第1章 第2話 悲願の牛鬼 ④
気が付くとまた、僕は宙を舞っていた。このところ僕はなにかとよく宙に舞う。そして着地と同時に僕の四肢はピクリとも動かせないほどの力で押さえつけられていた。
潮離さんだった女性は完全に牛鬼の姿に変貌し、八本ある足のうちの四本の脚を使って僕の四肢を押さえていた。
「水面をのぞいて私の姿を見つけてからの行動の速さは褒めてあげる。でも私が水中にいると思ったのは痛かったね。私の忠告に従って湖に近づかなかったらこんな怖い思いしなくて済んだのに。」
牛鬼は潮離さんの声と口調で僕に話しかける。愚かな僕はまだその声を「嫌な気のしない好感の持てる話し方」だと思ってしまった。
「抵抗くらいしたら?」
「いや、今まさに全力でしてるところなんですけど…。」
しかし僕の四肢はピクリとも動かない。こんなことなら少しくらい鍛えておくんだった。
「そう。非力なんだね。…じゃあ選ばせてあげる。殺されてから食べられたい?食べられて殺されたい?」
「どう違うんだ?」
「殺される方にとっては一緒でも殺す方にとっては大違いよ。」
やっぱり僕にとっては一緒なのか。
「まああなたってすごくむりょ…、大人しそうだから先に殺す必要もないと思うの。」
「今僕のことを『無力』って言おうとしてやめただろ。そういう気遣いはやめてくれ。逆に傷つくから。」
「うん、それは素直にごめん。…もう敬語は止めちゃうんだね。」
当然だ。相手が敵だと分かった以上交渉にはスピードを要する。敬語なんか使ってのんびり話してる場合ではないのだ。
「じゃあそろそろ食べるね。丸呑みにしてあげるからそんなに痛くないと思うよ。」
「いや待て。唐突に僕を嚥下しないでくれ。」
敬語を止めた効果を少しくらいは実感させてほしいものだ。
「嚥下してもええんか?なんちゃって。」
今まさに死のうとしてる人に「なんちゃって」なんて言わないでほしい。牛鬼の姿と潮離の声で言われるとシュールであることは確かなのだが、ギャグのクオリティーも含めて色々笑えない。
「それでどうなの?いいの?」
「さっきのって真面目な質問だったのか?」
もしそうだというのなら答えはもちろん「いいえ」だ。
「一応回答権は君にあるよ。…まあ、ダメって言われても食べるけど。」
「そういうのを解答権があるとは言わない。」
本当に何なんだこの人は。いや、人じゃないのか。
本来僕が率先してやるべき時間稼ぎを勝手にしてくれる。もしかしたらこのまま話し続けていれば助けが来るのではなかろうか。散歩に来た双子がたまたま通りかかったり
あ、ダメだ今あいつら留守番してるところだった。ノラが基地に一足早く帰ったからそっちの介抱をしてるかもしれない。
どっちにせよ助けなんて当分来ないじゃないか。
「もしかして僕ってこのまま死ぬんでしょうか?」
「私はそのつもりだけど、やっぱり嫌?」
「嫌だよ!嫌に決まってるじゃないか。」
「う~ん、でもこんなところに一人でのこのこやって来た君が悪いんだよ?こういうのを何て言うんだっけ?『飛んでなついるひにの虫』だっけ?」
「飛んで火にいる夏の虫だ。何だ『ひにの虫』って。…悪いけど楽しくおしゃべりしてる場合じゃないんだ。僕には大義がある。ここで死ぬわけにはいかない。」
「そっか、そうだよね…。じゃあ今から君に希望を与えます。私を説得しなさい。君を生かす価値のある人間だと私が判断したら助けてあげる。」
「え?」
嘘に決まっている。これはいわゆる「必死にもがく獲物の顔を見て喜ぶ」とかいうただの戯れだ。
「分かった。」
しかし今の僕にできるのは彼女の申し出に乗ることくらいだ。策士なら策士らしく最後まで頭を使って生き抜いてやろう。
「君を説得する。」
そう僕が宣言した瞬間僕の四肢から重みが消えた。
説得をしている間は解放してくれるのかと思ったが、そうではないことは数メートル先に吹っ飛ばされた牛鬼の姿と僕に背を向けて立っている二人の人影を見て悟った。
既視感を感じる。あの姉にしてこの双子ありといったところか。演出まで同じだとは。
「なあアーサー。今吹っ飛ばしたのって敵だよな?」「そうじゃなかったら代わりに謝っといて。」
「いや、その必要はないよ。あれは敵だ。ありがとう二人とも。なんで来てくれたんだ?」
「「走って。」」
タイミングもイントネーションも寸分違わず双子は答える。
「手段じゃない。理由を聞いてるんだ。」
「姉ちゃんが帰ってきたんだけどフラフラだったんだ。」「だからアーサーが迷子にならないように代わりに行ってこいって言われた。」
そうか、なら結局僕はまたノラに助けられたわけか。この双子に礼を言うのはもちろんのこと、後でノラにもちゃんとお礼を言っておかないとな。
「それはそうとお前達。どうやってここが分かったんだ?」
「「勘。」」
なるほど、こいつらに推理とかは無理ということか。にしてもこの二人、僕の想像のはるか上を行く野生児だな。
「何その子達?もしかして仲間?」
起き上がった牛鬼はさしてダメージを感じさせることもなく僕に問いかける。
「そうだこの二人は僕の仲間のうちでも一、二を争うくらいの実力者だ。」
嘘はついていない。すべて本当のことだ。ただ僕の仲間に戦闘員が二人しかいないという情報を伏せているだけだ。
「へえーそうなんだ。手ごわそうだね。それとも案外君の仲間がその二人だけだったりしてね。」
