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チャプター2 初陣

「入れ!」


 ソファからスッと立ち上がったレルグが、鋭い声で命じた。

 バタンとドアが開かれると、息せききって一人の兵士が入ってくる。彼はレルグの前で片膝をつくと、軽く息を整えた後で、こう言上した。


「申し上げます!カルガディア軍の陣頭に、新しい指揮官と思しき男が姿を現しました。名をガルバリオ・バーンズと名乗っており、城主に挨拶がしたいと申しております!」

 その言葉を聞いたレルグとベルスは、たがいに顔を見合わせた。


「ガルバリオ・バーンズだと……?」

「まさか、うわさに聞く『喫人鬼(オーガ)』か?」


 二人の間には今、明らかな緊張が走っている。北斗はもちろん知る由もないが、ガルバリオとやらいうその敵将は、よほど恐るべき相手であるに違いない。弓の名人であり、実戦経験も豊富であろうベルスが今、その顔に厳しいものを浮かべているのだ。


「……わかった。その挨拶、受けよう」

 敵将が待つ、その場所だけ確認すると、レルグは兵士を下がらせた。ベルスとともに立ち上がり、あらためて腰の剣を確認すると、北斗に声をかけた。


「北斗。よければそなたも来い」

 もとよりそのつもりである。黙ってうなずき、北斗も腰を上げた。


 レルグを先頭に、三人は彼の執務室を出た。広間に佇立していた騎士たちが、その後に突き従う。歩きつつ、レルグは騎士たちに、北斗を輔国将軍参軍に任じたことを告げ、以後、自分の側近として扱うからそなたたちも粗略のないように、と命じた。


 やがて、一行は西にある城門上の城壁に登った。レルグの一歩後ろから、下を見下ろした北斗は息を飲んだ。


 マデッサの城は、ぐるりと包囲されていた。

 新指揮官のガルバリオは増援の部隊を率いて来たらしい。ベルスたちの語るところによれば、敵陣の厚みは倍にも増強されているようだとのこと。それは、城に籠るローウェル軍四千の五倍に及ぶ数と見られた。


 その軍勢は、中隊ごとに密集隊形で三列の方陣を組み、整然と並んでいる。

 兵士たちは鎖鎧を着こみ、左手に方形大盾(スクトゥム)を構えている。右手には地面に突き立てた長槍(パイク)。腰には幅広小剣(グラディウス)を差している。

 隊長だろう。中隊の前には一人ずつ、胸甲を着けさせた馬に跨る騎士がいる。騎士も兵士もそれぞれ、頭には真っ赤な飾り房のついた兜をかぶっていた。


 彼らが掲げているのは、白地に赤の十字、そして剣に貫かれた獅子の紋章。いまや帝国となった、カルガディアの軍旗である。


 レルグと騎士たちが城壁の上でその身を露わにすると、やがて、カルガディアの陣列が左右に割れた。トンネルを作るかのように軍旗が斜めに掲げられて、一筋の道ができる。

 そしてその間を、黒馬に跨った重武装の騎士がゆっくりと進んできた。


「デカいな……!」

「あれが、うわさの『喫人鬼』か……」

「あの斧を見ろよ。血がこびりついて真っ黒だぜ……!」

「ヤツが、あの斧で断ち割った敵将の肉を焼いて食らうというのは、本当だろうか……」


 北斗の後ろで、兵士たちが不安そうにささやいている。私語は禁止されているはずだが、しゃべっていないと心の平衡が保てないのだろう。それをわかっているのか、レルグやベルスもあえて咎めだてしなかった。


 彼らの言う通り、陣頭に姿を現した敵将は巨大な体躯をしていた。おそらく、身長は二メートルを優に超えているだろう。その跨る馬も大きなはずだが、まるでポニーのようにしか見えない。

