分かった。しかし、こころはとぼけてみせた。この今の時間を、少しでも長く続けたいと思っていたからだ。
「これから日本へのプレゼントの配達が始まる。こころを家に帰すには、絶好のタイミングだ」
「今、ですか?」
性急に話すクロフォードの口調から、こころは事態が切迫しているのを感じた。そして、覚悟を決めなければいけないと思ったのだ。
「うん……、分かりました」
「そうか……」
クロフォードはホッと息を吐き出した。そして言葉を続けた。
「クリスマスを過ぎてからこっそりソリで送ろうと計画していたんだ。でもクロムウェンさんのお陰でそれが早まって良かったよ。こころも早くお父さんとお母さんと会いたいだろ?」
丁度戻ってきていたシューティングスターの1台に、クロフォードはゆっくりと近付いていった。クロフォードはシューティングスターの機体の触ると、荷物庫を開けて中を覗き込んだ。そして確認し終えると、空中に浮遊するシューティングスターに手を掛けてこころの側に引っ張ってきたのだった。
何を言われるのだろう、何が起きるのだろうという想いがこころを満たした。言葉を失い、シューティングスターに向かって何やら作業を続けるクロフォードを見つめていた。こうしている間にも荷物庫のプレゼントは青い光をまといつつ消えていった。
クロフォードの指が止まった。顔が一瞬俯いた。そして顔を上げ、ゆっくりと振り向いてきた。その顔はとても悲しそうだった。
「こころ、帰る時間がきた。このシューティングスターに乗って」
こころはクロフォードが指差すシューティングスターを見た。大きく蓋が開いていた。本来はプレゼントを入れるだけなので中は暗かった。
その暗闇はこころに恐れを感じさせた。ただ暗いからという訳だけでなく、この後に起こる事態をこころが歓迎していない事が原因だった。その為、こころは爪先をモジモジさせて前に出ようとしなかった。
「大丈夫だ。さっきクローディアが言ってただろ。人が中に入っても問題無いって。開発者本人が自分の体を使って確かめたんだから、間違いない筈だ」
クロフォードはこころを安心させるように言った。しかしこれはこころの想いの表面にしか触れておらず、こころの顔が晴れることはなかった。クロフォードは分からなかったのか、それとも敢えて触れようとしなかったのか、そのとぼけたような顔からは何も分からなかった。
こころは無言で頷き、シューティングスターへ近付いた。この数週間でサンタクロースワールドの生活に随分慣れ親しんでいた事、両親や友人達に会って今までの生活に戻りたい事、この2つを天秤にかけたところわずかに後者に傾いたからだ。
こころはシューティングスターの縁に手をかけ、勢いよく息を吐き出しながら体を持ち上げて中に入った。ちょっとした衝撃があったのに、シューティングスターはほぼ高さを変える事はなかった。
こころはシューティングスターの中に座り、外のクロフォードを見た。彼の顔は影になっており、どのような表情をしているのかよく分からなかった。
クロフォードはシューティングスターの機体表面の液晶画面をまじまじとみつめ、『フーッ』と息を吐き出した。そしてこころに顔を向けてきた。その時、ピンク色の封筒をそっと懐にしまいこんだのが見えた。
「これで間違いなく家に帰る事が出来る。あー、俺達の世界がちょっと迷惑かけちまったな」
これに関してはクロフォードに全く責任は無い。しかし、それでも申し訳なさそうに頬をポリポリかきながら言った。
「明日から、またいつもの生活に戻れるよ」
この言葉を聞き、こころの眉がハッと上がった。そして焦りに満ちた言葉を発した。
「そうだ! 私、何週間も家にいなかったのに……。皆が心配してるかも……」
「ああ、それは大丈夫。今こころが乗っているシューティングスターが君を送った後に、関係者達の所を回るようにプログラムしておいた。ベルの音が、人々の記憶を上手く調節してくれる筈だ。……確かに、ちょっとは誤差が出るかもしれないけど、それは上手い事やってくれよ」
言葉尻に気まずそうな乾いた笑いを添付してクロフォードは言った。
「それと、これは心配しているがどうか分からないけど……。突然こころがいなくなったから、家族は心配して警察に捜索願を出したみたいなんだ。もちろんそれは当たり前だよな。普通なら大騒ぎになるんだろうけど、日本の政府にこころを保護していると連絡しておいた。政府が手を回してくれているから、大騒ぎになっていないと思う。ああ、この連絡はクロジウスのIDを使ってこっそり出したから、我が国にも知られる事はない」
