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チャプター3 急使

「……限界だな。そろそろ……」


 レルグが苦渋に満ちたつぶやきを発した。

 広間に列した騎士たちも、誰一人として疲労困憊していない者はいない。剣や槍を床についてなんとか体を支えているが、今にも崩れ落ちそうな者ばかりだった。


 ガルバリオが城外に陣してから、わずかに三日。マデッサの城は、いまや明日をも知れぬ状況に追い込まれていた。

 減り続ける兵士の数と兵糧の蓄え、完全に低下した将兵の士気。今や崩れかけの城壁や城門……どれもが、危機的な状況にある。


「ジュノ陛下のもとへ、救援を呼ぶための使者を出しましょう」


 ベルスがそう献策した。もちろん彼らは、緒戦に敗れてこの城に逃げ込むとすぐに、国王のもとへ急を報じる使者を出していた。

 その使者はやがて、レルグを輔国将軍兼マデッサ城代に任じる国王ジュノの書状と印綬を携えて戻ってきた。だが、その書状には、今はまだ救援を出す余裕がないから耐えてくれ、とのことも書かれていたのである。


 レルグはうなずいた。この城はもはや、国王の期待に応えて長く耐えることはできないのだ。

「それしかない。だが、そのためには考えなくてはならないことが二つある。一つは、誰を使者に出すかということ。そしてもう一つは、十重二十重にこの城を囲む、敵の包囲網をいかにして突破するかということだ」


 そう言って、レルグは側近たちの顔を見回した。一つ目は、まだよい。問題なのは二つ目だった。

「坑道を掘ってはどうか」「城内を流れる川を下って外に出てはどうか」などと様々な案が出された。だが、坑道を掘るには時間がかかりすぎる。川を下るにしてもその幅は狭く、相手も警戒しているだろうから、すぐに捕まってしまうだろう。


 何かいい案があるか、と問われたものの、北斗は無言だった。

 それは、思いつかなかったからではない。言い出せなかったからである。

 しかし、レルグはそんな北斗の様子を目ざとく察した。


「……北斗。私たちに言えない、そんな策があるんだな?」

「はい……」

 目を伏せたまま、北斗はうなずいた。そして、レルグに再三請われた彼は結局、口を開かざるを得なかった。


「『死間(しかん)』です。死を覚悟した者を敵陣に送り込んで、急使を城から出すための隙を作りだすしかありません」


 例えば、「降伏の条件を交渉する」と偽って、敵陣に使者を派遣する。城門から出てきた使者を迎え入れ、交渉する間、敵の攻撃は止むか、少なくとも鈍化する。その間に、反対側の城門から救援を呼ぶ使者を送り出すのだ。

 だが、そのとき偽りの使者は、騙されたと知って怒り狂った敵により、必ずや処刑されるだろう。それを「死間」というのである。


 歴史上有名な事例は楚漢戦争、すなわち項羽と劉邦の戦いの中で起こったものがある。項羽に包囲された滎陽(けいよう)城から劉邦を脱出させるため、家臣が降伏の使者を装い、その身を犠牲にしたのである。


「……その役目、この私にやらせていただきたい」

 北斗が説明を終えるやいなや、静かに申し出たのはベルスだった。


「ええっ!?」

 自分の言い出したことではあったが、思いもよらない人物が志願したので、北斗は驚いた。射声校尉のベルスは高級武官であり、その弓の腕でマデッサ防衛の要となっている。

 誰の命であれその値段に差はないといえ、誰にも増して、失われてよい人材ではない。

 ベルスは、レルグと北斗、それぞれの眼を一渡り見回すと、淡々と理由を説明した。


「死間の成功は、ひとえにヤツらの目をくらますような餌を用意できるかどうかにかかっております。そこで、私です。この弓でカルガディア軍に多量の出血を強いてきた私ならば、ヤツらも迎え入れて話を聞く気になるに違いありません。例え交渉が決裂したとしても、私を捕えて抑留するなり、処刑するなりしてしまえば、以後の脅威は減りますから」

 その言葉の正しさは、聞いた二人も認めざるを得なかった。レルグはうなずいたものの、ベルスからは目を逸らしている。


「……話はわかった。それはあらためて検討するとして、もう一つ、急使の人選についてはいかに考える?」

「それでしたら、この私が」

 すかさず手を上げたのが北斗だったので、今度はベルスとレルグの方が大声を上げた。


「おまえが!?」

「北斗、そなたは日本人だから……いや、日本人というのは馬に乗れる民族なのか!?」

 急を報じる使者だから、当然、馬を飛ばせるだけ飛ばす必要がある。この世界――ローリスリアに暮らす人間なら誰でも馬に跨ることくらいはできるが、令和日本の大学生で、馬に乗り、しかも全力疾走させることができる者などどれだけいるだろうか。


 しかし北斗は、自信に満ちた顔でレルグの問いに答えた。

「たいていの日本人は馬には乗れないのですが、私は乗れます。私は、相馬の生まれですから」

 宇多郷北騎馬会期待の若手。地元ではそう知られている北斗が、初めて一人で馬に跨ったのはわずか三歳の時なのである。それにはとある理由があって、以来、彼はスパルタとも言えるほどの、乗馬の訓練を受けてきたのだった。


「それに、これは私の立てた策です。危険な役目をベルスさんにやらせて、自分だけ安全な城に残るわけには行きません」

 そう言葉を続けた北斗の眼を、レルグはじっと見つめた。

 もちろん、北斗も命を懸けて使者の任を務めるのは怖い。怖いのだが、彼には、それを乗り越えるだけの自信が自らの馬術にあった。このような形で活かされるとは思わなかったが、それを与えてくれた両親に感謝しなくてはならない。


「……勇者の眼だ。やっぱり、アイツに似ているな……」

 やがて、北斗には意味がわからないことを、レルグはつぶやいた。そして彼は、深いため息をつきつつも、やむを得ないという感じでうなずいたのである。


「……わかった。ベルス卿、北斗。そなたらの申し出については別室で詳しく詰めよう」


◇◇◇


 三人はレルグの執務室に場を移した。先日と同じように、それぞれソファに座を定める。また侍女が紅茶を運んできてくれたが、今日は誰もカップに口をつけなかった。室内には今、重苦しい空気が流れている。

