チャプター4 謁見
北斗とエリーサは、ついに追っ手を振り切った。
カルガディア騎兵はまだ二十騎以上残っていたが、峠の頂からこちらを見下ろす姿が彼らを見た最後だった。
ふもとに街があるのを目にして、追撃を断念したのだろう。パラパラと矢を射かけてきたものの、すでに距離が開いているので、それは二人のだいぶ後方に落ちたのである。
二人がようやくたどり着いた街はトリポールという。その太守を務めるのは信用できる人物だった。エリーサの父の、古い友人なのである。太守は、まだ彼女が幼いころに会ったエリーサのことを覚えていた。
エリーサの報告によりマデッサ城の危機を知った太守は、即座に、二人に護衛を付けて送り出すことを決めた。そして傷を負った彼女のために、治癒の魔法が使える神官を呼んでくれたのである。神の恵みによる癒しを受けて、エリーサの傷は、全快とは言わないまでも騎行に差支えない程度まで回復したのだった。
二人の任務は時間との戦いだ。太守が護衛を手配する間に少し休んだだけで、午後にはもう出発したのである。
凶悪な侵略者の手も、まだここまでは及んでいない。トリポールの街から王都までの道程は整備された街道だ。そこを十人余りの騎士が一団になって進んでいるので、野盗などに襲われる心配もなかった。
一行はまた馬を替えつつ先を急いだ。街道を行くだけに、道中には街が多い。替え馬も疲労してくると、北斗はその土地の役所に赴き、新たな馬を求めることにしたのである。中には北斗とエリーサに胡散臭げな眼を向ける役人もいたが、侍中、すなわち国王の側近であるレルグ直筆の書状を見ると、すぐに馬を用意してくれたのだった。
馬を労わりつつも急がせて、マデッサ城を出てから四日後のこと。北斗とエリーサは無事、王都を一望する丘の上に立つことができた。
建都以来九百年になんなんとする、大陸でも有数の歴史と伝統を誇る古都ローウェル。
くすんだオレンジ色に統一された屋根が甍を争い、石英や長石を含む花崗岩で作られた建物が立ち並んで、昼間であれば、太陽の光を浴びてキラキラと輝く美しい街だ。
一行がその東の城門をくぐったのは日没とほぼ同時だったが、夜は夜で、街の明かりがそこかしこにまばゆく煌めいている。
戦時下とは言っても、国境から遠いこの街では、まだそこまでの緊張感はないようだ。通りに並ぶ商店は遅くまで商いに精を出していて、酒場からは美味しそうなにおいとお客のにぎやかな声が漏れてくる。
その日も一日、馬を走らせ詰めだった北斗の腹の虫が鳴ったが、とにもかくにも、国王への報告が先だ。
もう夜なので、たどり着いた王宮の門は固く閉ざされていた。
しかし、二人は急を告げるレルグの書状を持っている。それに、エリーサはもともと宮廷に務める騎士だ。衛兵たちにも顔を知られていたので、彼らは速やかに手続きをとってくれた。
そうして二人は、時を置かずに王宮に足を踏み入れることができたのだった。
◇◇◇
「輔国将軍参軍ナ…ナカムラ・ホク……ホクト、騎郎エリーサ・サイト!国王陛下のお召である!出ませい!」
二人の前に、謁見の間へと続く巨大な扉が開かれた。郎中と呼ばれる、国王の側近くに仕える侍従の一人が声高く呼ばわる。
郎中は、良家の子弟が宮廷に仕えて最初に任じられることの多い官職だ。広間に並んだ彼らには、まだ少年と言ってもよい、上品な顔立ちをした金髪の若者が多かった。
並んで進み出た二人は、マデッサの、城主の館の広間に敷かれていた物より数段上等なカーペットの上を静々と歩んだ。
許しがあるまで、目を伏せよ。玉座を直視してはならない。
国王の前に出るにあたり、最低限の宮廷儀礼はエリーサに教わっていたが、失礼のないように気をつけなければ。バイトの面接で社長さんに会うなどというのとはレベルが違うので、さすがの北斗も緊張で足が少し震えている。夜間、急な謁見であり、郎中を除けば広間に詰める文官武官が少ないのは幸いだった。プレッシャーが小さくて済む。
やがて玉座の前に達した二人は、同時に腰を落とした。片膝をついて、首を垂れる。
「二人とも、顔を上げよ」
頭の上からかけられた声に、北斗は従った。ゆっくりと顔を上げた彼は、その眼にしたものに愕然とした。
えっ……?
