1-1 王国
眼下には村があった。
交易の拠点とはならない、ただ人が寄り添うだけの集落だ。
だが、その村も今は廃墟となっている。
村を縦横に駆け巡る騎馬や歩兵が畑も家も無残に打ち砕く。たとえそこに村人がいようとも、関係はない。そこかしこで鈍い銀の刃を閃かせる者にとっては敵か、味方か。それ以外の判別をつける必要もなかった。味方でないなら、邪魔であれば斬る。それだけだ。
今、まさに戦闘が行われている場所の西。その高台に、騎馬、歩兵の軍団が控えていた。かつて村であったところを冷たく見下ろす彼らも、いざとなれば戦闘に加わるだろう。
動くか否か、その指示をだすのはたった一人に委ねられている。
そしてそこに集う彼らは、命令する役を負ったたった一人のために、ここにいた。
クロトス・ノーマンは戦局を見定めながら、横目でちらりと主である彼を窺う。
主の顔色は変わらない。始まる前も、こうして戦闘が始まってからも、王宮にいるときとなんら変わらない涼しげな眼でただ、見ていた。いっそ、呆然と眺めているといっても良いのかもしれない。つまらなくもないが面白くもない。退屈でもない見世物を見せられているような目だ。
彼の目が斬撃の応酬の響く盆地から離れる。
打ち合いが行われている中心部から隔てて、騎馬でも歩兵でもない集団が控えている。東と西の両端に、両陣営に一部隊。魔法士の軍団だ。
魔法は弓よりも精密であり、防御にも攻撃にも使えるため攻撃の補助として、戦場においてなくてはならない存在だ。相手側が魔法攻撃を行うならば当然、必要になる。
利便性はとかく高いが、弓よりも使える人間はひどく限定されるのが難点だ。
魔法士部隊には最低二人の読む者と呼ばれる役目を担う者が必要になる。読む者は使われる魔法の種類を特定する。それがどの神に属し、何の魔法なのかを調べる。攻撃魔法であるならこちらも防御魔法を唱えなければならない。魔法士部隊で最も重要な役だ。魔法の特定である探査に二人以上とするのは、属性と種類の見分けをそれぞれ別のものが行うためだ。作業としては一人で足りるが、戦場での時間は命と天秤に乗る。そして、実際に使用する魔法を唱えるにはさらに人数が要る。
読む者が運命系列の魔法、第七階梯・勝利を感知したと告げた。運命には力であればより強く拮抗できる。一人が力の名をもつ神から魔法を通す『道』を開ける。『道』から流れる魔法を二者で繋いで防御壁、第八階梯・壮麗を築く。前線に落とされるはずだった勝利が基礎で弾かれ、次いでこちら側で唱えられていた第十階梯・王国を東の魔法士部隊にぶつける。最弱威力しか持たない第十階梯では、あちらに元から張ってあった防御、第九階梯・基礎に阻まれる。が、それで気をそらしていた隙に、五人がかりで展開していた攻撃魔法・美で追い討ちを掛ける。基礎は散り散りに砕け、防御を突き破った攻撃が魔法士の集団のちょうど中心に落ちた。
これでもう、相手側の魔法士部隊は使い物になるまい。
魔法での戦局もはっきりと見えてきた頃、白兵戦を行っていたあたりも終わりが見えていた。敵影はほとんどなくなり、戦う数より逃げたす数が多くなってきている。
そうなると後始末だ。逃げる者を追い、隠れている者を探し、片付けるだけのこと。
「戻るぞ」
低い声が聞こえると同時に、主の乗る馬の首が西に向けられる。クロトスは処理をするだけの人数を残して、あとは主の護衛に回す。
主の後を追って、にわかに騒がしくなった周囲にも気を留めず、まっすぐに馬を歩かせる。
彼がここで何を見、何を知ったのかは解らない。それでも、ただ彼に付き従うのみだとクロトスは十分に自覚していた。
村へ向かう道と高台への道が合流する地点。そこに、色々なものが散乱していた。
それは男であったり、女であったり、家財道具であったり、様々だ。人間であれ、家畜であれ、生きているものもあれば、死体もある。打ち捨てられているのか、行き場をなくしたのか、自ら望んで留まってここにいるのかも定かではない者と物。
いや、ここに留まったままの生きたものは、もうすぐ死に絶えるか、親に縋らねば生きていけぬ年端もない子供ぐらいだ。分別があればすこしでもここから遠くへ逃げるだろう。