 長く続いた沈黙を破って、最初に口を開いたのはレルグだった。彼はまず、ベルスにその体を向けた。


「……ベルス卿。『死間』の役目を買って出てくださったのはありがたいですが、本当によろしいのですか。十中八、九……いや、生きて帰れる望みは万に一つもありますまい」

 普段は上官と部下として、レルグはそれにふさわしい言葉使いで接している。しかし、自室に三人だけの今、彼は年長のベルスに対して丁寧な言葉を使った。

 レルグの眼差しには、深い苦悩と、ベルスの心中を思いやる真心とが込められている。固唾を飲んで傍らの二人を見つめる北斗には、そう感じられた。


「……ああ。もちろん、オレとて死にたくはない。だが、さっきも言ったように、ここはオレが適任だ。レルグ、北斗、それはおまえたちにもわかっているだろう」

 ベルスの方も、上官たるレルグに対して砕けた口調になっている。後で二人が北斗に明かしてくれたのだが、それには、こういう理由があった。


「ベルス先輩。先輩は私に、『死んでくれ』と言えとおっしゃるんですか?」

 ベルスは、レルグにとって学校の先輩にあたるのだ。二人はともに、この大陸一の歴史と伝統を誇る「ローウェル魔法学院」の卒業生なのである。

 レルグは精贈魔法課程、ベルスは一般教養課程で所属も違うし、年が十も離れていたから、机を並べて学んだという経験はない。だが、先輩後輩であることが縁で知り合った二人は、以後、プライベートな部分では友人づきあいしていたのである。


 うつむいた後輩に対して、ベルスは「困ったヤツだ」と言わんばかりの苦笑いを浮かべた。

「おいおい。例えオレじゃなくとも、おまえは今、誰かに『死んでくれ』と言わなければならない立場なんだぞ。それなら、オレに言った方がいいじゃないか。オレも、ほかならぬおまえに言われたなら、喜んで死んでやるさ」

 言われたレルグの肩は、小刻みに震えている。涙がこぼれるのを必死で我慢している、そんな様子だった。


「それに……一年前は、オレの方が死地に赴くおまえたちの背中を見送ったんだ。今度こそ、先輩らしくカッコつけさせろよ」

 その言葉に、レルグ――魔王を封印した十一人の勇者の一は、ハッとして顔を上げた。


 ベルスは、大陸にその名を轟かせるローウェル随一の弓の名手だ。当然、魔王との決戦に向かう勇者の一人に選ばれてもおかしくない。

 その彼が無念の思いで、それまでともに戦ってきた戦友の背中を見送ったのは、過酷な戦いの中で腕の腱を痛め、得意の弓が満足に引けなくなっていたからである。


 そしてそのときベルスが見送ったのは、レルグだけではない。現国王ジュノを含む、そのほとんどが彼と同じ、ローウェル魔法学院の卒業生だった。彼らの学院は、それだけ優秀な人材を輩出する学び舎なのである。その彼らが組むパーティは、同窓の絆もあって、他のいかなる騎士や冒険者グループをも寄せ付けない強さを誇ったのだ。


 つまり、ベルスは自身の同級生や後輩たちを決戦の地へと送り出したのである。そのときの彼の心中は、いかばかりだったか。


 レルグは、彼の覚悟のほどを理解したようだった。それは、わずか一年前、「オレも魔王との戦いに連れていけ」と言って聞かないベルスを説得したのは彼自身だったから。

「……わかりました。ベルス先輩、よろしくお願いします」

 レルグの顔は、もうグシャグシャになっていた。魔王と戦った勇者の一人で、国家の重鎮であるといっても、彼はまだ二十六歳の若者なのである。


 ベルスは、そんな後輩の頭にポンと手を置くと、ニッと笑った。すでに死を覚悟したのだろう、その灰色の瞳には一点の曇りもない。

 横で見守っていた北斗も、こみ上げる何かを抑えきれなかった。ハンカチを取り出してそっと眼元に当てた彼に、ベルスは声をかけた。


「と、いうわけだ。ホクト、オレはおそらく死ぬだろうが、無駄死にはさせてくれるなよ。おまえはなんとしてでもジュノ陛下にまみえて、援軍を連れてくるんだ」

 おだやかに微笑んだベルスに向かって、キュッと口元を結んでうなずいた北斗だったが、ふと心づいた彼は一言、付け加えた。


「ベルスさん。オレ、一つだけ、ベルスさんに教えてもらいたいことがあるんです。だから、死ぬだなんて言わず、必ず生きて帰ってきてください」

「ほう。なんだ?」

 真剣な顔の北斗に向かって、居住まいを正しつつ、ベルスは尋ねた。


「どうしてベルスさんは、ドワーフなのに、髭を剃って弓を使っているんですか?」

 その問いに、彼は一瞬きょとんとした顔を見せた後、ハッハッハと楽しそうに笑った。


「そうだな、やっぱり気になるよな。わかった。生きて帰って、その秘密を教えてやる。だからおまえも、元気に帰ってこいよ」

 そう言って、ベルスは片目をつぶってみせた。


 彼を待ち受けるのは、どう考えても絶体絶命。万に一つも生きて帰れる見込みのない、片道切符である。

 だからこそ、この死亡フラグが逆に生存フラグになるんじゃないか。北斗は、そう願わずにはいられなかった。


◇◇◇


「さて、次はおまえだな、北斗。と、その前に……」


 涙をぬぐったレルグは、時間をかけてその表情を整えると、ソファから立ち上がった。

 執務室のドアを開けて、その前に佇立している騎士に何事かささやく。うなずいて走り去った騎士は、しばらくして戻ってきた。

 別の騎士を連れて。


「輔国将軍閣下。火急のお召しと聞いて参上しました」

 そう声を上げて執務室に入ってきたその騎士は、それまで激戦の渦中にあったのだろう。まだ肩で息をしつつ、返り血も鮮やかな兜に手をかけると、グッと脱いだ。

 と、ともに金色の髪がバサッと宙を舞ったが、その顔をチラリと見て、北斗は驚いた。


「さ、斎藤さん!?」


 それまでレルグと敬礼を交わしていた騎士は、声を上げた北斗のことを横目で見やった。とたんにギョッとした表情を浮かべた彼女だったが、次の瞬間にはギロリと彼をにらんでいた。