 南方にあるカルガディア人らしく、その肌は浅黒く日焼けしている。見るからに分厚い板金鎧で身を包んでいるが、それもまた黒一色だった。手には長柄の大斧(ポールアックス)を提げている。


 今、彼は兜をかぶっていない。露わになった顔はと言えば、鋼のような黒髪をオールバックにし、太いもみあげが前方に反り返っている。口はへの字に曲がり、突き出た顎は二つに割れて、豺狼のような両眼がギラギラと輝く。一見して異相の人物であった。

 全身から周囲を圧する威風を放ち、カルガディア随一の猛将との評判に恥じない。


 その姿を、城壁の上に並んだローウェルの将兵が固唾を飲んで見守っている。やがて彼は、自陣と城壁とのちょうど中間あたりで馬を止めた。


「マデッサの将兵に告ぐ!!オレは、カルガディア帝国軍第三軍団(レギオン)軍団長(レガトゥス・レギオニス)ガルバリオ・バーンズだ!!カルガディア軍の指揮は、本日より、このオレがとる!!」


 彼が張り上げた声は、まるで割れ鐘のようだった。その大きさはといえば、思わず耳を塞いでしまった兵士がいたほどである。

 城壁の上のローウェル将兵をひとにらみして、ガルバリオは言葉を続けた。


「この城は、完全に我が軍の包囲下にある!!きさまらはもはや、袋の鼠だ!!そして、きさまらの友軍は今、各地で敗れ、ただ逃げ惑うのみである!!救援の望みはないものと知れ!!」

「きさまらも、オレの異名は知っておろう!!身の程知らずにも抵抗を続けるのであれば、きさまらの肉を喰らってやるから覚悟しろ!!」

「おとなしく降伏するならばよし。でなければ、今夜中にきちんと風呂に入っておけ!!このオレとて、汚れた肉は食いたくないからな!!」

 そう高らかに告げて、ガルバリオはガハハハと哄笑した。


 抜けるように晴れ渡った夏空の下にも関わらず、ローウェルの将兵は今、彼の一言一句に寒気を感じずにはいられなかった。もはや兵士たちにとって、ガルバリオは本物の人食い鬼にしか見えないに違いない。


 やがて笑いを収めると、ガルバリオはレルグと騎士たちに鋭く視線を投げつけた。

「マデッサの城主はどいつだ!!オレの前に出る度胸があるなら、名乗り出ろ!!」


 それは、傍らで聞いているだけの北斗であっても、肝が縮み上がりそうな迫力ある呼びかけだった。

 しかし、レルグは顔色一つ変えず、スッと一歩、進み出た。ガルバリオに正面切って対峙し、彼をキッとにらみつけと、落ち着き払った声で返事した。


「マデッサ城代、輔国将軍レルグ・コールヴィッツだ。ガルバリオ卿にはお初にお目にかかる」

「レルグ・コールヴィッツ……?」

 その名を聞いたガルバリオは、いぶかしげに眉根を寄せた。聞き覚えがあったようで、レルグに向かって確認の問いを発する。


「よもや、きさまがローウェル十一勇者の一人か?」

 城壁の上で、レルグはうなずいた。そして今度は、彼がカルガディア軍に向かって呼びかける。


「卑劣な侵略者どもよ、よく聞け。私こそ、ジュノ・エスカーズ陛下に従って魔王ヴァリアハルレブを封印した勇者の一である。きさまらとの戦いなど、魔族とのそれの激しさに比べればものの数ではない。この私がいる限り、マデッサの城はけっして落ちぬ。そのつもりで攻めてこい」


 カルガディアの大軍を前に、レルグにも緊張がないはずはない。だが、あえて大声を張り上げず淡々と呼びかけるその姿は、ローウェルの将兵たちを落ち着かせるのに十分だった。敵に『喫人鬼』あれど、我らに魔王封印の勇者あり、である。


