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チャプター1 坑道

 ギイッと音がして、地上へと続く階段の蓋が開いた。


「なんだ、どうした!?」

 叫びながら、ドヤドヤと二名の番兵が下りてくる。番兵たちは、そろって手にした槍を鉄格子の向こうの北斗に向けた。


「何を騒いでいる!」

 尋ねられた北斗は、地面を指差しながらこう答えた。

「地下から何か音がするんだ。床に耳をつけて、聞いてみてくれ」

「なに?なんで、そんなことをさせようとする?」


 槍を突き付けたまま、番兵たちがけげんな顔で問い質してきたので、いらだった北斗はつい声を荒らげてしまった。

「あんたたちは、敵に城を包囲されているんじゃないのか!?坑道だ!敵軍が地下に穴を掘って、侵入しようとしているのかもしれないんだぞ!」


 そう言われて顔を見合わせた番兵たちだったが、次の瞬間には、そろって石畳にその身を投げ出していた。

 北斗も再び、床に耳をつけてみる。

 小さくはあるが、ガンガン、ガリガリという音がその耳に伝わってきた。傍らの、水の張られた甕に眼をやると、水面がわずかに波打っている。


 あわてて番兵の一人が階段を駆け上り、飛び出していった。ベルスか誰かを呼びに行ったのだろう。もう一人の番兵は北斗から目を離さず、槍を突き付けたままで、やはり、きちんと訓練されているのがよくわかる。

 ややあって、番兵がベルスを連れて戻ってきた。鉄格子の前に立つやいなや、ベルスは息せき切って北斗に尋ねてきた。


「坑道だと!?ホクト、きさま、なぜそんなことがわかる?」

 北斗は、また努めて心を落ち着かせて答えた。

「私もこんな音を聴くのは始めてなので、もちろん、確証はありません。ですが、敵の包囲下にある城塞の地下から聞こえる音といえば、考えられることは一つかと」


 地下に坑道を掘るのは、古代ローマ時代から記録のある攻城戦の常道だ。掘った坑道を通って敵城に侵入してもよいし、城壁の下に巨大な空間を作って重みで陥没させ、崩してしまうこともできる。井戸などの水源を破壊するのも効果的だ。

 労力と時間はかかるものの、敵の妨害を受けにくく、人的被害も少ない。成功すればその威力が絶大なので、歴史上、その例は無数にある。

 日本でも、茨城県筑西市の関城跡に、南北朝時代の合戦で掘られた坑道の跡が現存している。北斗はそれを見に行ったことがあった。


 ベルスは無言のまま、北斗の眼をじっと見つめた。

 それは嘘を見透かさんとするかのような強い眼差しだったが、北斗は動じなかった。実際には、相当に勇を鼓した成果だったが、いずれにせよ、北斗の心にやましいことは何一つない。


 見極めをつけたのか、ややあって、ベルスはふいと視線を外した。その太い腕を組んで「う~む……」と唸る。

 眼をつぶって沈思黙考していた彼だったが、それは長い時間ではなかった。


「……確かに、きさまの言うとおりかもしれん。調べてみるとしよう」

 ベルスは一つ、強くうなずくと、再び北斗にその灰色の瞳を向けた。

「だが、ホクト。オレたちにそれを伝えるということは、きさまはカルガディアの者ではないのか?」

 問われた北斗は、彼に伝われという思いをその眼差しに込めて、ベルスの眼を見返した。


「はい。私は、カルガディアという国のことは存じません。先ほどもお答えしましたが、なぜ森の中にいたのか、自分でもわからないのです。このようなことを言っても信じていただけるかどうかわかりませんが、私は、この世界とはまったく別の世界から来ました。その世界には魔術や魔法は存在せず、夜空に浮かぶ月も、ただ一つしかないのです」


 言葉を選びつつ、ゆっくりと。

 北斗は、おのれが異世界から来た人間であることを、はっきりとベルスに告げた。


「……別の世界、だと……?確かに、伝説やおとぎ話なら、我が国にもそうした話はいくつも伝わっているがな……」

 ベルスは低くつぶやいた。当然のことだが、にわかには信じがたいのだろう。


 彼は、北斗の全身を上から下まで眺め回した。確かに、北斗が着ている「かりゆしウェア」はベルスたちの世界にはなさそうなものだが、今の北斗が彼らと明らかに異なるところはその服装くらいである。顔立ちも多少異なるが、その程度なら、文化や民族の違いと言えないこともない。


 またしばらく考え込んでいたベルスだったが、やがて、一つ、大きく息をついた。

「……別の世界から来たなどという世迷言、とうてい信じることはできん。とはいえ、坑道の件がはっきりすれば、きさまがカルガディアの密偵かどうかは判断がつく。すべてはそれからだ。だが……」

 と、そこでベルスは一度言葉を切った。


「だが、もしきさまの言うことが偽りであったり、オレたちを陥れようとするものだったりした場合は……覚悟をするんだな」

 ドスを利かせた声で、ベルスはそう告げた。

 戦時下の武将だけあって、さすがの迫力である。北斗は身が縮む思いだったが、黙ってうなずいた。


「よし。では、夜が明けたら結果を知らせる」

 そう言ってベルスは階段に足をかけたが、ふと思いついたようで、番兵に一つ指示を出した。


「夏とはいえ、ここは冷える。こやつに毛布でもやってくれ」

「えっ……ありがとうございます!」

 まさに寒さに震えていたところだったので、ありがたい話だ。思わぬ好意に驚いた北斗が礼を述べると、ベルスはニヤリと笑った。


「なに、きさまの言うことが偽りであれば、明日には見せしめのために処刑される身だ。多少の施しをしてやっても罰は当たらんだろう。もっとも、例え毛布があったとしても、今夜は恐怖に震えて眠れぬかもしれんがな」


