1… ニーナ
「ああ、もうやってられっか!」
修練の最中―—とある冒険者の相方は、辛辣な言葉を吐き捨て、自身の武器を放り投げた。
「俺は別の相方を探す!悪いが、もうアンタとは付き合ってられないよ!」
「そ、そんな…ロイドさん!待ってください!」
怒り狂う彼の耳には、引き留めの言葉も届かず、彼女の相方は途端に別れを告げた。
およそ十三ほどの幼い少女は、荒れ地にたった独り残された。
後ろから虚しく通り過ぎていく風に、腰まで伸びた、星のように白銀の煌めきを帯びた紫陽花色の髪が、さあ、となびく。
「ああ…また、こうなってしまいました。」
徐々に遠くなる逞しい剣士の背中を見つめ、ああ…これで私の元を去っていった冒険者は何人目でしょう、と少女は落胆に肩を落とす。
彼女の身長は低く、肢体は細い。その小柄な体は、華奢な肩から雪のように真っ白なマントがすっぽりと包み込んでいる。
その下は襟元に繊細な格子模様をあしらったハイネックの白いワンピース。裾丈は長く、ふわりと彼女の太腿下まで覆っており、小さな脚はフリル付きの短いソックスとエナメルの革靴を履いている。
それなりのレベルを示す上等の治癒術士専用の装備。
――だがその背中は、今やただ悲壮感を漂わせていた。
この世界、イレーニオスに降り立って早1年。旅を共にした冒険者は数知れず。
「いつになったら、私は元の世界へ帰れるのでしょう…お母さん。」
——幼い治癒術士・ニーナは淡いアイリスの瞳を細めて、途方もない眼差しで空をただ仰いだ。
◇
私がこの世界にやってきたのは、ちょうど一年前のこと。
——イレーニオス、この世界はそう呼びます。
オンラインゲームの世界でもなく、妄想でもない。
ある日を境に、目を覚ました頃にはこれが私の現実世界となっていました。
しばらくはまだ実感は沸かなかったけれど、数日も経てばこれが現実だとすんなりと受け入れられました。寝ても起きても風景は変わりないから、無理にでも納得する他ありません。
私が目を覚ました場所は、魔物が蔓延る野原でも山奥でもなく、運よく平和な街中でした。親切な住民の方々は、この世界について色々と教えてくれました。
イレーニオスの地理、言語、情勢――そして、いわゆる"魔法"の存在について。
どうやら、元の世界へ戻るには冒険者として旅をしなければならないということで、あいにく戦闘の才能がない私は相方になる冒険者を募集して、回復支援として相方を補助する形で旅をしていました。ちなみに、司祭様の話によると、外界からの使者でこの才能を持つ者は稀だそうです。
私は急いで帰らなければならないのに。
それなのに一向に、旅がすすむ気配はしません。
それというのも、どの冒険者もクソがつく程度胸も技量もないのです。
ある者は技も魔術もスキルは素晴らしいのにやる気がなくてマイペース。
ある者はレベルが足りないのに、身の程知らずに半端に手をだして死にかける。
ある者はいいところまで来たというのに、強固な敵を直前に怯えて逃げる。
先ほどの冒険者は、見た目はイカツイ上度胸もあるのに魔術がてんで扱えない上に、敵の攻撃の見極めもできずただ特攻していくおバカさんだったので、私がせめて自己防御魔法くらい扱えるように修行させていたらプライドが折れてブチ切れ去っていきました。
そうこうあって、いつの間にか私は「イレーニオスいちの最恐ヒーラー」と囁かれるようになってしまいました。魔術もまだまだ半人前ですし、まだ13にも満たない幼きか弱い少女を鬼畜呼ばわりとは失礼にもほどがあります。
まあ確かに、場数の経験値だけはそこら辺の冒険者よりは上回ってはいますが…。
そんな噂がひとり歩きしているせいもあって、冒険者たちも私を避けるようになってしまった現状では、相方を捕まえるのにも一苦労です。生まれつき白髪紫瞳の、この見た目では尚の事、目立ってしまいます。
中級魔術が扱えるようになり、せっかく神殿から上等なシルクローブを授かったとというのに、私はいまだに初心者時代の古びた麻のローブを上から纏ってフードで髪を隠しています。
——私は、早く帰りたいのです。
元の世界ではお母さんが、たったひとりで待っています。