彼の眼の前には、二つの玉座がある。
北斗はエリーサから、この国には国王と、王妃ではなく女王がいると聞いていた。
女王ティンシアは前王の娘。そして魔王を封印した勇者の一人であるジュノ・エスカーズは、その婿として国王の座に就いたのだそうだ。
二つの玉座に今、座っているのは、当然ジュノとティンシアである。
だが、どちらがジュノで、どちらがティンシアなのか。
二人とも、陶器人形のように白く艶やかな肌をしている。そして、ショートカットにしたまばゆいばかりの金髪。ただし瞳の色だけは、片方がサファイアのごとく濃い青なのに対し、もう片方はブルートパーズのように透き通っている。
着ているものが国王と女王にふさわしい礼服とドレスでなければ、見分けがつかないくらい、二人はよく似た顔をしていたのだ。
そして。
両王の御前であるにも関わらず、北斗はパッと顔を向けて、隣にあるエリーサの顔をまじまじと見てしまった。さらには彼女の顔と、頭上のジュノ、ティンシアの顔とを何度も何度も見比べてしまったのである。
一方エリーサの方も、北斗ほど露骨にではなかったが、なぜだか北斗とジュノの顔をチラチラと見比べている。
「どうした?予の顔に、なにかついているか?」
北斗の行為は著しい非礼であったが、そう声をかけてきたジュノは怒っていなかった。
それどころか、そのエリーサと同じ顔には、サプライズ大成功!とでも言わんばかりの子どものような笑みが浮かんでいたのである。
◇◇◇
広間での謁見は、ごく短時間で終わった。
マデッサ城の危機についてはエリーサが報告を行ったが、北斗はその内容をまったく覚えていない。
この世界に来て目にした、夜空に浮かぶ三つの月も衝撃的だったが、この夜の衝撃はそれ以上だった。
同じ広間に、同じ顔をした三人が集っていたのだから。しかも北斗は、よく似た顔をさらに二人も知っているのである。
地球の二人は、まあわかる。年も違うし、完全に同じではない。「親子のようによく似ている」で済むだろう。
だが、ローリスリアの三人まで同じというのはどういうことなのだろうか。偶然というよりすでに奇跡の領域だが、それにしたって、あり得るべきこととは思えない。
地球とローリスリアとは、同じ次元を持つ並行世界なのだろうか……。
ここで待つように、と案内された小部屋のソファに体を埋めた北斗は、ぼーっと、そんなことを考えていた。もちろん、いくら考えてみても答えは出ない。
ガチャ。
突然ドアが開かれて、三つの人影が入ってきた。
そのうち二つは、また同じ顔である。平服に着替えた国王と女王が、自らやってきたのだった。
あわてて立ち上がった北斗とエリーサを、ジュノが片手で制した。
「あー、いい、いい。楽にしてくれ」
そう言うと、ジュノはティンシアと並んで二人の前に腰を下ろした。謁見の時からずっと、ティンシアはおだやかに微笑んでいる。顔は同じだが、仏頂面に戻っているエリーサとは対照的だった。どうやらエリーサは、王の御前で緊張しているらしい。
残ったもう一つの椅子は、ともに入ってきた女性が占めた。
それは、燃えるように真っ赤な髪を片側だけ編み込んだ、緑がかった大きな瞳を持つ美女だった。
白百合の刺繍が施された紺色の外衣を身にまとい、手には杖を持っている。その外衣の上からでも、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ、抜群のスタイルの良さがうかがい知れた。
彼女は「眼が似ているわね」とつぶやきつつ、北斗に向かって微笑えんだ。薔薇の香水の匂いが、ふわりと漂う。大人の女性が持つ色香に、どきりとさせられた北斗だった。
三人がそれぞれ腰を下ろしたので、北斗とエリーサもソファに戻った。
「びっくりしただろ?」
国王の開口一番はそれだった。北斗はただ、無言でこくこくとうなずくだけである。
「おまえの隣にいるエリーサはな、もともとこの、ティンシアの影武者なんだ」
確かにエリーサと初めて会った時、レルグは彼女のことを「女王御付の騎士」と言っていた。エリーサはカルガディアが侵攻してきた際、実戦経験を積むため志願して迎撃の軍に加わったものの、緒戦で敗れ、ジュノが率いる本隊ともはぐれてマデッサの城に逃げ込んでいたのである。
ちなみに女王ティンシアのフルネームは、エリッサ・ティンシア・シルレル・デ・ローウェルという。名前まで似ているのは、エリーサの方が、女王の影武者を命じられた時に改名したからだ。生真面目な彼女は、名前まで影になりきろうとしたのである。
影武者と聞いて納得したものの、それにしても似ている。ティンシアだけでなく、なぜか、ジュノにまでも。
まだ狐につままれたような表情の北斗を見て、ジュノはハハハと腹を抱えて笑った。
異世界人がエリーサと二人でやって来たと聞いた彼は、自分とティンシアの顔とを並べて、北斗の驚くさまが見たかったのである。
その表情は、魔王封印の勇者であり、一国を治める国王のものとは思われない。二十六歳と聞いているが、口調といい雰囲気といい、まるで、高校の教室でバカ話をしている同級生のようだった。
というのも、実は、ジュノは生まれついての貴族ではない。
実家は裕福な宝石商だというが、もともとは平民なのである。しかも、出身はこのローウェルではなく、隣国シュロンだ。それが魔術の腕一つで宮廷魔術師まで昇り詰め、魔王封印の功績もあって王女ティンシアと結婚し、彼女の女王即位とともに同格の国王となったのだった。
ジュノのいたずらは成功した。確かに、北斗はこの夜、口から心臓が飛び出るかと思うくらい驚いたのである。
ただし、当然のことながらジュノは知らない。北斗が驚いたのは、ジュノとティンシア、そしてエリーサ、三人の顔が似ていたからだけではないということを。
「あんた、本当にサプライズ好きよね。こんな夜中にティンシアちゃんまで引っ張り出して、びっくりさせようってんだから」
呆れたように言ったのは、外衣の女性だった。「ま、確かにおもしろかったけど」と、そう言う彼女の顔にもいたずらそうな笑みが浮かんでいる。
