第1章 第後話 前編 悔恨の鬼 ④
畑に移動して、
「潮離、さっきの話だけど、」
潮音はおもむろにあたしに語り掛ける。
「さっき…吉浦さんのことか?」
「そう。さっきのはあたしが潮離に説明してないのが悪かったけど、気になったことを何でもかんでも聞くのはあまりいいことじゃないんだよ」
吉浦さんに聞こえないところまで移動したのは吉浦さんへの配慮だということは、今のあたしには分かる。
しかしこの時のあたしにはそんなことなどつゆ知らず。子供のように潮音に疑問をぶつける。
「聞いたことで何か悪いことが起こったようには見えなかったぞ」
「見えてなかったんでしょそれは。…吉浦さん、悲しそうな顔してたよ」
「それは、俺のせいなのか?」
生まれたばかりのあたしは遠慮というものを知らない。悲しいと言われなければ悲しませたと気付けないし、やめろと言われないとやめて欲しいとは思えない。
「仮に自分の言葉で誰かが傷付いたとしても、それは言葉くらいで傷つくような心を持ってるやつが悪い。それは確かだよ」
「じゃあ何故」
「でもそんなのは本音って言って、建前とは違うの。人間と関わるときには建前で関わらないといけないの」
「たてまえ?」
始めて聞く言葉に、あたしは敏感に反応する。
「そう。料理を作ることを生業としてる人達のこと。…って、それは板前でしょ!」
「は?」
唐突にあたし向けて延ばされた平手を、あたしは呆然と眺める。
「…コホン。まあとにかく」
あたしの反応が予想よりも薄かったためか、潮音はここで初めて気まずそうな顔をした。
「人の欠点とか、気にしてるようなことは言わないのが礼儀なのよ」
「何故だ。欠点は付けこむためにあるんじゃないのか?」
「忘れたの?あたし達と村の人達は仲間だよ。仲間同士は基本的に欠点を見せ合って補い合わないと」
「俺とお前もか?」
あたしはこの時感じた違和感を今でも覚えてる。
あたしはこの時、潮音をただの同族としか思っていなかった。
自分より強くて、自分より少し長く生きた存在、つまり圧倒的強者。その程度の認識だった。
「そうだよ。だから潮離はあたしにもっと甘えていいんだからね」
潮音はそれだけ言うとあたしに背を向け、鍬で地面を耕し始めた。
「ほら。まずは畑の耕し方教えたげる。あたしの隣に来て」
潮音の言葉に従ってあたしは彼女と並んで鍬を構える。
見よう見まねで潮音と同じ動きをしてみるが、鍬の刺さりが浅かったり、逆に深く刺さり過ぎて抜けにくくなったりうまくいかなかったけど、その度に潮音は握り方やら姿勢やらを直してくれた。
そのお陰か、お昼の休憩になる前には潮音と同じくらいの速さで耕せるようになっていた。
「おーい!昼飯だってよ!」
太陽がてっぺんを超えた頃、あたし達2人に、吉浦さんとは違う知らない村民があたし達にお昼を伝えてくれた。
「ありがとー!今行くね!」
潮音はその村民に礼を告げて、鍬を肩に担いだ。
「さ、行くよ。潮離」
あたしは潮音の言葉に答える様に、潮音に倣って鍬を肩に担ぐ。
「この鍬は吉浦さんに返すの。午後からの仕事では違う道具を使うから」
「分かった」
頷いてあたしは潮音の後に続く。
吉浦さんに鍬を変換したあたし達はおばあちゃんの家に向かった。
そこではおばあちゃん製のお味噌汁とおにぎりとお漬物が振舞われてた。
「この量を、あのおばあちゃんが一人で用意したのか?」
あたしは料理の量の凄まじさに舌を巻く。それはもう凄まじかった。量理とさえ言えるくらいの量だった。
「そうだよ。すごいでしょ」
「俺達がやってた仕事よりこっちの方が厳しいんじゃないのか?」
「あたし達からしてみればね。でもおばあちゃんにとってはそうじゃないかもしれないよ」
にやりと、不敵な笑みを見せた潮音はお味噌汁を二人分取って戻って来る。
「人には向いてることと向いてないことがあるの。吉浦さんだって、ずっとあそこで座ってるわけじゃないんだよ。返された道具が壊れてないか、壊れてたら修理したり、交換したり。ちゃんと役に立ってるんだからね」
「そうか…。まあ、考えてみれば顔がそれぞれ違うんだ。能力に差があっても不思議じゃない」
差し出されたお味噌汁と箸を受け取ったあたしは早速お味噌汁をすする。
「…お前の料理とは違う味だが…うまいな」
「そうでしょ。よく覚えておくといいよ。おいしいことは幸せなことだから」
「ああ」
汁をすすり、嬉々としておにぎりを食む潮音。そんな潮音につられてあたしの食も進み、漬物を数枚、ぱりぱりといい音を出しながら味わう。
そうしてるうちにあたしの中にある疑問が浮かんできた。
「潮音。お前は誰から料理を習ったんだ?」
昨晩と今朝に振舞われた食事はどれもなかなかおいしかった。潮音にあそこまでの料理の腕が備わっていたとはとても考えられないくらいに。
「ん?ほれはねえ」
「あ、口の物が無くなってからでいい」
「ん」
潮音はもぐもぐと咀嚼する速度を速め、やがてごくんと飲み込む。
「それはねえ。実は独学なんだよ」
「つまり、誰からも習わなかったってことか…?」
「うん。料理をしようと思い立つ前に何回かおいしい物を食べたりはしたけことがあって、それを再現しようと頑張った」
この潮音の返答を受けて、あたしの中に新たな疑問が浮かぶ。
「誰にも教えられてないなら、そもそもお前はどうして料理なんてしようとしたんだ?」
