第10話「カレンと仲間たち」
「雛山さんはね、私と同じサキって名前でしょ。最初はまぁ同じ名前だっていうのがきっかけで仲良くしようねってなってたの。それでお姉ちゃんとも仲良くなって……名前が同じだから私も妹だね、とか言ってお姉ちゃんに甘えるようになった。ただね、彼女あまり交遊関係が広い方じゃないからすごくお姉ちゃんに依存するようになったの。特に彼女サブカルチャーが好きで漫画とかアニメとかよく見るらしいんだけど、そういう話題をスルーせずに聞いてくれるのがお姉ちゃんだけだったというのもあるから、輪をかけて――」
薬品の匂いが仄かに香る部屋。少しだけ固く感じる白いベッドに横たわり濡らしたタオルを額に当てている。彩貴はベッドの端に座りもう一人のサキについて話をしてくれた。
「性格はそんなに悪くない……とは思うの。ただお姉ちゃんは優しかったから普通の人にはあまり馴染みのないような話題を彼女が話してくるのを全部素直に聞いちゃってたの。お姉ちゃんも漫画は好きな方だったからわからなくはないけど――だけど度が過ぎてたというか、ちょっとオタク臭くて正直私はあまり耐えられなかった」
共通の話題を持つ人が少ないと普通は悲しい。だから咲にとって話だけでも聞いてくれるカレンは天使のように見えたのだろう。いや、違うか。ここでいうなら、無償の愛を捧げてくれる肉親――姉のようにか。
「ごめんね、お姉ちゃん。初日からこれだと参るよね。右も左もわからないのに」
「確かに疲れたけど、避けては通れない道だからさ、しょうがないと割りきるよ。交遊関係取り戻したほうがいいだろうし」
「そのことなんだけどね」
彩貴は改まるように言う。
「私は無理に以前と同じ関係である必要はないと思うの。確かに前のお姉ちゃんにとってはその関係が居心地よかったかも知れないけど、今もそうであるとは限らない。だから、お姉ちゃんの好きなようにしてほしいんだ」
「彩貴……いや、だったら尚更前に仲良かった人たちと話したいよ。本当に合ってるのか確かめなくちゃ」
「お姉ちゃん……そう、わかった」
本音は、カレンの交遊関係を勝手に変更するのはよくないと思ったからなのだが、まぁそんなこと言えるわけもない。
「……でも雛山さんには気をつけてね。彼女、久しぶりっていうのもあってやっぱりどこかおかしいから」
「あはは。それは注意しておくよ」
身体を起こしタオルを取る。だいぶ気分も良くなってきたようだ。
「それじゃあ戻ろうか。授業もまだ始まったばかりだし」
「うん」
「お姉ちゃぁぁああぁん! ごめんねええええ!!!」
「……」
教室に戻るなり響き渡る泣き声。カレンの姿を確認するなり席を立ち寄りついてきた。今度は抱き着くとまではいかなかったが、僕のセーラー服の腕部分をがっちりと掴みつく。
もちろん授業中なので周りは何事だとみんな一斉に振り向く。僕は自分自身は気が強いほうだとは思っているがさすがにこの現状は過呼吸になりそうなぐらいきつい。
当然と言えば当然だが、彩貴はこの上なくイラついた顔をしていた。さっきとは違い容赦なく咲をはがしにかかっていた。
「あなた、いい加減にしなさいよ。授業中なんですけど――!」
「ぁぁぁぁお姉ちゃんんんん……」
「すみません、先生。姉を保健室に連れて少し休んでいたんですが、大丈夫そうなので授業に戻ってきました。いますぐ席に着きますので」
ぽかんとした表情の先生を差し置き、彩貴に促され席へとつく。咲はまだ何か言ってたがさすがにこれはスルーさせてもらうほかない。なんというか、まったく反省の色が見られない。
明らかな同様を見せていたが、先生は授業を再開する。正直こちらもどんな内容かまったく頭に入らなかった。何より、前の席の彩貴の貧乏ゆすりが気になって仕方なかった。