大好きなお母さんの顔が浮かんで、目がしらがじいんと熱くなってきました。
「…いけない、泣いてはダメ。」
思わず溢れそうになった涙を堪え、そう自分に言い聞かせます。
荒れ地でひとりぽつんと残された私は、仕方なく近くの街へ向かって歩き始めました。
…
到着したのはイレーニオスの東、ウィストリアの片隅にある村、クヴァルム。
聳えだつ山々に取り囲まれた、静かでのどかな木造りの家並みを、春の訪れを吸った空気はやわらかに包み込んでいます。
こんな田舎には、強固な冒険者などいないかもしれませんね。
それでも一応、張り出しを見に酒場に入ります。
私が入ると、周囲の人はあからさまに白い眼をして、少し距離を取りますが、気にしません。元の世界でもあまりいい思いはしていませんでしたが、この世界でも外見や年齢による偏見は多いです。
ファンタジーの世界というのは、派手な人種や人外ばかりが溢れる俗世だと思っていたのですが、イレーニオスに住む大半の人々は意外と地味です。金髪や茶髪、赤髪や、やや緑が掛かった銀髪は見かけますが、アニメやゲームの登場人物のように、はっきりとした色合いを纏った人は見たことがありません。瞳も同じく、全体的に濃淡が重くてリアリティがあります。
なので、以外と私のような者は少ないようで、私と初対面の方はエルフとダークエルフの混血種だと思われたり、街を歩けば魔物でも見るかのような視線を多々浴びます。先天性白皮症がこちらでも差別を受けるというのは、こちらの世界に来て一番のショックでした。
まあ、見た目のことでとやかく言われるのは慣れっこなので気にしませんが、子供扱いされるのが一番面倒です。
髪はフードで隠せますが、身長だけは誤魔化せません。
私はお店の定番メニューに脇目もふらず、掲示板を見つけるなり、さっそく覗いてみます。
どの酒場にも必ずと言っていいほど設置されているコルク版の掲示板には、地方便によるたくさんの依頼の羊皮紙が貼り付けてあります。数ある依頼を避けて、"相方募集"の一覧を眺めてみますが、どれも逢っても期待できなそうな、微妙なつぶ揃えです。
私は諦めて少し休憩することにして、カウンター越しにご主人に声を掛けました。
「ポルトーゼのミルクひとつお願いします、蜂蜜とシロップ多めで。」
背中を向けて作業していたご主人は、こちらを振り向くなり、少し驚いた顔をしましたが、「――あいよ。」と穏やかな返事で準備をしてくれます。
数秒で、木製のジョッキに注がれた、湯気漂う温かいミルクが目の前に差し出されました。疲れた体にはこれが一番です。
「お嬢ちゃん、見たところずいぶんと若いけど、冒険者かい?」
「ええ、といっても相方募集中なのだけれど。ねえ、ここらで暇人な冒険者はいないかしら。できれば戦闘要員で、ある程度場数踏んでて、そこそこ火力あるような、扱いやすい人材。」
「そ、そんな便利な冒険者なかなかいないと思うが…うーん、そうだな。そういえば、その昔活躍した英雄が近場に住んでいるって噂は聞いたことあるよ。」
「英雄?」
「ああ。その名も白き狼、ロア・コフィン。その昔、数多の敵をなぎ倒し、最年少で富と名声を築き上げた大物だよ。」
「白き狼…聞いたことがあります。確か、皇族の騎士だったとか。」
「そうさ。今は隠居しちまってるがね、元々はオークの住処だったグリンツ洞窟の奥深くにいるって話さ。」
「…ふむ。行ってみる価値はありそうですね。いい情報、ありがとうございます。」
「—ああ、待ちな。やっこさんが住んでるのはなかなか厄介な場所だよ。グリンツ洞窟付近にはまだ追い出されたオークが蔓延っている。お嬢ちゃんひとりだけじゃ危ないと思うが。」
優しいご主人の親切心は、少しだけ私の悪戯心をくすぐりました。
「——ご心配無用です。」
振り向きざまに、私は笑顔で応えます。
「こう見えて、私はうたれ強いのですよ。」
私の微笑みに、ご主人は少したじろぎました。
「そ…そうかい。まあ、十分に気を付けるんだよ。」
「ええ、ありがとうございます——ご馳走様です。」
ミルク分の代金、銀硬貨2枚をカウンターに支払って私は酒場を後にしました。