女性は、ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア――「ヴェル」と呼んでくれと彼女は言った――と名乗った。宮廷魔術師兼諫大夫の官にあるとのことだったが、その口調は、国王や女王に対するそれとは思われない。
それには理由があって、彼女こそジュノの、そしてティンシアの、本物の同級生なのである。もともと魔術師であった三人は、ともにローウェル魔法学院の純語魔術課程で机を並べていた仲なのだそうだ。
言われてみれば、ジュノ、ティンシア、ヴェル。三人がお互いを見やる眼差しには、王と臣下の関係を越えたなごやかさが感じられる。ジュノとティンシアは夫婦だからともかくとしても。
ヴェルが務める「諫大夫」とは、国王に過ちがあれば諫めることを職務とする。国王や皇帝が独裁的な権力を持つ専制国家において、ある意味で最も重要と言える役割をもった官職だ。ジュノは即位以来、この官職を重要視して、国王に対して何を言っても、どんな口を利いても許される不逮捕特権を与えていた。ジュノ自身がそれを望んでいることもあり、ヴェルは公式な場でさえなければ、彼に同級生のままタメ口で接しているのだった。
一国の国王・女王と宮廷魔術師というお偉方ながら、親しみやすそうな三人に甘えて、北斗は尋ねてみた。
「女王陛下とエリーサ卿が似ている理由はわかりました。ですが、国王陛下と女王陛下も、お顔がそっくりでいらっしゃいますよね」
「それはね……」
呆れたような顔をしつつ、ヴェルがその理由――両王の馴れ初めにまつわる話を教えてくれた。しかしそれは、聞いた北斗が反応に困るようなものだったのである。
北斗はマザコンだが、ジュノもたいがいだったのだ。
だが、そこまで語ると物語が長くなり過ぎる。それはまたの機会に譲るとしよう。
「……と、まあ、場がなごんだところで……」
自分の恥ずかしい秘密をバラされてしまったジュノは苦笑いをしつつ、ソファに座り直した。そして顔を引き締めると、その鷹のように鋭い、碧い瞳を北斗に向けたのである。
◇◇◇
ジュノが口にしたのは、北斗にとって、空耳かと思うくらい驚きの一言だった。
「中村北斗。マデッサ救援の話の前に、大事なことを教えておくぜ。これもサプライズになってしまうが、オレとヴェル、そしてレルグは、実は、日本に行ったことがある」
「え……?」
北斗は絶句した。その驚きは、「母に似た人がいっぱいいる件」どころではなかった。
そんなこと、レルグは一言も言っていなかった。確かに、彼の言葉にあれ?と思った一瞬はあったが――。
言葉を失った北斗に、ジュノとヴェルはこもごもに説明してくれた。要約すると、こんな感じである。
「オレ――ヴェルもそうなんだが、オレが魔王を封印した勇者の一人だってことは聞いているだろう?このローリスリアには存在しない、魔王と戦うために必要な『ある物』を探すため、オレたちは日本……というか、異世界に行く必要があったのさ」
「ローリスリアから異世界に行く方法は、確かにあるの。試してはいないから、また同じ日本の同じ場所に行けるかどうかはわからないけど……」
「だが、その方法は極秘にしている。伝説やおとぎ話としてではなく、異世界が存在するという事実、それにオレたちが日本に行ったことがあるという事実も、ごく限られた人間にしか明かしていない。北斗、おまえはマンガやアニメが好きか?そうか、それならわかるだろう。現代の地球が持つ科学やテクノロジーというのは、このローリスリアにとって明らかにオーバースペックだからだ」
「もちろん、ローリスリアにはローリスリアで、魔術・魔法の力があるわ。でも、それらは使える人間も威力も限られていて、地球のように、ちょっと訓練すれば誰でも自動車に乗れたり、ドローンが操縦できたりといったレベルじゃないわよね」
「だから、この世界の人間がそれを求めて地球に行ったり、地球の人間がこっちに来てそれを使ったりすることのないように、秘密にしているんだ」
戦国時代にタイムスリップした自衛隊が出てくる古い映画を引くまでもなく、北斗には彼らの懸念がよくわかる。彼がその眼で見たレルグの魔法「炎の渦」は、魔王封印の勇者だけあって、確かにすごい威力だった。
だが、彼の渾身の魔法は、核ミサイルの一発どころか戦闘機一機の前にも無力だろう。それくらい、ローリスリアの魔術・魔法と、現代地球の科学・テクノロジーとには差があるのだ。
ジュノとヴェルの説明に北斗はうなずいたが、一つだけ質問した。日本に行ったことがあるだなんて、そんなそぶりをまったく見せていなかったレルグの態度とその理由が気になったからである。
「レルグは……ああ、アイツもオレたちの同級生なんだが、昔から慎重なヤツでね。軽々しくおまえと日本の話をして、自分が異世界に行ったことが周りにバレないよう気をつけたんだろう。アイツ、ああ見えてハッタリが得意なんだ。普段は真面目なだけに、しれっと噓をつかれると、コロッとだまされちまうんだよな」
「あのコ、ホントは北斗くんに、日本のことをいろいろ聞きたかっただろうにね」
ヴェルはそう言って、ジュノと顔を見合わせると意味ありげに笑った。
「ジュノ陛下、ヴェル様、レルグ様に、異世界に行った経験がおありだったとは……」
北斗の横で、エリーサも驚いている。
一介の騎士である彼女はともかく、高級武官のベルスですら、その存在を知らなかったのだ。異世界のことは確かに極秘にされていて、このローリスリアでは、あくまで伝説やおとぎ話と見なされているのだろう。
ジュノは、そのエリーサに眼差しを向けた。
「ああ、遅くなったが、エリーサもご苦労だったな。北斗が無事に王都までたどり着けたのは、そなたのおかげだ」
そう労われたエリーサは、顔をうつむけて答えた。
「い、いえ。騎士として命じられた任務を果たしただけです」
「怪我もしたそうだな。体を大事にして、治るまでは無茶するなよ」
うつむいたまま、ハハッと答えた横顔をチラリと見て、北斗は彼女が耳まで真っ赤にしているのに気がついた。
うなずいたジュノは、再び北斗に向き直ると、ヴェルとこもごもにこう言葉を続けた。