 レルグの言葉を聞いたガルバリオは再び大きな声で笑ったが、その笑いはいかにも楽し気だった。

「勇者の一人とあれば相手にとって不足はない。軍と軍とのぶつかり合いも良いが、どうだ?レルグよ。オレときさまと、一対一で戦って決着をつけるというのは。もっとも、きさまにその勇気があればだがな」

 そうガルバリオは挑発したが、レルグは取り合わない。


「私は精霊使いだ。剣と剣の打ち合いでは貴公に及ばぬだろうが、魔法を使ってもよいなら、負けはせぬよ」

 その答えに、ガルバリオはまたガハハハと哄笑した。


「なるほど、それぞれ得意とする技は違うというわけだな。……では、やむを得ん。城門を破り、城壁を乗り越えたその後で、またきさまにまみえるとしよう。その時はきさまの肉も喰らってやるから、首を洗って待っているがいい」

 笑いを収めたガルバリオは、くるりと馬首を返すと自陣に戻っていった。


 その日は、それで終わった。

 だが。

 翌日から、この籠城戦は一気に厳しさを増すのである。


◇◇◇


「伝令!東の城門に、攻城塔(タワー)が三基接近!ベルス卿率いる弓兵隊が火矢を放って防戦に努めております!!」

「申し上げます!西の城門を敵の破城鎚(バタリング・ラム)が攻撃中!未だ破られてはおりませんが、損傷著しく、応急の人員と資材の派遣を願います!」


 マデッサ城中央の館にあるレルグの執務室には、次々と伝令が飛び込んでくる。

 攻城塔とは、城壁の上に橋を架けて乗り移るための木造の櫓。台車がついていて、移動させて使用する。破城鎚は巨大な丸太の先端に金属をかぶせ、兵士たちが手で持ったり台車に乗せたりして城門にぶつけ、それをこじ開けるものである。


 前任のカルガディア軍司令官は、坑道戦術をとったことからもわかるように、兵士の損耗を極力抑えてじっくり攻めるタイプだった。一方のガルバリオは、さすがにカルガディア随一の猛将と呼ばれるだけある。その戦術は、徹底して力攻めだった。


 攻城塔や破城鎚、投石機(カタパルト)大弓砲(バリスタ)など城攻めのための道具や機械を惜しみなく使い、兵士たちに間断なく突撃させる。彼らは、あるいは城壁にとりつき、あるいは城門に迫ったが、ローウェル軍も必死で防戦し、撃退を続けている。

 城壁、城門の前にそれぞれカルガディア兵の死体が積みあがったが、ガルバリオは意に介さない。また次の部隊に突撃を命じるのだった。


「『喫人鬼』め、なかなかやる……!」

 その形の良い顎に拳を当てて、レルグが歯噛みした。


 一見粗雑に見えるが、ガルバリオのとっている戦術はけっして間違いではない。

 次から次に押し寄せてくるカルガディア軍を前に、ローウェルの将兵は休むヒマもなく、疲労を増していたからだ。数の少ないローウェル軍には交代要員もいないので、彼らが疲弊の極みに達して動けなくなった時に、城は落ちるのである。

「大軍に区々たる用兵など必要ない」とはよく言ったもので、このマデッサ城攻防戦のごとく彼我に圧倒的な兵力差がある場合、単純な力押しは十分に有効なのだった。


 味方の損害に苦悩するレルグを心配して見やったものの、今の北斗にはできることがない。せめて戦況や城内の地理を的確に把握しようと、タイミングを見計らっては何度か城内の視察に出たが、状況は時間とともに悪化しているようにしか見えなかった。


 つい昨日まで、城内の通りという通りには日々の暮らしに精を出す住民の姿があった。だが、今ではどの家も扉を閉ざし、窓には鎧戸を下ろして閉じこもっている。

 通りに姿が見えるのは、兵士だけ。それも、負傷兵の割合が加速度的に増えていた。腕が折れ、足がちぎれて、苦痛にあえぐ彼ら。石畳にはダラダラと血がこぼれ落ち、そこかしこに赤い筋が残されている。


