第1章 第後話 前編 悔恨の鬼 ⑰
「と、言うのがあたしの失敗談。どうだった?」
「何と言うか…その、辛いことを話させてしまったようで…申し訳ない」
何故か慎瑞はその言葉を、本当に申し訳なさそうな顔をして絞り出していた。
「何言ってるのよ。話す前にちゃんと『救いようのない悲劇』って言ったよね?」
「潮離殿のことだからてっきり冗談なのかと…」
何ということだろう。先生ならまだしも、慎瑞にまでそんな風に思われてただなんて。
「駄目だよ慎瑞。あたしは慎瑞の先輩なんだから、先輩の言うことは一から十まで鵜吞みにしないと」
「潮離殿の言うことを全て真に受けていては身が持たないだろ。…それに、『鵜呑み』という表現からはあまり良い印象を受けないのだが…」
確かに言われてみればそんな気がする。じゃあ何と言うべきだったんだろう。いや、そんなことより
「そもそも何でこんな話になったんだったっけ?」
たまにある。話が白熱してきたところで急に冷静になって、話題の出どころを思い出せなくなることが。
「ん?確かに、何でと言われると…」
「もー。駄目だよ慎瑞。人の話はちゃんと聞かないと。かち割るよ」
忘れてるのは自分なのに我ながらひどい言いようだ。完全に先輩の権利を乱用してる。これが世に言う「職権乱用」か。
「お、主にどの部分をだろうか…。…あ、いや、思い出した。潮離殿が私を、共に波斗原に残るよう説得しに来たんだ」
「ああ、そうだった。そんな昔のことよく覚えてるね。慎瑞」
「先ほど人間の寿命を軽く超えるほど昔の話をしていたのは誰だ」
「まあまあ。あれは別腹ですから」
いや、お腹じゃないのか。記憶が溜まるのは。
「まあいいや。とにかくあたしは説得しに来たんだよ。あたしとここに残ってくれないの?」
「…悪いがやはり残るわけにはいかない。私は彼らと共に行かねばならないのだ。彼らが私を救ってくれた。その恩返しのために」
「恩返しとは言うけど、先生が言ってたんだよ。あたし達にここに残って欲しいって」
それは決してあたし達が足手纏いだからとか言う理由じゃない。少なくともあたしはそう信じてる。
「ねえ慎瑞。慎瑞は両親を亡くしたんだよね。この波斗原で」
「…潮離殿。同情してくれるというのであれば礼は言う。社交儀礼として。しかし私にはそんなもの必要ない。あれは私に起こった私の問題だ。私と情を同じくするなど、もとより無理というものだ」
それはそうだ。あの悲劇は慎瑞が経験したもの。悲しみも怒りも後悔も、全て慎瑞だけのもの。
慎瑞の顔から面を引きはがしたのは他の誰でもないあたしだけど、それでもやはり、彼と心を共有することなんてできない。
「うん。それは分かってるつもりだよ。…でもね、その件であたしには少し気になることがあるの」
「というと?」
「慎瑞はあの一件以来、一度でもあの場所へ行った?」
あの場所とはもちろん慎瑞の実家、惨劇の起きた現場のことだ。
「無論。両親を埋葬する必要があったからな」
「ああ、そう言えばそうだったね。じゃあその後、その後はどう?」
「その後となると…確かに行ってない。何せ、葬儀が終わってしまえばあの家は私にとって何でもなくなってしまうからな」
「何でもなくなる?」
まあ、それも一つの考えとして認められるべきだろう。大切なのは場所そのものではなく、思い出や記憶だという考えは、あたしだって理解してるつもりだ。
「それが慎瑞があの家に行かない理由?」
「そうだ。行きたくないから行かないのではなく、行く理由がないから行かない」
「…慎瑞。多分それは違うよ。あたしは料理をするために基本的にずっと基地にいるけど、そのあたしと同じくらいの時間、慎瑞は基地にいるよね」
「それは掃除をするためだ」