「北斗、日本に帰るという望みを捨てることはないぜ。その方法を試してみることは、確かにできる。だが、すぐにはダメだ」
「いじわるで言っているわけじゃなくて、ホントにダメなの。カルガディアとの戦争が終わらないと、私たちもそこから日本へと向かった、ある場所に行くことができないのよ。それに、異世界のことは極秘だから、私かジュノくん、レルグくんに余裕ができないと。他の誰かに案内を任せることはできないわ」
「だから、北斗。この戦争を早く終わらせるために、今後もおまえの力を貸してほしい」
頼む、とそう言って、ジュノはまばゆいばかりに輝く黄金のような頭を下げた。
◇◇◇
北斗はうなずいた。それは、日本に帰りたいという彼自身のためになる話だったから。
それに彼は、この顔には逆らえないのである。この、母に少し面影の似た若き国王は、男性ながらティンシアにもエリーサにも負けないような美貌だった。
北斗の表情を見て満足そうに笑ったジュノは、本題に入った。
「よし。じゃあ、マデッサのことだ。もちろん、オレだってすぐにでも援軍を派遣したい。だが、これも今はダメなんだ。カルガディア軍は、兵を五手に分けて進軍している。曲がりなりにも一か月以上にわたって敵をくぎ付けにしているマデッサより、もっと危険な街や城が、いくつもあるんだ」
ジュノは悔しそうに唇を噛んだが、それは、マデッサにとって死刑宣告と同じだ。
今も苦闘を続けているであろうレルグと兵士たち、そして恐怖におびえる街の人々のことを思えば、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。
北斗は抗議の声を上げた。
「そんな……!どうにかなりませんか!?少なくてもいいんです、援軍を送って、マデッサの人々に希望を!」
必死の形相で迫った北斗に、ジュノは真顔で答えた。
「じゃあ、二人。それが、今、送り出せる限界だ」
「は!?」
失望と、それに続く絶望。湧き上がる怒り。
「こんな時に、そんな冗談を言うなんて!たったの二人で、カルガディアの大軍と戦える訳がないでしょう!!」
相手が暴君であれば、打ち首にされても仕方がない。それだけの非礼を承知で、北斗は叫んだ。隣に座るエリーサはといえば、お堅い騎士だけに礼節を守って微動だにもしないが、よく見ればその拳を固く握りしめている。
怒りのあまり、ガタンとテーブルを蹴立てて北斗は立ち上がった。ティンシアとヴェルに救いを求めようとその顔を見回したが、あにはからんや、二人とも涼し気な顔をしていた。
「落ち着いてください、ホクトさん」
それまでずっと黙っていたティンシアが、口を開いた。
顔は同じなのに、声までお堅いエリーサとは違って、彼女の声は小鳥のさえずりのように軽やかだった。それは国母たる女王にふさわしく、慈愛に満ちていて、ささくれだった北斗の心を溶かすような響きがあった。
「この人ったら、いつもこうなんです。ジュノさん……説明不足!」
彼女は隣に座る夫のことをキッとにらんだ。いまだ少女のような外見ながらも、さすがに一国の女王だけある。その眼差しには迫力があった。
「う……ゴメン」
ジュノはまるで日本人のように両手を合わせると、ペコペコと妻に謝った。一方、北斗に対しては片手で拝んで、あくまで高校の同級生のように軽い感じである。
「悪い悪い。でも、二名の援軍というのは、冗談でもなんでもないんだ。ただし、そうだなあ……」
そこでジュノは、天を仰いだ。うまい表現の方法を探していたようだ。
「オレが地球で一番気に入ったのは、飛行機だ。それに例えれば、ステルス戦闘機と戦闘爆撃機。送り出すのは、それくらいの力を持った二人なのさ」
そう言ってジュノは、北斗に向かって片目をつぶってみせた。
そして、北斗に紹介するべく部屋に呼ばれた「戦闘機」二人の顔を見て、北斗はその片方にまた驚かされることになったのである。そしてジュノはといえば、そんな北斗の顔を見て、また「やってやったぜ!」とばかりに笑ったのだ。
もちろん、ジュノはそれだけでなく、援軍がたったの二名だけというその根拠についてもきちんと説明してくれた。
それでようやく北斗は愁眉を開いたのだが、そんなこんなで時間がかかったので、北斗とエリーサが王宮を辞したのは、結局、日付も変わるような時刻だった。
◇◇◇
王宮の正門を出た北斗は、しばらくその前で足を止め、呆然としていた。
令和日本の大学生が、異世界の王宮を訪問して国王・女王に謁見する。そんなマンガ・アニメでしかありえないシーンの出演を終えたからではない。
彼の良く知る顔と同じ顔が、一つところに四つもあったからである。
「いったい、なんなんだ!この国は!」
真夜中でなければ、そう叫びたかった。「天国か!!」とも。
「それにしても、似てたなあ……」
ようやく歩き出しながら、北斗が実際に言ったのは、ごくごく穏やかな一言だった。彼にまじまじと見つめられて、エリーサは恥ずかしそうに顔を隠しながら答えた。
「うむ……私が女王陛下の影武者に選ばれたのは、十の時だ。恐れ多きことながら、ティンシア陛下が同じ年のころに生き写しだったらしい」
北斗が言ったのはティンシアとのことだけではなかったが、影武者となって以来、エリーサは名前も変え、髪型もティンシアと同じにして過ごしてきたそうだ。もちろん武芸の腕も磨いて、護衛としての役割を果たすべく精進している。
「もっとも、女王陛下自身はあの艶やかな髪を長く伸ばしたいらしいがな。ジュノ陛下と出会うちょっと前まではロングにされていて、それはそれは評判の美しさだったらしい」
と、エリーサは女王御付の彼女ならではの知ることを教えてくれた。
しかし国王ジュノはショートヘアの女性が好みらしく、「金髪はショートが至高!」と言い張って、ティンシアにそうさせてくれないのだとも。
「それだ!」
不意に足を停めると、真夜中の王宮前だというのに北斗が叫んだので、前を行くエリーサは飛び上がった。
「金髪はショートが至高。それだ……それだよ!!」
北斗は拳を握りしめて、何度も何度もうなずいている。
彼はこの日この時、この世の真理に触れたのだ。
そうだよ。オレは、マザコンじゃない。金髪ショートが好きなだけなんだ!
