3… 海の女帝と海の王
外は雨。空は鼠色に曇り、荒れた波が船を揺らす。
——姉貴が死んだあの日も、こんな天気だった。
カンテラの灯りがぼうと揺れる船長室で、俺は昔を思い出した。
姉貴は、首領時代に呪いを受けていた。
躰を徐々に蝕み、腐らせる呪いで、ローレンスと出逢った時には既に片腕は骨化していた。それを隠すように義手をつけ、次に出逢った時は片腕は武器となっていた。
『ようやくこの腕がまともに使えるようになったってもんだ。——もしかして、これは天命だったのかもね。仲間を護る為に使えというエーギル神の思し召しさ。』
大海原を見て、眩しい瞳でそう語ったことはいまでも鮮明に覚えている。
かつて"アズール海の女帝"と呼ばれ恐れられていた姉貴の面影は、その時の彼女にはなかった。
元から子供っぽい人だったけれど、あそこまできらきらした眼差しで俺に仲間の良さを語った姉貴を見て——そんなに旅は、仲間はいいものなのかと不思議に思った。
当時の俺は、女帝の姉貴を追いかけることしか頭になかったから。
姉貴が最期の闘いで死んだことを風の頼りで知った。
ローレンスは直接会いにこなかった。
それが一番悔しかった。
詫びにいれにこいなんて、思わない。
ただ、姉貴がどうやって散っていったか。
それだけ知りたかった。
姉貴は死んだのに、あいつは英雄とちやほやされて。
名誉と財を与えられて、のうのうと生きてやがると知って。
何年も経っても砦に訪れないローレンスを見限って、俺はもし会うことがあったとしたら、その時はぶん殴ってやるつもりでいた。
——なのに。
「なんだっていうんだよ……!あの府抜けたツラは……!!」
ムカつく。無償に腹が立つ。
なんであいつが、なんだって、あんな顔をしてやがる。
あれじゃあまるで——。
「あの人もあの人で、苦しんでいたのですよ。」
「……んあっ!?」
俺の後ろには、いつの間にか拘束したはずの銀髪のガキがいた。
「な…なな、なんでてめえ、ここにいやがる!?どうやって抜け出した!?」
「なに、ちょっと隠術を嗜んだだけですよ。このくらいお安い御用です。ロア様に会うまでは暇で暇で仕方なくて気づいたら覚えていました。
さらっと言ってのける彼女の手には、小さな針金とナイフが握られていた。
「まさか、あいつらも逃がしたんじゃねえだろうな!?」
「―—いえ、あの人たちは疲れて爆睡しているので放っておきました。起こすとなにかと面倒ですし。特にロア様。眠って頂いた方があのネチネチ発言を聞かなくてすみます。」
「ロア様ねえ…へえ、随分と仲良いもんだな。」
「いやいやいやいや、言うほどじゃ御座いませんよ。」
「……そんな全力で拒否ってやるなよ。」
「嫉妬してるんですか?」
「はあ?なんでてめえらの仲なんざ…」
「―—違います。姉君のことですよ。ロア様が姉君を連れていったことが、そんなに憤慨ですか?」
「……ふん、そりゃあ気に入らなかったさ。当時の深紅の爪は軌道に乗ってたからな。どこを渡り歩いても、田舎だろうか港町だろうが皆が姉貴を称えて毎晩酒を呑んで。だから俺は元々反対だったんだよ、それでも姉貴は——あいつに付いていくって決めたんだ。」
「そして、貴方に深紅の爪を託した——。」
「ああ……。」
「なぜ、今のような在り方にしてしまったんですか?」
「そんなの、俺は分かりやしねえ。ただ、気づいたら——この道を走ってた。」
俺はぎり、と歯を噛みしめる。
「もう、やけくそだったんだよ…っ!!俺はっ俺は……っ俺なんかじゃ、こいつらを引っ張っていくなんて、できなかったんだ…っ!!」
——そう、結局。
姉貴が常に傍にいて、姉貴の下で偉そうにしかできない俺は。
姉貴を亡くした途端、なにもできない自分に気付いた。
不甲斐ない自分。甘えていた自分。姉の名にあやかって、くっついていただけの"弟"としての自分——。
俺が俯いていたその時、
すっぱあああああんんん!!!