 カラカラと笑いつつ、恐ろしいことを言い残して、ベルスは階段を上がっていった。

 やがて、鉄格子の向こうから差し入れられた毛布に、北斗はくるまった。

 それで、ようやく体は温まったはずだ。なのに、北斗はその体の震えを止められそうになかった。


◇◇◇


「――!」

「――起きろ!」

「――ホクト、起きろ!」


 低く野太い男の声に、何度も名前を呼ばれて、北斗は眠りから覚めた。

 薄く目を開けると、鉄格子の向こうにベルスがいる。その傍らでは、なぜか兵士の一人が腰を落として、扉の鍵穴に鍵を差し込もうとしていた。


 それに気づいて、北斗はゆっくりと体を起こした。恐怖で眠れそうにないとばかり思っていたが、いつのまにか、ぐっすり眠り込んでしまったらしい。

 思ったよりも、自分は図太い人間だったのだろうか。眠気を追い払いつつ、北斗はそんなことを考えた。

 冷たい地下牢の、硬い石畳みの上だったが、体の冷えも、強張りも、たいしたことはない。ベルスが差し入れてくれた毛布のおかげだった。


「ホクト。一時、この牢から出ることを許す」

 ベルスがそう告げた時、カチャンと音がして、牢の鍵が開けられた。

 何を言われたのかは理解したのだが、その言葉の真意を計りかねて、北斗はベルスにいぶかしげな視線を向けた。彼は、無精ひげの伸びた顎を撫でまわしつつ、理由を教えてくれた。


「あの後、我が軍の魔術師や精霊使いに地下の様子を探らせたところ、きさま……いや、おまえが言ったとおり、多数の人間が穴を掘っているかのような動きが感知されたのだ」

 そう言って微笑んだベルスは、言葉を続けた。


「もちろん、それでおまえの疑いがすべて晴れたわけではない。だから、まだ無罪放免というわけにはいかんのだが、おまえのおかげで敵軍の動きが察知できたのはまぎれもない事実だ。だから、せめてもの褒美で、朝飯くらいは食わせてやろうと思ってな」


 腹、減ってるだろう?

 そう尋ねつつ、ニカッと笑ったベルスに、北斗はこくこくとうなずいた。まったくもってその通りで、昨夜からずっと、北斗の腹の虫は鳴きっぱなしなのである。


 地球とこの世界――ベルスはローリスリアと呼んだ――との間で時間の流れがどうなっているのかはわからない。昨日と言っていいのか、とにかくこの世界に来る前のことだが、北斗は船酔いのため、前夜フェリーに乗ってからこのかた何も食べていなかったのである。

 せめて、最後に、斎藤さんが作ってくれたカレーを食べたかったなぁ。ああ、日本に帰りたい……。

 英里沙の顔を思い浮かべつつも、北斗はベルスの申し出に心から感謝した。


 朝食は、階段を登った番兵たちの詰所に用意されていた。黒パン、野菜のサラダ、ハムとチーズ。冷たいものばかりのコンチネンタルブレックファーストだったが、今の北斗にとっては神の恵みだ。

 この世界にもトマトはあるのか。テーブルについた北斗は、サラダボウルの中をのぞきつつ、じゃあ、ジャガイモもあるかもしれないな、などと考えていた。そんな北斗に、向かいに座ったベルスはけげんそうな顔を向けた。


「どうした、苦手な食べ物でもあるのか?」

「あ、いえ……!なんだか芋が食べたいな、とか思っただけです」

「芋だと!?」


 突然、ベルスがすっとんきょうな声を上げたので、北斗の方が驚いた。

「芋など、我が国に伝わってからまだ数年しか経っていない貴重な食べ物だぞ。籠城の城の蔵にあるわけがないだろう。というか、おまえ、カライモを食べたことがあるのか?」


 ベルスの言葉に、北斗はまた驚かされた。あるとしてもジャガイモだと思ったのに、まさか唐芋、すなわちサツマイモだとは。

 ベルスの口調から、少なくともこのローウェル王国では、サツマイモがまだ貴重な作物であることが推測される。北斗はなんと答えようか言葉に詰まったが、自分が異世界から来たことの傍証になるかもしれないと思い、正直に答えた。


「はい。私がいた世界では、ごくごく一般的な食べ物です」

「ふ~む……」

 また腕を組んで唸ったベルスだったが、ややあって、「まあいい。とにかく食べるぞ」とパンを手にとった。飯を前にして考えても、いい考えは浮かばないと思ったのかもしれない。


 うながされて、北斗は遠慮なく、男子大学生らしい勢いで食べ始めた。ベルスはといえば、一度はパンを手にとったものの、あくびをしつつ、今はカップに入ったお茶かなにかを飲んでいる。