考えてみれば、まだ物心もつかない赤子の時に見ていたという、二人の美少女戦士が出てくるテレビアニメ。あれがそもそもの始まりだったかもしれない。「北斗はホワイトよりブラックが好きだったのよ」と母に言われたことがあるのを、彼は思い出していた。
それと、父が格闘ゲームでよく使っていた、男装のムエタイ使い。ちょいヤンながらちょいオタでもある母が、中高生のころに見ていたというアニメの、天王星の美少女戦士。
北斗に影響を与えていたのは、それら二次元に限らない。女武者が好きなのだって、野馬追のためではなく、ジャンヌ・ダルクが出てくる古い映画を見たからだった。
そうだ。たぶん、そうなのだ。だから、オレは、マザコンじゃないんだ!
北斗はそう結論付けた。新入生歓迎コンパでマザコン認定されてから、一年ちょい。北斗の悩みは、この日、氷解したのである。異世界の、しかも真夜中の王宮前で。
ただし――なぜ、これほどまでに自分は金髪ショートが好きなのか。それについては、死ねないのに死にたくなるので、北斗は考えるのをやめた。
「なんだ、おまえもショートの女が好きなのか?」
一時的にスペックを三Aまで向上させて、AFも真っ青の高速演算していた北斗の内なる嵐については知る由もなかったが、自分の髪をくるくるといじりつつ、エリーサが少し上目遣いで尋ねてきた。北斗が黙ってうなずくと、彼女はなぜだかホッと一息ついた後、こんな言葉を続けた。
「そうか。そんなところまで、おまえは陛下に似ているのだなあ」
似ているのは、ローウェル王宮の四人と、北斗の母、そして英里沙だけではなかったのである。
北斗の母がそっくりなのだから当然といえば当然かもしれないが、北斗自身もまた、彼らに似ていたのだった。もちろん、北斗は黒目黒髪、ジュノは金髪に碧い瞳だから、なにからなにまでそっくりというワケではなかったが。
しかし、エリーサに言わせると、とりわけ鷹のように輝く眼が似ているのだそうだ。彼女の方も、初めて北斗に会った時から、彼がなぜそんなにジュノに似ているのか気になっていたという。
思えば、ベルスやレルグも彼の顔と眼とを見て驚いていたものだ。
「あの時は、おまえが剣も手にしたこともないなどと言うから、中身はジュノ陛下に似ても似つかない軟弱な男だと思ったものだが……顔だけでなくて安心したぞ」
そう笑ったエリーサに、北斗はいきなり爆弾を投げ込んだ。
「エリーサは、ジュノ陛下が好きなの?」
「バッ……バカを言うな!」
とたんにエリーサは、顔を真っ赤にした。そして、拳を振り回して怒ったのである。
「私は女王陛下御付の騎士で、ジュノ陛下とティンシア陛下はともに我が敬愛する主君だぞ!お二人は出会われてからずっと、仲睦まじいことで有名でもある!そのお二人に、この私が横恋慕なぞするわけがないだろう!」
「ゴ、ゴメン。時折、きみの陛下を見る目がちょっとポーっとしていたから……」
実は、北斗はデリカシーがない。しかも言葉がド直球である。彼がイケメンなわりにモテないのは、そこにも原因があった。だったら鈍ければまだしも救いがあるのだが、他人のことに限っては鋭いのが、ますます良くなかった。
「まったく、いきなり何を言い出すのだ!」
手を合わせて謝った北斗にプンプンと怒りつつも、エリーサはフォローするかのように言葉を続けた。
「……ただ、まあ、ジュノ陛下はもちろん素敵な男性だ。なんと言っても、魔王封印の英雄だからな。颯爽とした陛下の御姿に、ローウェル中の娘が憧れた……いや、今でも憧れていると言って過言ではない」
それは確かにそうだろう。女性とも見まがう美貌に加え、魔術師としても超一流。魔王を封印した勇者の一人ともあれば、モテないわけがない。エリーサも、まるでアイドルでも見るような気分で彼のことを仰ぎ見ていたに違いない。
「だが、そんな陛下にも、ただ一つ欠点……というか、困ったご趣味がある」
そう言って、エリーサはため息をついた。
「『金髪はショートが至高』などとおっしゃる通り、陛下は金髪がお好きなのだ。しかも男女問わず。だから、我が宮廷には金髪の者が多いのだ。むろん、『金髪であれば能力は問わない』などとバカげたことをおっしゃるお方ではないので、それを心配する必要はないが……」