「サイトーではない。私は、サイト。騎郎(きろう)エリーサ・サイトだ。間違えるな!おまえが噂の異世界人だな?」

 それは、北斗の同級生・斎藤英里沙に生き写しの女騎士だった。


 英里沙は島出身とは思えないほどに白い肌をした娘だったが、彼女もまた同じである。二人とも金髪をショートカットにしていて、やや切れ長の眼が、意志の強さを現すかのごとくキラキラと輝いている。

 口調こそ違えど声までそっくりなので、北斗には、英里沙本人が異世界転移したとしか思えなかった。彼自身がそうなのだから、こう言葉を続けてしまったのもやむを得ない。


「またまた。斎藤さんも、オレたちを探しに来て異世界転移しちゃったんでしょ?オレまで洞窟に落ちたばっかりに、巻き込んじゃってゴメン。だけど、ここで同じ日本人に会えて心強いよ」

 そう声をかけつつ、北斗は彼女に近づいた。


 だが、エリーサと名乗った女騎士――彼女の官位「騎郎」とは、そのまま騎士のことだ――は、近寄るなとでも言うかのように、北斗に向かって拳を振り上げた。

「だから、サイトーではないと言っておる!顔はいいのに、頭の悪い男だな!」


 彼女の、まるで陶器人形のような白皙の美貌から飛び出してきたのは、存外に辛辣な言葉だった。彼女は初対面だと言うのだが、そのわりにはあまりな言いようである。北斗は面食らって、そこで言葉を失ってしまった。


 彼女はというと、北斗のことは無視することにしたようで、レルグに向き直ると問いを発した。

「それで、閣下。いかなる御用でしょうか」

 突然、目の前で繰り広げられた二人のやりとりに、それまでちょっと呆然としていたレルグだったが、そう尋ねられると「あ、ああ……」と気を取り直した。


 重々しく、彼女を呼んだ理由を告げる。

「騎郎エリーサ・サイト。マデッサ城代、輔国将軍レルグ・コールヴィッツがここに命じる。参軍たる中村北斗とともに、救援を請う使者として王都に、国王陛下の元に赴け」

「はっ!?私が、この異世界人とですか!?」


 エリーサは不服そうな声を上げたが、レルグは首を縦に振った。

「そうだ。そして、無事に任を果たしたら、そなたはこの城に戻る必要はない。そなたはもともと、女王陛下御付の騎士だからな」


 続いてレルグは、北斗に向かって言葉を発した。

「北斗。そなたの弓の腕は、私もこの目で見ている。乗馬の腕はわからぬが、そなたには自信があるのだろう。だが、剣の腕はどうだ。手に取ったこともないのではないか?」

「はい。まったく、ありません」

 レルグには知っているかのごとく言われたが、それは完全に事実であった。令和の日本人なのだから仕方がない。


「だろうな。そこで、このエリーサ・サイトをそなたに同行させる。彼女はこう見えて腕の立つ騎士だ。エリーサ卿、北斗のことをよろしく頼む。そなたたちならきっと、この役目を果たしてくれると信じている」

 そう命じられたエリーサは、サッと床に片膝をつくと、「ハハッ」と頭を下げてそれを受けた。命令は命令として、きちんと承ることにしたのだろう。


 だが、頭を上げた彼女は、北斗のことをうさんくさげに見やると、仏頂面でこんなことを言ってきたのだった。

「剣を手にしたこともない男などと同道とは納得がいかんが、閣下たっての頼みでは仕方がない。いいか、足だけは引っ張るなよ、異世界人。だが、例えおまえが死んでも、任務はこの私が果たすから安心しろ」


 顔も声もそっくりなのに、彼女は本当に英里沙ではないようだ。その証拠に、彼女の瞳は碧かった。日本人である英里沙の瞳は当然、黒やそれに近い色である。まじまじと彼女のそれを見つめたことは、北斗にはまだなかったが。

 それに、英里沙ならきっと、こんな口の利き方はしないだろう。同じことを言うにしても、軽口に包むなど言い方を工夫してくれるに違いない。


 だが、ここまで言われても、北斗は不思議と腹が立たなかった。やっぱり彼は、この顔に弱いらしい。

 ま、「女騎士(くっころ)」だからな……。

 それでなんとなく納得できるところは、北斗も令和日本のマンガ・アニメ好きだった。


◇◇◇


 翌日、北斗とエリーサは一日かけて、出立の準備を整えた。


 騎士であるエリーサは普段、銀に輝く板金鎧をその身にまとっている。だが、今回はスピードがなによりも優先される役目だ。防御力を犠牲にしてでも軽量化を図らなければならないので、北斗ともども、皮鎧(レザーアーマー)をまとうことになった。

 彼女の得意とする武器は細身の洋刀(サーベル)である。鞍には騎兵槍(ランス)も吊り下げる。イメージされることの多い、かつて欧州で馬上槍試合(トーナメント)に用いられたような騎兵槍は、護拳のついた槍身も太いタイプだ。しかし、それだと重た過ぎるので、今回は古代中国で「(さく)」と呼ばれたものに似た、細身の槍を用いることにした。


 北斗も、腰に護身用の小剣(ショートソード)を帯びる。剣を手にした経験が一度もない北斗だが、持たないよりはマシだろう。一方で、槍を振るったこともない彼がそれを持つのはかえって危険なので、弓を背負うだけにする。念のため、使い慣れた長弓と馬上で取り回しのよい短弓(ショートボウ)の両方を準備した。


 なお、このたび使者の任を努めるのは北斗とエリーサだけではない。レルグは、合計で十人の使者を派遣することにしていた。彼らの役目は、例え誰か一人だけになったとしても、生きて国王ジュノの元にたどりつくことである。救援が来なければマデッサに未来はないのだから、使者を多く派遣すれば、それだけ任務達成の可能性は高まるのだ。もっとも、城の防衛力を考えれば、十人もの腕利きの騎士がいなくなるのは痛いのだが。

 北斗の願いを入れて、レルグは使者一人につき、三頭の馬を準備してくれた。馬の方は、たくさん連れて行っても差し支えない。籠城戦ではあまり使いでがないからだ。


 この準備の間、エリーサは前日のような憎まれ口も叩かず、黙々と作業していた。仏頂面は相変わらずだが、任務に関する問いにはきちんと答えてくれるし、北斗が慣れない旅支度に四苦八苦していれば進んで手を貸してくれる。