物凄いビンタが、俺を吹っ飛ばした。
受け身もなにもとってない俺は、ごろごろと転がった。
「んな…な、なにすんだよこのアマッ!!女だからって甘くみてればこのっ…」
「——おっとすみません。あまりの女々しさに相方を思い出しまして、つい手が。」
俺の怒声に悪びれもせず、ガキは仁王立ちした。
「あまり人様のことに首を突っ込みたくはないのですが…。」
その顔に俺は途端に硬直する。
ガキの形相は、怒り狂った女帝・姉貴と瓜二つだった。
「勝手にお姉さんのコネで不良ごっこした挙句暴走しておいて、後戻りできないと知ったら投げ出す?仲間を率いる上司がそれでいいと思ってやがりますか、この恥知らず。」
ぴしゃりとガキは俺を咎めた
「な、なっ……」
「面汚しもいいとこです。貴方が今やっていることは、姉君が一番嫌がっていたことなのではないのですか。」
「―—っ…!!」
「今の貴方は、姉君が守ってきた誇り高い深紅の爪を穢しているだけです。」
「——……っそんなの、そんなの、俺だって…分かってる…っ!」
姉貴がいない世界で、必死に帆を張るのは並大抵のことじゃない。
もっと強く、もっと勇ましく、もっと荒々しく——姉のように、姉を超える存在に。そして気づいたら、俺は姉貴が最も嫌っていた邪道へ仲間を引っさげていってしまっていた。
「でも…俺はもう……」
「過去にやってしまったことは仕方ないです。今見えるのは今の世界しかありません。貴方が今見えている海を見据えるしかありません。——汚名挽回をしたいというのならそれなりのリスクを背負ってでも、生きるしかないのです。」
ガキのすみれ色の瞳は、まっすぐに俺を捉えていた。
不思議だ。なんで俺、こんな話をこいつにしてるんだろうか。
今更馬鹿らしくて、ふっと笑ってしまう。
「けっ……ガキに説教くらうなんざ、やっぱり俺はまだまだなんだな。」
「ええ、まだまだです。私も、貴方も。」
ガキは言葉を切って、続けた。
「ロア様の事が憎いですか?」
「……なんていうかな、うまく言葉で言い表せねえんだ。俺は、あいつはてっきり姉貴のことを忘れて生きてるんだと思ってたからさ。」
「……ロア様は——…」
ガキが何かを言おうとした瞬間——
ご、ごごごごごごごごごごご
海の底から這いずるような音が、夜の海に響き渡った。
「なんですか、これは——…!」
「ちっ…いよいよ現れやがったか、化けモンめ……っ!!」
俺は急いで甲板にでる。
同時に、揺れに気付いた手下共が地下や寝室から、わらわらと押し寄せる。
「お頭!!こいつあ、例の魔物ですぜ!!」
海を覗きみて、手下が声を荒げる。
船が大きく横に揺れる。大荒れの波が横殴りに船を揺らす。
徐々に増す揺れと共に——泡立つ水面から何かが這い出てきた。
「ここで会ったが百年目……待ってたぜ!!」
浮き出る八本の触手。
夜の闇に妖しく光るふたつの目玉。
目の前に対峙したのは、全長10メートルほどもあるバカデカいイカだった。
「なんですかこれは…っ!?」
「西海の王、クラーケンだ。昔姉貴が倒し損ねた相手でな…以来、ずっと俺はこいつを探していた。」
「待ってください!こんなモノを一人で相手にするつもりですか——!?」
「あったりめえだ!これは姉貴の敵でもあるんだ——俺がやらずして誰がやる!」
「お、お頭っ!!いくらお頭でも一人じゃ無理ですぜ!!」
「うるせえ!!てめえら、手出しするんじゃねえぞ!!」
「ダメです、リオネルさん!!」
ガキの声が遠くで響く。
俺は声を挙げ、姉貴の剣を構え突っ込んだ。
この時を俺はずっと待ってたんだ――逃しやしない。
こいつを殺して、俺は頭としての示しを見せるんだ。