彼の言う通り、慎瑞は基地にいる時ずっと手を休めることなく隅々まで掃除を行き届かせてる。
それはもう、埃に恨みでもあるのかというくらいに徹底的に。
「いつも綺麗にしてくれてることはあたしも感謝してるよ。でも、掃除ってあそこまで徹底的に、それも毎日するものなの?あたしには何か、別の目的があると思うんだけど」
「別の目的?」
慎瑞は訝し気に声を響かせ、同じように訝し気にあたしを見つめる。
「基地にいる口実。慎瑞って本当にたまにしか基地の外に出ないよね。多分、あたし達の中では慎瑞が一番基地にいると思うよ」
「それは…確かに、そうだな。いや、しかしそれが何だというんだ。まさか私はあの家に行きたくないがためにそうしていると言うのか?」
「うん。だって、慎瑞はまだ一度も、お墓参りにも行ってないでしょ?」
あたしは潮音を亡くしたあの日から、ずっとあの場所にいた。元は村だったあの湖に、家も何もかも流されてしまって、唯一残ったあの忌まわしい大岩に、付きっ切りで、すがりついていた。
それが故人を偲ぶ正しい方法だと言うつもりはない。自分が死んだばっかりに100年以上も未練がましく張り付かれるのは、故人にとって本望ではないだろう。
しかしかといって、一度も墓参りに行かないというのは、少なくとも褒められることではないはずだ。
「慎瑞は真面目だから、罪悪感があるんでしょ?すごく後悔してて、まだ自分を許せてないんでしょ?」
「仮にそうだとして、仮にそれを見抜けたとして、それが一体何になるという…」
「と、いうのが一般人の見解」
「え?」
慎瑞は物凄い勢いで首をひねってあたしの方を見る。まだ暗くてよく分からないけど、きっと表情の方も物凄いんだろうな。
「慎瑞は真面目だからね。みんな騙されるんだよ」
「な、騙されるとは何を言ってるんだ」
「まあ、多分慎瑞は自分のことも騙してるんだろうけどね」
「だから何を…」
「慎瑞はいいの?このままこの波斗原を去っても。それは慎瑞にとって『逃げた』ことにはならないの?」
あたしは慎瑞との間を一気に詰め、半ば覆いかぶさるようにしながら肩を掴んで慎瑞の瞳を覗き込む。
あたしの視線から逃れようと何度か眼を振るわせた慎瑞だが、しかしすぐに観念してあたしの瞳をその瞳に写す。
「『逃げ』の何が悪い。と、啖呵を切れれば楽なものだが…生憎それは私の言葉ではない」
「うん。そうだね。籠村で囮の役を引き受けた時だって、慎瑞は何回も何回も切られてた。なのに一歩も引かなかった」
「あれは…未熟な私にはああする他思いつかなかったからだ。褒められるようなことじゃない」
「うん。褒めないよ。あたしは心配してるの。もし慎瑞が先生と一緒に行って、向こうにいるもっと強い敵から逃げなかったらどうしようって。…多分、こういう心配をできるのはあたしくらいなんじゃないかな?」
ノラちゃんと双子ちゃん達はあまりにも強すぎて、他人の弱みに気付けないことがある。逆に先生は自分を弱者だと認識しすぎているせいで周りの力に頼り過ぎているところがある。特に慎瑞はそういった、先生みたいな人とは正直、相性が悪い。
無理をしていても真面目ゆえに出してしまう「大丈夫」の一言を。そして先生はそれを鵜呑みにして、取り返しのつかないところまで頼ってしまう。だからあたしは個人的な感情としても慎瑞を先生と一緒に行かせたくないのだ。
「…心配してくれることはありがたい。しかし、その心配を受け入れて、この島に残ってしまうこともまた、逃げることなのではないのか?」
ああ、そうか。駄目か。ここまで言っても、まだ駄目なのか。あたしの言葉じゃ、慎瑞は立ち止まってくれないんだな。
じゃあ仕方ない。
最終手段だ。
「ごめん慎瑞。白状する。実は違うの、あたしなのよ。慎瑞にここに残って欲しいのは」