 彼女も、この任務の重要性はよくわかっているのだろう。そのためには、得体のしれない異世界人と協力しあうのもやむを得ないと割り切ったのかもしれない。


 一方で、彼女は北斗に向かってこう宣言した。

「任を果たすためにやむを得ない時が来れば、私はおまえのことをためらいなく見捨てるだろう。だから異世界人、おまえも、その時は私にかまうな。私を置いてでも、必ず任務を果たせ」と。

 言われた北斗は、黙ってうなずいた。彼らの役目は、まさにそれなのである。


 そうして昨日からずっと厳めしい顔をしている女騎士だったが、北斗は作業中、なぜだか彼女がチラチラと彼の顔を見ているのに気がついた。こっちが顔を向けるとふいっと眼を逸らしてしまうので、その理由はわからない。


 ずっと無言で作業をするのも息が詰まるので、北斗はなにくれとなく彼女に話しかけてみた。たいていは冷たくあしらわれただけであったが、一つだけ、彼女が喜色を浮かべつつ返事してくれた質問があった。「国王ジュノ・エスカーズ陛下って、どんなお方?」というのがそれである。


「陛下はな、まばゆいばかりの黄金の髪に、まるで鷹のような、サファイアのごとく青く輝く瞳。男性ながら、それはそれはお美しいお方だ。おまえも聞いているだろうが、魔王を封印した十一人の勇者の一人で、もともとはこの国の宮廷魔術師であった。魔術だけでなく、洋刀をとってはその腕も相当なものでいらっしゃる。そうそう、レルグ将軍とは魔法学院の同級生にあたり、十年の付き合いに及ぶ親友だという。一つだけ、困ったご趣味をお持ちではあるが、それさえ除けば国王としても主君としても素晴らしいお方だ」


 突然、早口で一息にまくしたててきた。その勢いに押された北斗が、かろうじて「す、すごい方なんだね」と返すと、とたんに彼女はスンとした表情に戻ってしまった。「そうだ」と短く返事をすると、彼女はジトッとした目で北斗のことを見やった。


「それに引き換え、おまえは……。大丈夫だろうな?この任務に失敗すれば、陛下とレルグ将軍を辱めることになるのだぞ。気合を入れて臨め」

 レルグはともかく、なぜジュノを辱めることになるのか北斗にはわからないが、それを彼女に尋ねられるような雰囲気ではない。彼はただ、こくこくとうなずいたのだった。


 北斗に対してはそんな調子だったが、エリーサにも、その年齢にふさわしい姿を見せた瞬間があった。 

 これから生死を委ねる三頭の馬に接している時だけ、彼女は少女らしい穏やかな表情を浮かべていたのである。

 自分も同じように馬を労わってコミュニケーションを図っていた北斗は、隣で優しく馬の鼻づらを撫でている彼女の横顔に、ついつい見とれてしまった。それは、北斗たち野良ネコ同級生に飯を食わせてやっている英里沙の顔と、まったく同じだったからである。その後、気づいた彼女に、照れ隠しなのか「ぼーっとしてないで、手を動かせ!」としたたかに蹴り飛ばされたのではあるが。


 こっそりレルグが教えてくれたところによると、彼女は北斗より二つ年下、まだ十八歳とのことだった。

 レルグは、「彼女はまだ若いし、女王陛下から預かった身でもある。ここで死なせたくはない。妹だと思って、守ってやってくれ」と頼みにきたのである。


◇◇◇


 ついに、運命の日がきた。


 カルガディア軍の攻撃が始まる前のことなので、時刻はまだ早朝である。

 降伏の証として首に城門の鍵を入れた――ように見える――白い箱を吊り下げ、使者としての体裁を整えたベルスが、西側の城門の上に姿を現した。

 朝日を背に、ガルバリオの本陣に向かって大声で呼びかける。


「私は、ローウェルの射声校尉ベルス・トウヒードである!カルガディア軍のガルバリオ・バーンズ軍団長に申し上げたきこと、これあり!願わくば、我が請いを入れてお聞きあらんことを!」

 日の出とともに陣地を出、攻撃開始の準備をしていたカルガディア将兵は、彼の手にある白い旗に気づいたのだろう。その間にどよめきが走る。


 それはしばらくの間、続いていたが、ややあって静かになった。

 と、カルガディア軍の陣列が割れた。先日と同じ黒馬に跨ったガルバリオが、その中から進んでくる。

 自陣と城壁の間で馬を停めた彼は、その割れ鐘のような大声で城壁の上に呼びかけた。


「軍団長ガルバリオ・バーンズだ!!オレと話がしたいというのはきさまか!?」

 並みの兵士なら縮みあがりそうなほどガルバリオの眼光は鋭かったが、さすがはベルスだ。微動だにせず、静かに返事した。


「私は射声校尉ベルス・トウヒードと申す。先日は、貴公に矢を射かけて失礼した」

 頭の真っ赤なバンダナをとって、ベルスは一礼した。短く刈り込んだ、鉄灰色のいかにも硬そうな髪がハラリと垂れる。


「おう、そういえばきさまだったな。あのとき、きさまのせいで城を落とせなかったのは残念だったが、これも戦場の倣いというものよ。気にするな」

 ガルバリオは片手を上げてガハハと笑ったが、ふとけげんそうな顔をした。


「それにしても、我が軍の将兵すべてに『百的仙(ひゃくてきせん)』と恐れられる男にしては、思ったより小さいのだな」

 それは「百人を射て倒した、仙人のごとき弓の名手」とでもいう意味だったが、聞いたベルスはカラカラと笑った。


「それが、貴軍が私につけた異名か!私はドワーフ族だから、小さいのは当たり前だ」

 笑いを収めた彼は、今度は小さくため息をついた。

「もっと倒せば『千的仙』と呼んで貰えたかもしれんが、残念だ。この旗を見ての通り、我が軍は武運拙く、もはや抗すること能わず。ついては、降伏の条件を貴公と議したい」


 それは聞いたガルバリオは、いつものへの字口のままながら、少し残念そうな表情をその顔に浮かべたようだった。

「きさまらとはもっと戦っていたい気もするが、兵士どものことを考えればそうもいかんか。無条件降伏以外にはあり得ぬ、といいたいところだが、よかろう。きさまの弓の腕に敬意を表して、話だけは聞いてやる。一時休戦とするゆえ、下りてこい」