 吐き気をこらえながらも、北斗はもう凄惨な光景から眼を逸らさなかった。思いもかけぬなりゆきであるにせよ、彼はすでに参軍の地位にある。それは、上官たるレルグに向かって、兵士たちを死地に赴かせるような進言もできる立場だった。


 せめて、苦闘する兵士たちを力づけるような言葉をかけてやりたかったが、異世界から来たばかりの北斗はまだ、城内で顔を知られていない。参軍に任じられたことはレルグが布告をしてくれたが、戦闘の激化もあって、ほとんどの将兵は理解していないだろう。

 なので、見知らぬ顔の北斗がうろちょろしていることに血走った視線を向けてくる者も多かった。彼らはただでさえ殺気立っているのである。レルグが北斗のために一人の兵士を案内につけてくれたので、それ以上のトラブルになることはなかったが。


 北斗は城内南部の視察を終えると、次は西に向かおうとした。すると、その西の方角から、数人の兵士がものすごい勢いで駆けてくるのが見えた。


「西の城門が破られそうだ!!」

「動ける者は救援に行ってくれ!!」

「誰でもいい!!戦えなくてもいい!!城門を塞ぐ資材を運んでくれ、頼む!!」


 兵士たちは救援を求めにきたらしい。口々にそう叫んでいるが、通りに並ぶ家々の扉は固く閉ざされたままだ。彼らはしばらくの間、声を限りにして呼びかけていたが、結局、誰も姿を現さない。

 絶望したのか、彼らはついに膝から崩れ落ちてしまった。「おお……おおお……」と石畳を叩いて嗚咽している。


 その姿を目の当たりにして、北斗は西に向かって駆けだした。

 居ても立っても居られなかった。


「参軍殿!?危険です、お戻りください!」

 御付の兵士が後ろから叫んだが、北斗は足を停めなかった。


 彼は令和日本の大学生だ。もちろん、戦いの経験はない。歴史が好きだから、戦争の凄惨さ、非情さを多少は理解しているつもりだが、それはあくまで知識と観念に留まる。

 そんな彼が、血風吹きすさぶ戦場に向かったところで何ができるとも思えない。それでも、彼は足を停めなかった。


 駆けに駆けて、ついに西の城門に至る最後の角を曲がった時。

 破城鎚の攻撃で門扉に開けられた大きな隙間から、赤い飾り房のついた兜をかぶった兵士たちが続々と入ってくるのが見えた。

 そして味方の兵士たちが、彼らの振るう幅広小剣によって突かれ、切り裂かれているところも。


 血潮が虚空に飛び散る様を生まれて初めて目にした北斗は、覚悟を決めた。


◇◇◇


 北斗は突如、石畳の上に正座した。両の拳をそっと、膝の上に乗せる。

 そして、静かに目蓋を閉じた。


「さ、参軍殿!?」

 御付の兵士が驚いて声をかけた。彼にしてみれば、コイツは気が狂ったのだとしか思えないだろう。敵前だというのに、道のど真ん中で座り込んでいるのだから。


 北斗は眼を閉じたまま、こう答えた、

「弓と矢を探してきてください。できれば長弓(ロングボウ)で、矢の長さは一メートル程度のものを」

「えっ!?」


 また驚いた兵士だったが、「早く」と促されて、駆けだしていった。城壁や城門の近くには、防衛のための武器庫がある。兵士はもちろん、それを知っていた。彼が弓と矢を手にして戻ってくるまで、それほど時間はかからなかった。

 音でそれに気づいた北斗は、目蓋を開くと、ゆっくりと立ち上がった。


 体の中心を意識しつつ、足を踏み開く。弓道の射法八節にいうところの「足踏み」だ。

 兵士から弓と矢を受け取った北斗は、続いて「胴造り」に入った。兵士は北斗の希望通りの矢を見つけて来てくれたようで、その長さは手になじむ。(つる)調べ、()調べと言われる、弦の位置と矢を放つ方向とを確認し、深呼吸して丹田――おへその下に力を蓄えた。