「ああ、それで!」
謁見の間に並んだ郎中には金髪の美少年が多かった。北斗はなぜだろうと不思議に思っていたのだが、単純に国王の趣味だったらしい。皆、利発そうな顔立ちではあったが。
うなずいた北斗は、そこでふと、気づいた。
「そ、それは、まさか……後宮でも……?」
その光景を想像して、ゴクリと生唾を飲み込んだ彼のことを、エリーサはジトッとした目で見やった。
「ところがな、陛下は廷臣にも女官にも金髪ショートの者をそろえる割には、けっしてお手をお出しにならんのだ。確かに、『この国の金髪美人を皆ショートにしてやるんだ!』などと冗談はおっしゃるが、お世継ぎがまだであるにも関わらず、側室を置こうともされない。それだけ、ティンシア陛下を愛していらっしゃる。だから、それを一番間近で見ているこの私が、横恋慕することなどあり得ないのだ」
「そうだったのか……」
言動も行動もいかにもチャラそうなわりに、ああ見えてジュノは身持ちが固いらしい。
彼にはサプライズを仕組まれたり、「援軍はたったの二名」などと脅かされたりしたので、初対面の印象はあまり良くなかったが、北斗は彼のことをちょっと見直した。
それどころか、北斗の口から出てきたのはこんな言葉だった。
「オレ、今日お会いしたばかりだけど、ジュノ陛下とティンシア陛下に忠誠を誓うよ。陛下を助けて、平和を取り戻すために全力を尽くす」
唐突だったが、それは嘘ではない。やっぱり北斗は、この顔を持つ者に弱いのだ。
なんと言っても、ジュノは彼の蒙を啓いてくれたのである。その彼を助けて、この国の金髪美人が皆ショートになる未来が訪れるなら、ぜひ見てみたい。
というのは冗談――半ば以上は本気だが――にしても、ジュノはチャラそうではあるが人柄は親しみやすい。言葉も明晰で、頭がキレるのは確かだ。
なによりジュノは、日本に帰る手段を知っている。この異世界で日本のことを話しあえる相手としても貴重だ。彼の方も日本が好きなようだし、北斗のことも気に入ってくれたようだった。
他に頼るもののない異世界で、主君として仕えるなら、けっして悪くない相手だろう。
また、ティンシアについては悪い印象がまったくない。慈愛に満ちたその微笑みを見ているだけで心が安らぐようで、さすがは女王である。彼女が喜ぶなら役に立ちたいという気にさせるだけのものを持っていた。
突然、拳を握りしめてそんなことを言い出した北斗に、エリーサは面食らった。
「そ、そうか。なんだかよくわからんが、それはよいことだ。……とにかく、今日はもう遅い。私は家に帰って休むから、おまえも早く寝ろ」
彼女は王都に自らの邸宅――実家がある。北斗には、ジュノが指示して宿を手配してくれた。そこは、かつてジュノ自身が一時冒険者だった時の定宿だったという。
二人とも疲労が限界に近かったので、さすがにその晩はゆっくり休んだが、午後には出立の準備を始めた。レルグと人々のため、一刻も早くマデッサに戻らなければならない。
そして、その翌日の払暁。
王都東の城門を発った数は、ジュノが言ったとおり。わずかに四人の乗り手と、替え馬を含めた十二頭の馬だった。
◇◇◇
マデッサまでは、三日で着いた。
大きく迂回する必要があり、山岳地帯をも越えなければならなかった往路と違い、復路は街道を一直線に進んだからだ。
ただし彼らが到着したところは、ガルバリオが本陣を敷く、カルガディア軍で最も分厚い部分の背後にあたる。城を遠望する丘の上に馬を立てた四人の眼下には、白地に赤の十字、剣に貫かれた獅子の紋章が描かれた天幕が無数に並んでいた。
「行くぞ。ホクト、お二方」
静かに言って、エリーサが騎兵槍を構えた。スピードが最優先で、徹底的に軽量化を計る必要があった往路と異なり、今は攻撃力と防御力が求められる。その騎兵槍は「槊」ではなく欧州のような太いタイプのもので、全身を板金鎧で覆っていた。
彼女は、「無事に任を果たしたら、この城に戻る必要はない」とレルグに言われていたにも関わらず、ここに戻ってきていたのだ。どうせ無駄だろうなとは思いつつも、それを指摘した北斗だったが、案の定、「マデッサの解放を見届けぬなど、そんな無責任な真似ができるか!」と一喝されて終わりだったのである。
ハッ!!