色々な意味でこころは安心した。しかし、クロフォードの家族、同僚達、クロムウェンなど、この短期間で知り合った人達の前から忽然と消える事を考えると胸が強く痛んだ。
するとクロフォードが掌を上に向けて右手を差し出してきた。こころは一瞬何だか分からず目を泳がせたが、すぐに合点がいって首を上下に揺らした。そして、ヘッドフォンを外してクロフォードの手にかけた。
しかし、クロフォードの手はまだ動かなかった。こころは何を求められているか分からず、無言で眉をひそめた。すると今度はクロフォードが口を小さく開き、首を何度か上下に動かした。
するとクロフォードは受け取ったヘッドフォンを腰にかけた。そして両手をこころの方へ伸ばしてきたのだった。クロフォードの両手が、優しくこころの頬に触れたように思った。こころは顔が熱くなるのを感じたのだった。
しかし、こころの想像とは違い、クロフォードの手は頬を通り抜けて髪の中に挿し込まれた。そして、両耳たぶに付いていたものを優しい手つきで外したのだった。
突然、大量の鈴の音がこころの鼓膜を襲ってきた。嫌なものではなく、むしろ耳に心地良いその音を聞き、こころは自分の頭がクラクラするのを感じた。更に遠退きそうな意識に抵抗し、こころはシューティングスターの内側に手をついて体を支えた。
「ああ……、やっぱりこころは抵抗力があるんだな。でも、それじゃ困るんだ……」
クロフォードは呟くように言った。朦朧とする意識の中で聞いていたこころは、クロフォードが困っているのではなく苦しんでいるように感じた。
こころは、唇に何かが触れるのを感じた。柔らかな感触に驚き、こころはカッと目を開いた。意識が突然覚醒したのだ。
はっきりした意識で、こころは唇にふれているものがクロフォードの指であるという事を認めた。驚愕の後、こころに残念と安堵が同時に押し寄せてきた。そして口中に溜まりつつあった唾液を飲み込んだのだった。その時、何か固形物が喉を通り抜けていくのを感じ、こころは再び驚きで目を大きく開いた。
「睡眠薬だ、こころ。いくらベルの音に抗体があるといっても、意識をなくした無防備な状態で聞けばここでの事は忘れられるだろう。何といっても、こころはやっぱり外の世界の人間なんだから、そっちのほうが幸せだよ」
急襲してくる睡魔が、こころの瞼を閉じさせようとしてきた。しかしこころはそれに必死で抗った。何とか瞼が落ちる速度を緩める事は出来たが、もう言葉を出す事は不可能だった。その代わり、少し開いた口から荒い息が漏れ出ていた。
すると突然クロフォードの手が頭に置かれた。驚きと喜びがそこから広がっていったが、こころの意識を覚醒させるには到らなかった。こころは両手を地につき、顔をうなだれさせていた。
直後、自分の脇に何やら袋が置かれたのをこころは感じた。微かに首を動かしそれを見ようとしたが、視界が霞んでいて『赤っぽい』としか分からなかった。
「こころ、それが今年のクリスマスプレゼントだ。サンタクロース-ワールドからのな。シューティングスターが一緒に送ってくれる」
こころの体が崩れた。シューティングスターの床面に、体を縮めるようにして寝そべった。しかしまだ呼吸は寝息になっていなかったので、かろうじて意識はあるようだ。
「こころ、もう1つ君に言っておきたい事がある。我がサンタクロースワールドには、ある特例がある。それは特定の人物にプレゼントを届けるというものだ。通常は玄之介のように先祖が外の世界からやってきて、その子孫に特定のものを届けたい時とかに使われるんだ。でも、関係無いと思われる人物にも届ける事は可能なんだ。まあ、本来こころの担当はクローディアの会社だから、それを奪うのはちょっとハードルが高いけど何とかなるだろう。約束するよ、こころ。俺が引退するまで、君にプレゼントを届けると」
クロフォードの言葉に、こころの口角が少し上がったように見えた。
「本当は、俺も……。いや、やめておこう。全て忘れてしまうんだしな。ここであった事は……。そう考えると、ちょっと寂しいな」
猫のように体を丸めているこころからは、もう寝息しか聞こえてきていなかった。クロフォードは悲しそうな顔でこころを見つめた。そして表情を苦悶に歪めると、目を瞑り歯を食い縛ってシューティングスターの蓋を閉めたのだった。