チャイムが鳴り授業が終わる。一息つこうといったところで後ろから足音が聞こえる。確認しなくてもわかる。咲だ。
「おね……」
「あ、ごめん、ちょっとトイレに行かせて」
言葉をさえぎるように言わせてもらった。さすがにこの濃い絡みに対してちょっとインターバルが欲しい。もちろん尿意も我慢はしていたが。
「そう? じゃあ一緒に行こ!」
なんの躊躇もなく咲がそう返した。
僕もあまり詳しくはないが、女子トイレって個室だろう。一緒に行く意味など無いように思うが。咲はただそれだけのことに目を輝かせてそう言ったのだ。以前も二人でトイレまで行ったりしてたのだろうか。
だが、僕が戸惑っているところに彩貴が助け船を出してくれる。咲の前に立ちふさがったのだ。彩貴は敵意丸出しだったが、咲は特に気にしてないようだ。
「どうしたの、妹さん?」
なるほど、咲は同じ名前だから彩貴のことを妹と呼ぶのか。だが、それが威圧的に聞こえたのだろう、彩貴は皮肉をこめて返す
「どうもしないよ、偽物の妹さん? お姉ちゃん一人で行きたいみたいだからあなたを止めてるの」
「なんで? 私もトイレ行きたいから同じ場所に行くだけなんだけど。それとも行くなっていうことなのかな?」
「遠いほうのトイレにでも行けばいいでしょ。今あなたを近づけるとなにするかわかったもんじゃない」
「何するって。大げさだね。確かにさっきは取り乱しちゃったけど。もーう大丈夫。本物の妹さんの心配するようなことはなにもしないから!」
「だいたいあなたは……」
言い合いが続く。正直彩貴がこんなに感情をあらわにするほうだとは思わなかったのでびっくりしている。しかし――これはチャンスだ。こちらに気が付いていないようなのでこっそりと抜けさせてもらう――。教室の戸まで離れても二人は気が付かない。そのままトイレへと向かうことにした。
「ここか」
教室二つ分ほど離れた場所にトイレを発見する。休み時間も限られているので手早く――。
「ちょ、ちょちょちょ! なにしてんの!?」
「おわっ」
急に腕を捕まれる。そのまま後ろに引っ張られ誰かの胸の中に納まった。がっちりした体型、これは男子のようだが。くっつくのはまずいと思いとっさに離れる。顔を確認すると眼鏡をかけた男子がそこにいた。
さすがに女子の腕をつかんだのは悪いと思ったのか先に男子が頭を下げる。
「ごめん、いきなり引っ張ったりして」
「え、あ、いや……」
「でも、そっち男子トイレだよ」
「!!!!」
迂闊。いつもの癖で自然とそちらに入っていくところだった。中まで入ってしまっていたら変態扱いされるところだっただろう、カレンが。
頭をかき、男子は罰が悪そうな顔をしてるが悪いのはこっちだった。むしろ感謝しなければならない。
「ごめんなさい。その……ちょっと考え事してて間違っちゃった。ありがとう、とめてくれて」
「いや、そんな……でも気を付けてね宮階さん」
「う、うん」
「……それじゃ」
そういって男子はトイレの中に入っていった。いい雰囲気かと思ったが、トイレの前でそんな風になるわけもないか。
気を取り直して、女子トイレへと潜入する。噂には聞いていたが男子便器がない! 当たり前だが――。運よく今はあまり人がおらず、空いている個室に入ることができた。洋式便座だったのが幸いだ。和式では練習してないし、男の時もあまり好きではなかった。
音消し装置が付いているがみんなは使っているのだろうか。耳をすませて――いや、他人の音を聞くなんてそれこそ変態だろう。むしろ変な気分になりたくないし聞きたくないのでそっちの音を消させてもらう。
ジャー――。
「はあ……」
無事用を足し、個室から出る。手を洗い終えればミッションコンプリートだ。
「あ、カレンちゃん」
