魔王部、戦場に立つ
暗く淀んだ空の下、魔訶部魔央は言葉もなく立ち尽くした。
荒涼とした大地を乾いた風が駆け抜ける。風に乗って血の匂いが魔央の鼻孔を刺激する。どこかから苦しげなうめき声も聞こえてくる。世界は知らぬ間に地獄絵図と化していた。
「なに……これ……?」
「呆けている場合ではないぞ、魔央」
背後から声をかけられ、魔央は振り返った。
「部長……」
魔央の視線の先には白い少女がいた。白く澄んだ肌には赤黒い血液がこびりつき、長く白い髪は心持ちくすんで見えた。少女は名を、黒曜紫闇といった。
「直ぐに移動する。来い」
紫闇は髪をたなびかせ、荒れ果てた大地を歩み始めた。
「ま、待ってください。部長。ここは……何処なんです……?」
「……エコノミカル・バトルフィールド。敵の領域だ」
「て、敵って誰なんです?」
魔央の問いかけに紫闇は応えず、足早に先を急いだ。
血で染まった落葉の森を抜けると、そこには泉を中心とした広場が在った。広間には知った顔が揃っていた。
「お。来たな。紫闇。魔央」
「ごきげんようですわ~。紫闇さま。魔央さま」
「龍子先輩…… 未佳先輩……」
広間の地面に足を投げ出して座り込んでいる赤毛の少女が白輝龍子、籐椅子に姿勢よく腰かけている少女が閃光院未佳といった。共に、魔央の所属する部活の先輩であった。
「ふむ。これで魔王部全員、揃ったな」
腕を組んで不敵に笑み、紫闇が呟いた。
闇十字女学院高等科魔王部。それが、彼女たちが所属する部活動の名称であった。
「ん? おい、紫闇。もうやられたのか? だっせーなー」
「紫闇さまが負傷されるだなんて、珍しいですわね~」
「魔央のフォローをしていたらつい、な。まったく。このフィールドにいきなり来て驚く気持ちはわからぬでもないが、敵襲のさなかに呆ける奴があるか」
魔央は狼狽した。紫闇の怪我は魔央のせいだという。出血量からして軽い傷とはいえないだろう。魔央の口元が震え、上下の歯がガチガチと音を立てた。
「ぶ、ぶちょ――」
「はあぁあ? おいおい! んなおいしい役、俺様にも回せやこら!」
「わ、わたくしも魔央さまのヒーローになりたいですわ~!」
「ふふん。羨ましかろう? 恨むなら、フィールド転移時に魔央の傍にいなかった己らの運のなさを恨むのだな!」
「ぐぬぬ!」
「悔しいですわ~!」
紫闇は思った以上に元気そうだった。龍子と未佳も深刻な様子ではない。
魔央はいまだ心晴れないながらも、努めて気にしないようにした。
「あ、あの……部長。ここ――エコノミカル・バトルフィールドって、いったい何なんです?」
先ほど目の当たりにした光景では、人々が体のあちこちから血を流して苦しんでいた。もしかしたら亡くなった者もいたかもしれない。
ただの女子高生でしかない魔央には、理解しがたい状況であった。
「ふむ。そうさな。軽く説明せねば――」
「紫闇!」
その時、龍子が紫闇と魔央を突き飛ばした。
突然のことに、魔央はしりもちをついて地面に転がった。紫闇もまた、バランスを崩して膝をついた。
「いたた…… 龍子先輩、何を……」
ずんっ!
