第1章 第2話 悲願の牛鬼 ②
森に踏み入って、僕はあることに気が付いた。
外からはよく見えなかったのだが森の中には一筋、草も木も生えていない「道」があった。これを辿っていけばノラに魔法をかけてもらうまでもなく安全に目的地までたどりつけそうだ。
ノラはこのことを知っていたのだろうか、それともただの偶然か…。なんにせよ良かった。
「あ、アーサーだ。」「よう。無事だったか。」
しばらく歩いて無事目的地に着いた僕を最初に発見したのは双子だった。
「あらアーサー元気そうね。毒蜘蛛の一匹や二匹ぶら下げてくると思ってたのに。」
双子の言葉で僕に気付いたノラは僕に近づき肩に乗った木の葉を払ってくれた。その行動と表情からは怒っているといった印象は全く感じられないが。
「どうしたの?もしかして私が本当に怒ってると思ったの?」
「うん。」
「そんなわけないでしょ。あんたの反応を見て末代まで笑ってやろうと思っただけよ。」
ノラは悪戯に成功した子供のような意地の悪い笑みを浮かべてそう言う。
「人を笑いものにするスケールがとてつもないなお前は…。」
「別にあんたのことを笑ってるわけじゃないわ。あんたの貧弱さを笑ってるの。」
「そういうのを『僕を笑う』っていうんだよ!」
放置されたときの絶望の分僕のツッコミにも熱が入る。
「アーサー、あなたは悪くないの。悪いのはあなたを弱くしたこの社会なのだから。」
「なのだから。じゃない。ダメ人間の言い分だろうがそんなの!ていうか社会っていうのはなるべく弱者を作らないように回ってるもんなんだよ。もしも僕が弱者だっていうならそれこそやっぱり社会のせいだ。」
「ごめんそこまで開き直られるとさすがに支持できない。」
確かに、今のは少々冗談が過ぎたな。
しかしどうだろうやはり社会というものはなるべく弱者のいない、つまるところ圧倒的な強者のいない社会を目指すべきなんじゃなかろうか?
「そもそもね、自分のことを弱者だって言ってるやつがいるでしょ?別に誰とは言わないけど。」
そういってノラは僕に視線を注ぐ。別に僕は弱者を自称したわけではないのだが、小心者の性かつい目を逸らしてしまう。
「私はそういう人の肩を持ちたくないと思うの。だって弱者を自称するってことは努力を放棄するってことでしょ?そのくせそういう奴ってしまいには『強者は弱者を敬え』なんて言い出すでしょ!?そんなの一種の暴力よ!」
弱者に怨みでもあるのかノラの熱弁は止まらない。
「大体ねこっちは好き好んで強者になったわけじゃないのに何でこっちが悪いみたいに言われるの!?おかしいと思わない!?」
「…うん、確かに良くないよな。でもノラ、僕はそろそろ僕達の基地の話がしたいな。」
「ああ、そうだったわね。…私としたことが…。」
ノラは思いのほかすんなり正気に戻る。
「まあ見て分かると思うけどここが辰正さんの言ってた場所よ。魔力の痕跡が無いところを見ると天然にできた空き地ね。ここは。」
「天然にできるものなのか?こんな空き地が…。」
適度な明るさと広さ。頭上では木の枝と枝が絡まり合って屋根のようになり、直射日光を遮る形になっている。
川幅30センチ程度の川が空き地のほぼ中央を通っている。その水は透き通っており、底まで見通すことができる。およそ目測ではあるが深さはくるぶしのあたりまでといったところだ。
基地を作るにはおあつらえ向きな場所だ。
「うん。良いじゃないか。最高だ。」
「ここの川の水、すごくきれいでしょ?さっき調べてみたらね、このままでも飲めるくらいの水質だったわ。」
「本当か!?じゃあさっそく。」
僕は川まで走っていき手をお椀の形にして水をすくう。直射日光が当たっていないためか手の平で感じる水温は低めだった。