 そう言うと、ガルバリオはくるりと馬首を返した。彼が待つ陣へと向かうため、ベルスも城壁を後にする。


 レルグが、下で待っていた。二人は無言のうちに抱擁を交わした。ややあって体を離したベルスは、覚悟の決まった、どこかすっきりとした顔をしていた。

 北斗は抱擁こそしなかったが、彼と長い間、視線を交差させた。「頼んだぞ」だろう、その眼差しに込められた意味を感じとり、黙ってうなずく。


 ゆっくりと開きつつある西の城門の前に、ベルスは立った。

 そして北斗とエリーサは、小走りで東の城門へと向かう。派遣される十人の使者は、三人が北の城門、同じく三人が南、そして北斗とエリーサを含む四人が東の城門から出ることになっている。


 目指す王都、国家と同名のローウェルの街は、マデッサの城から西の方角だ。北斗たちが出るべき城門とは逆方向になるが、だからこそ、敵将ガルバリオは西に陣を敷いているのである。

 東の城門へと急ぐ北斗の背後で、わーっという歓声が上がった。カルガディアの陣地に、ベルスが向かったに違いない。


 北斗とエリーサが乗る馬は、必要な準備がすべて整えられていた。


 鐙に足をかける。ぐいっと力を入れて、ひらりと鞍に跨る。北斗は、乗騎の手綱と、残りの二頭の引き綱とを手にとった。

 最後に、エリーサを見やる。

 まだ少女ながら、彼女はすでにいくつかの戦場を経験している。そのブルートパーズのように青く輝く瞳に強い力を込めて、北斗の眼を見返してきた。


 北斗は、うなずいた。


◇◇◇


 ギギギギギッ!!


 耳をつんざくようなきしみを上げて、巨大な城門が開かれる。

 この瞬間、マデッサの城では、ここ東だけでなく北と南の城門も開かれているはずだ。


 二、三頭の馬が通れるだけの隙間が開いた刹那、最初に、愛馬に鋭く鞭を当てたのはエリーサだった。先頭を切って城門を飛び出すと、全速力で駆け始める。

 その後を、北斗が追う。二人の騎士もそれに続く。


 令和日本の大学生にも関わらず、北斗の馬術は他の三人に劣らなかった。

 激しく揺れる鞍上でも、彼の体幹はぶれない。風圧を避けるためにかなりの前傾姿勢をとっているが、まるで、背骨と鞍との間に芯棒でも刺さっているかのように、ビシッとその体を固めている。


 北斗は、福島県相馬市の出身。相馬中村藩に伝わる古流馬術・大坪流を幼少のころから学んだ彼は、若いながらもその真髄に触れているのだ。

 それはすべて、相馬で千年以上続く神事、国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追」に出場するためだった。野馬追では、甲冑をまとったまま全速力で馬を走らせる「甲冑競馬」も行われるのである。

 北斗の両親は、旧相馬藩一円にその名を知られる野馬追の乗り手だ。息子にその後を継がせるべく、二人は北斗がまだ幼少のころから厳しい訓練を課してきたのだった。


 そのころカルガディア軍の方では、突然城門から飛び出してきた四騎に気づいて、あわてふためいていた。

 ベルス――降伏の使者がガルバリオの元に向かったことは、噂の早い軍中のこと、彼らの間にも伝わっていただろう。また、ローウェル軍がすでに、長く抵抗を続けることができないだけの損害を被っていることは、対峙している彼らもよくわかっている。降伏は真実だと、誰もが一抹の疑いももっていなかったに違いない。


 北斗が考え、ベルスがその身を犠牲にして実行した策は、ひとまず敵の油断を誘うことには成功したようだった。


 だが、北斗たちはこれから、十重二十重にマデッサの城を囲むカルガディアの大軍を突破しなければならない。それができなければ、なんの意味もないのだ。

 ただ、いかに小城とはいえマデッサの城も周囲は四、五キロある。それを隙間なく埋め尽くす、というのはいかにカルガディア軍でも無理な話なので、北斗たちはそこに一筋の望みをかけていた。比較的層が薄そうな一角を狙って、彼らはその馬を飛ばした。


 城門とカルガディア軍との間を一気に駆け抜けると、エリーサと二人の騎士は右手に騎兵槍をとった。腰だめに構えて、敵との激突に備える。

 北斗はその背後で馬を走らせつつ、手綱を口に咥えた。長弓を左手に、右手を背中の箙に回して矢を手に取る。


「行くぞっ!」

 先頭のエリーサが叫んだ。

 全速での疾走を続けながら、北斗は弓に矢をつがえた。


 敵兵は密集している。なので、狙いは粗く定めると、最前列の兵士に向かってひょうと射離した。それを、続けざまに四射。

 その四本の矢は確かに四人の兵士に当たったものの、致命傷になったかどうかはわからない。だが、北斗たちにとってはそれで十分だった。


 ひるんだカルガディア兵の群れに向かって、エリーサと二人の騎士が騎兵槍を繰り出した。ギャッという悲鳴と、血しぶきを上げて倒れた彼らの上を、ドドドドドとすさまじい地鳴りの音を立てつつ、四人の乗り手と十二頭の馬が駆け抜けていく。

 北斗たちが城門を飛び出してからここまで、五分とかかっていない。


 敵陣を駆けつつ、北斗は立ちはだかるカルガディア兵に向かって次々と矢を放った。

 こっそり習った流鏑馬が、こんなところで役に立つとは。歴オタをこじらせといて、本当によかった。誰にも言えないけど……。

 エリーサたちが彼の周囲を固めてくれているので、矢を放ちつつも、北斗にはそんなことを考える余裕がある。


 彼は、馬を疾走させながら弓を射る、日本古来の流鏑馬を習ったことがあるのだった。

 栃木県宇都宮市で大学生活を送る彼は、休日のたび、趣味であるお城見学のために近県を回っている。あるとき、埼玉県行田市にある忍城(おしじょう)を訪れた彼は、隣接する東照宮でこんなチラシを見つけてしまったのだ。