 昨夜は森をパトロールして北斗を捕らえた後に、坑道騒ぎだ。ほとんど寝ていないに違いない。


 ふと気がついて、北斗はチーズを口に運んでいた手を止めると、ベルスに声をかけた。「ところで、ベルスさん……あ、失礼、トウヒード卿」

 言い直した北斗に向かって、ベルスはひらひらと手を振った。


「いや、『ベルスさん』でいい。オレは、今でこそ我が君にたいそうな身分をいただいているが、長らくの間、一介の冒険者として暮らしてきたんだ。未だに、『卿』だなんて敬称付きで呼ばれるのには慣れないんだよ」


 そう笑ったベルスは射声校尉だ。「校尉」とは古代中国に見られた官職で、一定数の兵士を率いる高級武官の一である。また、「射声」とは、暗所でも声を頼りに敵を射貫くことができる弓の名人の意。すなわち、そうした精鋭の弓兵を指揮する隊長のことだった。

 北斗は昨夜、身をもって彼の神技ともいえる弓の腕を体験している。夜の森であれなら、この城に攻め寄せる敵兵にとっては鬼か悪魔にしか見えないに違いない。


「まあそれはともかくとして、なんだ?」

「坑道の件です。撃退はできたのですか?」


 そう問われて、ベルスは視線を宙に泳がせた。それは軍事機密に属する事項である。密偵かどうかの疑いが晴れたわけではない北斗に話をするべきか、考えたに違いない。

 だが、結局、ベルスは正直に答えることにしたようだった。


「いや、それがまだだ。ヤツらが到達した場所は、魔術師たちが突き止めたのだが。どうやって撃退するか、まだ思いついておらんのだ」

「坑道に対抗するには、こちらからも坑道を掘って、そこに水を流し込むのが常道です」

「なに?アチチッ!」


 サラダをフォークでつつきながら、北斗がのんびりとした口調でそう答えたので、驚いたベルスはカップのお茶を胸元にこぼしてしまった。

 あわてて、傍らの兵士が拭くものを差し出す。受け取りつつ、ベルスは北斗に向かって大きな声を上げた。


「おまえは本当に何者なんだ!?坑道を簡単に見破ったことといい、実は軍人だとでもいうのか!?」

 少しは密偵の疑いも晴れてきたところだというのに、またベルスを警戒させてしまったようだ。よかれと思って言ったことが思わぬ反応を得てしまった形だが、北斗としては素直に説明するしかない。


「いえ、私は大学で教育について学ぶ学生です。ただ、歴史オタ……いや、歴史を専門にしており、特に戦史に興味があるので、古今東西の合戦にも多少は詳しいと自負しています」


 北斗は教育学部で社会科教育を専攻しているのだが、彼の学部では、「それぞれの教科の専門性を高める」というのが教育方針の一つだった。そのため、教育学の学習と並行して、歴史学、地理学、法学、経済学など、社会科を構成する様々な学問について学ぶ機会が多い。ゼミもそれぞれの学問に分かれて所属し、卒業論文もそれで書くことになる。


 北斗は当然、歴史学で卒論を書くつもりだった。彼は日本の戦国時代と三国志が好きで歴オタの世界に入った、スタンダードなオタクである。日本史の先生につこうか、東洋史の先生につこうか考えている最中だった。


「なるほど……」

 完全に納得したのではないかもしれないが、ベルスは一応、うなずいた。

 確かに、平和な日本の大学生と、実戦経験豊富な戦時下の兵士とでは、身に帯びた迫力や雰囲気が違う。そして北斗には、明らかにそのようなものはなかった。


「……試みに問うが、水攻めにするのに、なにかよい方法があるか?」

 北斗が言ったとおり、敵の掘った坑道に水を流して対抗した例は歴史上に多い。有名なのは『三国志』に出てくる官渡の戦いで、袁紹軍の掘った坑道を曹操軍が水攻めにした。 

日本でも、武田信玄・北条氏康の連合軍が、上杉謙信の勢力に所属する武蔵松山城(埼玉県比企郡吉見町)を攻めた際の例がある。


 ベルスの問いに、ハムを突き刺したフォークを手にしたまましばらく考えた後で、北斗はこう答えた。

「この城は、堀に囲まれていますよね。当然、敵の坑道はその下を通ってくる。堀の底に穴を開けられれば一発なのですが。もちろん、堀の深さにもよりますけど」

「簡単に言うがな……」


 そう言って天井を見上げたベルスだったが。

「いや、待てよ」とつぶやくと、次の瞬間には、ガタンと椅子を蹴たてて立ち上がった。


「思いついたことがある。ホクト、朝飯を食べ終えたら、一度、牢に戻ってくれ」

 それは仕方がない。ハムを頬張りつつうなずいた北斗に、ベルスは笑いかけた。

「悪いな。だが、これで首尾よく敵を撃退できれば、おまえも、もう牢にいる必要はなくなるだろう」

 言い残して、ベルスはあわただしく駆け出して行った。


◇◇◇


 結局、その日一日、ベルスは戻ってこなかった。


 その間、北斗はすることもなく、牢の中で毛布にくるまっていただけである。簡素なものではあったが、昼食と夕食はきちんと差し入れられたので、それだけが楽しみだった。

 地下牢のこととて時間の感覚もわからず、眠くなったら寝て、目が覚めた後。


 寝起きでぼーっとしていると、階段の蓋がギィッと開いて、ベルスと番兵がその姿を見せた。

「ホクト、起きているか?」

「あ……はい」


 眠気を追い払って返事をすると、番兵がカチャカチャと鍵を差し回して、牢の戸を開けた。無言で、出ろ、という仕草をする。

 その理由は、ベルスが教えてくれた。今、その顔にはすっきりしたような表情が浮かんでいて、声も少し弾んでいるようだ。


「カルガディア軍は昨夜、無事に撃退できた。ヤツらの掘った坑道は水没して、もう使えないだろう」

「ええっ!?もう、ですか?」

 北斗はすっとんきょうな声を上げた。


 彼は、堀の中に木の板や石を積んで隔壁を作り、その中の水を抜いて、その後でようやく水を流し込むための穴を掘ることになるだろうと考えていたのだ。もちろん、それを見ている敵は妨害工作をするだろうから、簡単には済まないに違いない。