自分のトナカイに触れるように、クロフォードはシューティングスターの機体をポンと優しく叩いた。するとシューティングスターはクロフォードの意を汲んだかのように、スーッと音もなくガルーダの荷物庫の壁に近付いていった。そして鼻先が触れるかと思った瞬間、青い光をまとって壁をすり抜けていった。
シューティングスターの消えた場所を、クロフォードは少しの間呆然と見つめていた。
トボトボと、クロフォードは荷物庫を後にした。引きずるような足取りはちょっとの間続いた。しかし徐々に力は戻ってきており、いつしか全力疾走になっていた。
クロフォードはコックピットに駆け込んだ。
「遅くなりました!」
敷居をくぐるなりクロフォードはそう言った。声からは、仕事に対する誇りや意欲などしか感じられなかった。
「クロジウス、ありがとう。交代する」
航行に何も問題が起きていなかったが、一応といった体でモニターを見つめるクロジウスに声を掛けながら近付いていった。
「おう、クロフォード、終わったのか?」
クロムウェンにそう言われても、もうクロフォードは驚かなかった。その代わり顔を俯かせて、『ハイ』とことさら声を張って返事をした。
この後もクロムウェン率いる即席チームのプレゼント配達は順調そのものだった。それは玄之介のプレゼントの空中転送、クローディアのシューティングスターの協力と活躍があってこそであった。
サンタクロースワールドの国民達は、最初不安でいっぱいだった。巨大とはいえ、たった1機で全世界の人々にプレゼントを配り終えられるとは思っていなかったからだ。そして“喜び”が不足する事による、惨めな生活を想像したからだった。
しかし、彼等の考えはクロムウェン達に裏切られる事になった。続々と成功を知らせる情報が入ってきていたからだ。最初、多くの人達は国民の気持ちを慰める為に政府が偽の情報を流しているのではと疑った。ただ何度も往復するガルーダや、新開発のシューティングスターとアメノミハシラ、そして三田屋の庭にプレゼントを運ぶ自走ソリを目にして、その情報を信じる者が増えていったのだ。
お通夜のようになってしまった開祭式だったが、いつの間にか国中が活気を取り戻していた。人々は道で踊り、また露天で食べ物を買い求めた。家々ではパーティーが再開され、クリスマスの日が終わるまで部屋の灯が落とされる事はなかった。
日付変更線の東側の島々にプレゼント配り終え、ガルーダはサンタクロースワールドに帰ってきた。式典会場や街のあちこちにあるカウンターには、60億以上の数字が踊っていた。例年と同じ程度の成果が出た事に、全国民は狂喜乱舞して英雄達の帰還を歓迎したのだった。ソニックスワローのエンジントラブルがあった事など、人々の頭からは完全に消えているようだった。
ガルーダのハッチが開き、クロムウェンを先頭に4人の若者が続いて下りてきた。ソリの発着場に集まっていた人々は、彼等を大歓声で迎えた。まるで宇宙から帰還した宇宙飛行士達ででもあるかのように。
クロムウェン、クロフォード、クロイド、クローディア、玄之介、クロッキィ、クロジウスの7人は全世界へのプレゼント配達を終えるとサンタクロース公邸に呼ばれた。サンタクロースから、国の危機を救った事への感謝の言葉を掛けられ、未だ続く祝賀会に参加したのだった。
政府高官の中に混じる事に気後れしているからか、この濃い一日の感動と興奮を分かち合う為にか7人は1つのテーブルに固まっていた。
その時、小声だったが鋭い詰問口調でクローディアがクロフォードに話し掛けてきた。
「クロフォード、あんたさぁ、この事態を引き起こしたのが自分だって忘れてないよね? いくら上手くいったからって、あんまりいい気にならないでよ」
「ああ、もちろん忘れてないし、いい気にもなってないつもりだよ」
ぼんやりとした口調でクロフォードは応えた。するとクローディアは顔を驚かせた。自信家のクロフォードにあのような言葉を掛ければ、いつもなら間違いなく反論してくる筈だと思っていたのだろう。そして、その反論を肴に、この宴をより楽しもうと思っていたのかもしれない。
「あっ、そうなんだ……。それなら、別にいいんだけど……」
肩透かしを食らったクローディアは戸惑っていた。そして目を左右に激しく動かし、別の話題を探し始めたようだった。