「あなたもやってみませんか。流鏑馬」


 もともと大坪流の馬術を習い、中学高校と弓道部に所属していた彼だが、相馬野馬追では流鏑馬が行われない。なので、それを修める機会は未だなかった。

 こ、これは!と歴史オタクの血が騒いだ北斗だったが、講習料はなんと三十万円。大学生がポンと出せるような金額ではない。だが、この歴オタはあきらめなかった。


 一計を案じた彼は、郷里の母に電話した。

「免許取りたいから、三十万円貸して」と。

 いまだ自動車には乗れない彼だが、こうして、馬上で矢を射ることはできるようになったのである。


「誰にも言えない」というのは、つまり、こういうことだった。


◇◇◇


 カルガディア軍の陣容は分厚かったが、不意を突くことに成功した北斗たちは、それを突破しつつあった。

 幾たびも矢を放ち、槍を振るう。そのたびにカルガディア兵は倒れ、弾き飛ばされて、彼らの前に道を空ける。


「サイト卿、左だ!」


 カルガディア兵の一人が、エリーサに向かってするすると槍を伸ばしたのが見えた。

 北斗の叫びに反応して、エリーサが身をよじる。着込んだ皮鎧の肩当を飛ばされながらも、彼女はかろうじて敵の鋭鋒をかわすことができた。

 北斗はというと、叫ぶやいなや、その兵士に向かって矢を放っている。槍を伸ばした脇の下を貫かれ、哀れな敵はもんどりうって倒れた。


 密集した敵中でも、北斗は危なげなく馬を走らせている。それもこれも、両親が彼に野馬追に備えた訓練を積ませてくれたからだった。

 相馬野馬追のメインは「神旗争奪戦」である。天中高く打ち上げられた花火から舞い降りてくる二本の御神旗を追って、数百騎の騎馬武者がどっと駆け出し、勇猛果敢に奪い合う神事だ。

 その様は、まさに古来の合戦のように荒々しい。野馬追の乗り手にはそうした、いわばモッシュのような状態であっても馬を御するだけの技量が求められるのである。


 そしてついに、四人は最後の敵の頭上を飛び越えた。カルガディア軍の背後に広がる森の中へと駆けこんだ時。


「顔だけの男かと思ったが、なかなかやるな、異世界人。助かったぞ」

 エリーサが北斗を振り返って、ニヤリと笑った。ちなみに彼女が、その仏頂面を崩して北斗に笑いかけてくれたのは、このときが初めてだった。敵陣を突破できて、彼女も少しホッとしたのかもしれない。

 北斗は驚いたが、彼もまたフッと笑って彼女を見返した。


 木々が立ち並ぶ森の中なので、馬の速度を少し緩める。ようやく一息ついた四人だったが、チラリと背後を振り返った北斗は、次の瞬間、「ヤバい!」と大声を上げた。

 カルガディアの騎兵が、馬に鞭を当てて走り出しているのが見えたからである。


 しかもその数、およそ五十騎。北斗たちの十倍に及ぶが、カルガディアの指揮官は、少なくとも無能ではないようだった。

 北斗たちを一人でも逃せば、それが千、万に及ぶ援軍を連れて戻ってくる。多数の追っ手を出してでも、絶対に逃してはならないことをわかっているのだろう。


「馬を替えてください!」

 北斗はエリーサと二人の騎士に指示した。馬が全力で疾走できるのは時間にして五分、距離にして四、五キロ程度。彼らが今まで乗っていた馬は、もう息も絶え絶えだった。

 四人は森の中で、急ぎ鞍を下ろし、別の馬に乗せ換えた。空馬だった残りの二頭は疲労が少ない。まだ走れそうである。


 替え馬を用いるのはチンギス・ハン率いるモンゴル軍が得意とするところだ。モンゴル騎兵は常に二、三頭の馬を引き連れ、行軍中に適宜乗り換える。重たい人間を乗せているかいないかで、馬の疲労の度合いが全然違うからだ。彼らはそうして、モンゴル高原から西ははるかポーランドやハンガリーまで侵攻したのである。


 今まで乗ってきた馬とは、ここで別れることにした。それまで負っていた旗指物を鞍に結わえつけ、進行方向とは少し別の方角に馬首を向けさせると、その尻に鞭を当てた。あさっての方向に向かって勢いよく走り出した馬に釣られて、数騎の敵が追いかけ始めた。


 北斗が替え馬を用意させた訳は、ここにもある。囮として時間を稼いでくれれば儲けものだ。その隙に、準備を終えた四人はまた馬を走らせ始めた。

 敵騎兵の動き出しは遅かったが、北斗たちも馬を替える必要があったので、彼我の距離はだいぶ詰まっていた。木々が鬱蒼とした森のこと、スピードが出せないのはお互い様だが、北斗たちは替え馬を連れている。


 ヒュン!


 その時、北斗の顔をかすめて何かが飛び去った。矢であるに違いない。

 恐怖にかられた北斗は、自らも弓に矢をつがえて、振り返ろうとした。


「振り返るな!前だけ見て走れ!!」


 鋭く叫んだのはエリーサだった。彼女は今、体を馬の首にくっつけるようにして走らせている。矢が当たる面積を減らすためだったが、その馬の尻には次々と矢が突き立っていた。このような時に備えて、尻にだけ分厚い皮の鎧を着けさせていたのは幸いだったが。

 北斗も同じように前傾姿勢をとると、ひたすら前だけを見て馬に鞭を当てた。


「うわあーーーっ!!」

 やがて、北斗の背後で悲鳴が起こった。ついに、仲間の一人が敵に追いつかれたのだ。

 こらえきれずにチラリと後ろを振り返ってしまった北斗の眼に、彼の姿が映った。

 背後から槍で胸を貫かれたその騎士は、死を悟ったのだろう。あえて馬を横倒しに倒させると、自らも体を大きく宙に投げ出したのである。敵騎のいくつかがそれにつまずき、馬の脚をとられて落伍する。