ここで泣いていても、生きてはいけない。
先ほどまで戦っていた兵がそのうちここへやってくる。
村では大して物を得られなかった者達が、何かを一つでも多く得ようとするだろう。
ならば逃げなければ。腹いせに殺されることなど、当たり前のように起きる。
呻き声が聞こえる。泣き声が聞こえる。
だが呻いてはいけない。泣いてもいけない。
兵隊の機嫌を損ねては、いけない。
それでも声は聞こえる。
どうしても漏れてしまう苦痛の叫び。泣くしかできない悲痛な声。
彼は、そんな中を通り過ぎる。どこにでもあることだ。
だが。
ふと、それが目に入った。
道の片隅で。置き捨てられた荷物の間にひっそりと隠れるように。
死んだ男の体に泣き縋る少女。
汚れたフードの隙間から煤けたグレーの髪が覗く。
十代半ばぐらいに見えるその少女は、服を、顔を赤に染めながらただ、泣いていた。
それだけ大きければ十分な分別があるはずだ。それなのに逃げもせず少女は頼りなく、おそらくは、親にすがり付いていた。
それは、珍しい光景かもしれない。
しかし、ただそれだけのことだった。
きらびやかな建物と、きらびやかな衣装と。
優雅に靴音を響かせ、美しい金の髪が翻る。
誰もがほう、とためいきをもらす美貌の女性はまっすぐに彼の前まで歩み出て、美しい所作で臣下の礼をとった。
彼女が言うより早く、彼が言った。
「貴女は私の臣下ではないでしょう?エムリア公爵」
「申し訳ございません。少々気が早ってしまったようですね。ですが、それは殿下も同じでしょう?わたくしはまだ、公爵ではございませんよ?」
爵位を持つものは等しく国王の臣下であり、爵位の僭称もならない。
冗談として用いるには胆の冷えるお題目だ。
お互い、冗談のように交わしているが決して言葉遊びで済ます腹積もりは、ない。
王も、現エムリア公爵も。そこに居ないとはいえ、ここはコールトン王国の王城だ。笑って済まされる話ではないというのに、謁見の間に居並ぶ貴族たちは驚くことすらしなかった。
「失礼を、公爵令嬢」
「いいえ。お気になさらないで、わたくしの殿下。
何しろこのたびの武勲について、お祝い申し上げに参りましたのですから。
バストア国境線、制圧いたしましたそうですね。おめでとうございます」
「耳が早いですね。私も先ほど知ったばかりなのですよ。村をひとつ落としたことしか陛下には報告していないぐらいです。どこでお聞きになったのやら」
「怖がる必要はございませんわ。わたくしは殿下の味方。
それに、ふふふ──────風の噂、というものですもの。婦女子の下らぬ憶測ですわ。きっと殿下なら成し遂げてくださると、皆思っていたのでしょう。
あのようなおぞましい国に正義の鉄槌を下してくださると」
「バストアの驕慢は正さねばならない。
彼の国は自らを【運命の神】から命を賜った国と騙り、神の名を汚した。その行いは神への反逆だ」
「そのとおりですわ。創造主を【運命の神】と偽証し、本来の創造主である【太陽】と【月】を貶めたうえで。
ですが長い間。それこそわが国が起こるよりも前からバストアの行いを正すことができませんでした。
これはその偉業への布石です。
まずはその手始めの勝利、お祝い申し上げます」
「公爵令嬢の言葉、ありがたく頂戴しましょう。
まるで貴女に、その言葉を頂くために戻ってきたようなものですね」
「それでは、もう戦場にお戻りに?」
「東側が少々落ち着かないようなので。
準備が整い次第、また進撃するつもりですが」
「よければわたくしもお手伝いいたしましょう。
追って殿下のところまで馳せ参じますわ。
少し、時間がかかると思いますので、物資だけ先に送らせましょう」
「それは有難い。
ところで、遅れる理由とは?」
ふふ、と女は髪を揺らせて、笑った。
「これも──────風の噂、なのですけれど」
彼女は噂、などという不確定なものだと言う。
だが、艶やかにほほえむその顔は、揺ぎ無い。
「もしかすると──────わたくし、公爵になるかもしれません」
二人の兄を差し置いてそんなはずはありませんわね、と彼女は笑う。