なかなかいい線をいっている。鋭い人だ。
「行くかシニステル!」「行くぞデキステル!」
双子はそう叫ぶと目にもとまらぬ速さで牛鬼に斬りかかる。
牛鬼は四本の足を使って初撃を防ぐが、双子の間髪入れない追撃によって二本の足が切断され宙を舞う。
「待て二人とも!そいつは絶対倒すな!」
「なんでだよ!」「勝てない相手じゃないぞ!」
確かに。この二人なら結果的には必ず勝利するだろう。しかし相手が牛鬼となるとそれは大問題になりかねない。
「倒すのはいいけど絶対に殺すな!そいつは自分を殺した奴に乗り移るんだ!」
「マジかよ!」「嘘だろ!」
二人は後ろに飛びのいて牛鬼から距離をとる。
「よく知ってるね。じゃあ私を本当の意味で殺す方法も知ってる?」
そう言った牛鬼の足はもう再生し、完全な状態に戻っている。
「ああ、牛鬼が死ぬのは牛鬼が人を助けた時だ。」
「そう、だから私は実質不死身。」
実際その通りだ。「人を助けると死ぬ」という牛鬼に関する伝承が広まったのは牛鬼が人を助けることが絶対ないということの裏返しでもある。
「二人とも逃げ」
逃げるぞと僕が言い終わるよりも速くシニステルは僕を担いでいた。
「どっちだ!?」
シニステルは叫ぶ。
「森だ。森に入れば勝機はある。」
「わかった。デキステル!」「聞こえてたよ!森だろ。」
牛鬼は当然僕達の後を追ってくるが、その速さは双子に比べるとかなり劣るものだった。
「二人とも、分かってると思うけど基地からはなるべく離れた所を目差すんだぞ。今あそこにはノラがいるんだから。」
「「え?」」
分かっていなかったようだ…。二人は同時に足を止める。
「わ、ちょっと待て。止まるな!追いつかれるだろ。」
「でも基地がダメならどこに行くんだよ?」「適当に走っていった先が行き止まりだったらどうするんだよ?」
「あー分かった分かった。基地の近くでいいから空き地に下ろしてくれ。」
「分かった!」「オッケー!」
二人は再び走り出す。
「それで二人には頼みたいことがある———」
背後では木が大きく揺れ、そこかしこで鳥が飛び立つ。牛鬼は木を折って森を進むほどの馬力はないようだ。恐らく木から木へと飛び移っているのだろう。
程なくして広場に到着した。その広場は僕達が基地にしている広場よりも二回りほど小さい。
「———よし下ろしてくれ。それじゃあ二人は手筈通りに。頼んだぞ。」
「任せろ。」「行ってくる。」
シニステルが僕を降ろすなり二人はすぐに作戦に必要なものを集めに行く。あとは時間との戦いだ。僕は今度こそ策士らしく交渉で時間を稼いでやろう。
牛鬼が僕のいる広場にたどり着くのは思ったよりも早かった。
「あれ、さっきの二人は?もしかして見捨てられたの?」
「そんなわけないだろ。応援を呼びに行ったんだ。」
「そうなんだ。だったら早く殺さないとね。」
しまった。時間を稼ぐつもりがかえって死期を早めてしまったようだ。
「ま、待て。何を急ぐことがあるんだ?お前が実質不死身なら時間は無限にある。急ぐ必要はないんじゃないのか?」
「そうだけど、また邪魔が入って君を殺し損ねたら嫌だし。」
思案するような口調の牛鬼だが、僕めがけての前進は止まる気配がない。
「何で僕を殺そうとするんだ?それで君にどんな得がある?」
「得?無いわよそんなもの。そもそも必要ない。」
牛鬼はこともなげにそう言ってのける。
「だったら何で。」
「知らないわよそんなの。殺せるから殺すだけ。」
やっぱり、そうだったのか。
「君の行動は矛盾したものばかりだったからなそうなんじゃないかと思ってたんだよ。」
「矛盾?」
「そう。僕を殺そうとしてからチャンスを与えようとしただろ。それだけならまだしも君は逃げる僕達を追ったうえに今こうして追いついた。行動に一貫性がない。僕には君が僕を殺したいのか殺したくないのか分からない。」
牛鬼は口をつぐむ。僕はさらに畳みかけるように続ける。
「君は牛鬼としての本能に従って人を殺し続けて、ある時ふと思った。自分は何でこんなことをしているのかと。」
牛鬼は物の怪だ。だから幽霊とは違って外界に物理的に干渉できる。そのため物を食べたりすることはできる。
しかし物の怪というものは体の造りが生物とは根本的に違うため食物の摂取は必須ではない。だから生きるために人を殺す必要も、人を食い殺す必要もない。
「君は迷ってるんじゃないのか?自分が取るべき行動について。」
「…なるほどね、確かにその通りかも。すごいね。何でもお見通しなんだ。」
「まさか。知ってるだけだ。何も見えてないよ。」
「でも惜しいねー。ちょっと違うかな。『ある時ふと思った』っていうのは間違い。私が自力で気付いたとかそういうわけじゃない。」
「誰かに気付かされたってことか?もしかして過去に親しい人間がいたのか?」
「ううん。いない。私の関わってきた人間っていうのは私が殺した人間と私から逃げた人間の二種類だけ。」
「そうか、残念。当てが外れたか。…でもだとすると誰に」
「おいアーサー!」「準備終わったぜ!」
どうやら話は途中で終わらなければいけないようだ。彼女の身の上話というのもなかなか興味のある話だが、きっとそれは僕の知る必要のない別の物語だろう。
そして僕は相手が心変わりするかもしれないという僅かな希望に賭けたりはしない。
「反撃開始だ。」
生存権は自力で掴み取る。