 それがわずか一日の間に終わってしまったので、驚いたのである。


「これもすべておまえのおかげだ。だから、もう牢にいる必要はない。おまえの今後のことはこれから考えるとして、その前に、会ってもらいたい方がおられる。朝飯前で悪いが、付き合ってくれ」

 そう言われれば、北斗に否やはない。うなずいて、ベルスに続き階段を登った。


 地下牢のある建物を出ると、北斗はまぶしさに目を細めた。思えば一昨日、夜の森でベルスと出会い、その後はずっと牢の中にいたのだ。この世界で陽の光を浴びるのは初めてなのである。

 北斗は手をかざしつつ、恐る恐る空を見上げた。


 幸いなことに、太陽は一つだった。


「こっちだ」

 ベルスの背を追って、民家の立ち並ぶ路地を歩いていく。後ろから番兵がついては来るが、北斗の手には、もう縄はかけられていない。


 一昨日は、夜のこととて街の中に住民の姿は見られなかった。今は、老若男女、様々な人々が通りを行き交っている。見慣れぬ顔立ちで、自分たちとは服装も異なる北斗に奇異な視線を向けてくる者もいるが、ベルスや兵士に連れられているからか、声をかけられるようなことはなかった。


 戦時中であっても、城塞の中はある程度落ち着いているようだ。人々はそれぞれの暮らしに精を出しているが、時折、武装した兵士があわただしく駆けていく。壊された城壁を補修するためのものだろう、資材を積んだ荷車が左に向かったかと思えば、右からは負傷兵を戸板に乗せて戻ってくる一団がある。


 その横を通り抜けた北斗は、ドクドクと血を流し、肉が露わになった傷跡の生々しさに、思わず「うっ」と眼を背けた。喉の奥からせりあがってくるなにかを感じて、あわてて口元を抑える。


「血が苦手なのか?それとも、見慣れないのか?」

 その様子に気づいたベルスが、足を停めて声をかけてきた。


「はい……私は今まで、戦いでできた傷というのをこの目で見たことがありません。私のいた世界、いや、私の暮らす国に限っての話ですが、この八十年というもの、一般市民が戦争に巻き込まれたことは一度もないのです」

 その答えに、ベルスは大きく目を見張った。


「なんと、八十年も?そんな平和な国が世の中にはあるというのか……ますます信じられん話だ」

 この世界――ローリスリアでは、戦争は日常茶飯事なのだろう。現実に、この城は籠城戦のさなかにある。


 嘆息したベルスに、北斗は気になっていたことを一つ尋ねた。

「差し支えなければ教えてください。ベルスさんたちの国……ローウェル王国でしたか、カルガディアとは、どうして戦争になったのですか?」


 その問いに、ベルスは肩をすくめた。

「単純な領土欲だと思うが……カルガディアが一方的に攻めてきたのだ。宣戦布告もなしに、まったくもって汚い奴らだ!魔王軍との間で休戦協定が成立して、ようやく平和が訪れたと思ったところだったのに……」

「魔王!?そんなものまでいるんですか!?」


 またしても、ここが異世界であることを思い知らされるワードが出てきた。ドワーフ族に魔術・魔法とくれば魔王がいてもおかしくないかもしれないが、いい加減、情報過多である。こめかみのあたりに疼痛を感じて、北斗はそっと手を当てた。

 そんな北斗の顔をまじまじと見たベルスは、彼が心底驚いているのを悟ったようだ。低くつぶやく。


「別の世界から来たなどというおまえの言葉、案外、真実かもしれんな。ローリスリア、特にこの大陸の人間であれば、千年以上も続く人類と魔族との戦いを知らぬはずがない」


 歩きながらベルスが説明してくれたところによると、人類諸国と魔族との戦いは、長く続いているがゆえに、近年は、おたがいの国を焦土にするような全面戦争ではなかったそうだ。

 それは、人類と魔族がそれぞれの国を代表する代理人――人類の場合は、ときに勇者と呼ばれる――を立てて、その勝敗で領土を奪ったり取り戻したりするものだという。戦いで荒れ果て、人もいない、焦土となった国を手に入れても、人類はもちろん魔族にとってもメリットがないからだ。


 かといって、その戦いが熾烈でないわけではない。

 ローウェルやカルガディアを含む大陸の諸国がそれぞれ、国運をかけて勇者を育成し、魔族を打倒するための装備を整えさせるのだが、人材の育成とはとかく金がかかるからだ。そうして育てた勇者が、はかなくも魔王軍に敗れて命を落とせば、また大金をかけて新たな勇者を育成しなければならない。