「いずれ(かたき)はとってやるぞ!」

 ひたすらに前をにらんで馬を走らせるエリーサは、戦友の最期を見ていない。それだけに、彼女は悔しさを声ににじませて叫んだ。


◇◇◇


 森を抜けた北斗たちは、次は山岳地帯へと馬を進めた。


 彼らが後にしたマデッサ城は、ローウェルとカルガディアの国境から馬を歩ませて一日の行程にある。その国境へと至る街道の結節点に当たり、城の東西南北から十字に道が伸びていた。

 そうした交通の要衝であるが故に、小城ながらも、カルガディアは猛将の誉れ高いガルバリオを送り込んで攻囲しているのである。


 北斗たちも街道を使えば、馬を走らせるのは容易いだろう。

 しかし、彼らは目指す王都ローウェルとは反対の、東にある城門から発っている。敵陣を大きく迂回して、西に戻る必要があった。また、十倍に及ぶ追っ手を避けるためにも、あえて山道を選ばざるを得なかったのである。


 そこに道があること自体は、エリーサも残った騎士も知っていた。だが、その険しさといえば、彼女たちの想像以上だった。

 一歩踏み外せば奈落に落ちるような細道を、崖に張り付きながら進む。これではとても馬に乗ってなどいられず、下りて歩くしかなかった。三人が連れているのはよく訓練された馬だからまだよかったが、そうでなければ、恐怖で暴れて、もろともに谷底の露と消えていただろう。


 追っ手も同じ条件とはいえ、これでは距離も時間も稼げない。

 そして、カルガディア騎兵は執拗だった。任務に失敗した時に、「喫人鬼」の怒声を浴びるのが恐ろしかったに違いない。


 夏のこととて日は長いが、払暁にマデッサを発ってから十五時間あまり。ついに夕陽が山並みの向こうに沈んだ。あたりを闇が包む。

 満ちていれば昼間のように明るい三つの月だが、この日は新月だった。

 星明りだけでは、この険しい道を進むことなど不可能だ。北斗たちは少し幅の広い部分を見つけて馬をつなぎ、交代で休みをとった。丸一日の逃避行で、すでに人も馬もクタクタになっている。


 敵に見つかってしまうので、火は使えない。持参の干し肉をそのままかじる。彼らを乗せて頑張ってくれた馬には、鞍に結わえてきた袋から大麦を与え、塩をなめさせてやる。

 夏とはいえ山の上だ。毛布にくるまる前に、北斗は革袋に詰めたワインをあおった。

 泥のような眠りは、刹那のようだった。エリーサに粗く肩を揺すられて目を覚ましたが、あたりはまだ真っ暗である。


 だが、彼らは相手より少しでも早く動き出し、距離を開かねばならない。石かと思うくらい硬いパンをかじりつつ、北斗は馬の手綱を引いて歩き出した。

 その時である。


 ヒュン!ヒュン!ヒュン!


 空気を切り裂く音がいくつか響いた。確かめるまでもなく、カルガディア兵の矢だ。そしてその音は、最後尾を歩いていた騎士と、彼が引く馬の後ろで止まっていた。

 人馬の背中には今、何本もの矢が突き立っている。


 北斗とエリーサが振り返ったのは、哀れな騎士と馬とが体制を崩し、谷底へと転げ落ちる瞬間だった。断末魔の声を上げることもなく、ただ、ガラガラと山肌が崩れる音だけをそこに残して。


 北斗は、その向こうにカルガディア兵の姿を見た。その数は十人ほどだったが、馬は連れていない。

 彼らは、一寸先も見えない闇の中、一歩踏み外せば死に至る細道を、まさに手探りで進んできたのだった。恐るべき執念と言うしかない。


「急げっ!ホクト!!」

 エリーサが叫んだ。彼女が「異世界人」ではなく、北斗の名前を呼んだのはこれが初めてのことだったが、二人とも気づいていない。

 前を行く北斗は駆け出した。まだ、馬に乗れるほどの道幅はない。


 急な上り坂を必死で走る。走るごとに、蹴とばされた足元の小石がカラカラと奈落に消えていく。

 まだ若い北斗だが、空気の薄い山の上を全力で走れば息が切れるのは当然だ。今にも止まりそうな足に、心の中で幾度も鞭を当てる。彼の後ろからはエリーサがついてくる。北斗が足を止めれば、彼女が先に追いつかれてしまうのだ。そのエリーサも、すでに息絶え絶えだった。

 無限の長さに思われた急坂だったが、ついに峠が見えた。あと少しで楽になる――


「アァーーーッ!!」


 甲高い悲鳴が山々にこだました。

 荒い息を吐き出しつつ振り返った北斗が眼にしたのは、山道に倒れ伏したエリーサだった。その太ももの裏には、一本の矢が立っている。


 それは、致命的な一撃だった。


「私を置いて、早く行けっ!!」

 北斗と視線を絡み合わせたエリーサが、苦痛に顔を歪めつつ叫んだ。

 叫びながら、彼女は腰の洋刀に手を伸ばした。仰向けになって体を起こすと、洋刀を鞘から抜いて、迫り来る敵兵に切っ先を向ける。


 北斗はためらった。

 道は狭く、人が一人、せいぜい二人通れる程度の隙間しかない。手負いのエリーサとはいえ、洋刀を振り回せば、敵も簡単に通り抜けることはできないだろう。

 その間に、北斗は峠まで至ることができる。そうなれば、後は下りだ。

 上手くいけば、馬に跨って駆け下ることもできるかもしれない。逃げ延びられる、そして、任務を果たせる可能性が出てくるのだ。

 だが。


 エリーサを。英里沙、そして母親にそっくりな女騎士のことを、置いていけるのか。


「ホクト、なにをしている!早く!!早く行けーーーっ!!!」

 背後で馬蹄の響きがしないことに気づいたエリーサが、絶叫した。


 彼女の前には、完全武装のカルガディア兵が腰の幅広小剣に手をかけて迫っている。

その顔にニヤニヤと下卑た笑みが浮かんでいるのまで、はっきりと見えた。それは、敵を追い詰め、手柄を立てられることの喜びなのか。それともなにか別の、邪なことを考えているのか。