 そして「弓構え」「打起し」「引分け」。北斗はごく自然な動作で矢を放つ体制を整えた。中学高校の六年間、一日も練習を休まず打ち込んできた弓道だ。その所作は体に染みついている。

 北斗は、続く「会」を待った。


「南無八幡大菩薩、この矢はづさせたまふな、か……」と、心に『平家物語』の一節を思い浮かべつつ、カルガディア兵の動きをじっくりと見て矢を放つタイミングを測る。


 その一方、彼の頭には「ま、オレの守護神は八幡様じゃなくて妙見様だけどな!」などと、そんなことも浮かんだ。北斗は、今、自分が落ち着いているのか、それとも雑念に満ちているのか、自分でもよくわからなかった。

 令和日本の大学生が、これから生きた人間に向かって矢を放とうというのだ。わけがわからなくなるのも無理からぬことかもしれない。


 頭を一つ振って、北斗は集中するのをあきらめた。衝動的に弓を用意しろだなんて言ったものの、動く的になぞ当てられるはずもない。一度もやったことがないのだから。

 しかし開き直ってしまえば、意外にも、人は逆に集中できるものらしい。


 ついに「会」を見定めた北斗は、「離れ」に入った。胸郭を開くと、よっぴいて弓を引き、ひょうと矢を放つ。

 弓道でも剣道でも、大事なのは最後の「残身」である。北斗は頭からおへそ、弓を持つ左手と矢を引き放った右手とをきれいな十字に保ち、ゆっくりと弓を倒した。物見、矢所と言われる、矢の行方を見極める。


 およそ六十メートル先で、カルガディア兵が仰向けに倒れた。兜の下、顔の中央に矢を受けたのだ。それはちょうど、北斗が慣れ親しんだ、的までの距離とほぼ同じであった。


「次」

 御付の兵士に、北斗は短く声をかけた。それまで、少しぼおっとして北斗のことを眺めていた彼だったが、その言葉でハッと我に帰ると、次の矢を北斗に手渡した。

 

 その矢も、城門の隙間から顔をのぞかせたカルガディア兵の額に吸い込まれた。三本目は、味方に向かって剣を振り上げた敵兵士の首に突き刺さる。

 四の矢は惜しくも外れてしまったが、そのとき、北斗の後ろで雄叫びが上がった。

 救援が来たのだ。


「北斗!よくやった、下がれ!」


 その声に振り向くと、レルグがベルスを従えて走ってくるのが見える。北斗が敵兵を射倒すところを見られていたらしい。

 とたんに力が抜けた。北斗は弓と矢を傍らの兵士に押し付けるようにして返すと、荒く息をついた。倒れこむかのごとく、民家の壁に寄りかかる。

 ニッと笑みを向けつつ、ベルスがその脇を駆け抜けていった。


 侵入してきたカルガディア兵の数は多かったが、味方の必死の防戦に加え、北斗の弓の援護もあり、そこに釘付けにされて城内に散るまでには至っていなかった。

 敵が密集している様を見定めたレルグが足を停めて、左手でなにやら印を切り始めた。とともに、ブツブツと呪文のようなものを唱え出す。

 それは、精霊への呼びかけだった。


「赤く焼けつく炎はそなたの怒り。青く揺らめく炎はそなたの願い。白く輝く炎はそなたの誇り……あらゆる火を統べし炎帝よ!我が請いを入れて、この時、ここに姿を現せ!」


 そう声を上げて、レルグは左手を大きく振るった。城門の近くで焚かれていたかがり火から、ボワッと、なにやら真っ赤な色をした巨大な人影が浮かび上がる。

 炎を統べる精霊の(イフリート)だ。

 下級の火の精霊(サラマンダー)と違い、それを呼び出せる精霊使いは大陸中を探しても幾人もいないだろう。だが、レルグは魔王封印の勇者だ。当然、それにふさわしい力を持っている。


