蒟蒻を廃棄する話ではない話
「お前との婚約を破棄する」
蒟蒻を廃棄する話ではないのだと、わたくしは今までの人生経験上、既に存じ上げております。それでも、わたくしの頭の中では、ベルトコンベアによって運ばれていく、等間隔に並べられた蒟蒻達の儚くも悲しい姿が思い浮かぶのです。切り立った崖のように行き止まったベルトの先。そこから真っ逆さまにダストボックスへと落ちていく憐れな蒟蒻達。抗うことも叶わず、しくしくと泣きながら焼却場へと運ばれていく蒟蒻達の末路。
二ヶ月前のことです。
とあるご令嬢をいびり倒したとの理由から、殿下より第一次婚約破棄宣言を受けました。わたくしにも貴族令嬢としての誇りがありますもので、毅然とした態度で理由をお尋ね致しました。そうこうして質疑応答を重ねるうち、殿下は何故か心変わりをされ、ハキハキした口調で婚約破棄破棄宣言をなされました。婚約破棄破棄の理由は何ともいかがわしいものです。わたくしの家庭的な姿なるものを勝手に妄想したとおっしゃいますが、家庭的姿の筆頭は誰が何と言おうとエプロン姿。そして、殿方の言うところのエプロン姿とは……あぁ、想像したくもありません。己で想像したくもないハレンチな姿を勝手に殿方に想像されたなど、まったくもって、おぞましい限りです。
お次は先月。
とある令嬢の側頭部をひっぱたいたとの理由から、殿下より、第二次婚約破棄宣言を受けました。理由を問うべきかどうか、幾ばくかの迷いもありました。前回がすったもんだの末、婚約破棄破棄という結果でしたので。婚約破棄を望む身とすればすんなり了承すべきかとも思いました。が、やはりそこは淑女たるものの誇り。毅然とした態度で婚約破棄理由を問いました。そうこうして質疑応答を重ねるうち、殿下は何故か心変わりをされ、ハキハキした口調で婚約破棄破棄とする旨を仰せられ、不覚にもわたくしは舌打ちをし、不快感をあらわにしたのでした。
流行りであることは存じておりました。
隣国の第二王子も、またその隣国の国王の弟も、明後日の方向にある国の第一王子も、婚約者を夜会などの大勢の人が集まった場でこっぴどく振ったのだとか。そして、別のご令嬢を新たな婚約者とすることを発表したのだとか。噂が回るのは早いものです。他国のお話ながら、わたくしどもの国でもあっという間に貴族から庶民まで、婚約破棄ブームなるものの存在を知ることになったのです。特に、わたくしが通う王立高等学園にはこの国の第一王子、並びにその高菜漬け……もとい、許嫁のわたくしが在籍中なもので、皆がひそひそと面白がって興味深く話しておりました。
この国の人々は皆、娯楽を求めているのです。近隣諸国とは活発な交易や文化交流など、戦は過去の汚物……もとい、遺物と言われるほどの友好関係。国内は旧態依然とした貴族社会ではあるものの、平民との格差はこの百年の間に三枚重ねのトイレットペーパー並に薄くなっております。ほどほどに内政は安定し、国外からの脅威もほぼ無いとされる現代。王族の存在とは何たるか。勿論言うまでもなく、国を統治する存在であり、畏れ多い存在。それは違いないのです。しかしながら、それ以上、ということはないでしょうけれど、それでもいつしか、王族はゴシップの種のような存在になってしまったのです。日々の鬱憤を何処かの誰かにぶつけたくて、平和過ぎる世の中に飽き飽きとして、自らよりも高位にある人間を貶め自らに安堵するために。そう、そして今、国民が求めているゴシップは諸外国でも流行りの婚約破棄! ブーム以上ムーブメント未満の勢いで、婚約破棄を国民が期待しているのです。
さて、そろそろ振り出しに戻りたく存じます。
「殿下のお心がわたくしに無いのであれば、誠に残念ですが、致し方ありません。殿下とこの国の今後をお側近くでお支えする覚悟でしたが、わたくしは身を引き、離れた場所から見守らせていただきますわ」
未練などこれっぽっちもない、平然として、美しい立ち姿。承諾の言葉をきっぱりはっきり言ってのけ、最後に、ニッコリ微笑んで差し上げました。
遡ること三ヶ月前。諸外国の婚約破棄ブームの噂を入手した当家の有能なる執事コロロギス。お家会議を二夜連続スペシャルドラマ張りの張り切り様で二夜連続で開催し、婚約破棄へと突き進む台本を練り上げたのです。コロロギスを殿下役に、わたくしは台本合わせに勤しんだのでした。しかしながら、前回も前々回も、社交辞令で婚約破棄理由を質問するところくらいまでしか台本通りには進まず、二度も婚約破棄は撤回され、せっかくの決め台詞を吐き捨てる機会を逸しておりました。