馬の尻に鋭く鞭を当てて、エリーサが走り出した。長弓を手にした北斗がそれを追う。その後ろからは、マントを羽織り、フードを目深にかぶった二つの騎影が続く。
「クリス・フライザ・ティアーノ……世界の根源たる万能の魔力よ……」
北斗の後ろで、馬蹄の響きにも負けない朗々たる声が響いた。それも、左右から。古代から続く純語魔術の詠唱である。
ジュノが「ステルス戦闘機と戦闘爆撃機」と例えた、たった二人の援軍は魔術師だったのだ。二人は右手に手綱を取って馬を走らせながら、左手で虚空に魔術陣を描いている。
四騎は丘を駆け下った。
敵の陣が、間近に迫る。突然響いたドドドドという音に驚いて、赤い飾り房のついた兜をかぶる兵士たちが、あわてて振り向く。
北斗は弓に矢をつがえ、エリーサは騎兵槍を持つ手に力を込めた。
魔術の詠唱はまだ続いている。
「アーレス・ハイレス・ヴァルダリオン、我が内に巣食いし赤々たる龍よ、目覚めの時は来たれり……暗赤、明赤、黄々たり。地より上りし炎と、青、白、天より下りし風とが混ざりて……」
激突は近い。カルガディア兵に向かって、北斗が一の矢を放ったその時。
最後の「純粋なる言葉」が魔術師二人の口から放たれた。
「今こそ解き放て!『魔力爆発』!!」
北斗とエリーサの左右から、見えざる魔力の波動が飛んで、彼らを追い越した。
そして次の瞬間。カルガディア兵の間で二つの大爆発が起こった。
爆風に煽られて、兜が、甲冑が、そしてカルガディア兵の体が吹き飛んだ。手足がちぎれる。肉が焼け焦げるにおい。苦痛にあえぐ兵士の声が響く。
それらを縫って、敵陣にポッカリと空いた穴に四騎は突っ込んだ。
先頭のエリーサが槍を繰り出す。北斗が二の矢、三の矢を放つ。後ろの二人は、新たな魔術の詠唱を開始する。
たった四騎のはずなのに、それはまるで竜巻のようだった。立ちはだかる分厚い人と鉄の壁は、今、一枚の紙のごとく引き裂かれている。
カルガディア兵にとって四騎はまさに生ける災厄だったが、竜巻が荒れ狂っていたのは一瞬のことだった。
ガルバリオが自ら大斧をとって出馬する間もなく、彼の軍団は陣地を突破されていたのである。
◇◇◇
マデッサ城の西門が開かれた。
駆け入ってきた四騎を迎え入れると、すかさず閉じられる。
カルガディア兵も追いすがってきたが、その追跡にはいつもの迫力がなかった。それくらい、四騎の弓に、槍に、なによりも魔術に打ちのめされていたのである。
四人は、彼らを乗せて駆けてくれた馬を下りた。エリーサが兜を脱ぎ、バサリとその金髪を現した。北斗も弓の弦を外して、深く安堵の息をついた。
報を受けて、レルグが西の城門に姿を現した。
北斗とエリーサが急使として城を出てから、まだ十日も経っていない。だが、その日々がいかに過酷だったか。やつれ切ったレルグの顔に、はっきりと現れている。
「クロー教官!エルシズ教官……!」
レルグは今、北斗やエリーサとともにやってきた二人の魔術師にすがりついている。
レルグの肩を抱いた二人は、かぶっていたフードを払った。露わになった頭は、片方がまばゆいばかりの金髪。もう片方はくすんだ銀髪だった。
金髪に、アクアマリンのように青く澄んだ瞳の男はクローディス・サイクロー、通称クロー。眼の下にある二本の傷が印象的な銀髪の男は、エルシズという。
彼らこそ、レルグ、そしてジュノやヴェルがかつて師事した魔法学院の教官だった。そして、彼らとともに魔王を封印した戦友でもある。二人ともレルグより十の年長であり、すでに三十六歳だが、まだ若々しくて二十代にしか見えなかった。
「レルグくん。怪我は……なさそうですね。よくがんばりましたね」
クローはおだやかにそう言って、右目にハラリとかかる金髪の下で微笑えみかけた。今、かつて毎日のように仰いでいた師の顔――それこそ、北斗が驚いた理由だった。彼の顔は、弟子の一人であるジュノ、そして北斗とそのよく知る人々に似ていたのである――を見たレルグは、すでに顔をクシャクシャにしている。
大の男が人前で涙を浮かべているのだが、非難する者はいない。レルグとクロー、エルシズが子弟の関係にあることはローウェル人なら誰でも知っているし、レルグはこの一か月半というもの、誰も文句を言えないくらい、城代として奮闘してきたのである。
日中は兵士たちを叱咤して防戦の指揮を取り、夜は恐怖におびえる街の人々を力づけて回る。あの手この手で攻め寄せてくるカルガディア軍への対処に知恵を絞り、減り続ける兵糧の分配に神経をすり減らす。
魔王封印の勇者でもある彼は、兵士たちにも民衆にも心から慕われていた。今や敵であるカルガディア軍でさえも、「鉄門城主」の異名をつけて畏怖するレルグが城代でなければ、マデッサはとっくに陥落していたに違いない。
敬愛する二人の師を迎えて、張りつめていた糸が切れたとしても不思議ではなかった。
「レルグ、久しいな。とにかく、無事でよかった」
エルシズの方は、淡々と声をかけた。
穏やかでいつも微笑みを絶やさないクローとは対照的に、エルシズは学院の学生たちの間で、無表情、不愛想な皮肉屋として恐れられていたという。そんな二人が親友であるというから驚きだが、今もエルシズは、その顔に感情らしい感情を浮かべていない。