水を口に含む。冷たさが口中に広がりその冷たさがのどに伝わる。水の味というのも変な話だがしかし確かにこの水には旨みのようなものがある。
「うまい。この水お前が魔法で精製する水よりも断然うまいぞ!」
「ああ、そう…それは良かったけど、まさか本当に飲むとはね。」
「え?大丈夫なんだろ?」
やめてくれ。飲んだ後に実は駄目だったとか言われるの本当に嫌だからな。
「いえ、大丈夫よ。ただ、飲める『くらい』綺麗って言っただけで、普通飲む前には濾過魔法く
らいは掛けるものでしょ。」
「まあ、確かに。」
僕が浮かれていたのは事実なわけだしノラを責めるのは筋違いか。
反省しておこう。
「楽しみだな。ここに基地を作るのか…それぞれの部屋に加えて広間も作ろう。家具はあるけど煉瓦も必要だな。」
僕は沸き上がってくる高揚感を抑えきれず、独り言が止まらない。
「そうだ、こうしちゃいられないんだった。ノラ、お前の集めた倒木と双子が捕まえてきた片輪車を使って早速仕事だ。ここから一番近い岩場に僕を転送してお前も一緒に付いてきてくれ。」
「いいけど、何するの?」
「それは行ってのお楽しみ。おーい、シニステルとデキステル!留守番は頼んだぞ。」
「任せとけ。」「オッケー。」
二人は手を挙げて答える。
「それじゃ、飛ぶわよ。」
そう言ってノラは杖を掲げる。その瞬間風景が歪み、次の瞬間には岩場へと移動していた。
「ノラ、倒木を五本並べて出してくれ。」
「ん。」
杖を一振り。そこそこのサイズの倒木が現れる。
「片輪車を二十六体呼んでくれ。」
「ん。」
杖を一振り。二十六体の片輪車が現れる。彼らは皆、当然のことながら景色が一変したことに言葉を失っている。
「ええと皆さん。突然連れてきてしまってごめんなさい。誰か代表の方っていたりしますか?」
片輪車達は互いに顔を見合わせ、一体の片輪車が前に出た。
「自分は『片輪車の会』の代表をさせてもらっている者です。」
片輪車の会…。そんなものがあるのか。
「そうか、それじゃあ早速君にお願いがある。この間君達と一緒に僕らが捕らえた残りの二十六体の片輪車に伝えてほしい。仕事を頼みたいと。」
「残りの二十六体…ということはこの島の片輪車は一体残らずあなたの手に落ちたということですか…。」
「え?今なんて?」
神妙な面持ちの片輪車から発せられた言葉を僕は思わず聞き返してしまう。
「分かっています。我々はいわば捕虜。汚れ仕事でもなんでも致しましょう。」
「いや、そうじゃなくてこの島の片輪車って全員あの山に住んでたのか?」
そしてうちの双子はそれをひとつ残らず捕まえてきたということか?
「その通り。かねてより有事の際に備えて、ある程度分散して居住すべきだという意見もありました。しかしなんだかんだといって皆住み慣れた山を出る気になれず、結果このような事態に…。」
なんか、すごく悪いことをした気がする。彼ら片輪車は実質全滅してしまったわけだ。まあ、彼らの境遇がなんであれ僕らがやることは変わらないのだが。
「まあ、そっちも色々事情はあるんだろうけど、取引をしよう。」
「取引?」
「そう。君達は一日交代でこの岩場に配置された倒木を燃やす。そして僕は一か月毎に君達に報酬を支払う。」
「我々はあなた方に隷属を強いられるのではないのですか?」
代表の片輪車は肩透かしを食らったような顔をする。
「違うよ。そんなことしても君らはやる気は出ないだろ?」
「まあ、確かに…。ですが報酬とは具体的にはなんのことですか?」
「お金だよ。それと君達が城下町で経済活動をできる環境を提供する。」
「え、ちょっとアーサー何言ってるの。そんなあてあるの?」
外野から余計な野次を入れる者がいる。というかノラだった。
「そちらのお嬢さんの言う通りです。他の物の怪ならまだしも、我らのようなヒトと何ら関係を持たない物の怪がヒトの営みに介入するなど、不可能なのでは?」