あたしからの新たな問いに、潮音は一呼吸置いて口を開く。
「その話はあとで。今はごはんを食べることに専念するよ」
新たにおにぎりを掴み、口に運ぶ潮音。見事にはぐらかされた。
結局、あたしは折れてその時間は食事に専念することにした。
食べ終わって後、村民達がおのおの談笑を始めてしばらくした頃、吉浦さんが
「さあみんな!腹ごしらえは済んだかな?そろそろ午後の作業にしようか!」
と、みんなの前に立って号令をかける。
その声を聞いた村民達は続々と、吉浦さんの前に列をなしながら午後の作業に使う道具を受け取りに行く。
「潮離。あたし達も行くよ」
「ああ」
あたしは潮音と、先ほどまで一緒に話していた潮音の知り合い達と共に列に加わる。
ちなみに、あたしが潮音の知り合い達と何を話していたかというのは重要ではない。潮音があたしのことを紹介したり、妹をよろしく。とかいった当たり障りのない挨拶をしていた覚えがある。
無事吉浦さんから農具を受け取ったあたしは朝作業したのと同じ場所へ向かう。
「潮音。この農具はさっきのと違う形をしてるが、どうやって使うんだ?」
あたしは手に持った農具を眺めながら潮音に尋ねる。
その農具というのは名称は鍬。しかし先ほど畑を耕すのに使った熊手のような鍬とは違い、棒の先に鉄の板が取り付けられた形をしてる。
「これはね。畑の畝を作るのに使うんだよ」
「うね?」
初めて聞く言葉にあたしは戸惑う。擬態語にしか聞こえなかったというのがこの時のあたしの正直な感想だ。
「畑は見たことある?」
「実際に目にしたことはない」
「そっか。じゃあ分かりにくいかもしれないけど、畑で育てる野菜は『畝』って言う、土を盛って周りより高くした所に植えるの」
説明しながら潮音はしきりに手を左右に行ったり来たりさせて山を描く。
「まあ、実際に作ったらしっくりくるはずだから。とにかくやってみよう!」
潮音は説明を諦め、片手に持った鍬を頭上に掲げて畑へ向かう足取りを早める。
畑について予備知識のない者に畝の説明をするのが難しいことは分かるけど、いくらなんでも大雑把すぎやしないだろうか。
とはいえ、仕事の内容自体は潮音の動きに倣えばいいだけなので、問題は無かった。
あたし達は、畑に着くなりすぐに作業を開始した。
「そうだ潮離」
潮音の動きを真似し始めてその動きがようやく身に付き始めた頃、唐突に潮音に呼びかけられる。
「何だ」
「今晩から潮離に料理を教える」
「…どうしても俺ができるようにならないといけないのか?」
一応乗り気でないことを言葉にしておく。
「駄目だよ。料理できないと生きていけないっていう話は昨日したでしょ?」
話ながらも潮音はあたしの倍近くの速さで畝を起こしていき、まだ半分までしか起こせていなかったあたしの畝を、反対側から起こしに来る。
「でも、俺が食糧を調達して、お前が料理をすれば互いの得意なことで助け合えるだろ」
「いつからあたしより狩りがうまくなったの?」
振り返った潮音の、射貫くような目にあたしは思わず身を強張らせる。
この時のあたしは忘れていた。潮音に、この牛鬼に、あたしは言い訳ができないくらい完膚なきまでに負けたということを。
「それに、あたしはいつまでも一緒にいられるわけじゃないんだよ?」
「え…?」
「だって、潮離がこれから強くなってあたしを超えたら、あたしのところから出て行くでしょ?」
あたしが潮音より強くなったら、考えられないことではあったけど、でも確かにそうなったらあたしは出て行くだろう。
「だからそうなる前に、あたしは潮離に教えられる限りのことを教えてあげないと。潮離がその時一人でも大丈夫なように」
しかしこの時のあたしが戸惑ったのは、潮音より強くなることが想像できなかったからではなかった。
潮音の放った「いつまでも一緒にいられるわけじゃない」という言葉が、思ったよりも深くあたしの胸に刺さって、そこから得体のしれない感情が漏れ出したからだ。
この時あたしはそれを、怒りと結論付けることにした。自分勝手にあたしを捕えておいて、そのくせあたしを捨てることを考えているだなんて、身勝手にもほどがある。と。
「どうしたの?潮離。何か不満?」
気付けば潮音はあたしの眼前にいた。右手で地面に突き刺した鍬の柄を持ち、左手を腰に当てて、あたしの顔を覗き込んでいた。
「うわ!」
予想以上に近かったため、驚いてあたしは一歩下がりそうになるが、さっき自分が起こした畝が背後に広がってることを思い出して咄嗟に足を引っ込める。
結果、バランスを崩したあたしは畝を、足の裏どころか背中全面で押しつぶすこととなる。
かと思われた。
「もー。危ないよ」
あたしの身体は不自然な角度で静止する。
潮音が背中から出した牛鬼の脚によってあたしの体が支えられたためだ。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。でも偉いよ。身を挺して畝を守ろうとして」
潮音の脚によってグイッとあたしの体は起こされ、潮音の脚は背中に吸い込まれるように消える。
「その結果、足で踏むより酷いことになりかけてたけど」
笑いをこらえながら潮音はあたしの反省点を指摘する。
「うるさい…」
もっともな指摘をされたあたしは、これを言うのが精一杯だった。




