1… 魔法国家ロレーヌ公国
「―—この腑抜け共めっ‼」
春の終わり、あたたかい日差しが差し込む――ロアーヌ公国の麗らかな昼下がり。
リモード貴族街、アーデルハイトの一角にあるスカーレット侯爵夫人邸宅、通称レッドハウスには途端にけたたましい怒声が響き渡った。
貴族街の中でも隋一を誇る一等地に構えた、紅茶色の屋根をもつ豪華な一軒家の中、緑豊かな庭園に、身を縮らせた銀甲冑の憲兵が数人と——。
「もっ…申し訳ございません!ルイーズ様!」
そして、彼らに目くじらをたてる、臙脂色のドレスを纏った中年の女性が約一名。
高い位置で結いあげられたその髪は燃え上がる炎のように赤く、唇はボルドーのルージュをあしらっている。
すましていれば妙齢の美しい婦人だが、その顔も今や怒りにより恐ろしく歪み、化粧で隠した皺も深く刻まれている。
冒険者を上がった後は起業で成功し富を得た成り上がりの元剣士の彼女はプライド高くやや短気で、気性が荒い——彼女の怒りに触れればロアーヌの地も揺れる、ついでにロアーヌ公すらも揺すれるとかどうとか。
怒りも露わに立ち上がる彼女の傍らには、白いアイアンのガーデンテーブルとチェア一式。テーブルの上には読みかけの愛読書、そして先程まで口をつけていた薔薇柄のティーカップ。注がれた紅茶は彼女の声によって波紋が広がる。
多忙な彼女の、週に一度の優雅な休日は、憲兵団のとある報告により一気に打ち砕かれたのであった。
「二度ならず三度までも取り逃がすとはどういう失態だ!あんなコソ泥一匹もまともに捕まえることが出来んとは…ローゼンレーヌ公直属の憲兵団が聞いて呆れるわ!」
「で…ですが、我々だけはとても簡単には……」
「御託はいい!つべこべ言い訳する暇があったら、冒険者でもなんでも片っ端から集めてヤツを探しだせ!」
「はっ…はひっ!」
兵士たちは逃げるように早々とルイーズ家を退散した。
「おのれ、泥棒猫めっ…!」
紅い魔女は、握っていた羊皮紙をぐしゃっと握り―奥歯をぎりりと噛みしめた。
◇
森林地帯を抜け、途中荷馬車に拾われ、ゴトゴト揺られること数時間。
「——お嬢さん方、そろそろだよ。」
麦わらをかぶった主人の声に、少女は荷台から顔をのぞかせる。
少女の身長は低く肢体は細く華奢な体つき。
その小柄な体を纏うのは、首元に繊細な花柄の格子模様をあしらったハイネックのクラシカルな白いワンピース。裾丈は長く、ふわりと彼女の太腿下まで覆っている。
そしてさらにその上からは胸元にベビーブルーのリボンを提げた真っ白なケープマントを羽織っている。
清楚さに包まれた可憐な治癒術士は、十三ほどの幼い少女。
しかし子供にしては、その面持ちは凛々しく、利発的な淡いアイリスの瞳は目的地を見つめていた。
穏やかな風が、腰まで届く、星のように白銀の煌めきを帯びた紫陽花色の髪をさらっていく。
そしてその頭には銀の髪飾り、星謳いの紋章がきらりと光る。
「ロア様、ザックスさん。そろそろつきますよ。」
そう言って荷台に寝っ転がる二人の男衆の足を揺すると、ようやく相方の剣士と連れの戦士は目を覚ました。
イレーニオスのアルカディナ中東大陸に付随する、魔法国家ロレーヌ公国。
フェルディナント・シュトレーゼ・フォン=ローゼンレーヌ公が統治するこの国の中枢には碧豊かな広大な山々のど真ん中に切り拓かれた、中立都市と呼ばれる魔法文学の礎――通称、"紅の都"・リモードがある。
創国者の初代公爵は最初にテラ鉱物を発掘し、そして魔法機器の開発に携わった第一人者。
テラの研究から魔法機器の開発まで、魔術やテラに関することはいち早く、小国ながらそれらの発展により、この国は潤ってきた。各国の商人が押し寄せる商業地域として発展する他、リモードは数々の名だたる武器職人や錬金術師、冒険者たちを輩出してきたことでも有名だった。
ウィストリアを出て約一週間と3日。
一行はようやくロレーヌの領地へ足を踏み入れた。
◇
門を抜け、主人に礼を言い別れ、一同はリモードに降り立つ。
リモードは円形上の石壁で囲まれており、門を抜けた先には石畳の大通りと、シュトレーゼ家の家紋でもある紅薔薇をイメージした、赤いレンガ屋根で統一された切妻屋根の木造家屋の街並みが広がる。そして、背後に聳えたつ山々を控えた斜面にも紅色は散在し奥行のある景観を作り出していた。
リモードはふたつの層で領域が区切られていた。
ひとつは、魔術師界の最高権威であるリヒャルト魔法学院、古代図書館を中心に裕福な民が住居を構える閑静な住宅街、アーデルハイト区。