 また、領土の奪い合いこそ代表同士の決戦方式だが、ひとたび人類と魔族がかち合ってしまえば平和裏にさよならすることができるわけもない。国境付近での小競り合いは日常茶飯事で、そのために命を落とす者も少なくなかったのである。


 しかし近年の戦いでは、このローウェル王国の勇者たちが獅子奮迅の大活躍をし、ついに魔王自身を決戦の場に引きずり出すことに成功したのだそうだ。そしてその勇者たちは魔王を打ち倒すことこそできなかったものの、長きに渡る封印を施して、ついに平和を勝ち取ったのである。


 その勇者の一人こそ、ベルスが現に仕えるローウェル国王ジュノ・エスカーズその人なのだ。


 だが、久々に訪れた平和は、長くは続かなかった。魔族との戦いを他国に委ね、秘かに軍備を整えていたカルガディアが、不意に侵攻してきたからである。


 往古の昔にカルガディア領だった土地を奪還するとの大義名分――それは事実無根でこそなかったが、数百年も前の話であり言いがかりの域を出ない――を押し立てて、五つに道を分けて攻め込んできたカルガディアの大軍勢を前に、ローウェル軍は各地で敗れた。


 ローウェルは魔王・魔族との決戦の主体であったし、国土が大陸交通の要衝にあって、日常的に周辺諸国から侵略されて国力が疲弊していたからだ。人間というのは愚かしいもので、魔族との戦いのさなかであっても、国と国同士の戦争がなくなることはなかったのである。


 ベルスの所属していた部隊も一戦して散り散りになり、彼は、ようやくこの城に逃げ込んだのだそうだ。

 緒戦に勝利したカルガディアの国王は皇帝を称し、あらためてローウェル全土を征服すると宣言した。対してローウェルは、敗れた軍の再編成に手いっぱいで、この城の救援にまで手が回っていないのだという。


「……というわけだ。まあ、この世界や我が国のことについてはまたおまえに説明をする必要があるが、とにかく、今は城代殿に報告する方が先だ。急ごう」

 そう言って長い話を終えたベルスは、城塞の中心部に向かっているようだった。


◇◇◇


 しばらく歩いてたどり着いたのは、大きな建物だった。

 宮殿というほど豪奢ではないが、それなりの貴族が暮らす館と言ってよさそうな規模である。おそらくは、城主の館であろう。役所の庁舎を兼ねているのか、役人と思われる上等な身なりをした男たちが出たり入ったりしていた。


 射声校尉――高級武官の一人であるベルスは、普段からよく出入りしているのだろう。門を警護する衛兵たちと敬礼を交わすと、臆することなく歩みを進めている。

 館を彩る絵画や彫刻、並べられた豪華な調度品に目を奪われていた北斗だったが、遅れないよう彼の背についていく。


 やがてベルスは、巨大な扉の前に達した。押し開くと、中は広間になっている。

 広間の奥――金で縁取られた真っ赤な絨毯の向こうに、椅子がしつらえられている。そこには、一人の若い男性が座っていた。彼は、ベルスと北斗が姿を見せると、歓迎するかのように椅子から立ち上がり、両手を広げた。

 広間の両脇に佇立する、甲冑をまとった騎士たちの視線を浴びながら、北斗はベルスに一歩遅れてカーペットの上を進んだ。男性の前に達すると、ベルスの真似をして片膝をつき、頭を下げる。


「射声校尉ベルス・トウヒード。ナカムラ・ホクトを名乗る男を連れて参上しました。彼は、このローリスリアではない、月が一つしかない世界から来たと申しておりますが、カルガディア軍の坑道部隊を撃退するのに功がありましたことを申し添えます」

 頭を下げたまま、ベルスがそう声を上げた。


 男性は、ベルスの上官にあたるのだろう。だが、その顔は、ベルスよりも若干ながら若いようだった。二十代の半ばというところか。もっとも、明らかに人間族の彼とドワーフ族のベルスとで、年齢の違いが具体的にどうなるのか、異世界人である北斗にはよくわからない。


 ベルスの言葉にうなずいた男性は、二人に顔を上げるよう促した。

 間近で見る男性は、焦げ茶色の瞳をしていた。同じ色の髪を長く伸ばし、両耳の横と後ろとの三か所をカラフルな紐で縛っている。

 顔立ちは上品で、美男子と形容して差し支えない。穏やかな笑みを口元に浮かべて、北斗のことを見下ろしている。

 戦時下であることから、兜こそかぶっていないものの、身には皮でできた軽量の鎧をまとっている。腰には両片手剣(バスタードソード)を提げていた。


 男性は、顔を上げた北斗の眼をじっと見つめた。「ほう……確かに、よく似ているな」と、なぜだかそんなことをつぶやいている。北斗の隣で、ベルスがうなずいているのがチラリと眼に入った。

 男性は、けげんな表情を浮かべた北斗に向かい、あらためて口を開いた。


「よく来てくれた。私は、レルグ・コールヴィッツという。爵は関内侯(かんだいこう)、官は侍中(じちゅう)にして輔国将軍(ほこくしょうぐん)。このマデッサの城を城代として預かっている」

「関内侯で侍中!?大変な高官じゃないですか!」

 北斗はつい大きな声を上げてしまった。


 彼が『漢書』を読んで学んだ古代中国の爵位の制度によれば、関内侯は上から二番目にあたる。一般的に知られる西洋風の公侯伯子男の爵制に当てはめれば、侯爵に相当すると言えよう。

