決壊
プーランクに捧ぐ。
僕は「街」を捨てて、「河原」に住むことにした。そうして、一年が過ぎた。
「河原」では、僕にするべきことはなく、やりたいこともなかった。ただ毎日、川面が揺れて反射する光の断片を見つめていた。
土手には、少ないながらも僕と同じように「街」を捨てて住み着いた人達がいた。僕はそのうちの一人、「げんさん」と顔見知りになった。「げんさん」は気のいい人で、河原で生活するすべを、僕に教えてくれた。見た目の恰好はズタボロで、何歳なのか判別がつかない。あかぎれた顔の中で、瞳だけ、妙にギラギラと輝いてみえた。
「河原」の生活は過酷だった。川の魚は殆ど食用に適さなかった。「河原」に自生する植物が主な食料だが、食べてしまうと危険なものもあり、その選り分けを教えてくれたのも「げんさん」だった。近くには少ないながらも、食料品店があり、その店で捨てられた廃棄食料も貴重な食料源で、人間らしい食物が唯一手に入る方法だった。しかし、この方法はリスクを伴うもので、警邏中の人民服を着た兵士に見つかると連行されてしまう、そして実際、そうして連れ去られた者は、二度と戻ってこなかった。兵士は何の前触れもなく現れたし、音もなく消え去ってしまうため、現れることを予測することが困難だった。
川下には大きな橋があり、その橋の中央には、灰色の巨大なビルが建っていた。高さは100階層を超えているように見え、間近で見上げると、天と地が逆転しているように錯覚して、自分の方が空に落ちて行ってしまうような気がした。「河原」の住人達はそのビルを「塔」と呼び、橋とビルをまとめて「橋の町」と呼んでいた。川は国境線であり、東京側は日本で、川崎側は中国だった。日本はある時期に国土を中国に割譲したのだった。
「塔」は夜になると、無数にある窓から白・黄・青・赤の明かりを放射して、辺りの闇を照らした。かつてはこの界隈も民家があり、それなりに明るかった(らしい)が、今は「塔」以外で光を発している建物は皆無であり、昼夜を問わず、出歩くものに出会うのは稀だった。窓の明かりの先には人の動く気配がなく、原色の明かりに彩られた「塔」はさながら巨大な幻燈のようだった。
夜明けがちかづくと窓の明かりは力を弱め、日の出の光が、「塔」の輪郭をはじめは黒く、やがて赤々と照らし出し、まるで燃えさかる一本の棒のようにみえた。
僕はこうして、ただ毎日、土手に座り、塔を見上げ、川をみて過ごした。空っぽの心の穴には、何をどれだけ投げ込んだところで、埋まることはない、そんな心には、ただ、空っぽの生活がお似合いだった。
ある朝、橋桁の近くで、「げんさん」が死んでいた。死体のそばには、食べかけの川魚が転がっていた。川魚を食べてしまったのだろうか。「げんさん」の口からは何処の部位だか分からない内臓が飛び出していた。あかぎれて黒ずんだ肌に比べて、内臓はピンク色をして、なまめかしく照り光っていた。僕は何も感じなかった。そういう風に感じた。そうしている内に、僕は眩暈がして、その場で倒れてしまった。倒れた耳元で、何か潮騒か、ホワイトノイズか、そんなものが聴こえたような気がした・・・。
どれくらい眠っただろうか?気づくと、陽は上っているようだった。顔をあげて辺りを見渡した時、何か違和感を覚えた。僕は川の浅瀬を渡り、川崎側の岸に上がり、堤防の上の歩道に立った。堤防の一部が決壊して、辺り一面、湖になっていた。川崎の幸区は一面、水没していた。遠くで、かすかに馬の鳴き声のようなものが聴こえた気がする。僕は湖の向こう側に行きたくなって、湖の切れ目を探すために、堤防の上を上流に向かって進んだ。
どこからか、音が聞こえた。僕が進むと、音はどんどん大きくなった。ある場所で、僕は足を止めた。足元の草むらの中に、赤いものが見えた。音はそこから聞こえてきている。よく見ると、それは赤いメッキを施した小さなブリキのラジオで、音はソプラノ歌手の歌だった。そのラインは、雲雀の飛ぶ軌跡のように、高く低く、危ういカーブを描いて上下した。僕はラジオを拾い上げて、ポケットにねじ込んだ。服の中から、ラジオは少しくもぐった歌を鳴らしている。もう少しで湖の切れ目に着くだろう、そんな根拠のない予測を頼りに、左手に湖の切れ目を探しながら、僕は歩き続けた。
こうして僕は、また「街」にもどる羽目になったのだった。