そしてもうひとつは、ギルド総本部、鍛冶職人、錬金術師…職人たちが日々腕を磨く工房や商人の市場が集う賑やかな下町、フリューゲル区。
上に向かう道ほど急斜面が多く、細く入り組んだ造りだが、箇所によって違う街色を見せるその景観美は素朴ながら美しい。
人が溢れるフリューゲルの石畳を踏みしめながら、やや興奮気味にロアは呟く。
「魔法都市と聞いていたから、もっとお堅いイメージだったが、これはなんとも活気に溢れた良い町ではないか。」
「そりゃそうさ。なんたって、この街を潤すのは冒険者あっての富だからな。雇い主も貴族様が多いし、やっこさんたちも俺たちを信頼して任せてくれる。まあそれはギルドを通してだけど。貴族と平民でいがみあいがあるのはお隣さんくらいだ。」
人種、出生関係なく多種多様なイレーニオスの住民が集う、賑やかな中央都市——それがリモードだと、ザックスは語った。
一方——ニーナはというと、二人の話に耳を傾けつつ、きょろきょろとやや興奮気味にあたりを見渡していた。
「ニーナ、あまり遠くに行くなよー」
「大丈夫です、子供じゃありませんし。」
ロアの注意に、流すようにニーナは背を向けたまま応えた。
「いや、子供…なんだがな。」
「たはは、初めて来たんなら無理もないよ。まあ裏路地でも危ないとこは本当に少ないし、そんなとこ行かなきゃ何もないさ——おばちゃん、リンゴひとつね。」
「あいよ。——あんたイイ男だねえ、もう一個サービスしちゃうわ。」
「おっサンキュ、ほらよ——ロア」
彼が投げた林檎をロアが受け取った——その時。
「——ドッ、ドロボーだあっ!!」
突然人ごみの後ろから男性が大声を挙げながら走ってくる。
——しゅた、しゅた!!
そして——男性が追っているであろう、小柄な黒い影は横に上に、屋根を跳ねては人の足を掻い潜り、高速で移動していた。
「だ、誰かそいつを捕まえてくれ‼」
「よし!僕に任せろ!」
ロアはすかさず構えた——が。
「———げはっ!!」
「お、おいロア、だいじょ——おふっ!!」
がん!!ごん!!!
影は捕まえようとしたロアの顔面に蹴りをくらわせ、続いてザックスの腹に頭突きをし、ニーナの目の前に着地する。
ふさふさの太い尻尾、下にぺたんと垂れた長い耳。紅い瞳。
それは、真っ黒な子ぎつねだった。
キツネは一瞬だけニーナをちらりと見つめると、すぐに踵を返し華麗に去っていった。
「な、なんひゃ…今のちっこいのは……。」
ロアは真っ赤に腫れた鼻を抑えながら、呆然とその場に座り込んでいた。
ニーナは、ぽそりと「なさけない」と呟いた。
「くっそ…また逃げられたよ!あの泥棒猫め…っ!」
息を切らして膝に手を付いた主人は、諦めた様子で元の店へ戻っていった。
「ってて……なんだあ、さっきの。」
「やだねえ…また盗みかい」
道端の住民たちが怪訝そうに顔を見合わせる。林檎売りの女将がロアたちに声を掛けた。
「あんたらも、気をつけたほうがいい。最近は多いんだ、盗みだのひったくりだの」
「へえ…フリューゲルで犯罪か……。あまり聞かない話だな。」
下町といっても、フリューゲルは小汚い町ではない。
名誉と印象を第一にする冒険者や職人たちが住まうこの土地では、自ら自分を貶めるようなことはしない。そういうことをするのは、大抵ギルドにも属さないならず者だ。
女将は腰に手をついて、悩まし気に言う。
「下町だけの話じゃない。——最近は、リモードに着く荷馬車まで襲われてるって話だ。まったく、こちとらいい迷惑さ。」
「ふむ、なんとも物騒な話だな…。」
「しかもここだけの話――つい先日の夜、シュトレーゼ家の秘宝である薔薇が奪われたって話さ。なかなか憲兵団が追いつかないもんで、しびれを切らしたスカーレット様が冒険者にも要請をだしてる。報酬もなかなか高額だよ。」
『報酬』の二文字に、あからさまにニーナとロアの顔がぴくりと反応をして見せた。
そしてザックスが背を向ける。
「―—んじゃあ、俺はそろそろ行くわ。依頼主に報告しなくちゃなんないし。」
「ああ……そうか、ザックスは仕事があるだったな。」
ニーナとロアは、少し動揺した。
頼もしい彼はずっといてくれるような気がしてしまっていたのだ。
「——それでは、お元気で。」
「ああ、あんたらもな。また逢えたらその時はよろしくな。」
三人は互いに握手を交わす。がっしりとした彼の手を放してしまうのが、ニーナは少し名残惜しい気がした。
にかっと爽やかに笑うと、彼はフリューゲルの人ごみへ消えていった。