 そして侍中とは、国王の第一の補佐役として国家の機密に参画し、その(まつりごと)に助言を与え、過ちがあれば正す、きわめて重要な官職だった。

 レルグと名乗った男性はまだ若いにも関わらず、高位の貴族であり、国王の側近でもある重要人物なのである。


 驚いた北斗だったが、そのかりゆしウェアの裾を、ベルスが引っ張った。それでようやく、貴人の前で大声を上げた無礼に気づいた北斗は、あわてておのれの罪を謝した。


「ご、ご無礼をいたしました!」

 再び頭を下げた北斗に、レルグは片手を上げて微笑んだ。

「いや、気にすることはない。ところで、中村北斗とやら。そなた、我が国の爵制や官制に詳しいのか?」


 レルグは、北斗が異世界から来たと称しているのに、彼の爵位や官位に驚いたので尋ねたのだろう。問われた北斗は正直に答えた。

「いえ、貴国の制度については存じません。ですが、私の世界に伝わる史書で、似たような制度について読んだことがございました」


 その答えに一応は納得したのか、レルグは一つうなずくと、それ以上は尋ねてこなかった。彼はゴホンと咳払いをすると、あらためて北斗にこう告げた。

「中村北斗。このたびのそなたの働きについては、射声校尉ベルス卿より逐一報告を受けている。そなたのおかげで、カルガディアの企図は文字通り水泡に帰した。マデッサ城代として、深く感謝する」


 レルグの言葉に真心が込められているのを感じて、北斗はますます深く頭を下げた。それを横目で見ていたベルスが言葉を添える。

「ちなみに、おまえの策を実行されたのはレルグ将軍だ。閣下は精霊使いでもおられる。大地の精霊の力を借りた『隧道(トンネル)』の魔法で、堀の底に穴をうがったのだよ」

「そうだったのですか……!」


 わずか一日で敵の坑道を撃退することができたのは、魔法の力によるものだったのだ。

 得心した北斗だったが、一つ、心に留めたことがある。それは、この世界では北斗のもつ常識が通用しない物事があるということだ。地球の歴史には詳しい彼だが、ローリスリアの魔法のことはまったくわからないのである。


「私は、そなたの策を実行しただけだ。たいしたことはしていないよ」

 そう言って、レルグは笑った。国家の重鎮である彼だが、笑うとその若さにふさわしい表情になる。やがて笑いを収めると、彼は言葉を続けた。


「ついては褒美の一環として、そなたの身を自由にすることにした。そなたが密偵でないことが証明されたわけではない、あえて友軍を見殺しにして我らを信用させる謀略ではないかと心配する者もいたが、ベルス卿が、彼はそのような男ではない、自分の武勲に代えても保証すると強く主張したのだ。私も、その言葉を信じたい」

 そう言われて北斗は、頭を下げたまま隣に並んだベルスのことをチラリと見やった。ベルスは照れているのか、はにかんだ笑みをその顔に浮かべている。


 レルグは次に、そのベルスに声をかけた。

「そしてベルス卿。そなたの働きも適切だった。そなたがこの者を粗略に扱わなかったからこそ、彼は我が軍に協力してくれたのだろう。開戦以来の武勲と合わせて、ジュノ陛下に奏上するゆえ、追って褒美や昇進の沙汰があるだろう」

「ははっ、ありがたき幸せ!」


 ベルスが割れるような大声で言上したので、北斗も続いて「ありがとうございます!」と礼を述べた。

 二人を見下ろして満足そうにうなずいたレルグは、北斗のそばに腰を落とすと、自らその手をとって彼を立たせた。

 北斗は、身長が百八十センチある。しかし、並んで立ったレルグも、その背丈はほとんど変わらなかった。


「異世界から来たというそなたの申し分については、別室で詳しく聞かせてくれないか。そなたの今後のことも、ともに考えよう」


◇◇◇


 案内されたのは、広間に隣接するレルグの執務室だった。


 片隅にしつらえられたソファを勧められ、腰を下ろした北斗の前に、レルグとベルスは並んで座った。軽食と紅茶の入ったカップを運んできた侍女を下がらせると、部屋には三人だけになる。

 北斗がまだ朝食を食べていないと聞いたレルグは、サンドイッチをつまむように勧めた。自らもカップに口をつけると、北斗の腹具合が少し落ち着くのを見計らって、こう話し出す。


「さて……北斗。そなたは異世界から来たとのことだが、なんという国から来たのだ?」

「はい。私は、『日本(にほん)』という国から来ました」

「にっぽん!?」


 聞き返したレルグだったが、その言葉は北斗を驚かせた。

「は、はい。確かに『にほん』とも『にっぽん』とも申します。ですが、もしかして、日本のことをご存じなのですか?」

 日本の国号については、平成二十一年六月三十日の閣議で、「『にっぽん』又は『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」と決定されている。


 だが、レルグはかぶりを振った。

「いや、初めて聞く名前だから、聞き間違えたのだ。そうか……『日本』か……」


 天井を見上げつつ、そうつぶやいたレルグは、次に、北斗がどのようにしてこの世界にやって来たのかを尋ねた。

 北斗は、「これはあくまで推論ですが」と前置きしつつ、昨夜、地下牢で得た考えを披露した。聞き終えたレルグは、うなずいた。


「なるほど、木の洞から……。にわかには信じがたいが、この世界にも、洞窟だとか火山の火口だとか、そういったところが異世界に通じているという伝説やおとぎ話はあるよ。そなたの世界と違って、このローリスリアでは、なんらかの魔術や魔法が働いていると考えればあり得ない話ではないからな。そもそも、強大な力を持っていた太古の魔術師たちは、精霊や神々の暮らす世界とも確かに行き来をしていたのだ」