「そなたのすべてを込めた終末の炎よ……今、この地に吹き荒れろ!」

 叫びつつ、薬指だけを折った左手で、レルグは最後の印を切った。


「行くぞっ!『炎の(ファイアストーム)』!!」

 そして、その左手の指をカルガディア兵に向けた。


 次の瞬間、彼らの真ん中で熱風が下から上へと巻き起こった。立ち上った真っ白な炎が、瞬く間に哀れな兵士たちを飲み込んでいく。熱風は、離れた距離にいる北斗の頬までも焦がした。その熱さに驚いて、北斗はあわてて左腕で顔をかばった。

 轟轟と音を立てて、炎はしばらく吹き荒れていたが、数分の後には、ただ黒焦げになった肉塊が後に残され、プスプスと煙を上げるだけになっていた。


 戦友の凄惨な最期を目の当たりにし、残ったカルガディア兵は、目に見えて怖気づいている。

「ひ、引けっ!」

 上ずった声で百人隊長(ケントゥリオ)が命じると、潮が引いたように、彼らはまた城壁の隙間を抜けて自陣へと退却していった。


◇◇◇


「驚いたぞ!ホクト、おまえ、弓が引けるのか!」


 カルガディア兵がすべて退却したのを確認し終え、戻ってきたベルスが声を上げた。

 北斗はまだ、壁に寄りかかったままである。

 激情のままに弓を手に取り、三人もの兵士を射倒したものの、今になって彼は足の震えを止められなくなっていた。


「ま、まぐれです。恥ずかしながら、スケベしちゃいました……」

「はあ!?何を言っているんだ!?」


 弓道は一回に四本の矢を放つのが一般的だが、四本すべて的に命中させることを「皆中」という。一方、三本目まで当てて、四本目は外すことを俗に「スケベ」というのだ。

「あ……い、いえ、なんでもありません。そそ、それより、もう一歩も動けません……」

 足だけでなく、声まで震えだしてしまった。その秀麗な顔を情けなさそうに歪めた北斗だったが、ベルスはそんな彼に優し気な眼差しを向けた。


「恥じることはない。誰にだって初めてはある。オレはといえば初めて戦場に出た時、

十も放って一矢も当たらなかったものだ」

 そう言って苦笑いしつつ、ベルスは北斗に肩を貸してくれた。もっとも、長身の北斗とドワーフ族のベルスとの間には五十センチ近い身長差がある。肩を組むというより、ベルスの肩を支えにして立つ感じになる。


「参軍殿。お見事でした」

 御付の兵士が反対側に回り、北斗を支えてくれた。彼はすっかり、北斗の弓の腕に関心してしまったようだ。その眼差しには尊敬の念が浮かんでいた。


「北斗、よくやってくれた」

 それまで城門の補修を指示していたレルグも戻ってきて、北斗を労わってくれた。


 彼は、大地の上位精霊(ベヒモス)の力を借りた「大地の(アースウォール)」の魔法を用いて、破れた城門の前に巨大な土壁を築いていたのである。それはおよそ一時間の間しか効力を持たないが、兵士たちが隙間を塞ぎ、バリケードを築くには十分な時間であった。


 ベルスたちに支えられて城門を後にした北斗の姿を、守備隊の兵士たちが敬礼で見送ってくれた。彼らも、その絶体絶命の危機を救ってくれたのが、異世界から来たと称する若者であることを知ったのである。


 北斗がようやくにしてレルグの館に戻った時には、すでに夕暮れになっていた。さすがのカルガディア軍も、夜を前にして引くことにしたらしい。城内にはようやく、ひと時の平穏が訪れていた。