だが、続いた言葉にはほんのわずかな揺らぎがあることに、付き合いの長いレルグは気づいたようだった。
「早速だが、ベルスのことだ。死んだのか」
問われたレルグは、声と表情とを整えた。平静を装っているのだろうが、答えた声はほんのわずか、震えていた。
「いえ、消息不明です。ただ……やはり、生存は期待できないでしょう」
秘かに「死間」の任を帯び、偽りの使者として敵陣に赴いたベルスは、未だに帰ってきていない。明確に処刑されたところは誰も見ていないが、生きていると信ずるのは楽観に過ぎるというものだ。
そう言って眼を伏せたレルグの言葉に、エルシズもクローも肩を落とした。
自らが教官を務めた魔法学院の卒業生でもある彼らにとって、ベルスは同級生にあたるのだ。ともに大陸中の遺跡をめぐる冒険者としてパーティを組んだこともあり、魔族との戦いにおいても肩を並べている。二十年以上の付き合いになる、かけがえのない親友なのだった。
だから、クローとエルシズは自らジュノに願い出て、マデッサの救援に派遣してもらったのである。同級生のベルス、弟子の一人であるレルグがそこにいる。心配するのも当然だった。
むろん、カルガディア軍の侵攻を食い止めるためには交通の要衝であるマデッサを堅持する必要があるから、私的な感情だけが理由ではない。
「北斗、エリーサ卿。そなたたちも、よくぞ無事で戻ってきてくれた。おかげで、クロー卿とエルシズ卿にまみえることもできた。深く礼を言う」
クローとエルシズの姿を見ていられず、北斗たち二人に向き直ったレルグは、そう言って労ってくれた。
だが、彼らが任を果たすことができたのも、ベルスが我が身を犠牲にしてくれたからである。ましてや、北斗は死間の策を献じた立場だ。
彼のことを思えば、黙ってうなずくしかなかった。
◇◇◇
カルガディア軍に十重二十重と囲まれたマデッサの城が、ようやく迎えた援軍はたったの二人。
だが、この魔術師二人は、騎士の一団などよりもよほど強力だった。
このローリスリア世界で「魔法」といえば、「純語魔術」「精贈魔法」「神恵魔法」の三つを指すことが多い。他にもドラゴンが使う魔法や、闇呪魔法――邪悪な力を持った闇の魔法もあるのだが、一般社会ではほとんどお目にかかることはない。大別すれば、先の三つの系統となる。
はるか昔、人々がまだ強大な魔力を持っていた時代のこと。魔術・魔法は、「純語魔術」ただ一つであった。
人々の内なる魔力を発揮するための、ただ一つの鍵である「純粋なる言葉」を駆使し、古代の魔術師たちは、精霊を、そして神々すらも支配していた。海を割り、大地を裂き、精霊や神の世界とも自由に行き来する、そんな力を魔術師たちが持っていた時代があったのだ。
ところが、あまりにも強大になりすぎたその力は、世界の理を乱し、徐々にひずみを強めていった。そして、魔術師たちにほしいままに使役されていた、精霊や神々の怒りが頂点に達した時のこと。
日の沈むことはないと思われていた強大な魔術王国は、一晩にして瓦解した。
精霊の、神々の怒りは大地震を引き起こし、大津波を呼んで、宇宙からは無数の遊星が降り注いで地表を撃った。さしもの魔術師たちもその一部しか食い止めることはできず、繁栄を誇った魔術王国は、ずたずたに引き裂かれた大地に吸い込まれ、あるいは海の底に沈んだ。生き残った人々はごくわずかな数だったと言われている。
魔術王国の滅亡から数千年の時が過ぎ、この世界はまたあまたの人々で満ちてきたが、魔術の力は失われたそのままである。「純粋なる言葉」も大部分は忘れ去られ、現代の魔術師たちが使う魔術は、往古に比べてその種類も威力もごく限られたものになっている。
また、かつては「純粋なる言葉」により精霊や神々を支配、使役して使われていた精贈魔法や神恵魔法も、今では敬虔さを取り戻した人々に対する恩寵として、精霊や神々が力を貸して魔力を発揮させ、使われる魔法に変っていた。
クローとエルシズ、ジュノ、ヴェル。そしてティンシアもそうだが、彼ら魔術師が使うのが純語魔術。精霊使いのレルグが使うのが精贈魔法である。
古代に比べて弱体化したとは言っても、かつて精霊や神々をも支配していた純語魔術は今なお強力だ。この世界で、個人の戦闘力が最も高いのは魔術師だと言っていい。
魔族との戦いにおいても、攻撃は主として魔術師や精霊使いが担っていた。重武装の戦士や騎士は壁役で、サッカーに例えれば、魔術師がフォワード、ディフェンダーが戦士といったところだろう。
ジュノが、強力な魔術師であるクローのことを「戦闘爆撃機」と例えたのは言い得て妙だ。「飛行」や「空間転移」の魔術で自由に移動し、「魔力爆発」「雷撃」で攻撃する魔術師は、まさにこの世界において戦闘機と爆撃機を兼ねる存在なのである。
ちなみに「ステルス戦闘機」とはエルシズのことだった。彼は純語魔術だけでなく盗賊の技能も持っている。音もなく敵に近づいて、至近距離から魔術を叩きこむような技にも長けているのだった。
そんな二人だが、ローウェルの国民には広く、クローが「大陸一の大魔術師」、エルシズは「大陸最強の魔術師」として知られていた。
魔王を封印した勇者の一である二人は、それにふさわしい力の持ち主なのである。