「そうなのですか……!」


 レルグの言葉に、北斗は希望を持った。精霊や神々の世界とも行き来ができるなら、地球に、日本に帰る手段もあるかもしれない。

 だが、そんな北斗を見やって、ベルスが哀れむように言葉をかけた。


「とはいえ、少なくともオレたちの知る範囲で、異世界に行ったり、異世界から来たりしたという人間を見たり聞いたりしたことはないのだ。変な希望を持たせても良くないから言っておくが」

 そう断言したベルスのことをチラリと見やって、レルグは話題を変えた。


「……そうだな。ところで北斗。そなたはやはり、元の世界には帰りたいのか?」

 その問いに、北斗はうなずいた。当然であろう。


 いくらなんでも、友達と旅行に出かけて失踪したとなれば、多方面に迷惑がかかる。今頃、五島の警察や消防は大わらわで捜索にあたってくれているに違いない。とりわけ、北斗に洞窟を見に行かせた英里沙は、後悔の念にさいなまれているだろう。

 そして、家族。

 父母にはまだ、なんの親孝行もしていないのだ。北斗は、「あんた、孫の顔はちゃんと見せてよ」と、彼が小さいころからずっと言っている母の顔を目蓋の裏に浮かべていた。ちょいヤンらしく?母は家族というものをとても大事にしているのだった。


 異世界に行くにせよ、というのも変な話だが、せめて、家族や英里沙たち友達には行ってきますの一言くらい言いたかった。


「うん、それは当然だな。だが、北斗。そなたはこの世界でこれからどうするつもりだ」

 今度はそう問われて、北斗は答えに窮した。とにかく彼は、自ら望んでこの世界にやってきたわけではない。この世界でやるべきことも、当てにできる何かをも持っているわけではないのだ。

 結局、「まだ、何も考えていません」と、そう答えるしかなかった。


 それを聞いて、レルグは横に座るベルスと眼を見交わした。たがいにうなずいた後で、彼はこう提案してきたのである。

「ならば……北斗。私に仕えないか」


 思いもかけない言葉に驚いて、北斗は黙ってレルグの眼を見返した。微笑みつつ、それを受け止めたレルグは説明を続けた。


「そなたは戦史に詳しいと聞く。我々はカルガディア軍に追われ、あわててこの城に逃げ込んだので、部隊もバラバラ、混成状態なのだ。当然、司令部も陣容が整わず、我が幕下には今、参謀がいない。そなたがその知識を活かして、このたびのように献策をしてくれると助かるのだがな」

「私は、今でこそ輔国将軍の印を帯びてはいるが、元々は侍中、つまり文官だ。多少は戦場に出たこともあったが、軍事の専門的な知識を持ち合わせてはいないんだよ」


 ベルスも横合いから口を添える。

「ホクト。おまえが本当に異世界から来たのなら、この世界で行く当てもないだろう。戦争を知らぬ世界で生きてきたおまえが、血生臭い戦いに関わるのはイヤかもしれんが、いずれにせよ、この戦乱の世で、そこから超然としていることなど不可能だ」

「私の元におれば、ある程度はそなたの身も守ってやれるだろう。それに、身分についても保証ができる。魔術・魔法も使えぬそなたが、知らぬ世界で一人、生きていけると思うほど甘く考えてはいないだろう?」

「閣下は我が国の高官だ。当然、様々な情報が閣下の下に集まる。ひょっとしたら、元居た世界に戻る方法だって、わかるかもしれん。閣下に仕えて暮らしを立てながら、情報を集めてみてはどうだ?」


 こもごもに説得しようとするレルグとベルスを前に、腕を組んで考え込んだ北斗だったが、答えはすでに決まっているようなものだ。


 ベルスの言う通り、現実の戦争に関わることについては、殺すにせよ殺されるにせよ言い知れぬ恐怖がある。だが、レルグの言うことも確かで、このローリスリアに放り出されて北斗が一人で生きていくことなど、とうてい不可能だ。そんなことになれば、戦火に巻き込まれるか、野盗の類に襲われるなどして、すぐに命を落としてしまうに違いない。

 それに、レルグの下なら、地球に戻るための情報が手に入るかもしれないというのもその通りだろう。なんといっても、彼はローウェル王国の中枢にいるのである。

 そもそも北斗は、明日のパンを買うお金だって持っていないのだ。


 イエスの返事をする前に、北斗は一つだけ気になることを尋ねた。

「お心遣いに感謝します。ですが、私は異世界人の身。本当によろしいのですか?」

「異世界人だから、良いのだ」


 北斗の問いに間髪を入れず断言すると、レルグはそこで一度、紅茶で口を湿らせた。

「参謀や補佐官の役割というのは、上官に多種多様な情報や意見を提供して、その判断を助けることにある。時には耳に痛い忠言を受けることもあるかもしれないが、我々、人の上に立つ立場の者にとって、おのれにはできない発想を提供してもらうことが、偏った判断を避けるために不可欠なのだ。そして、異世界人のそなただからこそ、この世界の常識にとらわれず、自由な発想ができるかもしれない。私はそれに期待をしているんだ」