 館内に与えられた小さな部屋のドアをバタンと閉め、一人になった北斗は、ベッドの脇にヘナヘナと崩れ落ちた。もうそこに這い上がるだけの気力もない。藁の詰められた布団に顔を埋め、北斗は眼を閉じた。


 目蓋の裏に浮かんだのは、母と、英里沙の顔だった。

 しかし二人の笑顔は、次の瞬間、北斗の矢を受けてのけぞった敵兵の姿に変わる。


「母さん、斎藤さん……。あなたの息子は、同級生は、今日、人殺しになったよ……」


 弓を手に取ったことを、後悔はしていない。彼があの時そうしなければ、城門は破られ、カルガディア兵が城内に流れ込んできていただろう。そうなれば、マデッサは阿鼻叫喚の地獄に陥り、女や子どもまでも犠牲になっていたに違いなかった。


 言い訳ならある。それでも、北斗は体と心の震えを止められなかった。

 日本に帰りたい。北斗は今、心からそう思った。

 だが……母や英里沙のもとに戻ったところで、彼には合わせる顔があるのだろうか。


 ドガアァァァーーーン!!


 その時、屋根の上で大きな音がした。衝撃が壁を伝わり、床にへたり込んだ北斗まで響いてくる。

「なんだ!?」

 驚きのあまりだったが、北斗は立ち上がることができた。


 ガアーン!ズガアーン!!

 轟音は何度も何度も響いた。その都度、館は激しく揺れて、天井からパラパラと埃が落ちてくる。

 自室を飛び出した北斗は、レルグの執務室に向かった。


◇◇◇


 レルグも執務室から広間に出てきていた。


 そこへ、兵士が飛び込んでくる。彼は転がるようにして地面に平伏すると、報告の声を上げた。

「も、申し上げます!カルガディア軍の投石機による攻撃と思われます!」

「やはりそうか。それで、何を投げ込んできた。石か?」

「そ、それが……!」


 落ち着き払って尋ねたレルグだったが、兵士の方はひきつったような声でこう答えた。

「死体です!それも、我々のものだけでなく、ヤツらは、味方の死体まで……!」

「死体だと!?なんで、そんなものを投げる?」

 驚いたレルグは、北斗にその意味を問うた。


「そうですね……」

 北斗は顎に手を当てて考えた。


 投石機というのは、当然、巨石を投げて敵の城壁や建物を崩すために用いられる。火のついた藁玉を飛ばして火災を起こさせることもあるが、死体を投げつけるのもけっして珍しいことではなかった。

 そこには、合理的な理由がいくつもある。

 第一に、甲冑をまとった兵士の死体は重さが百キロ程度になり、遠心力も加わって、単純に破壊力があるということ。第二は、相手の士気を下げられること。死体が頭上を飛び交うのは気味が悪いし、死ねば自分の死体も投げつけられるかもしれないと思えば、戦う気力を萎えさせるものだ。元から戦闘意欲の高い兵士はともかく、民衆、特に女子どもには耐えられないだろう。

 そして第三は、屍毒である。運よく敵の水源に投げ込むことができれば、屍から出る毒で貴重な飲み水を汚染させることができるし、疫病のもととなることだってある。だから埋めるなどして死体を適切に処理することは、攻める方にとっても守る方にとっても重要なのだが、投石機で投げ込んでしまえばその手間も省けるのである。


 そう答えたものの、北斗には腑に落ちないことがある。通常、投げるのは敵の死体に限るものだ。味方の死体を投げるのは遺族や戦友の反発を招く行為なので、よほどのとき意外はやらないものである。


 敵将ガルバリオ・バーンズは、それに頓着しない粗雑な男なのか。それとも、あえて味方の死体を投げることで、容赦のない男だと敵の恐怖心をあおったり、督戦、すなわち味方に必死で戦うよう促す効果を狙ったりしているのか。