「それは、どういう…ことだ?」
「あたしはね。人間と一緒に幸せに生きていく方法をずっと考えてたんだ。先生と出会うまでの間」
「答えは出たのか?」
「ううん。助けたら死ぬから、助け合って生きていけばいいんだけど、そう簡単じゃないんだよ」
一対一で比べれば人間は物の怪より弱い。あたしはいつも人間を助ける側にいる。
「だから慎瑞にはあたしの手柄を横取りする役割を引き受けて欲しいわけなんだよ」
「手柄を、横取り?」
「そう。思い出してみて、慎瑞から鬼の面を引きはがして、慎瑞を救った張本人は誰?」
「それは…。そうだ。潮離殿!貴君だ。貴君ではないか!私を救ってくれたのは!」
慎瑞は立ち上がって今度は逆にあたしの肩を掴む。その迫力に押されてあたしは掴んでいた手を放してしまう。
「今の今まで何故気が付かなかった…」
慎瑞の悔しそうな顔を間近で拝んで、あたしは少しやり過ぎたかな。とも思ったが、しかしあたしは畳みかける。
「つまり、あたし達牛鬼は人を助けても死なずに済む方法があるってことなの」
「その方法と言うのが他人に手柄を譲るということか。…で、それを私にやれと?」
「嫌?」
あたしは上目遣いで慎瑞に視線を送る。その視線と角度を同じくしてあたしの背中から伸びた牛鬼の脚が慎瑞を狙う。
「私は…脅迫されてるのか?」
「脅迫だなんて人聞きの悪い。引き受けたくない。それでも先生と行くっていうならあたしは止めないよ」
「断った場合、私を狙う4本の脚は何もしないのか?」
「ううん。ぶっさす」
「主にどの辺りに…いや、聞かないでおこう」
顔が近いせいか、慎瑞の顔が青ざめているのがよく分かる。
彼は一つ、小さく溜め息を吐き、苦笑いを浮かべる。
「そんなことをされては折角固まった決心が砕けそうだ」
「……」
慎瑞の言葉を、ある意味最も期待していたはずの言葉を、あたしは即座に飲み込むことができなかった。
「え?いいの?」
「脅迫までして迫った者の言い草か?」
「あ、うん。そうだよね…」
あたしは脚をしまう。何だろう。すごく気まずい。
「ま、まあそう言うことならよろしくね。これから」
「これから、とはいうが、具体的には何をするつもりなんだ?兄上がここを去る以上、我らに共通の目的は無くなるのでは…」
「いや何言ってるの。仕事はあるでしょ。籠村のこととか、城下町にいる物の怪のこととか」
そう、先生はこの島を実質支配したとか言ってた。彼は確かにこの島にいい影響をたくさん与えたし、彼が去った後もその影響は残り続けるだろう。でも、それはただの影響で、ちゃんと結果になるまでにはまだ時間が掛かるということがやはり彼には見えてない。
「知ってるだけで何も見えていない自称波斗原の支配者の代わりに、あたし達が裏で工作しないと」
「我らに務まるだろうか…?」
「いやいや、ちゃんと協力者のあてはあるよ。…例えば、清さんとかぬらちゃんとかね」
まだ「あて」に過ぎないのだけど、でもまああの二人ならきっと助けになってくれるだろう。少なくともあたしはそう信じてる。
「ねえ慎瑞」
「何だ?」
「慎瑞は人間だよね?」
「…そうだが」
潮音はあの時あたしにこう言った。「人間と、幸せに生きて」
100年以上たって、遅すぎるスタートかもしれないけど、手始めにこの生真面目な人間と楽しくやっていくとしようか。
「そういうわけでこれからよろしくね。慎瑞」
そんな倒錯的なおちであたしの失敗談は幕を閉じる。
そしてあたし達は偉業を成し遂げる。多分そのうち。
第後話 前編はこれで終わりです。いかがでしたでしょう。
時系列的には第1章第5話の直後の話なんですが、内容的には潮離の前日章なので百何十年か前の話です。
潮離と慎瑞はでかいことを成し遂げる気がします。多分そのうち。