 グッと握りしめた拳を振り回しながら、レルグは力説している。それは、聞いている北斗まで熱くなりそうな勢いだった。

「今、我がローウェルは、カルガディアに領土を深く浸食されて、未曽有の国難にある。この非常の時にこそ、異世界人であるそなたのような、非常の人が必要なのだ」

「なに、心配することはない。そなたの発言、献策、それらを取り上げるかどうかは私次第だ。すなわち、責任はすべて私にある。そなたは、良かれと思ったことをそのまま伝えてくれればいいんだ」


 振り回していた拳を止めて、そう話を結んだレルグの姿に、北斗は感激した。「ああ、この方はきっと、よい上官であり上司だ」と、心の内でそう思う。

 部下の意見を偏らずによく聞くが、決断はおのれ一人の責で行う。言うのは簡単だが、実際にそれができる上司は数少ないだろう。未だ社会に出ていない、学生の身の北斗ではあるが、その感想はおそらく間違っていないはずだ。


 北斗には、もう迷いはなかった。

「……わかりました。先のことはわかりませんが、当面の間、お世話になりたいと思います。非才の身ですが、私の持つ知識はすべてお二人に捧げることをお約束します」

 そう言って頭を下げた北斗を見て、レルグとベルス、二人は嬉しそうに破顔した。


「そうか!それでは、私の権限で、そなたに『上造(じょうぞう)』の爵位を与える。これでそなたは、我がローウェル王国の市民権を得たことになる」

 北斗の知っている古代中国の爵制では、二十ある等級のうち下から二番目の位になる。最下級は公士(こうし)というのだが、カルガディア軍の坑道戦術を見破った功績として、一つ上げてくれたのだろう。

 この世界にまったく関わりのない北斗には、その身分を保証するものが何一つない。だから、レルグの申し出は素直にありがたかった。これで今後、「無戸籍」のような状態からは脱することになる。


「それと、官は『参軍(さんぐん)』だ。定まった職はなく、私を補佐、すなわち輔国将軍参軍として、しかるべき時にしかるべき発言、献策をしてくれれば、それでいい」

 それもまたありがたい話で、その程度なら自分にもできそうだ。北斗はまた頭を下げて感謝の言葉を述べたが、その顔を上げると、上官となる二人に真剣な眼差しを向けた。


「ありがたい御定に深く感謝申し上げますが、早速にひとつ、忠告をさせていただきたいと存じます」

「ほう。拝聴しよう」

 あらたまった北斗に対し、レルグとベルスは居住まいを正すと、その言葉を待った。


「私は単なる大学の学生で、しかも本来の専門は教育学です。私が持つ戦史や戦略戦術の知識は、あくまで趣味の範囲で蓄えただけのもの。実戦の経験はもとよりございません。ですから、お二人から見て私の献策が『机上の空論である』と思われれば、おそらくはその直感の方が正しいのです。その時は決して、私の策はお用いくださいませんよう」


 北斗が自らを飾らず、正直にそう告げたのは、「紙上に兵を談ず」の故事を思い出したからである。


 中国の戦国時代、趙の国に趙括(ちょうかつ)という武将がいた。諸国に恐れられた名将を父に持ち、

幼いころから兵学に通じた彼は将来を嘱望されていたのだが、その父はけっして息子が出世するのを認めようとしなかったという。だが、やがて趙の国と秦の国とが戦争になった時、趙の国王は趙括を総司令官に任じようとした。


 すると、その母親が国王に謁見を求めてきた。父親はもう亡くなっていたからだが、その言うところは、「息子が修めたのは兵法書の丸暗記で、知っている戦争はあくまで紙の上だけのことです。実戦の機微を知らず、人の命を軽んじていて、将軍の任には耐えません」だったという。


 しかし国王は、趙括の評判を信じて母親の言葉を聞かなかった。果たして戦いが始まると、趙括は兵法書の通りに兵を動かすばかりだった。結局、臨機応変の対応ができずに惨敗を喫し、趙は国の滅亡に直結する大損害を被ったという。

 このことから、机上の空論のことを「紙上に兵を談ず」とも言うようになったのだ。


 北斗がその故事の紹介を終えると、レルグは感嘆の息を漏らした。

「よく言ってくれた。そなたの忠言、心に留めて忘れないことを誓おう。それにしても、異世界にはそのような故事があるのだな。そして、そなたの知識もやはり、相当なものだ。スラスラと故事を出して、おのれの説の傍証に用いるとは」


 レルグがそう褒めるので、北斗は頬をポリポリ掻いた。趙括の話をしたのは、彼にとって保身の一策でもあったからである。


 レルグには言わなかったが、趙括の母の話には続きがあった。自らの進言が入れられぬと知った時、彼女は、「ではせめて、息子の敗戦の責を我が一族に問われませぬよう」と国王の言質を取り、我が身と残された一族を守ったのだった。


 レルグとベルス、二人は信頼も信用もできそうな好漢だが、北斗は油断するつもりはなかった。この異世界で彼を守ることができるのは、最後には彼自身だけである。

 とにもかくにも、なごやかに話が終わり、三人はそれぞれ紅茶のカップを手に取った。


 その時だった。

 ドンドン!ドンドンドン!

 三人のいる執務室のドアが、激しく叩かれたのは。

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