手洗い場にいたアミィに声をかけられた。自分より先に入ってたのだろう。手を洗い終えたところのようだ。ピンク色のハンカチで手を軽くぬぐい、残った水分で鏡越しに髪の毛のはねを直している。
アミィの髪型はショートボブだ。天然のパーマが少しかかっているのだろう、ふんわりとしていて人柄までもゆるい感じに見える。身長はだいたい彩貴と同じくらいか。体型は結構細めのようだ。
じろじろ見ても仕方ないので、軽く返事して自分も手を洗う。鏡を見てみるが――やはり自分が入っている実感がまだわかないな、なんて思い更ける。髪が長くなったなどと言われたことを思いだし、ふと毛先を弄ってみた。こうしてみると自分も女の子みたいだ。
そんな僕の様子を見てアミィは話しかけてくる。
「髪、切らないとね。長いのもそうだけど枝毛結構あるじゃん。毛先もバラけてきてるし。せっかく伸ばしてキレイなのにもったいないよ」
「あはは、そうだね。せっかく彩貴が手入れしてくれてるし……やっぱ大事にしなくちゃ……」
「えっ、それってサッキーがケアしてくれてたの?」
「あ、う、うん。そうだけど……」
想像より驚かれた印象だ。もしかすると彩貴はそういうことに無頓着だと思われていたのか。はたまた、他人に髪を弄らせているカレンを意外だと思ったのか。
考えているうちに疑問の答えはアミィから出てくる。
「いやぁ、前に聞いたときは長いの大変なんだよなんて言ってたからてっきり自分でやってたのかと思っちゃったぁ。そうだよね、姉妹がいれば任せるなんてこともできるもんね」
「あ、うん。まぁそうだよ。うん」
つまり、自分でやってると勘違いしていただけみたいだ。普通髪のことが面倒と言われれば自分でやってると思うのが確かに自然か。
たが、そういうふうにカレンが言ったのなら、やはり自分で手入れしていたのでは――どうなのだろう。昨日は彩貴にやってもらってしまったから、僕も勘違いしていただけなのか。とりあえずカレンが髪に無頓着だったというわけではなさそうだ。
開始チャイムが鳴る。アミィは急ごうと早足で出ていく。僕もそれの後を追った。トイレの入り口を出ようとしたところで咲とすれ違う。
「あ、カレンちゃん、ふふふ」
などどほほえみながら入っていく。チャイムが鳴るまで言い合っていたのだろう。時間がすぎても来たということは、トイレに行きたかったのは嘘ではなかったみたいだ。
先生はまだ来ていなかった。教室に戻ると案の定彩貴はむくれていた。しかしカレンの分の授業の準備はきちんとされていた。先ほどのことも含めて彩貴にありがとうとお礼を言う。それで少しだけ機嫌が直ったようだ。ただ、咲が教室に戻ってくるとまた少し不機嫌な表情になっていた。咲は後ろの席なのにわざわざ前の扉から入り、僕の前を通って席まで行くのである。
まあ、咲は見なかったことにして机の上を見る。用意された教科書は数学。ノートの中身も見るが比較的丁寧に書かれていた。そういえば、ノートを他人が見る機会があった場合、筆跡が違うことを追求されないだろうか。――久々だからとごまかすことは前提として、なるべく似せるよう心がけよう。
数学の先生は担任の後藤先生だった。教室に入るなりまたこちらを一瞥する。気にかけてくれてるのはありがたいが、あまり見られすぎるとボロが出かねないのでやめてほしい。
授業はいたって普通だった。わかりやすいわけではないし、わかりにくいわけでもない。自分は理系の高校だったので内容はすでに学習し終えてたし、少し退屈なぐらいだ。そんな様子が授業を理解できていないととられたのだろうか、後藤先生はカレンの名前を呼び、何かわからないとこはあるかと聞いてきた。「大丈夫です」と言うと腑に落ちないような表情をして授業を再開した。