 敵は、ついにその剣を抜いた。


 北斗は決断した。

 次に、北斗は全速力で駆けだした。

「ゴメン!!」

 そして北斗は叫びつつ、馬の尻に強く鞭を当てた。


◇◇◇


 だが、北斗が鞭を当てたのは、彼自身の馬ではなかった。


 Uターンしてエリーサの傍らに駆け戻った彼は、彼女が連れていた二頭の馬を巧みに旋回させると、渾身の力を込めてその尻を叩いたのである。


 仰天した馬は、全速力で駆けだした。

 下り坂を、カルガディア兵が待つ方向に向かって。


 道はごくごく細く、逃げ場もない。十人のカルガディア兵は、避けることもできず、全力疾走してくる馬体に跳ね飛ばされ、その馬蹄に踏み砕かれたのである。

 またたくまに、道の上からカルガディア兵の姿はなくなった。二頭の馬はその後もしばらく走っていたが、やがて足を踏み外し、バランスを崩すと、深い谷の底へと落ちていった。

 すべては一瞬のことだった。


「ゴメン……」

 日本人らしく、北斗は哀れな馬に向かって両手を合わせた。目をつぶって、南無阿弥陀仏と低く念仏を唱える。彼ら相馬の者にとって、馬は人間と同等、いや、下手すればそれ以上に愛すべき同胞なのだ。


 念仏を唱え終わった北斗は、足元のエリーサを見やった。

 彼女はまだ、洋刀を構えた恰好のままで座り込んでいる。おのれの周りで何が起こったのか、まだ理解できていないのかもしれない。


「サイト卿、立てるか?」

 エリーサの傍らに腰を落として、北斗は尋ねた。まだ呆然とした顔の彼女に向かって、優しく微笑む。


「あ、ああ……」

 ややあってから、ようやくエリーサはうなずいた。北斗はその彼女に、肩を貸そうと申し出た。拒絶されるかと思ったが、意外にも、彼女は素直にうなずいた。


 峠まではわずかな距離だが、足をやられた彼女を、北斗はほとんど抱えるようにして運んだ。腕の立つ騎士とはいえ、まだ十八歳の少女である。北斗の腕を通して伝わるその体つきは、想像以上に華奢で、軽かった。

 そして、彼女と体を密着させている北斗の鼻を、いくつかのにおいがくすぐった。血と汗の強いにおい。そして、ほのかな化粧と香水のにおい……。


「……どうして、先に行かなかった……」

 北斗の腕の中で、エリーサがつぶやいた。うつむいたまま、聞き取れないくらいの小さな声で。

「えっ?」

 聞き返した北斗に向かって、彼女は顔を上げた。そして今度は、耳が痛くなるくらいの大きな声を上げた。


「どうして戻ってきたのだ!二人とも、死んでいたかもしれないのだぞ!」

 問われた北斗は、答えを間違わなかった。

 すなわち、「だって、母さんに似ているから」などとは言わなかったのである。


「だって、オレは異世界人だから。きみがいなくなったら、どっちに行けばいいかもわからないだろ」

 肩を寄せ合って歩きつつ、二人はついに峠を越えた。

そのときエリーサは、勝ち誇ったようにこんなことを言ったのである。


「道がわからないだと?だからおまえは頭が悪いというのだ。見ろ!」

 彼女が指差したその先を眼で追った北斗は、拍子抜けした。ふもとへと続く一本道の向こうに、城壁に囲まれた街が小さく見えたからである。

 下り道は、ここまで上ってきた道よりも、多少は幅が広かった。馬で下れば、あっという間にたどり着けるだろう。


「なあんだ……!」

 隣にあるエリーサの顔と、北斗は顔を見合わせた。

 そして二人は、どちらからともなくプッと吹き出してしまった。一度笑い始めると、もう止まらない。

 緑豊かなローウェルの大地を見下ろす峠の頂で、二人は声を上げて笑った。


 しばらく笑い続けて、ようやくそれを収めたエリーサだったが、すっかり気が抜けてしまったらしい。そしてアドレナリンが切れたのだろう。まだ矢が刺さったままの足の痛みに、激しく顔を歪めたのである。


「だ、大丈夫!?」

 心配のあまり大声を上げてしまった北斗を、エリーサは横目でギロリとにらんだ。

「耳元で騒ぐな!いせか……いや、ホクト。これくらいの痛み、戦場ならあたりまえだ」

 自分のことは棚に上げて大声を出した彼女だったが、そこまでが限界だった。

 止まない痛みに顔をしかめた彼女は、また、素直に北斗を頼ったのである。


「だが……正直なところ、足に力が入らない。このままでは、鐙が踏めず、落馬してしまうだろう。すまないが……おまえの背中に乗せてもらえないか」

 それならばお安い御用だ。北斗はエリーサに手を貸して、彼の馬に登らせた。そして自らも鐙に足をかけると、鞍にまたがる。


「行くぞ、サイト卿」

 手綱を手に取った北斗は、肩越しにチラリと振り返って声をかけた。エリーサはうなずくと、彼の腰に手を回した。体に力が入らないのか、北斗の背にもたれかかってくる。

 二人で馬に乗るには邪魔なので、それぞれ、まとっていた皮鎧は脱いでいた。エリーサの体の温もりが、背中を通して伝わってくる。


「私には兄弟がいないが……」

 エリーサの傷に障らないよう、北斗がゆっくりと馬を歩ませ、山道を下り始めた時。彼女がそう口を開いた。

「もし、兄がいれば、こんな感じなのかもしれないな……。ホクト、おまえは?」

「いいや、オレも一人っ子だよ。それより、傷は大丈夫か?」

「痛みはするが、大丈夫だ」

 気丈に答えたエリーサだったが、その息は荒い。かなり痛むのだろう。


 北斗は少し馬の脚を早めた。

「急ぐぜ、サイト卿。早くあの街に着いて、手当してもらうとしよう」

「おまえはやはり、頭が悪いな」

 突然、北斗の背中でエリーサが毒づいた。


「サイト卿はやめてくれ。そもそも『卿』の使い方が間違っている。名前に卿をつけるか、フルネームに卿をつけるかのどちらかで、名字につけることはないのだ」

「ゴ、ゴメン。知らなかった」

 あわてて謝った北斗だが、エリーサはフフッと笑ったようだった。そして彼の背中に顔をうずめると、ささやくような小さな声で、こう続けたのである。


「だから、今後は、その……なんだ。もしおまえがよければ、これからは単にエリーサと呼んでほしい……」

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