残りの片輪車も頷く。
当然の反応だがノラめ、余計なことを言わなければもっと簡単に丸め込めたのに。
「大丈夫。あてはある。ぬらりひょんって知ってる?」
「あの『商売の鬼』とも呼ばれる物の怪のことですか?確かに彼はヒトの営みの中でかなり高い地位を獲得しているようですが、彼は異例中の異例です。」
「もちろん君達に彼のようになれというつもりはないよ。君らの仕事を彼に売り込むのさ。」
「我々の仕事。ですか。」
片輪車は豆鉄砲を食らったような顔をする。
「そう。厳密には君たちの仕事の成果だけどね。要は君達の頑張りにかかってるというわけだ。」
「…分かりました。やらせていただきます。」
彼らは奴隷として酷使されると思い込んでいたこともあり、僕の提案をすんなり飲み込んでくれ、さっそく仕事にとりかかろうとしてくれた。
しかし木に対して片輪車は多すぎ、木を囲んだ片輪車と、残りのあふれた片輪車とに分かれてしまう。
「あーそこの余った君達。君達は休んでて。時間が来たら今働いてる者達と交代して。」
指示に従い、半分ほどの片輪車がこちらに引き上げてくる。残った半分は車輪部分から炎を吹き出し、一斉に木に炎を浴びせる。
「ふはははは。燃えろ、全部燃えちまえ。」
代表の片輪車はものすごい形相でかなり物騒なことを言いながら木を燃やしている。どうやらスイッチが入るとキャラが一変するようだ。
「ノラ、魔法で砂時計って作れるか?」
「できるわよ。はい。」
ノラは杖を振って灰色のガラスでできたような砂時計を出現させる。
「休憩組の諸君。この砂時計は砂が落ち切ると勝手にさかさまになる。それが交代の合図だ。いいか?交代は迅速に。一度も火を絶やしちゃだめだ。分かったか?分かったら返事は『はい』だ。」
『はい!!』
全員が大きな声で返事をする。
よかった。彼らはどこかの自称魔法少女と違って真っすぐな心を持っているようだ。
「それじゃあ後は頼んだぞ。僕は他に仕事があるから。」
『はい!!』
またしてもいい返事だ。あの双子をけしかけたことをいまさらながら猛烈に反省する。
「ノラ、次の目的地なんだけど、基地に川が流れてただろ?」
「基地?はて、何のことを言ってるの?」
憎たらしいやつだ。本当にとぼけたような顔をしている分なお憎たらしい。
「本当に分かってない奴は『はて』なんて言わない。」
「だって本当に意味分かんないんだもん。辰正さんに空き地を教えてもらいはしたけどまだ私達の基地なんてこの世のどこにも存在しないでしょ?」
「本当に面倒くさいやつだなお前は…。」
嘆息しながら僕はノラの様子を伺う。表情から察するに今回の軽口は真に受けなくていい部類のものと思われる。
「女子に『くさい』は禁句よ。あんたそのうち女の子から怨みを買って『状況にそぐわない表情になる魔法』をかけられるわよ。」
「かけるとしたらそれは間違いなくお前だ。」
断言しておこう。こいつならやる。
「まあ、私達に基地があるか否かという話は後に取っておくとして、何?あの川に行くの?」
「いや、そうじゃない。あの川の水源を探りたいんだ。」
「ふーん。まあ確かに。あれがこれからの私達の生活用水になるんだとすれば調べておいた方がいいわね。」
基本的に僕とノラはそりは合わないが意見は会うのだ。
「ちょっと待ってて。いま目を飛ばしてみてみるから。」
そう言ってノラは目を閉じる。
僕はというと、もうこの程度の発言では驚かない。大方視覚だけを遠方に飛ばす、千里眼的な魔法を使用したんだろう。
「見つけたわ。…湖みたいね。」
「じゃあ早速そこまで飛んでくれ。」
今度はノラから何の合図もなかったが、景色が歪み、数瞬後に新しい景色が目に飛び込んでくる。
それは、美しい湖とそれを取り囲む木々。そして苦しそうに頭を抱え、膝をつくノラの姿だった。