さあ、ここで三度目の正直なるか、はたまた二度あることは三度あって終わるのか。今度こそは絶対にという思いから、婚約破棄理由など問いもせず、わたくしは婚約破棄を快諾しました。
ふぅ、高菜漬け……もとい、許嫁の立場から解放され、ニコニコ笑顔のわたくし。
そして、対称的な表情が目の前に。
「殿下?」
唐突に表情が無くなり、目の焦点も合わないご様子。
「殿下? いかがなされました?」
さすがに普段見ぬ殿下のご様子に不安を覚えました。第一王子であらせられる殿下はいつも嫌みたっぷりの上から目線。背がわたくしよりも高くいらっしゃるので、斜め上の角度から、いつも鼻で笑ったようなご様子で見下ろしておいでですのに。
「殿下? 体調が優れませんの?」
外気の熱にやられたのかしら? ここ数日、天気が不安定で、昨日よりぐっと暑くなったからやもしれません。斜め下の角度から、殿下の顔をじっと覗き込むように観察するわたくしに気付き、はっとされたご様子の殿下。
「何故、いつものように理由を問わぬ?」
「殿下の仰せには従うのみですわ。何故、豆腐餻がありましょう? 」
「豆腐餻は島豆腐を用いた沖縄の発酵食品でして、沖縄フェア開催の折りに仕入れるくらいで……って何故私がスーパーの店員をやらねばならぬのだ!」
「あら、発酵食品は健康に宜しくてよ。どうぞマルシェの話をお続けになって」
「お前は婚約破棄を一方的に言い渡されて不服ではないのか?」
「もう今回が三度目ですわ。腹がすいたのでございますわ」
「うん。きっと腹を据えたのであろうな。だが、大事なことゆえ、理由くらいは聞いておくべきであろう。お前がそちらにいる令嬢を突き飛ばした現場を多くの者達が見たという。事実か?」
「タバスコとケッパー?」
「タバスコは調味料コーナーに。ケッパーは……在庫あったかなぁ?ってまたスーパー? タバスコもケッパーも今の会話で何処から湧いて出た?」
「マルシェと言ってくださる?」
「マルシェ! はぁ、毎回この遣り取りをしていて思うのだが、幼き頃より許嫁であるお前をちゃんと理解してやれるのは私だけかもしれぬな。仕方ない。今回も婚約破棄は白紙としよう。うん、それがよいな。そうしよう」
どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ。
ベルトコンベアはただ、ヴヴヴヴヴヴ……といったような一定の機械音が響くだけだと思います。頭の中ではベルトコンベアが流れたまま。けれど、BGM はどんぶらこ音がお似合いのように思います。婚約破棄がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れて行き、また婚約破棄がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れて行き、そしてまた婚約破棄がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れて行く。
「考え事か? 我が許嫁殿」
花壇のブロックに腰かけたまま、顔を上げると殿下と目が合うのでした。
「殿下はただただ廃棄されていくだけの蒟蒻があったとしたら、どのようにお感じになります?」
自分でも良く分からない質問をしているなぁと思うのですが、もう口から出て行ってしまいました。後の祭りに行ってらっしゃい、さようなら。
「また食品の話か?」
そうおっしゃりながら、何故かわたくしの隣に腰かける殿下。
「回収して全部食べてしまえば良いのではないか? 学園のカフェテリアで使うもよし、蒟蒻の佃煮でも商品開発して販売するもよし」
「そうすれば蒟蒻達は悲しまないでしょうか?」
「相変わらずお前の考えはよく分からんが、美味しいと思って皆の口に渡るなら蒟蒻冥利に尽きるというものだろう。……で、今の話の何処に泣く要素がある?」
涙が出てしまったようです。親が死んだ時にだけ涙する人間に憧れます。けれども、勝手に流れ出る涙を止めるのは容易ではありません。
「しょっぱいな」
意識が頭の中に入り込んでいて、現実を見ておりませんでした。頬に触れるものが何かあったように思います。
「涙にも食塩同様にミネラルは含まれるのだろうか?」
「殿下。わたくしの考えがよく分からぬと殿下はよく仰せになりますが、わたくしにも殿下のおっしゃることはよく分かりません」
「そうか。ならばお前と私は似た者同士、ということでよいのでは? 許嫁どの」
婚約破棄破棄はどうやら三度で終了したようです。
婚約破棄も三度で終了したようでした。