鈍い音が響き、魔央の目の前を光の柱が貫いた。最前まで龍子がいた空間を埋め尽くした。
「……え……?」
「ちぃ! 早々に龍子がやられるとは……! 未佳!」
「最善は尽くしますけれど、紫闇さま~。このフィールドで龍子さまがいらっしゃらないのは……」
紫闇と未佳の反応は、龍子が確かに光に飲まれてしまったこと、つまり、龍子の死を意味していた。
魔央の全身から力が抜け落ち、膝から崩れ落ちる。
「……たつ……こ……先輩……?」
「魔央! 何をしている! 立て!」
「……いや……いや……何で……」
「魔央さま~! そのような場合ではございませんわ~!」
「いやあああああああああぁあああぁあ!!」
絶望の叫び声を追いかけるように、再び、巨大な光の柱が大地を襲った。世界は光に呑まれ、白く還った。
「よ。お疲れー」
魔央の眼前には龍子がいた。
「……へ?」
「どした、魔央?」
「いや、その、えっと……」
戸惑う摩央の肩を、何某かの手が掴んだ。
「まったく…… いくら初陣でも今のは酷いぞ、魔央」
「ま~ま~。紫闇さま~。何もご存じないなかでよくがんばりましたわ~」
紫闇と未佳だった。いずれも五体満足である。
彼女たちはいつの間にか、闇十字女学院高等科の魔王部部室で、所定の位置に座っていた。紫闇は部屋の最奥にあるソファに、龍子は開け放った窓に、未佳は肘付のエグゼクティブチェアに腰かけていた。そして魔央もまた、ごく普通の安っぽい一般的な椅子に、いつも通り座っている。
何が起きているのか、まったく分からなかった。
「今のはVRだ」
VR――仮想現実。ゲーム等の仮想の世界を仮体験できる技術を意味する。しかし、このVRを楽しむためには、映像を表示するためのゴーグルなどの専用機器が不可欠であるはずだ。
「部室の照明に特殊な技術が使われていてな。照明が目に入るだけでVRが体験できる」
「何か危なそうです!?」
「そんなことはない。21世紀初頭の豊洲よりも安全だ」
紫闇は自信満満に言い切り、ゆったりとした動作で後ろを向いた。
「……恐らくな」
「聞こえましたけど!?」
「まあいいじゃねぇか。俺様たち、何度もやってっけど、何もねえぜ?」
龍子がカラカラと笑いながら口をはさんだ。
「動いてるから安全って……原子力発電並に不安じゃないです!?」
魔央は一度大きくため息をついて、龍子が座る窓から外を眺めた。
高く青い空に白いうろこ雲が浮かび、遠くに聳える山々は深い緑に包まれ、生命に富んでいた。先ごろまで魔央の視界を埋めていた、枯れ果てた世界とは完全に異なっていた。
「はあ、よかった……」
「ふん。何がよいものか」
紫闇がぶぜんとした様子で言った。
「確かになぁ。今回のは大敗だったし、現実世界に結構影響すんぜ」
「え?」
「あの世界で死のうが傷つこうが、現実で体に実害は出ない。しかしだ。全くの無害というわけでもない」
龍子と紫闇の言葉を受け、魔央の顔色が再び青ざめていく。
「そ、そんな……いったい何が……」
まさか精神に異常をきたすとでもいうのか。眼前の龍子は別段変わりないが、この場にいない何某かが植物状態になってしまっている可能性があるとでもいうのか。
魔央がごくりと喉を鳴らす音だけが、魔王部の部室に響いた。
そうして数秒ののち――
「学院の運営資金が減る」
「何でです!?」
「俺様たちも理屈は知らねえが、何故か減るらしい」
肩をすくめて、龍子が苦笑した。
「なお、敵は国庫から教育に予算を割きたくない政府だ。国を相手取るとは、魔王らしいだろう」
「日本の未来は暗い!」
お国の狭量さに若人が絶望する中、一人会話に加わらず、スマートフォンを数度タップしていた少女が、視線を画面から上げて、破顔した。
「大丈夫ですわ~、魔央さま~」
「未佳先輩?」
「閃光院家から学院に百億円寄付いたしましたわ~」
「数度のタップで何やってんです!?」
声を裏返して魔央が叫ぶ一方で、紫闇と龍子は朗らかに笑う。
「ふふふ。未佳の予算操作遊戯も久しぶりだな」
「どんな遊び!?」
「だはは。最近は俺様がワンパンで常勝してたもんな」
「マジです!?」
「バトルフィールドではお役に立てませんので、もしもの時のバックアッププランはお任せですわ~」
「そもそもバトルの意味!」
「魔央」
順調にツッコミ続けていた魔央の肩を、紫闇が掴んだ。
「……なんです?」
「疲れないか?」
「誰のせいだと思ってるんです!?」
今日も魔訶部魔央は、放課後のひとときを、喉を傷めて過ごした。
謎の技術は紫闇か未佳の提供となっております。VRではありません。地球以外の遊星で利用されていた未知の技術です。しれっと使って遊ぶ不良です。未開惑星保護条約的なのは無視です。