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」とは『孫子』に見える、古代から現代まで伝わる兵法の要諦である。ガルバリオがどのような考え方をする人物か、参軍である北斗には関心があった。それがわかれば、相手の裏をかくこともできるようになるからだ。彼の言動、とった戦術、あらゆる情報を元に、プロファイリングをする必要がある。


 結局、死体の投げ込みは一晩中続いた。その間、ローウェルの軍民は休むことができない。人的被害はなかったし、城壁や民家が大きく崩れることもなかったものの、投げ込まれた死体の処理に追われていたからである。


「レルグ将軍、死体の処理の方法について、一つ献策したいことがございます」

 北斗が提案したのは、カルガディア兵の死体を城門の周辺や城壁の下に、丁寧に敷き詰めることだった。


 それには二つの意味がある。一つ目は、ローウェルが誇り高き文明の国であり、敵兵といえど死者を粗略には扱わない態度を内外に明らかにすること。二つ目は、カルガディア軍が次に城に迫ろうと思えば味方の死体を踏み越えなければならないわけで、ためらいを起こさせて士気を下げるためにあった。

 さらに北斗は、カルガディア軍から味方の死体を回収したいとの申し出があれば、許可するようにと進言した。それは一つ目の理由を補強するためでもあるし、彼らが回収の作業をしている間、城内の人々は交代で休むことができるからだ。


「なるほど!よく言ってくれた!」

 レルグは大きな声で北斗の策を褒め、それを採用することを部下たちに告げた。北斗には、彼があえてそうした理由がわかっている。レルグはそうすることで、この異世界人が有用な人材であることを皆に周知させようとしたのだろう。


 幸い、カルガディア軍は投石機を用いるだけで夜襲はしてこなかったので、作業は滞りなく進んだ。北斗も率先して、兵士や街の人々とともにその作業を手伝った。異世界人である彼は、そうして周囲の信頼をコツコツと勝ち取る必要があるのだ。


 夜が明けるころには、投石機の攻撃は止んでいた。哀れな死体の処理もおおむね終わったが、そのため

に、誰もが一睡もできなかったのである。


 そして、日が登るやいなや、またカルガディア軍の猛攻が始まった。北斗の策は残念ながら当たらなかったわけだが、味方の死体を踏みつけて戦うカルガディア兵の内心まではわからない。

 カルガディア軍は津波のような勢いで、何度も何度も、繰り返し押し寄せてきた。


 一度など、軍団長たるガルバリオが大斧を手に取り、自ら攻城塔に乗って城壁の上に降り立ったことがある。

 それはまさに、血の旋風だった。


 彼の斧が一振りされるたびに、ローウェル兵の体は木の葉のように吹き飛んだ。赤いしぶきを噴き上げ、恐怖と断末魔の叫びを響かせながら。

 その様を遠望した北斗は、ただただ呆然と見ていただけだった。手にした弓に矢をつがえることもできなかった。彼にできたのは、ただ恐怖に震えることだけだったのである。


 またたくまに城壁の上から、敵将を囲む兵士の姿はなくなった。ガルバリオは彼らの死体を踏み越えて、北斗も待つ方角へとゆっくり歩みだした。

 迫りくる死を、北斗も覚悟した、そのとき。


 ベルス率いる弓兵隊の救援が間に合った。彼らに遠くから射すくめられて、さしものガルバリオも攻城塔に引き上げたのである。


 その後もローウェル軍は、レルグの魔法、ベルスの弓を支えに、疲労を押して必死の防戦に努めた。北斗も再び弓を手にとり、その列に加わった。

 ベルスには到底及ばないにせよ、彼の弓はそれに次ぐ精度を誇り、カルガディアの兵士たちを幾人も地獄へと叩きこんだ。いつしか敵軍にもその顔は知られるようになり、城壁の上に彼の姿が見えると、カルガディア兵は方形大盾をかざして後退するのが常になっていた。

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