「お姉ちゃん、あんまり注目されないようにするとは言ったけど、勉強でわからないことがあったときは別に質問してもいいんだからね」
授業が終わってから彩貴にそう言われる。
「いや、う、うん」
なんとなくわかるから大丈夫、といいたいところではあったがそれは不審すぎるので控えておく。
次の4限目も終わりやっと昼食に入る。普段は弁当らしいのだが、今日は弁当を用意していないので学食だ。先ほどの三人は弁当勢なので、自分と彩貴で行くことにする。
廊下を歩いている途中で気配に気が付く。彩貴もとっくに気が付いていたようで、足早になっていくのがわかる。ちらっと後ろを見ると弁当箱を抱えて追ってくる咲が見えた。
逃げるように学食に向かうも行先が一緒なので結局は顔を合わせることになる。自分たちは列に並んでいたが、咲はそれを待つように端っこのほうで立っていた。
「お姉ちゃん、どうする?」
「どうするもなにも逃げ場はないし、やっぱり一緒に食べるのかな、と」
「別にお姉ちゃんが嫌と言えば方法はなくはないよ。ほら、椅子がちょうど向かいで2席しか空いてないスペースがある」
「いや……でもそこまででは……」
露骨に避けると良心が痛む。咲だって一人での食事は寂しいだろう。もしかしたらカレンが休んでいた間はずっとそうだったのかもしれない。彩貴に聞いてみても知らないとしか言わないが。
考えているうちにそこの席は埋まってしまった。結局、三人以上空いている席に座ることになる。彩貴とは向かい合い、もちろんのこと自分のとなりには咲が座ってきた。その行動にはまったくと言っていいほど悪びれた様子は見られない。
「わあ、お姉ちゃんはおうどんなんだね!」
「うん。まあ……」
「私のお弁当はね、今日はサンドイッチなんだ。このタマゴサンドが一押しなの! よかったら食べてもいいよ」
「はいあーん」とサンドイッチを差し出してくる咲。彩貴からの刺さるような視線を受けながら僕はそれを一口ほおばる。砂糖でも入れてるのかというぐらい甘ったるかった。期待のまなざしで感想を求めてくるが
、さすがに苦笑いしかでない。まずくはないのだが――あまり好みではない。
「これはね、はちみつを入れてみたんだ! 最近健康にいいって聞いたからオリジナルアレンジ! 一応食べられるくらいの分量にしてみたんだけど」
「はは、ははは。ありがとう」
そういいながら口をゆすぐようにうどんをすする。絶妙な塩見と出汁がより一層おいしく感じられた。僕の内心を察してくれたのか、彩貴はなにも言わず自分の食に手をつける。結局ほとんど自分が咲の相手をすることになってしまった。
結局、放課後まで咲に振り回される羽目になった。彩貴はずっと妨害をしていたのが、彼女にはまったく堪えていないようだった。しかし放課後に帰り道にはついてこなかった。彩貴に聞くとどうやら部活に入ってるからそれに行ったのではないかとのことだ。
カレンはどうなのだと聞くとなにも入ってなかったらしい。彩貴は一年のころは水泳をやっていたそうだが、家のこともあり今はなにもやってないとのことだ。実際、カレンが家事をしていたとは思えないので負担が大きかったのだろう。
「あ、でも気にしないで。好きでやってたことだから。それに水泳部って結構疲れるからさ。泳ぐのは楽しかったけど、どのみちいつかはやめてたと思うし」
帰り道でそう言う彩貴。強がりのように聞こえたが、表情は暗くはなかった。
久しぶりの学校生活、なにもかもが新鮮でいい経験になると思っていた。しかし箱を開けてみればよくわからない女の子に一日中つけまわされてしまうという散々な結果。明日もこうなるのだろうか。不安と倦怠感だけが残る。
「お姉ちゃん。今日一日どうだった?」
「……あの、前の自分ってどんな交友関係だったんだろうって」
「それは、考えないでおこう?」