「あっ、そうだ。何でクロロちゃんがここにいないの? あの子だってプレゼントの配達を手伝ったんだしさ」
クロイド、クロッキィ、クロジウスは顔をハッとさせた。3人もやっとメンバーが1人足りない事に気付いたのかもしれなかった。
「ああ、クロロちゃんか。やっぱり子供だよな。配達中に疲れて仮眠室で寝ちゃったんだよ。それで着陸後、迎えにきた両親に受け渡したんだ。今頃、自分の家のベッドでいい夢見てるだろうぜ。なあ、クロフォード」
クロムウェンがまくしたてるように言った。そして手にしていたグラスの中の、泡立っている黄金色の飲み物を飲み干した。
『ええ、そうです』とクロフォードは気の抜け切った返事をした。そして顔を斜め上に向けた。シャンデリアの光を受け、クロフォードの顔は光っていた。特に目尻の辺りが強く光っているように見えたのだった。
クロムウェンは口を閉じ、グラスを片手にどこかへ行ってしまった。玄之介は一瞬顔をハッとさせたが、すぐにいつも通りの陰鬱な雰囲気に戻っていった。クロイドとクローディアは顔を見合わせ、首を傾げた。クロッキィとクロジウスに至っては、何も感じていないようだった。
彗星のように現れた“クロロ”の事を、その後クローディアやクロイドはクロフォードに会うと度々口にした。『妹みたいでカワイかった』や『あの子はサンタ企業の試験受けるのか』などと。
このような質問に対し、クロフォードは顔を曇らせて答えをごまかし続けた。そして2人はクロフォードがあまりこの件について話したくないのだろうと敏感に感じ取り、その内あまり触れなくなった。
彼等もそれぞれ生活と仕事があり、いつしかたった数週間自分の人生と交差しただけの“クロロ”の事など、忙しさの内に忘れていってしまったのだ。
ただ1人クロフォードだけは、ぼんやりドーム外の南極の空を眺める時間が多くなった。
12月25日の朝、ピンク色のカーテンの隙間から光が入ってきた。
光の粒達に瞼を叩かれ、こころは目を覚ました。温かい布団の中で目を開き、左右に顔を振った。そして、突然ガバッと体を起こした。
すると今までの動きが嘘のように動きを止め、眉を寄せて考え込んだ。そして大きく溜息を吐き出した。続いてノロノロとベッドから足を出し、部屋の床に足を着けた。何だか鬱々としてように見えるのは、2学期最終日に貰う成績表が気がかりだからであろうか。
立ち上がろうと体に力を入れた瞬間、こころの目が勉強机の上で止まった。そこには赤い帽子を被ったサンタクロースが印刷されている袋があった。こころは憂鬱の衣を脱ぎ捨て、輝かしい笑顔で袋に駆け寄った。そして、恐る恐る中を覗き込んだ。
その刹那、こころの顔が太陽のように明るくなった。
「お母さ~ん、サンタさん来たよ~」
こころは部屋を飛び出してそう言った。
この年のこころのクリスマスプレゼントは、こころの望んだ通りコートだった。光が当たると微妙に色彩を変える白いコートは、友達の間で話題になった。なぜなら、デパートはおろかインターネットのどこにも同じ商品は見あたらなかったからだ。あまりにも不思議な事態に、サンタいない派の者達も口をつぐまざるを得なかったようだった。
お気に入りのコートを着て、こころは冬休みに北海道へ行った。柔らかな冬の陽とニセコのパウダースノーが降る中をコートを着て躍るこころは、まるで雪の妖精のように見えたのだった。
こころが元の生活に戻ってからの事にも言及しておかなくてはいけないだろう。
数週間いなかったにも係わらず、クロフォードの言っていた鈴の音のお陰か、親ですら大騒ぎをする事はなかった。もちろん友人達もである。またテレビでも子供が失踪したというニュースもやっていなかったし、警察が動いている様子もなかった。
確かに改ざんされた人々の記憶は、細かい部分は違っていた。しかし、普段の生活の中でも記憶の誤差は存在する。今回のケースもその1つだと人々は納得し、自分達の感じた違和感ごと忘れていってしまった。
5年生のクリスマスイブ、こころは勉強机にサンタクロースへのお礼の手紙を置いて眠った。
《サンタクロ■■■■さんへ
去年はすてきなコートありがとうございました。今でも私のお気に入りです。…………》
このように手紙は始まっていた。
そして、手紙の横には炭酸飲料のペットボトルと、ハンバーガーが置かれていた。